Caput Ⅳ○Bonum et Malum――善と悪の章●
ⅩⅤ○Homo――消失●
月曜の朝は、とにかくパニクる。
「……っ! マジか! 遅刻しちゃうよ~!」
大好きな布団と惜別を済ませ、パジャマから制服に着替えようとした。
「ったく、何度も起こしたっつ~のに」
「起きてないもん! 起きてなきゃ起こしたって言わないもん! あ~もぉ~……え゛?」
あれ……聴いたことのない男の声だった。ギミック方式でゆっくり振り返る。
「ん? どーした雛乃?」
「……」
「早くしねーと、遅刻するぞ?」
「……なるほど!」
間違いない。
見たこともない男性が、私の部屋にいたのだから。
「――ギャァァァァア!! お母さんお母さん!! 変質者変質者!! 空き巣空き巣!! 変な男いる!!」
バタバタとリビングに駆け下りると、母もビックリしながら私を抱き締める。
「雛乃!! 大丈夫!?」
「うんうんうんうん! 私の部屋にいたの! 見たこともない男の人がいたの! ビミョーにイケメンだけど完全感覚変質者いたの!」
「わ、わかったわ……あ、ああああとは、お母さんに任せて」
冷や汗を垂らした母はプラスチックハンガーという武器を握り、忍び足で階段を上がる。私もコードレスアイロンを持って付いていったけど、ピンクのエプロンが風も無い中揺れていた。そりゃあ怖いよ。全米が震撼するレベルだ。
「こ、ここね……」
「う、うん……」
そして私の部屋の前に着いた。扉が閉じられているから、室内の様子まではわからない。
同時に固唾を飲み込み、いよいよ突入のとき。共に頷いたことを合図に、張り込み警察官バリに扉を蹴り開ける。
「う、動くなぁ~!!」
「手ぇ
ハンガーを拳銃のように構えてみせた母。
起動させたコードレスアイロンを盾とした私。
特命係に劣らぬ声量と気持ちで、犯人確保を目論んだけど。
「……あれ? いない」
「いないわ……」
いつも通りの布団、いつも通りの机、いつも通りの食べかけポテチ。
ありふれた陽射しが入る部屋に、人気など全く無かった。
「んな訳……」
「もしかして雛乃、恋人いないからって変な夢でも見てたんじゃないの?」
「あ! お母さんヒドイ!! それ親が言う
机の下やクローゼットの中、念のためカーペットの下も確認したが、やはり誰もいない。窓の鍵だって閉じたままだから、脱走したとは考えられない。
幻覚だったとでもいうのか。
それにしちゃあリアル過ぎると思うんだけど。
「まぁ、勘違いなら勘違いで良かったわ。朝ご飯できてるから、すぐ下りてきなさいね」
「う、うん……了解っす……」
ホッとした様子の母はそのままリビングに戻り、一人残った私は頭を掻いてため息を溢す。
「おっかし~な~」
「やれやれ、雛乃は相変わらずそそっかしいっぺね」
「あ、ペン太! ねぇねぇ、さっきこの部屋に不審者いなかった?」
ベッドと壁の隙間に隠れていたペン太に問うと、一度鼻で笑われた。何が可笑しかったのか理解不能だったけど、すぐに答えを明かしてくれた。
「ったく、不審者じゃないっぺよ」
――ボワワワン。
その瞬間、小さな妖精全身が煙に包まれた。僅かにペン太のシルエットが見えるが、徐々に姿形を大きく変えていく。大きく悉《ことごと》く。
「う……うそ……」
「だから言ったろ~? “雛乃は相変わらずそそっかしい”って」
煙は晴れた。
でも私は困った。
だって……もぉ~こんなんアカンて~。
「さっきの、オイラ」
「……エeeeeeeeeeeeeeeeeエ゛!?」
妖精に代わって現れたのは、不審者だと決めつけていた男性だった。キリッとした眉を放ち、襟端まで伸びたオールバックを留めるゴーグル。輝きに満ちた青年の瞳を抱き、高校生と思わせる爽やかな好風貌。細いチノパンでやせ形に近いが、白シャツに浮かんだ上腕筋、また割りと高身長なことから細マッチョ体型だと断言できる。
「なんで!? なんで人になっちゃったの!? なんでなんで!?」
「そう興奮するなって~」
「してるか!! 焦ってんじゃコッチは!! 突然人になられたら焦るじゃろ~が!! しかも乙女だぞコッチは!! 付き合ったこともない真っ白乙女だぞ!!」
今日一番の絶叫ナウ。
「へへ。どーも人の姿は疲れるからな。
「さっきから気になってたけど、“ぺ”はドコいったの“ぺ”は!? ぺっぺっぺーはどうした!?」
「
もう一度言おう……。
――彼は、ペン太なのである。
月曜の朝は、とにかくパニクる。
パニパニパニック……。
○Homo――消失●
「おっそくなりました~!!」
ペン太事件をきっかけに遅刻しかけた私。なんとか集合場所には間に合ったようだ。
「おはよ、雛乃ちゃん」
「雛乃お姉ちゃん! それにペンちゃんもいる~!」
はぁ~我が愛しのエンジェルたちよ~。
落ち着く~癒される~。
いや~、素敵な日だ~!
