第二十四話 やばいって!

 油切れの騒動が治って、食堂に賑わいと華やぎが戻ってくると思ったんだが。どうも雰囲気がおかしい。


「どういうこったあ?」


 女性比率がぐんと増えたんだから、良く言えば賑やか、ぶっちゃけて言えばノイジーになるはずなのに、逆にひどく辛気臭くなってる。最初は確かに明るく賑やかになったんだが、消火剤をぶちまけられたみたいに妙に重苦しいムードに変わった。これじゃあ、光が届かない上に水圧がずっしりのしかかる深海底と同じだよ。リラックスして飯が食えない。

 確かに黒板ブラックプレートCRM前科マークを付けられて強制送還されたくはないから、男から女へのアプローチがしにくいのは確かさ。でも、堂々とナンパをやらかしてたウォルフのアクションの方が、流れとしては普通なんだよ。それが一切ない。男女の間だけではなく、女性の訓練生間でも交流が激減している感じだ。


 食堂で腕組みしたままうなっていたら、キャップが隣にどすんと座った。


「よう、ブラム。どうした?」

「いや、人数が急に増えたから少しは浮つくのかと思ったら、逆に空気が重苦しくなってるんで。どうしてかなあと」

「そりゃそうさ。君以外は自分のことしか見えてない連中ばかりだ。当然こういう雰囲気になるよ」


 あっさり突き放したキャップが、顔の毛をぐいぐいしごく。


「君はとてもよく頭が回る。ここでは数少ない、探偵のように今と先を解析できるメンバーだ。自分自身のことしか考えない……いや、考える余裕がない連中とは一線を画してる」

「そうなんですかね? 俺は、自分のことを単純バカだと思ってるんですけど」

「そらあ謙遜さ。この前の油の件を考えてみれば分かるだろ。ウォルフなら、油くすねてるやつをぶっ殺してやるで終わりだよ」


 さもありなん。

 苦笑した俺に向かって、キャップが大仰に両腕を広げて見せた。


「そういう君だから、訓練所の変化に気付いただけでなく、何が変化のソースになっているかを考えているのさ」

「古参のメンバーは?」

「そんなの俺の知ったことか、だ」


 げ……。


「いいんだよ。連中はそれで。わがままだと言っても自分の影響圏内限定なんだ。俺を放っておいてくれれば、あとはおまえらで勝手にやれ。それが古参連中のスタンスさ」

「確かに」

「共同生活ってのは形だけ。連中は孤島で暮らしてるのと同じだよ。つまり、普通は古参連中から伝えられるはずの共有情報が、新入りには何も落ちてこないんだ」


 あっ! 思わず持っていたカトラリーを皿の上に落としてしまった。かちんという耳障りな金属音が食堂に響いたが、誰も俺やキャップを見ようとしない。


「情報が足りないから、こういう重苦しい雰囲気になるのさ」

「それって……」

「まずいよ。思い切りね」


 キャップが、苦虫を噛み潰したような表情でがっちり腕を組む。


「ただな。入植が近づいて来たから、微妙な情報はむやみに流せん。Xデイまでは紋切り型の対応しかできんのだ。綱渡りが続くな。胃が痛い」


 そう言って。でかい拳で自分の腹をぼすぼすと叩きながら大きな溜息をついた。


「ふううっ」

「あの、キャップ。微妙な情報ってのは?」

「君やリズ、フリーゼのような中期来所者までは、みんな薄々気付いてるはず。だが、必ずしも全員には認識が共有されていない。それで察してくれ」


 そうか。特に新入りは……知らないだろうな。だから、どうしても疑心暗鬼になりやすいってことか。


 訓練服の胸ポケットから黒板ブラックプレートを出し、キャップに向けてかざす。それを見たキャップが、大きく頷いた。


「当たり。そういうこと」


◇ ◇ ◇


 微妙な個人情報が絡む。キャップは訓練生全員の情報を把握しているんだろうけど、俺らの遅老症のことを合法的に知り得るのは医師のドクだけだ。キャップが事実を知っていても、所長や本部からの公式アナウンスはできない。


 まだ訓練生の数が少なかった頃は、普通人ノーマルの出入りがあったからおおっぴらにできなかったが、訓練所が遅老症患者の吹き溜まりになっていることは暗黙の了解事項だったと思う。だから俺らも堂々と地を出せた。フリーゼの凍撃、ウォルフの獣化。あいつらがそれを自己抑制せずにぶちかましたところで、ああまたかで済んだ。しかし女性訓練生のなだれ込みがあまりに急で、大量で、予想外だった。彼女たちも大いに戸惑ったと思うが、俺らも対応し切れなかったんだ。


