Ⅳ○Nympha――遭遇●

「ただいまぁ……」

「雛乃!? ドコ行ってたのよ!?」


 ぼんやりと帰宅した私を待っていたのは、血相を変えた母――黒崎くろさき茉莉まりだ。補習が終わってから二時間以上経っていたため、相当心配していたらしい。


「ゴメン。ちょっと、寄り道してて……」

「もぉ~……アンタって子は! 連絡もしないで勝手なんだから」


「ホントにゴメンなさい。こんなに遅くなるとは私も思ってなかったから……」

「はぁ~……ホントに、無事で良かったわ。先にお風呂入っちゃいなさい」


「う、うん……ありがと」


 涙目を堪え気味の母はリビングへ、一方の私は自室へと別れた。これでもホントに申し訳ないと思ってる。


「はぁ゛~疲れた……」


 自室に入った瞬間、肩の荷を勢いよく落とし、着替えもせずベッドにダイブした。母には伝えられなかった事実を代わりに、枕へ告げるように。



 言えないよ、化け物に襲われてただなんて……。


 言えないよ、転校生に護ってもらっただんて……。



 恐らくは、信じてくれないだろう。“雛乃のことだから夢でも見てたんでしょ?”と言われるのが落ちだ。あまりにも非現実的な出来事過ぎて、同意を得られるとは思ってない。


 ただ私の意見としては、信じてもらう方が困る。これ以上私の事で心配を掛けたくないから。母の心が持たない気がして、この先壊れてほしくないからだ。


 さっきだって、あんなに驚嘆してたんだ。確かに遅めの帰宅だったけど、時刻は午後八時――夜中と言うにはまだ早すぎる。


 端から見れば過保護と思われるかもしれない。けど、一人の娘を重宝ちょうほうする致し方無い理由が、この小さな黒崎家にはあるんだ。



――だって私ん、母子家庭だから……。



 実の父――黒崎くろさき誠人まことが他界してから、早五年。私が十歳になろうとしていた頃に、交通事故で亡くなった。その日を境に、黒崎家は私と母の二人家族に変わったんだ。


 もちろん私だって悲しかった。だって、世界にたった一人の父が、それも突然いなくなちゃったんだから。


 でもそれ以上に母は病んでいた。見られてないつもりで独り泣いていた幾夜は、覗き見していた私の方こっちが正直辛かった。


 何もしてあげることができない幼さ。

 ただ気を遣うことしかできない儚さ。


 母にはいつも安堵に暮らしてほしいって願うばかりだ。



 今日あったことは、母には決して言わないようにしよう。


 告白するとしたら、全てが解決したときにでも……。




 ○Nympha――遭遇●



「……」


「……雛乃ちゃんどうしたの?」

「雛乃お姉ちゃん元気なーい」


 次の日の登校中。いつものように五人で歩いていたけど、朋恵先輩と果林ちゃんから心配の目を向けられた。顔にすぐ出るところが私の悪い癖だ。


「その~昨日……まぁ色々あってさ」


「色々ってなーに?」

「で、でも無理に答えなくてもいいからね!? い、言いづらいことだって世の中たくさんあるから!」


 無邪気な果林ちゃんをさえぎった朋恵先輩だけど、たぶん考えてるジャンルが違う気がする。じゃなかったらあんなに顔赤くなんないもん。


「う、うん……でも! 別に悩ましいことでもないからさ! ただ疲れたーってカンジ! アハハ!! それにしてもさー……」


 上手くもないけど話題変換を試みた。朋恵先輩にゆぅ先輩、果林ちゃんに美雪先輩にだって心配掛けたくない。言ったところで信じてもらえそうにないしと、最後尾で四人の姿を見ていたときだった。



