第2話「スティールイール」

◆第5節 春海烈斗とツナギの男◆


「──現在のところこの事件による死者の報告はありませんが、依然として原因はわかっておらず、引き続き──」


 テレビでは、朝からずっと同じニュースを繰り返している。「集団昏倒事件」と呼ばれるこの出来事は涼風市内を中心に発生したらしいが、俺の近くでは誰も倒れていないせいで実感がわかない。俺はテレビを消し、荷物を詰めたリュックを背負って自室を出た。


 夏休みを目前に控えた海の日の今日、俺は家出を決意した。理由はいろいろあるが、大雑把にまとめると「ここにいるのが嫌だから」だ。俺は望んで「涼風ヒネモス社長の息子」に生まれたわけじゃないのに、父さんも母さんも俺が会社を継ぐこと前提のように話をする。それに、周囲の人間も俺を父さんの付属品としてしか扱わない。誰も俺のことなんて見ていないくせに、俺は大人たちの都合で「社長の息子」という殻に閉じ込められている。それがどうしても我慢できない。だからこの家を出て自由になってやるんだ。


 玄関を開けて強い日差しの下に歩み出ると、一瞬視界が真っ白になって、両目にぎゅんと鈍い痛みが走った。俺はやや下方を見つつ、家の門へと向かう。……その途中、無駄に広い庭の一角に置かれた数台の自転車が目に留まった。その中で一番小さくてホコリをかぶっているのが、俺の自転車だ。──最後に乗ったのは小学生の時だっただろうか。体格的にはまだ乗れるかもしれないが、空気も抜けていそうだし、何よりデザインが子供っぽい。代わりにいつも俺にちょっかいを出してきて鬱陶しい姉貴の自転車に乗っていってやろうかと思ったが、当然のごとく鍵がかかっていたので、俺は歩いて旅に出ることにした。必要になったら、どこかで買えばいい。そのために小遣いを貯めてきたのだから。


 ──出発から1時間ほど経っただろうか。目的地も決めずにぶらぶら歩いていたため、無駄に疲れが出てきてしまった。外は暑いし、絶え間なく流れるセミの声と圧倒的な存在感を放つ入道雲が、聴覚と視覚を圧迫してくる。家を出た時には乾いていたポロシャツも、すっかり濡れタオルのようになってしまった。

 気がつくと、俺は森の近くの住宅街に来ていた。生まれた時からあの家で育っている俺は、住宅街という場所に憧憬してしまう。数m間隔で家が建てられた住宅街では、隣の家族の会話とか、近所で楽器を奏でる音なんかが聞こえてきたりするのだろう。それはきっと、毎日が温かくて人間味のあるものになるに違いない。──そんなことを考えていると、俺の横を小学生数人のグループが走って追い越していった。ああやって近所の子供たちと遊ぶというのも、俺には経験できなかったことだ。せっかくだし、この辺りで宿を見つけて、住宅街での生活というものを味わってみよう。


 それにしても喉が渇いた。どこかに自販機か適当な店はないだろうか。──そう思った矢先、一軒の喫茶店が目に入った。住宅街に溶け込んだ小さな店で、雰囲気は悪くない。「喫茶こもれび」という店名にも聞き覚えがある。どこで聞いたかは忘れたが、評判のいい店なのだろう。よし、ここにするか。


「いらっしゃいませー」


 店に入ると、カウンターに立つ好青年が声をかけてきた。そういえば、こういう店に一人で入るのは初めてかもしれない。自分一人のために挨拶をされるというのは、少し気分がいいものだ。──そんなことを考えながら席に座ろうとした時だった。


「あれ、春海はるみ?」


 唐突に名前を呼ばれて振り返ると、そこにはクラスメイトの岡崎がいた。ついでに、いつも岡崎と一緒にいる二人も。その瞬間、俺はこの「喫茶こもれび」という店名をどこで耳にしたかを思い出した。確か、俺のクラスで岡崎を含む女子たちの会話に出てきたのだ。……迂闊だった。1分前の自分に全力でタックルしたい気分だ。

 岡崎……俺はこいつのことが嫌いだ。頭脳明晰で成績優秀、おまけに容姿端麗ときている。「優等生」という言葉をそのまま体現したような奴で、俺とは対極に位置する人間だ。幼馴染らしい二人といつも一緒にいて、三人で楽しそうにしているのを見るとイラっとすることがある。よりによって、家出して早々こんな奴らに出くわしてしまうなんて……。しかし、ここで店を出ていくのはかえって無様だ。あくまで冷静に、何事もないかのように振る舞うんだ。


「ん、皆美ちゃんの知り合い?」


 カウンターに立つ店主と思しき男性が俺の方を見て言った。俺に構うな。頼むから普通の客と同じように接してくれ。


「うちのクラスの春海っス」


「春海……あー、のどかさんとこの息子さんか!」


「……母さんを知ってるんですか?」


 俺は店主に尋ねた。


「ああ、子供の頃、近所に住んでたのどかさんとはよく遊んでもらってたんだよ」


「そう、なんですか……」


 想定外の返答に、思わず声が詰まる。俺の母さんは今でこそ主婦だが、元はとある会社の社長をしていた。だからそっちで知っているのかと思ったが、どうやら全く関係ないらしい。


 俺が注文したアイスココアを飲んでいる最中、なんとなく視線を感じて窓際に目をやると、黒縁メガネにボサボサ髪という風貌の会社員らしき男が、ノートPCで作業をしながら俺の方をチラチラ見ていた。男の向かいの椅子に置かれたカバンには、涼風ヒネモスのロゴが入っている。なるほど、この男はヒネモスの社員で、俺が社長の息子であることを知ってビビっているわけか。

