最終話 これからだ!

 キャップが帰ったあと、俺たちは無言のままそれぞれの居室に戻った。キャップが俺たちに言い残していった課題は、最初に来た時より今回の方がずっと重い。でも、俺たちがその深刻さに打ちのめされることはなかったと思う。

 なぜそうなったかという理由を考えるのではなく、これからどうするという指針を考えること。そいつには最初からゴールや正解ってのがないんだ。ゆっくりと、でもしっかりと考え続けて行くしかないもんな。


 キャップの渾身のど突きで気持ちが整理できた俺と違って、フリーゼはひどくしょげていた。俺らからはノーマルの子供しか生まれないだろうというキャップの予言。それは普通の家庭が持てると思い込んでいたフリーゼにとって、ものすごくショックだったんだろう。ちょっと気分転換させよう。


「よう、フリーゼ。外に出ようぜ」

「なんで?」

「日光浴さ」


 どてっ! ぶっこけたフリーゼが、なんとも言えない苦笑いを浮かべた。


「あんたの発想も、ぶっ飛んでるわね」

「ここの環境自体がぶっ飛んでるんだ。仕様に合わせただけだよ」

「あははっ!」


 うじうじ悩むのは性に合わない。フリーゼはそう考え直したんだろう。さっと探査の装備を整えて、俺より先に部屋を出た。


 あえて作業車バギーを使わず、徒歩で居住エリアから離れる。宿舎から数百メートル離れただけで、そこはあっという間に虚無の世界に変わる。何も見えない暗黒の大地を踏みしめ、二人並んで黒い太陽を見上げた。


 かつてのもさもさ着膨れるタイプに比べ、宇宙服スペースウエアの構造や機能は格段に進歩し、室内着との装着感の差は小さくなっている。だが宇宙服による防御プロテクトがないと外に出られないことだけは、今でも変わっていない。俺たちは宇宙服に守られているが、同時に宇宙服で隔てられているんだ。隣り合っていても互いの熱を直接感じることはできないし、キスを交わすこともできない。それは、近くて遠い距離。

 俺とフリーゼ。ノーマルと俺ら。ここと母星。きっと、誰もが距離のジレンマに悩まされながら、それでもどこかにあるはずの接点を探り続けるんだろう。太陽の色が何色であっても、その周りを付かず離れず惑星が巡り続けるように。


 俺と同じように黒い太陽をじっと見上げていたフリーゼが、ふっと溜息を漏らした。


「これで。本当によかったのかな」

「ここに来たことが、か?」

「うん。わたしたちはともかく、他のメンバーはばらばらのままだよね……」


 わたしたちはともかく、か。フリーゼは気付いているだろうか。意識が、自分だけのことから少しずつ外に広がってきているんだ。それは、キャップの蒔いた種子から出た新芽なんだよな。俺は、微笑を添えてフリーゼの問いかけに答えた。


「ははは。俺はよかったと思ってるし、きっと他のメンバーもそうだろ」

「そう?」

「そりゃそうさ。俺たちには、明日を考える余裕なんかなかったんだよ。今日を生き延びるのが精一杯で」

「うん」

「だが、ここなら生き延びる以外の明日を考えることができる。それだけでも、すごいことだぜ」

「そっか……」


 荒涼とした暗黒の大地。俺たち以外生命の気配のない世界で、フリーゼと二人きりで黒い太陽を見上げる。まるで映画のワンシーンのようだが、これが現実だ。そしてこんな現実に耐えられるのは、まだ俺たちしかいないんだろう。うーん、なんだか急に愉快になってきたぞ。


「くっくっくっくっく!」

「どうしたの?」

「いや、冗談抜きですごいなあと思ってさ」

「なにが?」

「スラムの片隅で、誰にも見つからないようにこそこそ隠れ住んでた俺が。異星で、宇宙服着て、隣にどえらい美女をはべらせて、ここや母星の未来をどうしようかって考えてるんだぜ? ありえんな」

「きゃははははっ!」


 上体を折り曲げて屈託無く笑ったフリーゼが、俺の右腕をぐいっと抱き込んだ。


「わたしもそうかあ。山の中で一人ぼっちで畑仕事してたのが、今は最先端の入植地でダーリンと一緒に甘い甘い毎日だもんなあ」

「だろ? 母星に別荘持ってる金持ちはいっぱいいるが、母星が別荘だなんてやつは俺らしかいないぜ」

「うっわ! なるほどー」

「キャップが俺らに言いたかったのは、そういうことだと思うんだよ」

「後ろ見たって何も落ちてないよってことよね」

「ああ。キャップのアロハシャツ姿は、考えすぎてネガに落ちるなよっていう前向きのメッセージ。課題が何もないと俺たちが呆けちまうからがっつり危機感をあおったけど。大至急どうこうしろってことじゃないんだよな」

「うん!」

「キャップ一人でできるのは、たねを蒔くことだけ。でもキャップは、種蒔きの手間を惜しまないんだ。マイノリティの俺たちにも種蒔きはできるし、それでいいんじゃないかな」


