第三十二話 そりゃないぜ!
もう終わったことさ。キャップは、訓練所の出来事をあっさり流してしまった。つまり、これまでの話は前座に過ぎず、これからが本論なんだろう。空になったティーカップをテーブルの上に戻して、キャップがぐんと巨体を乗り出した。表情がとんでもなく険しい。俺らも慌てて居住まいを正す。
「さて。これから話すことは、俺の推論だ。俺はリズと違ってプロの研究者ではないから論拠を示せと言われても困るし、正誤を断ずる立場にもない。あくまで
キャップは俺らをぐるっと見渡し、もう一度念を押した。
「俺が君らに考えて欲しいのは、仮説が正しいかどうかではない。君らが将来を考える際に使える手札を増やす。そういう発想で話を吟味して欲しい」
頷いた俺たちを見て、キャップが全員に問いかけた。
「なあ。君らは、母星で一度は
容貌が特異な……外見が蛇女と蝿男のリズとフライはすぐに頷いた。俺は吸血鬼、フリーゼは雪女。いつまで経っても童女のままのエミは
他の連中もみんなそうだ。ウォルフは狼男。フェアリーは魔女。ミーアとロックローズは化け猫とろくろ首。ビージーは貧乏神、サンディは砂かけ婆、ゴズは牛頭観音。ヌーはぬらりひょん、コナッキーは子泣き爺、ウオールマンは塗り壁……そんな風に。
「だが、それは
「ええ」
「もちろんです」
「俺たちが本当に伝説として書き記されているモンスターならば、俺らはとっくに人類を駆逐して繁栄してるよ。だが実際には、あの狭い訓練所さえ満たせないくらいしか個体数がない。いくら俺らが長命だと言ってもな」
「ええ、確かにそうですね」
リズがぐっと身を乗り出した。
「そして、俺らにはほとんど重複がない。同じ
「あああっ!」
全員、初めてその事実に気付いた。
「そうだ!」
「確かにそうね。わたしと同じのはいない」
「個体数が少ないことは、モンスターの存在を種族として印象付ける要素にはならないよ。じゃあ、なぜ俺たちはモンスターとみなされたか」
うーん、そういう見方で自分の存在を考えたことがなかった。盲点だったな。
「たとえば吸血鬼なり雪女なりがたくさんいたからではなく、そういう風に見える個体が長い間一般人の目に付いていた。だからモンスターとして伝説化されたと考える方が理にかなってるんだ」
「長命ゆえに、
リズが確認する。
「俺はそう思う。だが君らは、モンスターと呼ばれる者同士のカップルから生まれたわけじゃない。両親はノーマルなんだよ」
「確かに」
キャップや古参連中はわからないが、少なくとも俺たちは全員出生記録を持ってる。そして両親はノーマルだ。両親の既往歴が遅老症ってやつは、もしかするといないのかもしれない。
「ここから先が博士の推論だ。よく聞いてくれ」
キャップが、ごつい両手をぱんと叩き合わせた。
「ノーマルの連中は、ヒトの進化形である俺たちがいつか旧人類を凌駕するんじゃないかと恐れている。だから俺らを排除しようとしている。君らにはそう感じられるだろ?」
「ええ。違うんですか?」
「違う。君らはヒトの進化形ではない」
し……ん。ゲストルームが静まり返る。
「人類が進化してきた過程で、様々な形質を持つ
キャップが俺を指差した。
「ブラムの
頷いたリズが、指を折りながら名を挙げていく。
「血や体液を吸う昆虫は多いですし、魚類、鳥類、哺乳類と言った高等生物にもいますね」
「そう。咀嚼が必要なくて短時間での栄養摂取ができる。単位重量あたりの栄養価が高く、エネルギー転換効率がいい。獲物を仕留めなくても摂取できるので、摂取対象をうんと広くできる。だから、そういう食性を持ったヒトの亜型があってもちっともおかしくないのさ」
「でも……実際にそういう性質を持ったヒトは実在してませんよね?」
ひょいと首を傾げたリズが、口からちょろちょろと舌を出した。
「いないよ。血液も利用するならともかく、血液だけが主食じゃ群れを維持するのに十分な食料を確保できない。今まで続いている雑食性のヒトとの生存競争には勝てなかったんだ」
「あっ!」
そうか。納得だ。
「血液食の効率を上げるために、化学物質を出して獲物を誘引するとか、獲物の動きを短時間制御するとか、特殊な能力を発達させた個体も現れたんだろう。ブラムの場合、その性質がよく再現されているのさ」