 男は俺と目が合ったことに気づき、立ち上がってこちらに近づいてきた。なんだ?俺に媚を売っても何も出ないぞ?……しかし、彼が発した言葉は俺の予想に反していた。


「お前、家出してきただろ?」


 その顔と声は、心なしかニヤついている。


「な、なんですか、急に……」


「お前のその荷物は旅行者か何かみたいだが、さっきの会話からすると地元の人間。ちょっと出かける程度にしてはリュックの中身が多すぎる。お前が思春期の少年であることを踏まえて考えれば……家出してきたってのが最も自然な答えだ。どうだ、当たってるか?」


「……だからなんだって言うんですか」


 探偵を気取るかのようにキメ顔で言ってきたその男の言葉を、俺はぶっきらぼうに切り捨てる。


「いや、なんか面白そうだったからさ」


 男はなおも半笑いで言った。


「それより、あんたヒネモスの人でしょ?俺に媚売ろうとか思わないの?」


 俺は男の態度にむっとして、思わずタメ口で返してしまった。直後、この言い方ではまるで「俺に媚を売れ」と言っているように聞こえることに気づき、激しい後悔の念に襲われた。だが、俺の言わんとすることは男に伝わったようだった。


「いや、だって……お前は社長でもなんでもねえもん」


「えっ?」


「そりゃあ、お前が社長にチクって俺をクビにするとか言うなら話は別だけども」


「ないない!琢磨たくまさんそんなことしないって!」


 店主が会話に割り込んできた。この店主、父さんとも知り合いなのか?


 ……そんなことはどうでもいい。俺はここに来てから一度も「ヒネモス社長の息子」として扱われていない。それは俺が望んでいたことのはずなのに、何か釈然としないというか、別の世界に来てしまったかのような不安な気持ちになる。


 店のドアが開き、鐘の音と共に黄色いツナギを着た作業員風の男が入ってきた。


「あ、いたいた。皆美、ちょっと手伝って」


「やだ」


 岡崎が即答した。


「じゃあ闘也か臨でもいい」


「えー、めんどくさい」


「却下」


 二人からもあっさりと断られた。どうやらこの男はこいつらの知り合い……というより、岡崎の父親のようだ。


「んあー……ん、この子は?」


「ああ、のどかさんとこの息子さんだってさ」


「へえ、のどねぇの?ちょうどいいや、ちょっと手伝ってくれない?……そだ、手伝ってくれたら小遣いをやろう」


 頭に白いヘアバンドを巻き、顔に黒い油汚れのついた男が、俺に向かって歩み寄ってきた。


「……いいですよ」


 なんだか知らないが、娘たちにあっさりと断られて面識もない子供にすがりつく様がやたらと惨めに見えたので、俺は男を手伝ってやることにした。そこそこの金を持ってきたとはいえ、資金の調達は重要であるという現実的な理由もある。


 ツナギの男に連れて行かれた先は、喫茶店と同じブロック内にある「オカザキ修理」という看板のついた店……というより、ガレージだった。自宅のガレージをそのまま店にしているようで、すぐ横には「岡崎」と書かれた表札と2階の玄関へ続く階段がある。


「うっし、ちょっとそこ持ち上げてくれるか?」


 男は俺に軍手を渡すと、ガレージ中央に鎮座するスクーターの後部を示した。


「え、それならジャッキとかでいいんじゃ……」


「ジャッキねー、壊れた!」


 そう言って男が顔を向けた先には、バラバラになったジャッキが転がっていた。床にはほかにも様々な機械の部品や工具が散らばっていて、奥にはパソコンデスクやホワイトボードが置かれている。ここは仕事場なのか?それとも遊び場なのか?


「ここって、バイクの修理をする店なんですか?」


 俺はスクーターの後輪を持ち上げ、疑問に思ったことを尋ねてみた。


「いや、俺の技術で可能な限り、なんでも直すしなんでも作る」


 男は少しドヤ顔で言った。だったらジャッキくらい直せよ、とは思ったが、部品が破損して直せないのかもしれない。見た感じでは作業は終盤のようだし、ジャッキを直すよりも人の手を借りた方が早いと考えたのだろうか。……もっとも、もしあの場に俺がいなければ、誰も手伝ってはくれなかったわけだが。


 ところで、俺はこのスクーターを知っている。丸みを帯びたクリーム色のボディにオレンジのラインが入っていて、今の感覚で言えば“古臭い”デザイン。車名は確か「トリッパー」……いつのモデルなのかはわからないが、車体に涼風自動車のロゴが入っていることから、涼風自動車とヒネモスが合併する1996年より前のものだとわかる。しかし、20年以上経っている割には随分と綺麗で、まるで新品のようだ。


「あの、このスクーターって誰のものなんですか?」


「ん?ああ、俺が中古で買ってきたやつ。ここまで直すのに結構かかったんだぜ?」


「はあ……」


「あ、そっか。のどねぇの息子なんだっけ。ってことは詳しかったりする?」


「いや、別に……」


 俺はスクーターに興味があるわけではない。ではなぜ涼風自動車のことを知っているかというと、俺の母さんが涼風自動車の社長だったからだ。母さんを含む家庭環境が嫌で家出をしてきたのに、その先でこうして母さんの会社の製品を持ち上げさせられている……まるで「お前はいつまでも親の手を逃れることはできない」とでも言われているようで、呪いや執念に近いものを感じた。


「まあ、そんなもんだよな」


「え?」


「親の仕事だからって知ったこっちゃねえわな。親は親、子供は子供。親の仕事に興味がなくても普通だよな」


 驚いた。俺の思っていたことをそのまま言葉にされた気分だ。


「ハイおしまい!下ろしていいよー」


 そんなことを考えているうちに、男は作業を終えていた。


「ありがと、助かった」


 男はそう言って、奥にある机の引き出しから財布を出し、俺に1000円札を渡してきた。


「え、こんなに?」


「うちの娘に渡してもすぐ溶かすし、それに比べりゃ1000倍マシよ」


 娘、というのは岡崎のことか。あいつ、そんなに金遣いが荒いのか?それにしても、たかだか数分スクーターを持ち上げていただけでこんなに貰えるとは。小さな店だが、思ったより儲けているのだろうか。