「なぁー雛乃……いいから言えよ?」



「――っ! ゆぅ先輩……」

「ちょっとゆぅちゃん!? いくらなんでもストレート過ぎるでしょ!?」


 立ち止まって振り返ったゆぅ先輩は、眉間の皺も浮かんでたけど微笑んでくれた。ボーイッシュな見た目から感じ取れる健気な優しさが際立つ。


「へへ。生憎あいにく、変化球は投げらんねぇーたちでよ……だからさ雛乃? 言いづれぇのかもしんねぇけど、悩んでんなら言ってくれよ……」


 みんなも立ち止まり、ゆぅ先輩に視点が一致する。腰に片手を添えながら、私だけでなく全員にも伝えるように。



「――家族よりも本音を言い安いトコが、ダチの良いトコだろ?」



「ゆぅ先輩……」


「フフ。、ゆぅが正解ね」

「美雪先輩……」


「んだよー強調しやがってー。普段正解してねーみてーじゃんかよー」

「フフフ……」


 ケンカするほど仲が良い二人の言い合いが始まりそうだ。でも、美雪先輩はただ笑い返すだけで、穏やかなムードで私に終着する。



「――大きな悩みを一人で抱えられるほど、雛乃はまだ大人じゃないはずよ? いつもしてきたみたいに、みんなで分け合いましょ?」



 まばゆい訳ではない。直視できる程度の、小さな瞬きたちに囲まれた。歳が違えど分け隔て無く接してくれる、尊い四人の先輩後輩たちから。


「みんな……実は、昨日の夜……」


 自然と口と心の鍵を、そっと解除する。ありのままの自分自身をさらけ出す場面と似ているけど、恥ずかしさやわだかまりは不思議と無かった。



 みんななら、信じてくれる。



 そう感じたらかもしれない。長年いっしょにいてくれる四人各々と目を交わしながら、私は昨晩の全てを告白した。



 けど……。



「……」

「……」

「……」

「……ブッ、ゥハハッハ~!! なんだよそれ~!」



 外れてほしかった予想がことごとく当たってしまった。水蓮寺姉妹と朋恵先輩は沈黙。誰よりもゆぅ先輩がお腹を抱えて爆笑。

 そんなバカな。


「え……あのちょっと、みなさん……」

「クッフフ~! 雛乃~、お前将来良い小説家か漫画家になれるわ~」


「いやいやフィクションじゃないし! ホントに事実なんだってばぁ!」

「ゆ、ゆぅちゃん……フ、笑いすぎだって~」


「アッ!! 笑った!! 朋恵先輩も今笑った!! 私の事信じてない!!」

「でもでも、フフ、よくできてると思うよ」


「だからフィクションじゃないって!! “フ”も一個増えてる!!」



 この二人は信じていない……。



「……ねぇねぇ雛乃お姉ちゃん? フィクションってどーいう意味?」

「え? フィクションって言うのは作り話っていう意味でー……」


「やっぱそーだよね! プリチェアみたいなアニメのお話してたんだぁ!」

「No No No No No No!! Many Many No!! ホントに昨日そういうことがあったの!!」


「雛乃? “No“は可算名詞ではないから、”many“の使い方間違ってるわよ?」

「今聞いてほしいのはソコじゃないの!! 知らなかったけど!!」



 以下同文……。


「もぉ~!! なんでみんな信じてくれないの~!?」


 だってさー、話の流れがいいカンジだったじゃん! ゆぅ先輩から始まって、美雪先輩が繋いで、朋恵先輩と果林ちゃんもニコッてしてくれてたじゃん! 普通こーいう時って、思いやって信じてくれるモンだと思うんだけど~! 


 なのにどーして!?

 なぜに!?

 Why japanese people!?

 Tell me wh~y!? wh~y!? so wh~~y can I!?


「いや~雛乃の話だけじゃーな~」

「ちょっと、あまりにも予想外すぎる内容だったから……」


「雛乃お姉ちゃんプリチェアごっこしよ!」

「じゃあ果林がチェアエールで、雛乃が敵のヤラカシター役ね」


 確かに、信じがたい話ではあると思う。夢で出てきた子が転校生で、しかも夜には化け物が出てきて、またまたしかも化け物から救ってくれた戦士がその転校生だったなんて。

 我ながら、フィクションに聞こえてしまう。


「でも事実だもん!! ブゥ~だ!!」


 ヘソ曲げて歩くことにした。きっと四人が信じてくれない理由は、確固たる証拠がないからだ。ならばこの私が証拠を持って来ようではないか。


 見た目は子ども、頭脳はワンチャン大人、名探偵ヒナノの出番だ。



 こーなったら、佳奈子ちゃんに直接聞いて確かめよう。

 それが私と同じ意見なら、佳奈子ちゃんを連れて来よう!



 鼻息を荒くして進み、いつもより早歩きで学校を目指した。みんなに信じてもらうために、私の奇妙な体験が夢でなく現実だと示すために、二年一組を目指した。



 けど……。



――えっ? 佳奈子ちゃん、今日欠席……?



 朝の出席確認で、担任からおおやけにされた。



 ○Nympha――遭遇●



 放課後の黄昏たそがれ田園。私は今日も一人で下校していた。昨日と違って補習が無いため、時刻は四時過ぎの平常運転だ。


 それにしても、佳奈子ちゃん大丈夫なのかな……?


 転校二日目にしての欠席。思わず担任に聞いたところ、ただの風邪らしいけど……。


 昨日のアレが、影響してるのかな……?


 不意に立ち止まり、嫌な思いつきが次々と生ませてしまう。



 もしかしたら昨日、佳奈子ちゃんは大怪我をしたのかな?