 ぐんと頷いたフリーゼが、改めて黒い太陽を見上げる。フリーゼの肩を抱いた俺は、静かに決意した。


 希望と絶望。母星とは違った形だが、黒い太陽の下にもそいつがセットされていた。どっちに目を向けるかで俺たちの生き方は変わる。さあ、どっちを見ればいい? そらあ、楽しそうな方に決まってるさ。

 これまで俺は、愛した人と重ねられる時間がひどく限られていたんだ。だが、これからは別離の恐怖に毎日怯えなくていい。それは俺にとって何にも代えがたい幸運さ。そんな風に。できるだけ絶望の影を追わず、できるだけ希望の種子を探して。この星の開拓者にはなり切れなくても、自分の生き様くらいはしっかり開拓することにしよう。

 キャップから全力でどやされたみたいに、自分が難民だと思い込んでしまえば難民から抜け出せなくなる。そんなのはもう真っ平だ。ここは世界の果てにあるゴミ捨て場じゃない。未知の世界に挑むための橋頭堡なんだ。


「ブラム。何笑ってんの?」


 俺はうっすら笑っていたんだろう。すかさずフリーゼに突っ込まれた。照れ隠しで、慌ててごまかす。


「はっはあ! いや、ここにいる間に、おまえに何百万回アイラブユーが言えるかなあと思ってさ」


 けたけた笑うかと思ったフリーゼは、俺に抱きつくなり大声をあげて泣いた。


「おいおい、泣くなよ」

「う……れしい」

「キスしたいとこだが、こいつが邪魔だなあ」


 顔の前でぶつかったフェイスプレート同士がこつんと音を立て、フリーゼの表情が泣き笑いになった。


「さて。部屋に戻ってラブストーリー続行にするか」

「うん!」


 揃ってきびすを返したら、視認装置ビジョナーに突然キャップの顔が大写しされて、ごつい低音が響いた。


「ブラム、フリーゼ。お楽しみのところを済まんな」

「あれ? キャップ、どうしたんですか?」

「新入りの出迎えに立ち会って欲しいんだ」


 即答する。


「すぐ行きます! センターホールですよね?」

「そうだ。一応全メンバーに声をかけてあるが、来れるやつだけでいいよ」


 キャップはそれだけ言って、すぐ通信を切った。


「おおー! 幸先いいな。メンバーが増えるのは大歓迎だ」

「ふふ。楽しみね」

「きっと子供なんだろう。ケアをどうするか、それはみんなで考えないとな」

「そだね。さあ、急いで行かなきゃ!」


◇ ◇ ◇


 出迎えに集まるのはせいぜい数人かと思っていたが、古参連中も含めて半数以上のメンバーがセンターホールに詰め掛けていた。その光景を見て、俺は心からほっとする。

 迫害や孤立のかせが外れれば、いずれ人との繋がりが恋しくなる。無理強いされなくても、自然に繋がりができていくだろう。キャップがこれまで言外に匂わせていた予想が、ちゃんと現実になってきてるんだ。キャップの深慮と、それに基づくケアの的確さに改めて舌を巻く。


 みんなが固唾を飲んで見守る中、キャップに付き添われてセンターホールに入ってきた新入りは一人じゃなく、二人。そのうちの一人が誰かわかった俺は、絶叫しながら無我夢中で飛び出していた。


「ゴズーッ!!」


 ああ……俺はずっと。ずっとずっとずっと後悔してたんだよ。なんで、俺たちの中からたった一人だけ脱落者を出しちまったんだろうって。職務上対応方法が限られているキャップはともかく、俺なりにゴズに何かしてやれたんじゃないかと。あの時のことを思い返すたびに、苦しくて苦しくてしょうがなかったんだ。


 だが、ゴズは帰ってきた。帰ってきたーっ!


 そして、飛び出したのは俺だけじゃなかった。古参の連中が。あれほど他人と関わることを拒絶していた古参の連中が、俺と同じように目を赤くしてゴズに飛びついていった。大勢のメンバーに抱きつかれてもみくちゃにされていたゴズは、最初こそ照れくさそうにしていたが、吠えるようにおんおん泣き出した。

 そうだよ、ゴズ! 誰にでも居場所はある。必ずある! そして、居場所がある限りなんとかなるんだ。


 ゴズに群がる古参連中によって歓迎の輪から弾き出されてしまった俺は、キャップに肩を叩かれて我に返った。


「まあ、そういうことさ」

「どうしてあの時……」


 俺の非難の視線を、キャップが手をかざして遮る。


「訓練所でドクにアルコール依存症の診断を出されてしまうと、二度とこっちに戻れなくなるんだ」

「あっ!」


 そ、そうか。規則違反と職員資格喪失に公的証明書がついてしまうからか。


「だから自主退職の形にして一度母星に戻し、そこで依存症の治療と除菌を行わせたのさ」

「除菌? そうか! 胃内の酵母を殺菌したんですね?」

「そう。訓練所と違って、入植地では飲酒が禁じられていないんだ。飲む量を直接コントロールできるなら、ここで一杯やる分には構わんだろ?」

「なるほどなあ」

「俺が表立ってゴズのサポートをすると、他のメンバーから規則違反者を意図的にかばったと見られてしまう。それじゃ規律が保てなくなる。俺は、裏でこっそりサポートするしかなかったんだ」