「ところで」


「はい?」


「どっか行くところとかあんの?」


「……どういう意味ですか?」


「見りゃわかるよ。俺も高校生の頃にそんな荷物持って家出したからさ」


 どうやら、俺が家出したということは大人から見ると一目瞭然らしい。いや、それより……。


「なんで家出したんですか?」


「ん?ああ……」


 男はスクーターに腰掛け、遠くを見るような目で話し始めた。


「俺の妹、メチャクチャ勉強ができる奴でさ、親とか先生からの扱いがまるで違った……ように感じたんだよ。多分、俺が勝手に僻んでただけなんだけどな。それで居心地悪くなって家を飛び出して、丸一日廃屋で過ごしたんだ」


 それを聞いて、姉貴の顔が脳裏をよぎった。姉貴も俺より勉強が得意で、母さんたちからも特にかわいがられているように思う。話を聞いている感じでは、俺と状況が似ているような気がするが……。


「丸一日……ですか?」


「ああ、翌日には家に帰ったよ」


「どうして?」


「なーんでだったなぁ……もう忘れたよ。昔のことだしな」


 男はへへっと笑いながらそう言った。


「あ、だからさ。行くとこないんだったら、ここに泊まっていかねえか?」


 そう言って、ガレージの奥に敷かれた樹脂製のマットを指す。なんでこんなところに、と思ったが、この辺りにホテルなどはなさそうだし、屋根があるだけでも十分だろう。


「ついっっっでに俺の仕事を手伝ってくれると非っ常ぉ~にありがたいんだけど……」


「ああ、それならまあ……」


 ここで、俺は自分がこの男に対して思いのほか好感を抱いていることに気づいた。まだ出会ってから10分経ったか否かという程度のはずなのに、昔からの友人みたいな感覚に陥る。シンパシー、というやつだろうか。なんとなく、彼には俺と似たところがあるのを感じた。


「あっ、そうだ」


 男は財布から名刺を取り出し、俺に渡してきた。名刺には「オカザキ修理 代表取締役 岡崎おかざき 修治しゅうじ」と書かれていた。大層な肩書きと、店主の名前ほぼそのままの店名が笑いを誘う。


「あと、あれも渡しておくか」


 修治さんは机の引き出しから何かを出し、俺に差し出した。新品の白いヘアバンド……彼が着けているのと同じものだ。


「予備に買っておいたやつだけど、お前にやるよ。弟子入り記念だ」


「弟子になった覚えはないです」


 俺がそう言いながらヘアバンドを受け取ると、修治さんは俺の肩にポンと手を置いた。


「これから頼むよ。えーと……春海、何だっけ?」


烈斗れっとです」


「よーし烈斗、お前は今日から俺の一番弟子だ!」


「勝手に決めないでください」


 こうして、俺の「岡崎修治の一番弟子」としての生活が幕を開けたのだった。


◆第6節 前田樹とスティールイール◆


 皆美ちゃんのクラスメイトだという少年は、彼女の父・修治さんに連れて行かれてしまった。よくあることなのか、店にいる人たちは誰も気にしていないようだ。この店はなんというか、全体的にゆるい。

 4月に涼風に引っ越してきて以来、3ヶ月ほどこの店でバイトをしているけど、この店はまるでみんなの家か何かのようだ。常連は互いに顔見知りだし、みんな自宅に帰ってきたかのように入店する。もちろん、そんな雰囲気が気に入ったからこの店でバイトをしているのは言うまでもない。


 涼風大学に通うため、僕はこの街で一人暮らしを始めた。ここから徒歩数分の位置にある「クーネルジュ涼風」というマンションの701号室で生活を始めた僕は、通学路に佇む落ち着いた雰囲気の喫茶店に一目惚れしたのだ。

 初めて訪れた時から、店長との会話は弾んだ。店長も昔は同じマンションに住んでいたのだという。それが関係あるかどうかはわからないけど、僕がこの店でバイトをしたいと言った時も、流れるような面接だけですんなりと採用された。元々バイトはいなかったし、いてくれるだけでも十分と思ったのだろうか。


 僕の隣では、その店長が娘たちの様子を眺めている。一昨日彼が倒れた時はどうなることかと思ったけど、今はなんともないらしい、念のため休んでおいた方がいいと言ったところ、「どうせここが自宅だし、上で寝ててもヒマだから」と断られてしまった。


 カランカラン、と鐘の音が鳴る。


「いらっしゃいませー」


 濃いグレーの半袖Tシャツにベージュのハーフパンツというカジュアルな服装の男性が入ってきた。常連の三原さんだ。いつものようにカウンター席に座り、こちらが尋ねるよりも先に注文してくる。


「アイスティー1つと、冷やしきつねクッキー1つ」


 こちらも言われる前からそのオーダーを通す構えでいる。それくらい、彼はこの店の常連なのだ。


 「きつねクッキー」は、この店のオリジナルメニューだ。何年も前、店長の娘である臨ちゃんがきつねの顔を模ったクッキーを焼いたらしい。それが家族に好評だったため、店のメニューに加えたのが始まりだという。もちろん、今は彼女ではなく、店長や奥さんが作っている。「冷やしきつねクッキー」は夏限定メニューで、氷の入ったボウルにきつねクッキーを入れた器が入っている。量はそのままに涼を加えていて、値段は通常のきつねクッキーと同じという商品だ。


 三原さんにアイスティーとクッキーを出すと、また鐘が鳴った。


「いらっしゃいませー」


 入口に目を向けると、そこには見るからに怪しげな風貌の人物が立っていた。黒いスーツに身を包み、黒いリュックを背負ったサングラスの男。まるでスパイか殺し屋のステレオタイプのような格好だ。男は店内に入るなり、迷うことなく臨ちゃんたちのいる席に向かっていった。さっきまで賑やかだった店内に、つーんとした緊張感が走る。店内にいるのは臨たち3人のほかに、僕、店長、三原さん、陣内さん。いくらなんでもこれだけ人がいる中で何かをするとは思えないが……。


「よっ、街を救ったヒーローさん」


 張り詰めた空気が漂っていた店内に、思いのほか軽い声が響き渡った。


「いやー、まさかマジックアイテムを使わずに呪いを無力化するとは思わなかったよ。ああ、机を見つけるのにはマジックアイテムを使ってたっけ」


 男は流れるように話を進めていく。街を救ったヒーロー?マジックアイテム?何の話をしているんだ?


