最終章 これからだ!

第二十七話 聞いてくれ!

 ペアになってくれの一言がどうしても言えないまま、ずるずると時間だけが過ぎていく。そして俺の煮え切らない態度に、フリーゼがいらいらし始めた。まずいな。

 ペアになってくれっていうのは、愛してるアイラブユーでも結婚してくれマリーミーでもないんだ。それなのに、さっさと言っちまえと思えば思うほど、言葉が喉につかえて出てこない。ううう。


 そして俺が自分のへたれを愚痴りたくても、唯一聞いてくれそうなキャップが完全にてんぱっていた。温和がキャップの代名詞なのに、機嫌がこっぴどく悪い。誰彼構わず当たり散らすということはないが、口数が減って笑顔が消え、苛立ちを隠さなくなり、俺たちへの対応がひどくぞんざいになった。


 なぜ?


 俺には、一つしか理由が思い浮かばなかった。そうさ。キャップはみんなにちゃんと予告してる。入植開始が近いと。


 そして今。俺の予想は違わず事実になった。


◇ ◇ ◇


「訓練生諸君。重大な発表がある。全員、メインホールに集合してくれ。欠席は許されない。ホールに来なかった違反者は、救済措置なしで母星に強制送還される。必ず集まってくれ!」


 いつもの間延びした合成音声ではなく、キャップのごついバリトンボイスが館内に大音量で流れた。一度だけではなく、何度も何度も。


「おいでなすったな!」


 訓練明けで寝ていた俺も、一発で飛び起きた。寝起きの悪いタオがよろよろ部屋から出てきたのを確かめて、その背中をど突きながらメインホールに急ぐ。いつもなら開け放たれているホールのドアがセキュリティゲートに代わっていて、黒板ブラックプレートをかざさないと中に入れない。何人かの訓練生が、そいつを取りに慌てて部屋に戻った。

 さっきのアナウンス。いつも穏やかなキャップの声ではない。角が立ち、怒りをまとったごっつい声だった。そのトーンに驚いて、いつもはキャップの指示をまともに聞かない古参連中も全員出席しているようだ。


「そうか。セキュリティゲートは、メンバー全員の出席を確かめるためだな」


 俺が独り言を漏らしたら、聞きつけたリズが静かに頷いた。


「わたしもそうだと思う。いよいよなんでしょ」


 リズの予想も俺と同じなんだろう。


 ここしばらくペア決め絡みで何かと賑やかだったが、ホール内は水を打ったように静まり返っていた。俺たちが固唾を飲んで見守る中、早足にスクリーンの前に出たキャップがでかい声を張り上げた。


聞いてくれリッスン!」


 いつものキャップなら、必ずプリーズを付けるはずだ。それを省いているのは、キャップの宣言に強制力があるということ。強制力を行使しないとうまくいかないという強固な意思表示なんだろう。


「本部からゴーサインが出た。これからすぐ入植になる」


 やっぱりだ! いよいよか!


「その前に、極めて重要なことを確認しておかなければならない」


 キャップがぐいっと上体を乗り出し、俺たちにぶっとい指を突きつけた。


「君らが訓練所に来る前、本部で入植地がどのような場所かの説明を受けたはずだ。それを覚えているか?」


 軽いざわめきがホールの中を満たした。だが俺も含め、多くのメンバーが首を傾げている。


「しつこく警告された、太陽がないってことはともかく。それ以外は説明が専門的過ぎて、よく分からなかったんじゃないか?」


 そう、その通り。俺にはまるっきりちんぷんかんぷんだった。聡明なリズにしても専門は歴史学であって、宇宙科学ではない。本部から提供された新惑星調査報告書の内容は、難しすぎてさっぱりわからないと言っていた。


「通常そのような重要情報に関しては、最初から概要サマリーなり概説ダイジェストなりが用意されるものなんだ。だが俺たちには、噛み砕かれた情報が一切与えられていない。事実が隠されていなくても、俺たちは事実にアクセスできないんだよ。それは実質的な情報隠蔽に近い。極めて腹立たしいことだがな」


 ものすごい形相で、キャップが俺らを見回した。


「じゃあ、なぜ俺たちはそれを気にしなかったか。入植はもっと後で、それまでに必要な情報提供がなされるだろうと楽観視していたからさ。だが丁寧な説明が行われないまま、入植せよというゴーサインが出ちまった。出た以上は、スケジュール通りに入植を実行しないとならん」