「わかります」


 母星での治療を受けた実績込みでこっちに戻れば、もし依存症が再発しそうになってもドクの治療やフェアリーのカウンセリングを受けやすくなる。そういうことだったのか。


 嬉し泣きしているゴズを穏やかな表情で見つめていたキャップが、もう一人の新入り、小さな男の子を俺とフリーゼの前に連れてきた。エミよりちょっと下くらいの四、五歳に見えるが、きっと実年齢も同じくらいなんだろう。カールのかかった短い赤毛。目がくりっとしていて、なかなかのハンサムさんだ。だが、頭のてっぺんに短いつのが生えている。顔には、不安と悲嘆がべったり張り付いている。角と遅老症を嫌気されて、親から捨てられたんだろうな。どうにも……やり切れない。


 キャップは、いつもの柔らかい笑顔を浮かべながら男の子に話しかけた。


「入植地にようこそ。コーニーくん。ここには、偉い人もいばってる人も怖い人もいないんだ。おじさんも、ただの案内係さ。このお兄さん、お姉さんもそう」


 びくびくしながら俺たちを見回していた男の子は、ほっとしたように小さく頷いた。


「うん」

「それでな」


 振り返ったキャップが、フェアリーとウォルフを手招きした。二人が、にこにこ笑いながら男の子の前に並ぶ。


「ここにはあんまり遊べるところがないから、代わりにパパとママをプレゼントしよう。思う存分甘えていいからな。ほら」


 ぱあっと頬を染めた男の子が、屈んで両腕を広げたフェアリーの胸元に飛び込んでいった。フェアリーが、男の子の頬に頬をすり寄せて目を細める。


「わあ、くすぐったあい!」


 ウォルフは、苦笑いしながら男の子を見下ろしている。だが、その笑顔には嫉妬ややっかみが混じっていない。自分は親からの愛情をもらえなかったから、この子には同じ痛みを心に刻んで欲しくない。ウォルフは、そう考えてくれてるんだろう。


 フェアリーと同じように屈んだキャップは、男の子の頭にごつい手をぽんと置いて微笑んだ。


「君のあとに、少しずつだけど子供が来る。その子たちは君の大事な友達になるんだ。仲良くしてくれな」

「うん、わかったっ!」


 フェアリーとウォルフに両手を引かれて、男の子が嬉しそうに歩き去った。その後ろ姿を見送っていた俺とフリーゼの背に、キャップの声がぽんと当たった。


「血は水よりも濃い? バカを言うな。ここにいるのは、その血に裏切られたやつばかりだ。だから、俺らには逆転の発想が要る」

「逆……ですか」

「そう。不妊手術を受けたフェアリーは子供を産むことができない。だが、ここにいればいつでも母親になれるんだ。血に裏切られたのなら、血よりも濃い水を作ればいい。俺はそう考えて欲しいんだよ」


 キャップは手元のリモコンを操作してセンターホールの照明を落とし、天井の遮蔽板を開いた。まだ残っていたメンバーが、一斉に頭上の黒い太陽を見上げる。慈しむように太陽を見上げていたキャップが、姿勢を正して敬礼を捧げた。


「君は与えることを惜しまなかった。今は光り輝けないほど老いぼれているが、たった今も残り少ない熱を振り絞って俺たちに届けてくれる。俺たちはその熱を受け継ぎ、決して無駄にはしない。ありがとう!」


 希望の象徴にはなりえないはずの死にゆく黒い太陽まで、『与える者』として讃えるキャップ。ああ……キャップはその生が尽きるまで、あらゆる可能性という種子たねを黙々と蒔き続けるのだろう。俺はその揺るぎない信念に、どこまでも感動する。

 俺もそうしたい。ウィルからキャップへと受け継がれた可能性の種子を、俺らが引き継ぎ、大きく育てて俺らの子供たちに受け渡したい。


 キャップが遮光板を閉じ、ホールが再び光を取り戻した。メンバーが、明るい表情でそれぞれの住居に帰っていく。満足そうにその後ろ姿を見送っていたキャップが、誰に言い聞かせるでもなく呟いた。


これからだヒアアフター。何もかも、これからさ」

「……そうですね」

「光のないここでは、自らが太陽になるしかないんだよ。小さくても強く輝き、あまねく与えることをいとわない太陽にな」


 ぱん!

 キャップの大きく暖かい手が、寄り添った俺とフリーゼの肩を鳴らした。


「どんな太陽になりたいか。一緒に、ゆっくり、前向きに考えよう。なに、慌てることはない。全ては今から始まる。これからだ!」



【 F I N 】

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