ⅩⅥ○Immemoratio――握手●

「佳奈子、ちゃん? ……い、イヤだな~冗談は! 私だよ私! 雛乃だよん!」

「は、はじめまして……黒崎さん」


 平静を保とうと努力した。

 きっとドッキリを引っかけてきてると信じた。

 けど、早くも限界が訪れてしまう。


「佳奈子ちゃん!! 私だって!! 確かに間空いちゃったけど、始業式からトークしたでしょ!?」

「……」


 他生徒たちにも注目を浴びた叫び声。そんな不馴れな視線も感じないまま、私は紡ぐ。


「私バカだからろくな会話できなかったけど……いっしょに学校探検したし、いっしょに先生にも怒られた私だよ?」

「……」


「今日で逢うのは、まだ二回目だけど……はじめましてじゃないよ……?」

「……」


 華奢な両肩を握り、真っ直ぐに瞳を瞳へぶつけた。でも、くすみ掛かった佳奈子ちゃんには届かず、表情を灯さないまま返されてしまう。



「――ごめんなさい。黒崎さんとは、はじめましてだと思う……」



「そん、な……」

 驚愕のあまり、握力さえ効かすことができなくなった。佳奈子ちゃんの両肩からストンと落ち、無意識に虚無感を背負う。



 私のこと、忘れちゃったの……?



 もちろん心で呟いた。ただ、言霊へ変換するほどの余力が無かった。じっと見つめるだけで、会話のキャッチボールなど一球も放たれない。


 もしかしたら、周りのみんなも同じ境遇なのかな?

 そう思って佳奈子ちゃんと周囲の生徒たちを観察してた。でも朝の挨拶を見る限り、何も違和感のないやり取りが繰り返されていた。一週間フレンズみたいな展開だとは思えない。



――私のことだけ、忘れちゃったの……?



――キーンコーンカーンコーン♪



「……」

「雛乃、席に着いた方がいいっぺ」

「うん……」


 私にだけしか見えないペン太が現実へと戻し、茫然としつつも自席へ向かった。軽いスクールバッグと重いショックを抱えて。



 ○Immemoratio――握手●



 放課後。

 朋恵先輩とゆぅ先輩は部活。はたまた果林ちゃんと美雪先輩は学校が違うため、黄昏たそがれの下校道はいつも通り一人だ。

 もちろん、眉間の皺は朝から取れていない。


「佳奈子ちゃん、どうして……」

「そんなに落ち込むことないっぺよ」


 あ、一人じゃなかった……。

 頭上でうつ伏せるペン太に励まされたけど、足下ばかり見つめながら進む。


「出逢ったのはつい先週だろ? 仮に忘れられてたって、すぐに取り戻せる時間のはずだっぺ」

「う、うん……」


 確かにペン太の言う通り。共に過ごした時間は、たった一日だけ。二人で見たもの、感じたもの、得たものを取り返すことはさほど難しくないはず。


 でもね、一番ショックだったのは、他にあるの。



「なんか、人が変わっちゃったような感じで、さ……」



 思い出してほしい、私と佳奈子ちゃんが初めて出逢ったときの会話を。



“「どうか、よろしく」”

“「うんっ! こちらこそ!」”



 初対面の私と友だちなることを拒まなかった。むしろ前向きに手を差し伸べてもらい、笑顔まで放ってくれた。



 でも今日は、違った……。



 一日中佳奈子ちゃんと話そうと過ごしたけど、この前のように快楽的ではなかった。

 だって……


 “よろしく”の一言も無かった。

 引っ越してきたことも言われなかった。

 会話もすぐに途絶えてばかりだった。

 笑顔なんか一度もしてもらえなかった。


 何よりも、



――“雛乃ちゃん”ではなく“黒崎さん”と呼び続けた……。



 別人化してしまったようにしか感じられず、歩いているだけなのに呼吸が苦しくなった。ふと立ち止まると、雲一つ無い夕空から僅かな雨粒が足下へ落ちる。


「嫌われちゃったの、かな……私?」


 震えた喉を鳴らすと、自然たちが奏でる無音に染まる。スクールバッグを普段より格段に強く握り締めていた。握れば握るほど、涙腺が搾られるとも知らずに。


「……っ! ペン太……」


 すると、左肩に乗るペン太が小さな掌で涙を拭ってくれた。ちょっとイカした微笑みで、頭をポンと叩かれる。


「善くも悪くも、雛乃はしつこいヤツだっぺ」

「なによ? アンタまで傷つける気?」


「善くも悪くもって言ったっぺ。人様の話は最後まで聴くっぺよ」

「グズッ、妖精じゃん……バカ」


 肩を張りぐずついた姿が、橙のアスファルトへ転写されていた。扱いの酷さが否めなかったけど、ペン太には決して悪気なんか無かった。



「今日一日二人を見てたけど、もし佳奈子が嫌ってるとしたら、あれだけしつこかった雛乃に、嫌な顔一つぐらい見せるはずだっぺ」



 ふと、稲刈りを終えた農器車が隣を過ぎる。普段は煩く聞こえるはずなのに、今は気付くこともままならない。


「まー確かに、佳奈子は笑ってはなかった。顔も目も、きっと心も」

「……」


「でも、逆もしかり。佳奈子はイラついてもなかった。表情も瞳も、そして心も」

「……」


「話してる雛乃に、ずっと目を合わせてたっぺ。毎回相槌も打ってて……嫌いな相手には絶対できない作法だっぺ」

「じゃあさ、それ全部演技だとしたら……?」


 我ながら酷い質問だとは思った。ペン太から視線を逸らした私は、未だ雨降るアスファルトにて俯く。収まるところを知らず、我慢しようとすればするほど降りしきる。とんだゲリラ豪雨になりかけた、そんなときだった。