 キャップが、足元をどんと踏み鳴らす。


「確認したいことは一点だけ。君らの意思だ。母星に帰るか、入植地に行くか、どちらにするかを今決めてくれ」


 うーん、説明を尽くすキャップらしくないな。本部が俺たちへの説明を尽くさないなら、てこでも動かん。今までのキャップなら必ずそう言っただろう。入植を急いでいるのは、本部じゃなくてむしろキャップじゃないのか? 俺の疑問が、むくむくと膨らんだ。だが、極限まで張り詰めているキャップに余計な突っ込みを入れることははばかられた。最小限の確認だけはさせてもらおう。挙手して発言許可を求める。


「キャップ!」

「なんだ、ブラム」

「リスクは?」


 それくらいの判断材料はないと、俺はともかくみんなは意思表示できないよ。オッズの分からない賭けには乗れない。


 一度口をつぐんだキャップは、思わぬ回答を投げ返した。


「実質ない」


 ええええーっ!? ホール内が激しいどよめきで満たされた。


「訓練所は、入植先の環境が忠実にシミュレートされている。本部の説明に嘘はない。つまり、訓練地がこの訓練所から入植先になる……その違いでしかない」


 ううむ。それはなんとも微妙。


「当然、訓練所は二箇所も要らない。我々の入植完了後にこの訓練所は閉鎖される。使用されていた設備や機材は全て入植地に移設され、サブセンターとして利用される」


 ああ、そういうことか。母星、訓練所、入植地という三段階制にはしない。訓練所というクッションを設けないから、行くか帰るしかないよ。ただそれだけのこと。でも、それだけのことをずいぶん勿体つけて言うよなあ。うーん……。


「現時点で、入植を諦めて母星に帰りたい者は挙手してくれ」


 ぱらぱらとでもいるかと思ったんだが、誰も手を挙げなかった。


「全員入植に同意したと判断する」


 意思確認したキャップが、大声で宣告した。


「出発は六時間後のワンサーティ。大型艇三隻に分乗し、一度で入植を完了させる。所要時間は、母星のタイムカウントで三十日ほど。訓練所との行き来よりは時間を要するが、何年もかかる場所ではない。遅滞なく進められるよう協力してくれ。以上だ!」


 キャップが袖に消えると同時に、訓練生全員が足早にホールを出て、自室に戻った。予想はしていたものの、いざ入植という感慨に浸るにはあまりに猶予がなさ過ぎた。誰もがばたばたと慌ただしく荷造りし、次々に船に乗り込んでいく。キャップがノーリスクと言ったこともあって俺たちに悲壮感はなかったが、だからといってわくわくする心持ちにもなれなかった。人類初の星系外惑星入植に対して、何もイベントがないってのはなあ。


 訓練所の退所記念に焼きたてペッパーステーキを腹一杯食わせてくれるとか、新天地には全員でラインダンスを踊りながら足を踏み入れるとか、母星から一流エンターテイナーを呼んで入植式典をやろうとか。そういう華が一切ない。けじめも区切りもあったもんじゃないよ。なんだかなあ。


◇ ◇ ◇


 新しい世界への旅立ちにあたって、俺たちに一切後ろを向かせない。キャップによる意思確認と拙速な指令の背景には、そういう意図があるんだろう。わかるんだけどさ。それでも俺は、後ろ足で砂をかけるようにして訓練所を去ることにどうしても抵抗があったんだ。


「ふうっ」


 出発まで、まだ時間はある。自室に戻った俺は、部屋の灯りを消してベッドに仰向けに横たわった。それから、穏やかな暗闇に向かって話しかける。


「なあ、聞いてくれよリッスン


 母星を出て訓練所に来た時。俺は、ここが腰掛けの場所に過ぎないと思っていたんだ。入植地こそが俺らにとっての楽園であり、ここはそこへ至る階段のステップに過ぎないと。だが俺の中で、ここでの三年半は母星で過ごした長い年月以上の重みを持つようになった。


 得難い友人と出会えた。キャップとの無数のやり取りを通して、俺やみんなの意味を考えた。そして……フリーゼに恋をした。どれも、全て失うことを前提に生きて来た俺が、初めて失いたくないと思ったものたちだ。それなのに訓練所はもう閉鎖される。

 ああ、そうさ。失われるのならば、また作ればいい。それだけだ。これまでもずっとそうやってきたんだ。だけど、俺はどうにもやり切れなかったんだよ。


聞いてくれリッスン。俺は……おまえを失いたくはなかった。失われるのが運命だと知っていてもな」


 灯りを消した無音の空間に、俺はどれだけ愚痴やぼやきばかり置き捨ててきたんだろう。そんなくだらないものを黙って聞き続けてくれたこの訓練所に。俺は心から感謝したい。本当にありがとうと。


 ベッドを降りて屈み、床にキスをする。


「こんなものしか残せない俺を、どうか許してくれ。これまで世話になった。ありがとう。じゃあな!」



【第二十七話 聞いてくれ! 了】

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