キャップが、改めて俺たちをぐるっと見回した。
「俺が思うに。君らの持っている特性は、どれも環境に
今度はリズを指差す。
「リズの持っている爬虫類によく似た形質は、砂漠のような極度に乾燥した環境に適合するためのものだ。特徴が爬虫類に似通っているだけで、爬虫類との混血ではないんだよ。フライの性質もそうさ。食料探査に特化した進化だろう」
「なるほどー」
「フリーゼもそうだよ。外見的には確かに伝説の雪女に似ているが、瞳色が赤いのも皮膚や髪の色が白いのも色素が薄いためだ。それは、極めて光の乏しい環境に棲む洞窟生物の特性だよ」
「うわ……」
フリーゼが、思わぬ見立てに絶句している。
「身辺の熱を調整する能力は、岩礫ばかりで燃料確保の難しい環境に適応するため発達したんだろう。フリーゼから訓練で身につけたと聞いているが、それは隠れていた形質の発現に過ぎない。ブラムが持っている運動神経の一時遮断能と同じだ」
俺も愕然としてしまう。フリーゼの力も先天性だったということか。
続いて、キャップがエミを指差した。
「エミの形質もそうだ。肉体の初期成長を極度に抑制する特性は、食料の乏しい環境下で個体を維持するのに適しているのさ」
エミは口をあんぐり。俺も絶句。成長拒否じゃ……なかったのか。
「エミの奉仕本能も、環境適応の名残だと思うよ。
キャップが、エミにサムアップして見せた。エミは苦笑するしかない。
「ビージーのは、外観を早く老成させることで群れの中での優位性を確保する意味合いがある。ウォルフの獣化は一種の擬態だろう。自分を危険なものに見せかけることによって、外敵に襲われるリスクを下げている。タオのもそうだよ。肉体を仮死に導けるのは、代謝活性をぎりぎりまで下げて悪環境に耐えるため。冬眠する動物に見られる特性だ」
ゲストルームは、キャップが淡々と説明する言葉でひたひたと埋め尽くされていった。その低音が一瞬途切れ。そして……。
「だが。そのような特性を有していた個体や系は全て、はるか昔に
絶滅……。
「遅老症持ちの特性はみんなそうさ。全てが絶滅種のもの。俺たちに残されているのは、形質も能力もただの名残、痕跡なんだよ」
黙り込んでしまった俺たちをぐるっと見回してから、キャップが静かに話を続ける。
「厄介なことに。それらがどんなに痕跡に過ぎなくても、完全に消えたわけではない。どこかに遺伝情報が潜んでいて、何かのはずみでぽんと顔を出す。その典型が遅老症なんだ」
キャップが俺の顔を覗き込んだ。
「なあ、ブラム。発現している形質がばらばらなのに、なぜ長命というところだけが共通なのか。不思議に思わないか?」
「確かにそうですね」
「それが、変わった形質を持った個体群共通の生存戦略だったからだよ」
「あ……」
「何かに適応するために起こった変化。それを後代に受け継がせるためには、子孫を確実に残し、増やしていかなければならない」
「そうですね」
「だが生き残るのは、常に個体数の多い多数派だ。
顔の毛をしごいたキャップが、ずぱっと言い放った。
「だけどな。長命化も頑強さも、結局痕跡に過ぎないんだよ。ヒトとして生きるためには必要のない、ね」
うう。それは……めっちゃショックだ。
「今後人類の繁殖能力がひどく低下すれば、それを補うために俺らのように長命化する個体が独自に発生するかもしれない。でもこれまでの事実は、長命化が繁殖や生存を向上させる切り札にならないことを明確に示している。俺らよりはるかに長期間母星で生き延びている生物を考えて見ればいい」
「虫とか……」
「そう。彼らは短命だが、旺盛な繁殖力を活かして様々な遺伝形質を獲得し、大きな環境変動を乗り越えて生き延びてきた。長命化は、絶滅回避の切り札になっていないんだ」
完全に静まり返ってしまったゲストルームの中に、キャップの厳かな声が響く。
「俺らは、今の立場だけでなく、
過去の遺物、絶滅種、とんでもなくマイノリティのままの存在……。なんてこった。
【第三十二話 そりゃないぜ! 了】
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