「じゃあ雛乃は、演技だったら諦めっぺか?」



「――っ! ペン太……」

 こうべを垂らしていた稲穂が、優しい春風に吹かれて顔を上げた。ザワザワと、命の音色を爪弾つまびきながら。


「今日まで、あれだけ楽しそうに話してた相手を……あれだけ大切そうに語っていた友だちを、雛乃は諦めることができるっぺか?」

「……」


「サバトのみんなもよく言ってたっぺ。大切なのは、“相手にどう思われてるか”じゃない……“相手をどう思わせたいか”……要は、“自分がどうしたいか”だっぺ」

「そんなの……」


 そんなの決まってる……。

 この前から……。

 いや、始業式で出逢ったときから。


 少しだけ強く吹いた春風が、純白の蒲公英たんぽぽや黒きパンジーを揺らす。波まで及ぼし、遠い反対岸へと渡った瞬間、陽で暖められた水飛沫みずしぶきが弾ける。



――佳奈子ちゃんとは、絶対に心友トモダチになりたい!!



 何でも願いが実現する神社があれば、私はそうお願いする。

 千年に一度の彗星の夜が来たら、私はそう告げる。

 七つの球から神龍が出てきたら、私はそう叫ぶ。


 だって、初めてだったから……



 初めて出逢ったはずなのに、



 初めて出逢った感じがしなかったから。



――運命を、感じたから。



「ありがと、ペン太……また明日、佳奈子ちゃんとトークしてみる」


「それこそ、オイラの知ってる雛乃だっぺ。一人で涙なんて似合わないっぺよ……お子ちゃまなんだっぺから」


「フフ……ヒド~い」


 突風はやがて安らかな夜風へ移ろい、水面を優しく撫でていた。



 ○Immemoratio――握手●



 次の日!!

 学校!!


「か、佳奈子ちゃん!!」

「は、はい……?」


 教室内で叫んだ私には、目の前の佳奈子ちゃんだけじゃなく多くの注目が集まる。


「そ、そのですね……もしも私のこと……」

「は、はい……」


 ベランダでやれば良かったも今更後悔したが、ド緊張な胸騒ぎに任せて、覚悟の告白をぶつける。



「――嫌いじゃなかったら、私と友だちになってください!!」



 “なんでこーいう言い方になるんだっぺ……”って、きっとペン太なら言うだろう。

 つーかペン太いないし。ドコ行っちゃったんだろ? 朝はもちろんいっしょだったのに……もちろん妖精のままだけどさ。


 だって仕方ないじゃん! 

 昨日家帰ってから一晩中考えたけど、イケてる台詞思い付かなかったんだもん! ホントだよ、ホントに一晩中だからね! 

 そりゃあまー徹夜じゃないけどさ……でもでも、夢の中でも考えてたし! 余裕で! その成果として遅刻しかけたんだから!


 えっ、どんな夢かって……?

 それは……まー……ほらー……フワフワ~って……。



「うん……いいよ」



「――っ! 佳奈子ちゃん……」

 小さな囁きで、相変わらず表情に温度は無かった。でも、佳奈子ちゃんが認めてくれたことは確か。



「わたしで良ければ……」

「もちろんだよ!! よろしく!!」



 四月も終わりに差し掛かり、桜の花弁はなびらも少なくなってきた頃。


 私は再び、佳奈子ちゃんと友だちになれた。どこか冷やかで静かな女の子になってたけど、私の中では、佳奈子ちゃんは佳奈子ちゃんであり、心友トモダチになりたい人に変わりない。


 きっと何かあったんだと思うんだ。

 それも、あまり良くないこと……。

 落ち込んでるから、暗いんじゃないかって……

 昨晩そればかり考えちゃってた。


「ねぇねぇ佳奈子ちゃん! 握手しよ! 栄光の握手! 誰~にーもー♪」

「別に、いいけど……」


 大きな悩み事なんだと思う。

 正直、今すぐにでも聞きたいくらいだった。


「佳奈子ちゃんさ、最近なにしてたの?」

「最近? ……いや、なにも」

「そっか! 私はー……あ、私も覚えてないや! 三歩進むと二歩下がって忘れちゃうもんでーエヘヘ!」


 言いづらいことなんだ。

 だったら、言ってくれるまで待てばいい。



 嫌われてるからかもしれない。

 でもそれなら、好きになってもらえばいい。



 確証なんてそんな素晴らしいものは、私には無い。けど、私が悩んで止まってたところで何も起きやしない。


 私らしくいくだけだ。


 おバカで、おっちょこちょいで、おポンコツだけど、



 唯一取り柄である、乙女の元気でいくだけだ。

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