「あっ、昨日の黒服!」


 闘也が叫んだ。


「お、わかる?」


 男がニヤリと笑う。知り合いなのか?


「ああ、お構いなく。別に怪しい者じゃないんで」


 周囲からの視線を感じたのか、男は店内を見回して言った。人を見た目で判断したくはないが、これが怪しくないなら一体どういう人物が怪しいのかと問いたい。男は隣のテーブルから椅子を引き寄せ、そこに座った。


「俺はラーク。マジックアイテムの収集を目的とした自称盗賊団『スティールイール』のメンバーだ」


 男は自己紹介らしきものを語り始めた。盗賊団ということは、こいつのほかにも仲間がいるのだろうか。「自称」を自分で言う辺り、天然なのかわざとなのかわからない。


「ああ、ラークってのはコードネームだ。うちの隊長がそういう方針でな、本名を名乗ると怒られるんだよ」


「まず、『マジックアイテム』って何スか?」


 皆美が口を挟む。


「あー失礼、そこから話すべきだったな。えーっとそうだな……」


 ラークと名乗る男はリュックの中を探り、豆腐ほどの大きさの紙製の箱を取り出してテーブルに置いた。


「ちょっとこの箱に触ってみてくれ」


「……闘也」


 皆美が闘也に目配せすると、闘也がおそるおそる手を伸ばした。……が、その手は奇妙な軌跡を描いた。


「あれっ」


 闘也が間抜けな声を上げた。何度か手を伸ばしてみるが、ことごとく手が勝手に避けるような挙動をする。


「えっ、何それ」


 臨も興味を持って手を伸ばすが、やはりその手は空を切る。そんなのを見せられたら、僕も気になってしまうじゃないか。この男、手品師か何かなのか?


「この中にはな……」


 ラークが箱の蓋を開けた。遠目でよくわからないが、細い枝のようなものが見えた。


「うえぇ!?」


 皆美が驚いて後ずさる。僕も気になったので近づいて箱の中を覗いてみると、そこにはセミの死骸が仰向けに入っていた。おいおい、飲食店でそんなものを出さないでくれよ……。


「こいつは元々、マンションのベランダに落ちていたものだ。その部屋の住人は極度の虫嫌いで死骸を処理することができず、長い間ベランダに出るたびにこれを避けて歩いていた。そして、長期間『ここにはセミの死骸があるから避けなきゃいけない』と意識され続けた結果、それはこのセミの死骸が持つ力になった」


「力?」


 臨が尋ねる。


「今みたいに、こいつの正体を知らない者が触ろうとすると無意識に避けてしまうって力だ。こんな風に人の意識が宿って特異性を持った物体のことを、俺たちは『マジックアイテム』と呼んでいる。


 ……?話が飛躍したというか、大切な部分が抜け落ちているような気がする。


「待ってください。つまり、長期間何かを意識し続けると、それが物体に宿るということですか?」


 僕はたまらずラークに尋ねた。


「昔から言うだろ?『大切にされた物には魂が宿る』って」


 ラークは平然と答え、箱を手に持った。


「こいつは一昨年の秋に回収したものなんだが、随分保存状態がいいだろ?」


「一昨年?」


 闘也が不思議そうにセミを見た。


「こいつは人間だけじゃなく、アリやバクテリアなんかも近寄らせないから、分解されずにそのまま残ってるんだ」


 それはいいとして、なぜセミの死骸なんかをリュックに入れて持ち歩いているんだ。何か使い道でもあるのか。


「こーゆーのを悪用されないように収集・分析するのが俺たちの仕事ってわけだ」


「そんなものがゴロゴロあるんスか?」


 皆美が尋ねた。


「ゴロゴロってほどはない。けど、この『魔眼鏡マグラス』を使えばマジックアイテムが持っているエネルギーを見ることができる」


 ラークはサングラスを外し、ちょっと傾けて見せた。サングラスを取ると、割と普通の顔をしている。


「んで、例の事件を調査している最中に、不思議なペンダントとアンクレットを持つ君を見かけて後をつけてみたんだ。けどまさか、魔眼鏡なしでマジックアイテムに辿り着き、その上解決までするとは思わなかったよ」


 例の事件?ここ最近で事件というと、集団昏倒事件だろうか?一夜明けた現在でも原因がわかっていないあの事件の正体を、この男は知っていると?それどころか、それを解決したのは臨ちゃんたちだと言うのか?


「あの『願いの机』もマジックアイテムだ。わかってると思うが、あれの本体は机じゃなく“都市伝説そのもの”。学校内で生まれた都市伝説が、生徒たちの『実在してほしい』という念を受けて実体化した結果だな」


 都市伝説が実体化……?先程からこの男の話はどうにもぶっ飛んでいる。けど、臨ちゃんたちは真剣に話を聞いているし、僕だって不本意ながら耳を傾けている。


 集団昏倒事件には謎が多い。テレビでは新種の伝染病だとか熱中症だとか騒がれていたが、どれも決め手に欠けていた。だからといって、「学校の都市伝説が原因でした」なんて言われてにわかに信じることも難しい。「事実は小説よりも奇なり」とは言うが、それにしたって荒唐無稽すぎる。しかし、彼が怪しいアイテムを持っているのは事実。これは自分の常識を疑う方が正解なのか……?