「まったく、だらしないわね……将来が思いやられるわ」
「そーだそーだ~! 美雪
はぁ……この悪魔たちめ。特に後半のゆぅ先輩にムカ
普通の朝だったら普通に間に合ってましたよーだ。
もぉ~、なんて日だ!
愚痴は言いたかったけど遅れた身として言えず、四人と一羽で登校開始。この二日間が長く感じたせいか、久しぶりな感じがする。
「ゆぅちゃんも、今日の帰りは部活で遅い?」
「あぁ。総体も近いしさ。朋恵だってコンクール近いんだろ?」
一日目の土曜日は、朋恵先輩とゆぅ先輩。
そういえば、ゆぅ先輩の傷はもう見当たらない。一日しか経ってないのに、治ってるみたい。
「ママ~? 今日果林テストなの~。なんか心配なんだ……」
「果林なら大丈夫よ。いつも宿題出してるし、自主学習だってやってるんだから」
また二日目の日曜日は、果林ちゃんと美雪先輩。
木と水を操る魔法使いとなり、私だけでなく朋恵先輩とゆぅ先輩のことまで護ってくれた。瞬時に攻防を切り替えられる姉妹の素早さは、もぉ~メッチャパない。
それに行方不明だった美雪先輩のことも見つけられたし、果林ちゃんも楽しそうで良かった。
「あ、そうだ! ねぇみんな聞いてください! 実はペン太がですね、人に変身できちゃうんですよ!!」
今朝起きた事件の内容を忘れないうちに話そうと、私は四人から視線を集めた。人間態だと一般人にも見られてしまうため、今は妖精の姿に戻っているペン太を指差した。遅刻した理由でもあることも豪語し、みんなに人間態を見てもらおうとしたけど。
「今日はもうムリだっぺ。一日三時間、最大二回まで。人になるには限りがあるっぺから」
「……はぁ!? 何それズルい!! 駐車料金か!!」
きっぱり断られてしまった。もちろん周りの反応ときたら……。
「雛乃ちゃんムリしなくていいんだよ? 話題が無いなら無いで」
「雛乃お姉ちゃんウソはダメだよ! ペンちゃんはペンちゃんなんだから!」
「恋人がいないからって……とうとう雛乃も
「証拠不十分、不起訴でーす」
……あ~泣けてきた。
どーしてこーも上手くいかないかな?
私ばっか損するとか、ヒドイよヒドイよ!
もーいーもん……すねちゃうからいーもん。
……いーもんだ。
……。
……。
……あ~ホントに泣けてきた。
あくまでイジり倒されながら、私は潤目で登校を続けた。
○Homo――消失●
この時を、どれだけ待ったろうか。
「……っ! 佳奈子ちゃん来てる!」
彼女の下駄箱に靴が入っていた。念のため確認したけど、間違いなく佳奈子ちゃんの下駄箱だ。
この時を、どれだけ待ったろうか。
「そーいえばペン太は佳奈子ちゃんと会ったことないよね! チョーかわいいんだよ!」
「んだ。まー魔力でも無い限り、見向きもされないっぺね」
階段を上がると廊下奥に見えた、二年一組のクラス表札。そこに佳奈子ちゃんはいる。
この時を、どれだけ待ったろうか。
思わず走り出し、教室入口に到着。ガラガラと古びたスライド扉を開けると、謎めいた彼女の席には、ミステリアスな彼女の後ろ姿がいた。
「か~なっこちゃ~ん!! おっはよ~!!」
一時は生命を心配した身だ。満月の夜――妖魔が私の前に現れて以降、一度も会えていなかったから。
日数にしたら大したものじゃないけど、誰よりも久しぶりな再会に感じる。
――この時を、どれだけ待ったろうか。
そう思ってた。
次の瞬間までは。
「――お、おはよ……というか、はじめまして……」
「え……」
思わぬ一言に、私は心の底から消沈した。時間が止まってしまったかのように、ただボーッと突っ立ってしまった。
だって、初対面だと漏らしたのは、他の誰でもなかったから。
この前より表情筋を使わなくなった、
この前より瞳がくすんだ、
この前より冷たさが目立った、
――佳奈子ちゃん本人だったから。
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