 もしかしたら昨日、佳奈子ちゃんはウィルスに掛かったのかな?

 もしかしたら昨日、佳奈子ちゃんは勝てなかったのかな?



 もしかしたら昨日、佳奈子ちゃんは……。



「あ~ヤメヤメ!! 佳奈子ちゃん生きてる!! 絶対に生きてる!!」



 大きな独り言を叫んでしまった。自分に言い聞かせるためにも、そうすることでしかぬぐえなかったから。幸いにも近場には誰も見当たらず、すぐに徒歩を開始する。


 佳奈子ちゃんは生きてる……絶対に。

 明日ならきっと、学校に来てくれる。


 願掛け仮想をまとって直進していると、ふと春風が強く吹き当たった。ほんの少し顔を右へ反らしたとき、唐突な光景につい見開いてしまう。



 あれ……佳奈子ちゃん……?



 振り向いた方角には、昨晩休憩した千年桜が遠くに映る。でも今、桜の木の下に佳奈子ちゃんらしき後ろ姿が見えた気もした。どうも学校の制服を着ている。


「か、佳奈子ちゃ~~ん!!」


 得意の大声を再び挙げると、振り向きそうな素振りを見せた。反応している様子だったけど、身を隠さんばかりに木の後ろへと移っていく。

 間違いない、やっぱり佳奈子ちゃん本人だよ。


「佳奈子ちゃ~~ん!! 私だよ~!! 雛乃だよ~!!」


 悲愴色の言霊を放ちながら、私は千年桜へすぐ駆け出す。

 風邪で欠席だった佳奈子ちゃんがなぜソコにいるのか、正直わからない。制服姿の理由も考えつかない。



 けど、ただ一言告げたいことがあった。



「ハァハァ……あ、あれ?」


 目的地にたどり着いたは良いものの、佳奈子ちゃんの姿が見当たらなった。桜の木の下を一周してみても見つからないし、周辺を見渡してもダメだった。


「ハァハァ……佳奈子ちゃ~~ん!!」


 発見した訳ではない。人の形すら目に入ってこない。

 それでも、まだ近くに佳奈子ちゃんがいると信じ、今日一番大きく深呼吸する。



「護ってくれて~、ありがと~~!!」


 静寂に包まれていた辺りには山彦やまびここだまし、しつこくも感謝を繰り返した。


 どうか佳奈子ちゃんに届いてますようにと、両手で願いながら。

 明日また逢えるようにと、併せて祈りながら。



「……」

――カサカサッ……。

「――っ! なに!? いや、佳奈子ちゃん!?」


 音源を辿って見つめた先は、頭上の桜木だった。確かに枝葉の物音がしたけれど、佳奈子ちゃんって木登りするようなワイルだったっけ?


「……フクロウかな?」

 ポトッ……。

「何か、落ち……えっ?」


 今度は背後を向くと、思わずまばたきを繰り返してしまった。いや、だって……。


「イテテテ~! やっぱ降りるのは難しいっぺ~!」


 文字だけだとフツーに人だと思うでしょ?

 いや違うの。

 今目の前にいるのは、人じゃないの。

 完全に、明らかに。


「それにしても、やっと人間界に来れたっぺ~。これで一先ず安心だっぺね」


 ねぇ? 今人間界って言ったでしょ?

 人間じゃないの。

 日本語喋っちゃってるけど日本人でもないの。


 一言で説明するならば……。


「……ペンギン?」

「誰がペンギンだっぺね!?」

「――っ! やっぱ喋ってる!」


 振り向かれて目が会ってしまった。私の膝下にも及ばぬ、身の丈の未確認生物に。

 大きな青い目に、整った黄色いくちばし。オレンジのちっちゃな足に、空を飛べそうにもない両腕。オールバック風の冠毛かんもうに、それを留める役目を果たす青のゴーグル。

 うん……やっぱり、ペンギンだよ……。


「……」

「……ぺ? もしかして貴女あなた様……」

「は、はい……?」


 すると、突如ペンギンちゃんの瞳がキラキラと光り出した。食べたかったお魚をゲットしたときみたいな、凄く嬉しそうな顔色に変わってたけど……。



「――魔女様だっぺ~! やっと見つけましたっぺ~!」



「……は、ハァ゛~~ア!? 私が、魔女!?」



 千年桜の木の下でさえも、私を驚愕させる出来事が起こってしまった。


 切ない夢からの邂逅かいこう

 危険な化け物の襲撃。

 摩訶不思議な生き物との遭遇。


 そして、魔女という概念。


 何もかもが謎だらけの世界に変わってしまった、私の世界。

 今後どうなるかなんて、全く予想できなかった。




 だって、予想できるほどの知識を、まだ持っていなかったから。




――いや、持っていなかったから。

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