「さて、本題に入ろう。君が持っているそのペンダントとアンクレットについて、話を聞かせてくれないか?」


 男は臨ちゃんの胸元のペンダントと右足首にあるアンクレットを指して言った。そういえば、彼女はペンダントの方は前から着けていたけど、アンクレットなんて持っていただろうか?

 店長から聞いた話によると、臨ちゃんは最低限の衣類や荷物以外を持つのが嫌いで、腕時計すらもあまり着けたがらないという。お守りだという勾玉のペンダントと、見慣れない青色のアンクレット。ラークによると、臨ちゃんが持つ数少ない装飾品であるその二つがマジックアイテムとのことらしい。


 臨ちゃんは腕を組み、少し考えているようだった。それを見たラークが続ける。


「ああ、話したくなければいいんだ。ただ、普通のマジックアイテムとはちょっと違うみたいに見えたからさ」


「いや……君になら話してもいいのかもしれない」


 臨ちゃんの雰囲気が変わった。声の出し方や口調が変化して、一瞬別人かと思った。


「僕は──」


 その時、ラークの携帯電話が鳴った。


「あ、すまない」


 ラークは立ち上がり、店外に出てから電話を取った。そういうところは常識的なんだな……。

 ところで、この季節にスーツは暑くないだろうか?盗賊団の正装ってわけでもないだろうし、上着くらい脱げばいいのに。僕は窓際に座っているワイシャツ姿の陣内さんの方に目をやった。陣内さんは、店内でこんなやり取りが行われているにも関わらず、ひたすらノートPCに向かって何かを打ち込んでいる。一方でカウンター側を見ると、店長と三原さんが店の外にいるラークを見ながら何かを話し合っていた。これが自然な反応だろう。


「何ィ!?」


 ガラス越しに、店内にも聞こえるほどの大きな声がした。すぐにドアが開き、ラークが駆け込んできた。


「すまない、ちょっと急用ができた」


 そう言い残すと、ラークは慌てて店から立ち去った。臨ちゃんたちはしばらく何かを話していたが、すぐに彼を追って出ていった。──どうやら、僕の知らないところで何かが動いているらしい。僕も彼らのことが気になりはしたけど、仕事中なので我慢して店に残ることにした。


◆第7節 兵藤陽介と時の剣◆


「あっちーなぁ……」


 バスを降りるなり、父さんが空を見上げてぼやいた。冷房の効いた車内と違い、外は陽炎が立ち上るほどの熱気に包まれている。今日は特に荷物が多いこともあり、家への一歩一歩が重い。


陽介ようすけぇ、これだけ代わりに持ってくんねぇか」


 父さんが酒瓶の入った袋を差し出してきた。


「しょうがねえなぁ……」


 俺は自分の荷物を左手に持ち替えて袋を受け取った。この酒は母さんが好きだったもの。両手の塞がった父さんが持っていて落としたら、きっと後悔することになる。


 バス停から歩いて約5分。日光で加熱された石をパリパリと踏み鳴らしながら進み、「兵藤ひょうどう」と書かれた銀色の郵便受けがある家へと帰ってきた。父さんはビニール袋の持ち手を手首に食い込ませながら玄関の鍵を開け、室内へと消えてゆく。


 パリッ


 背後から足音のようなものが聞こえて、俺は振り返った。見える範囲に人はおらず、ただセミの声だけが鳴り響いている。おそらく俺たちが踏んできた道の石が動いた音だろう──そう思った俺は、特に気に留めることもなく家に入った。


「あっつ……」


 室内は熱がこもっていて、窓を開けなければ息苦しいほどだ。幸い、この家はあまり大きくないので換気は早い。網戸から入ってくる外気は、流れがあるというだけで涼しく感じられるものだ。


「酒は冷蔵庫?」


「いや、供えるからそこに置いといて」


 言われた通り、酒の入った袋をテーブルの上に置く。もう片方の袋には牛乳や卵などが入っているので、冷蔵庫に入れねばなるまい。俺は父さんが野菜を冷蔵庫に入れ終わるのを待った。


 ――その時、奇妙なことに気づいた。リビングの網戸から、黒い霧のようなものが流れ込んできている。


「と、父さん!」


「うん?」


「あれ!」


 黒い霧は、ゆっくりとこちらに迫ってくる。


「うわっ、何だこれ?」


 父さんは霧に近付き、手で払った。……が、払われた霧はすぐに戻り、父さんの顔にまとわりついた。


「グッ……」


 突然、父さんが胸を押さえて苦しみ始めた。俺はすぐに父さんの肩を掴み、霧の外へと引っ張り出した。


「父さん!大丈夫!?」


 父さんの体は俺の手からするりと抜け落ち、床の上に倒れ伏した。


「父さん!?」


 父さんが倒れると、黒い霧は徐々に薄くなり、やがて見えなくなった。かと思えば、霧が入ってきた網戸がカラカラと音を立てながらひとりでに開き始めた。風なんかではなく、しっかりした動き。網戸は人が通れるくらいの大きさでピタリと止まると、今度は手前にあるカーテンが大きく波打ち、トン、という足音がした。


 “何かが、そこにいる”――そう確信した俺は、夢中で手元にあった卵のパックを投げつけた。パックは空中でグシャンと潰れて軌道を変え、そのまま床に墜落した。パックが命中した辺りの空間に、隙間から飛び散った中身が残留する。

 卵の付着した透明人間は、もはや隠れることはできないと判断したのか、ゆっくりと姿を現した。灰色のレインコートを着た、中学生くらいの少女。その表情は極めて無機質で、ただ凍りつくような視線を俺に向けていた。


 少女はレインコートの中から円盤型の鏡を取り出し、それを通じて俺を見た。その鏡面は血で染まったかのように赤く、自分の心を覗かれているかのような感覚に陥る。


「お、おい!……お前は何者だ!?」


 震える声を絞り出し、少女に問いかける。しかし、少女は俺の言葉になど耳を貸さず、ふいと顔を背けて、その視線を仏壇へと向ける。少女が手を掛けてゆっくりと手前に引くと、仏壇の後ろから辞書ほどの大きさの桐の箱がコトンと転がり出た。


「それは……!」


 俺は、その箱の中身を知っている。「時の剣」――父さんが大切に保管している、“柄だけの剣”だ。歯車を半分に切ったようなデザインの柄で、装飾らしい装飾もない、薄茶色の地味な代物。

 その昔、「時を斬る」力を持つとされたこの剣を巡って殺し合いが起こり、戦いの末にこれを手に入れたのが俺の先祖だと聞かされている。明らかに胡散臭い話だし、見た目も真新しい木でできているように見えるため、骨董的価値すらないであろう品。なぜそんなものを父さんが仏壇の裏に隠しているのか、俺はずっと不思議に思っていた。だが、どうやらこれにはとんでもない価値があるらしい。少なくとも、このような得体の知れない侵入者が狙う程度には。


 「その箱に触るな!!」


 考えるより先に手が動き、俺は女に殴りかかる。「この箱を渡してはならない」という本能のようなものが俺にそうさせたのだ。――しかし、俺の拳は当たる直前で停止した。いや、拳どころか、全身が動かない。まるで金縛りにあったかのように、俺の体はその場に固定されていた。


「余計なことを、するな」


 少女がその容姿からは想像できない、不気味なほど重々しい声を放った。そのまま箱を拾い上げ、再び窓から出て行こうとする。

 ダメだ、行かせちゃいけない。ここでこいつを逃したら、絶対に後悔することになる。俺はぎゅっと目を瞑り、全身に力を込めた。――刹那、ほんのわずかに体が動くのを感じた。俺の体を止めようとする力と、俺自身が動こうとする力が釣り合ったような感覚。“いける!”――その意識に任せ、再びレインコートの女に向けて拳を振りかぶる。俺の体を制止していた力が振りほどかれ、勢いよく飛び出した。動けるのは想定外だったのか、女は怯み、その左頬を拳が殴り抜いた。


「ギュイッ!」


 女は獣のような悲鳴を上げ、大きくよろめいて箱を取り落とした。俺は落下の衝撃で開いた箱から剣を掴み取り、バックステップで距離を取る。体勢を立て直した女が、俺が持つ剣を奪おうと迫る。


 その時、俺の手の中にある剣が変化を見せた。薄茶色の柄の上部にある半円状のアーチから、薄緑色の刃が伸びる。透明感のある刀身は、一目で普通の刃物ではないとわかった。“時を斬る剣”……俺は脳裏に浮かんだイメージそのままに、時の剣を振り抜いた。


 ――時が、止まった。刃が風を切る音を最後に、世界が無音に包まれる。レインコートの女はピタリと止まり、微動だにしない。俺の握った柄の先に刃はなく、振り抜いた空間には刀身の残像が薄緑色の帯として残っていた。よく見ると、残像は片方の端からじわじわと燃焼するように縮んでいる。これは「俺が時を止めていられる制限時間」……?残像が空中にある間だけ、“俺だけが動ける時間”が展開される、ということだろうか。


 俺は父さんを抱えて外に逃げようとしたが、それでは逃げ切れないと察した。残像の消耗ペースを見ると、止めていられるのはあと1分といったところか。もう一度この剣を使える保証がない今、もたもたしている時間はない。この女の狙いが剣であるなら、俺がこいつを持って逃げれば父さんは襲われないはず。これは賭けになるが、やるしかない。俺はそのまま玄関を飛び出した。


 家の外に出て数十mほど走った辺りで世界に音が戻り、俺の足音はセミの声にかき消された。ここから南へ走って涼風市の中心部に向かえば、人混みに紛れて隠れられるだろうか……とにかく、今は少しでも遠くへ逃げることを考えなければ。


◆◆◆


 ――またしても神器を奪い損ねた。やはり人間の方も奪われまいと必死なようだ。結局、現時点で私が手に入れられたのはこの鏡のみ……妖術を使えば人間に勝つのは容易だと思っていたが、考えを改める必要がありそうだ。


 私は床に倒れている男に目を向けた。剣が持ち出された今、もはやこの男に用はない。男の頭に手を触れ、式神・断末魔ダンマツマによってかけられた仮死の催眠を解く。

 この式神は相手の動きを封じる上では強力なのだが、負担が大きすぎて複数の対象に同時に使うのが難しい。元々は獲物に逃げられないようにするためのものだから、このような使い方は想定していなかったのだ。


 男が穏やかな表情で寝息を立て始めたのを確認し、私は立ち上がった。なんとかしてあの少年から剣を奪いたいところだが、今は私を警戒しているはず。下手に追うより、時間を置いて別の機会にした方がいいだろう。とすると、次に狙うべきは……やはりあの少女か。


 空の玉を持った少女──彼女は明らかに只者ではなかった。狐火をかわし、姿を消している私に攻撃してきた。そして何より、私のことを知っている様子だったのが気になる。私を知っている人間など、今はいないはずなのだが……まさか、“あいつ”が私の邪魔をしようとしているのか?しかし、あいつに私の目的を阻む理由はない。だとすれば一体……。


◆◆◆


 俺が家を出てから1時間は経っただろうか。休みなく走り続けたせいで頭がクラクラし、脚の関節が悲鳴を上げる。全身の筋肉が酸素を欲していて、腕や脚の中に空洞があるような感覚だ。バスや電車で移動しようかとも思ったが、逃げ場のない空間で奴に遭遇するのが一番危険だと考えてやめた。仮に警察に駆け込んだとしても相手してもらえないだろうし、受け入れられたとしても警察があの女に蹴散らされるのがオチだ。あの女に対抗できるのは、時の剣を持つ俺だけなんだ……。俺は手に握った剣に視線を落とす。あれ以降、剣の力は発動できていない。使用回数に制限があるのか、それとも発動に必要な力が足りていないのか……俺には何の手掛かりもない。

 あいつは俺を追ってきているのだろうか?それともまだ俺の家にいて、俺が戻ってくるのを待ち伏せしているのだろうか?父さんは無事なのか?まさかとは思うが、俺に逃げられた腹いせにあの女に殺されてはいないだろうか?あるいは、俺が家を出た時点で父さんは既に……?ダメだ、考えても仕方がない。俺がこの選択をしてしまった以上、いくら後悔したって結果は変わらない。


 視界がぐらりと傾いた。まずい……いい加減休まなければ、俺の命も危ない。どこかあの女に見つからない場所で休まなくては。――そう思った矢先、一軒の喫茶店が目に留まった。住宅街に溶け込んでいて、良く言えば落ち着いた雰囲気、悪く言えば地味な店だ。ここならばあの女に見つからないかもしれない。

 店に入ると店員らしき人物が声をかけてきたが、もはや俺の脳にその音声の意味を理解するだけの能力は残っていなかった。ガタガタと震える脚でカウンター席へと歩み寄り、椅子に手を掛けた辺りで、俺の意識は遠ざかっていった。


◆第8節 霧島闘也と魔運転バイク◆


 店を出た俺たちは、ラークと名乗る男の後を追った。何があったかは知らないが、あの焦りようは尋常ではない。


 ラークは、店からやや離れた位置、住宅街の外にある大きめの100円パーキングにいた。すぐ横には、つばの広い革製の中折れ帽をかぶった探検家風の男が立っている。全身黒ずくめのラークに負けず劣らず怪しい風貌だ。そんな二人が、銀色のライトバンの前で話し合っている。


「ああ、君たち……」


 ラークが力なく振り向いた。店にいた時と違い、その顔は青ざめている。


「この子たちは?」


「昨日言った、街を救ったヒーローたちだよ。さっきまでマジックアイテムの話をしていた」


「なるほど、君たちがねぇ……」


 中折れ帽の男が俺たちの方に向き直った。


「俺はキッド。スティールイールのリーダーだ」


 こいつが、リーダー?てっきり少年時代の憧れをそのままに大人になってしまった残念な奴かと思っていたのだが……いや、だからリーダーなのか?


「臨です」


「皆美っス」


「あ、闘也です」


「臨……もしかして女の子?」


「はい」


「えっ!?」


 尋ねたキッドよりも、聞いていたラークの方が大きなリアクションをした。おそらく臨のことを男だと思ったまま接していたのだろう。こいつの見た目からすれば無理もない。俺でさえ、こいつが女子トイレに入っていくところを見ると一瞬「あれっ?」と思うことがあるくらいだからな……。


「あ……じゃあ街を救ったヒロイン、だな……」


 ラークがしぼむような声で呟いた。


「それで、何があったんスか?」


 皆美が尋ねた。


「ああ、この車は俺たちのものなんだが、積んでいたマジックアイテムがどこかに行ってしまってな……」


 車の中には、長机、パイプ椅子、「氷」と書かれたのぼり、かき氷機の箱やクーラーボックスなどが積まれている。どう見てもかき氷の移動店舗にしか見えないが、こんな中にマジックアイテムを積んでいたのか?


「紛失したってことですか?」


「いや、そのなくなったマジックアイテムってのが、ちょっと厄介な奴でさ……」


「『魔運転まうんてんバイク』……悪魔の『魔』に『運転』と書いて『まうんてん』と読むんだが……」


「名前はどうでもいいよ。そいつは“意志を持った自転車”なんだが、勝手に動くと困るから、こいつを貼って封印してたんだ」


 キッドがポケットからシールの台紙を取り出した。白地に朱色の文字で「封」と書かれたお札のようなデザインの小さなシール。それが8枚あった台紙のようだが、今は6枚になっている。


「このシールはマジックアイテムの特異性を封じ込める力を持っているんだが、劣化して剥がれ落ちてしまったらしくてな……俺が荷物を出すためにトランクを開けたら、物凄い勢いで飛び出していったよ……」


 そう言って、キッドはトランクの床に落ちたシールを拾い上げた。


「その自転車、なんで意志を持ってるんですか?」


 臨が尋ねる。


「ああ……元々は自転車屋で売られていたんだが、誰にも買われないまま店が潰れてしまったらしい。その無念からマジックアイテム化したんだろうな」


 マジックアイテム……ラークから説明は聞いたが、イマイチよくわかっていない。意志を持った自転車なんて、これまでの17年間の人生で一度も見たことがないからだ。……いや、俺たちが知らないだけで、スティールイールみたいな連中はほかにもいて、俺たちの目に触れないように隠しているのかもしれない。


 ――そんなことを考えていた時だった。俺たちがいる100円パーキングの前の道路を、誰も乗っていないオレンジ色の自転車が走り抜けていった。


「おい!今の!」


 たまたま道路の方を見ていたのが俺だけだったのか、ラークたちは気づかなかったらしい。


「今、オレンジ色の自転車がそこを!」


「なに!?」


 ラークは駐車場の外に駆け出した。既に自転車の姿はなく、道行く人々がざわついている。


「あれ、人を轢き殺したりしませんか……?」


「いや、俺が知る限り、あいつは自分から人を轢くようなことはしない。が、事故らない保証もない」


 と、道路の向こうから物凄い格好の女が走ってきた。マンガやアニメでしか見たことがないような、水色のツインテール。オレンジ色のノースリーブに、紺色のミニスカート。その異様な容姿から、すぐにその所属はわかった。


「今の、魔運転バイクだよね!?」


 女が駆け寄る。やはりこの女、スティールイールの一員か。


「ああ、封印シールが剥がれて暴走しているらしい」


「すまねえ!俺の不注意で!」


 キッドとラークは、今置かれている状況と俺たちのことを女に伝えた。女は「アイ」というコードネームらしい。やけに本名っぽいが、こいつらの「コードネーム」とはあだ名のことなのではないだろうか。


「とにかく、なんとかしてアレを止めないと……」


「キッド、あんたの『リビングロープ』で捕まえられない?」


「あんな速い奴、引っ掛けられたとしても切られちまうよ」


 ラークによると、「リビングロープ」というのはキッドの腰に付けられているロープで、持ち主の意志に従って動くらしい。


「自転車……例えば、スポークの隙間に棒か何かを突っ込めば止められるんじゃない?」


 臨が言った。


「なるほど……それならこいつを使えるかもしれないな」


 キッドが車からのぼりを引っ張り出した。


「このポールには、いざという時武器にもなるように鉄の芯が入ってる。うまく突っ込めば足止めできるはずだし、その隙に封印シールを貼れば……」


「でも、長さが足りない。相手は車道を走っているから、複数車線あるここでは避けられて終わるんじゃない?」


「そもそも、あいつがどういうルートを走っているのかもわからねえ。この前を通ったってことは、街の中をグルグル回っているんだろうが……」


 その時、皆美のスマホが鳴った。


「お父さんだ。……何?……ちょ、ゆっくり話して!……自転車?……わかった、すぐ行く」


「なんて?」


「お父さん、うちの前を走っていく魔運転バイクを見たって」


「あそこなら片側一車線だし、人通りもここほど多くない……捕まえるには絶好の場所だな」


 俺たちは住宅街に戻り、オカザキ修理の前の道に来た。ラークの提案で、スティールイールの車を路上に停めて通れる範囲を狭め、より仕留めやすいようにする。


「それで、誰が棒を突っ込むんだ?」


「俺がやる」


 そう、俺はじいちゃんの道場で棒術を習っている。棒の扱いには慣れているつもりだ。


「わかった。お前に任せる」


 俺はキッドからのぼりを受け取った。確かにずっしりと重いが、これくらいなら簡単に振り回せる。


「今100円パーキングの前を通過したそうだ」


 ラークが車の窓から顔を出して言う。アイは先ほどの100円パーキングで待機し、魔運転バイクの接近を知らせる役だ。今通過したということは、数分後にここに来るはずだ。


「何をするんだ?」


 オカザキ修理から出てきた皆美の同級生・春海が俺に尋ねた。こいつ、さっきはなかったヘアバンドを着けているが、皆美の父親に弟子入りでもしたのか?


「今から魔運転バイクを捕まえるんだよ」


「マウンテンバイク?」


「元々は自転車屋で売られていたんだが──」


 ラークが説明を始めたのをよそに、俺はのぼりを握り締め、魔運転バイクの車輪を止めるイメージトレーニングをした。


「来たぞ!」


 キッドが叫ぶ。喫茶こもれびの角を曲がった魔運転バイクが、真っ直ぐとこちらに向かってくる。進路上に車があるため、緩やかに右へ避ける。狙い通りだ。


「うおりゃあ!!」


 俺は力を込め、魔運転バイクの車輪にのぼりのポールを突っ込んだ。前輪には弾かれたが、そのまま後輪のスポークに入った。ズン、と強い衝撃が両手に伝わり、ポール表面のプラスチックの破片が弾け飛ぶ。ポールはスポークとフレームの間に挟まり、メキメキと音を立てている。凄まじい力で、ポールもろとも持って行かれそうだ。


「キッド!今だ!」


 ラークの指示で、封印シールを持ったキッドが駆け寄る。が、それを押しのけるかのような勢いで春海が入り、魔運転バイクのハンドルを掴んだ。


「春海!?危ねえから離れてろ!!」


「よしよし、もう大丈夫だ……誰も乗ってくれなくて寂しかったんだよな……」


 ハンドルを振り回しながら暴れていた魔運転バイクが、抵抗の動きをわずかに緩めた。


「窮屈なところに閉じ込められる気持ちは俺にもよくわかる。つらかったよな、自由になりたかったんだよな……」


 魔運転バイクは、春海の言葉を噛み締めるかのようにおとなしくなった。


「この自転車は、あなたたちの……?」


 春海がキッドに尋ねた。


「ああ、一応俺たちが保護しているものだが……」


「じゃあ、これ俺に売ってくれませんか?ちょうど自転車が欲しかったところなので」


「えっ」


 キッドが驚き、車から降りたラークの顔を見る。ラークはしばらく考えた後、ゆっくりと口を開いた。


「ダメだ、売るわけにはいかん」


「そんな……」


「俺たちには、それを『商品』として売る権利は何もないからな……タダで貰ってくれ」


「あっ……ありがとうございます!」


「ただし、そいつの扱いにはくれぐれも気をつけてくれ。見ての通り危険な代物だからな」


「それなら大丈夫です。こいつ、ただ拗ねてただけみたいだし」


 春海が魔運転バイクのサドルをポンポンと叩きながら言った。ついさっきまで暴走していた自転車は、まるで手懐けられた獣のようにおとなしくなっている。「マジックアイテム」として扱っていたラークたちよりも、春海の方が深く理解しているのかもしれない。


「これからよろしくな。えーっと……じゃあ、『烈風れっぷう』!」


「いや、そいつの名前は──」


 ラークが言いかけて、やめた。


「あれ、魔運転バイクは?」


 アイが現れ、周囲を見回しながら言った。


「そこにいるよ。だが、もう『魔運転バイク』なんて名前じゃないし、俺たちのものでもない」


 ラークがしんみりした雰囲気でそう言って、辺りに「一件落着」といった空気が流れ始める。……だが、その空気は突然の来訪者によって破られた。


「おっ、いたいた」


 声のした方角を振り返ると、二人の少女が立っていた。年齢は10歳かそこらだろうか。二人の顔は瓜二つで、双子であろうということは容易に想像できる。片方は紅色、もう片方は薄桃色のシャツを着ていて、その紅色の方が一歩前に出た。


「ねえ、そこのあんた。その首に提げてる玉、あたしたちに渡してくれない?」

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