 そして、新入りの訓練を指導しているのはリズだ。彼女は容姿のハンデがあるから、余計なことを言って自分の印象を損ねることをひどく恐れている。だから、一切の無駄口抜きで淡々と指導せざるを得ない。

 訓練生の数が少なければ、キャップがさっき食堂で俺と話をしたような雑談の形でケアすることができる。だがキャップにとっては近付いてきた入植を成功させることが最優先になっていて、個別のメンタルケアに踏み込む余裕がない。

 情報提供者およびコミュニケーション補助役の要であるキャップとリズが、全く機能していないんだ。当然、異様な古参連中と、開き直って地を丸出しにしている俺らは、彼女たちの強い警戒対象になる。他者に対してずっと猫をかぶり続けることになるから、そのストレスが半端ないんだろう。


「それだけじゃないんだよなあ……」


 俺の懸念はもう一つあった。それは、新たに着任した女性カウンセラーに関して、新入り女性の間で良からぬ噂が流れていることだ。曰く、男を手玉に取るとんでもない毒婦ヴァンプじゃないかと。


 ウォルフの迷惑ナンパを抑え込むために、キャップが本部に要請したカウンセラー。中年のおばちゃんが来るのかと思ったんだが、着任したのはどう見ても二十代前半の若い美人だった。

 フェアリー・ポピンズ。妖精という名を持つ不思議なカウンセラーは、長いブロンドヘアで目鼻立ちがくっきりしていてスタイルもいい。まるでカバーガールのような素晴らしい容姿の持ち主だ。しかし目立つ見てくれとは裏腹に人当たりがとても柔らかく、名前通りの癒し系。美人ということではフリーゼと双璧をなしているが、見た目と中身のギャップが大きいところはむしろリズに似ているかもしれない。

 彼女は着任早々ウォルフに密着ケアしていて、それが功を奏したのかやつのナンパ癖はぴたりと収まっている。それは確かに喜ばしいことなんだけどさ。どうにもおかしかないか?


 ウォルフとの付き合いが長い俺は、あのどうしようもなく動物的で能天気なやつをカウンセリングで説得するなんざ、飲んべをワインの匂い嗅がせて満足させろってくらい無茶だと思ってたんだ。

 あいつはイエスノーで振り分けられる単純な理屈しか理解できないし、理解しようとしない。しっかり考えろ、想像しろってのが一切通用しない。でもカウンセリングってのは、相手の思考と感情を引き出して示唆を与え、良い方向に導くもんだろ? 引き出せるものがほとんどないのに、カウンセリングが成立するか? うーん、どうにもこうにも引っかかる。

 そして、女性訓練生の間でフェアリーに対する良からぬ噂が流れていることが、ウォルフとフェアリーとの絡みに関係しているんじゃないかと……そう思ったんだ。


 もやもやを抱え続けるのは性に合わん。フェアリーがウォルフの専属というわけではないから、俺がカウンセリングを受けてもいいよな。ちょっくらフェアリーに探りを入れてこよう。


 自室を出た俺は、どでかい医務室の奥にひっそり増設されたカウンセリングルームに向かった。で。その部屋の前で真っ青になった。なんでかって? 決まってるだろ。でかいアの音漏れ放題。まさにそこが、ウォルフとフェアリーの愛の戦場になっていたからだ。


 ウォルフ! それはヤバいってトゥーバッド


◇ ◇ ◇


「キャーップ!!」


 俺が血相を変えて所長室にばたばたと駆け込んだ時、キャップはむっつりと何かを考え込んでいた。


「ん? どうした、ブラム?」

「ウォルフのやつ、ちゃんと避妊具つけてヤってるんですかっ?」

「ああ、そっちか」


 俺の懸念は、ウォルフとフェアリーの組んず解れつの方じゃない。その結果の方だ。

 いいんだよ。内規で禁じられていないんだから、双方の合意があれば好きにしてくれていい。だが、それでフェアリーが孕んじまったら全てがぱあなんだ。妊娠が判明した時点で、双方の当事者は重大な内規違反者として母星に強制送還になる。それは、ウォルフがここへ二度と戻れないことを意味するんだ。

 いずれ母星に帰るフェアリーはいいさ。だが社会性の低いウォルフは、母星に適合できないからここに逃げ込んだんだ。強制送還されれば、冗談抜きにどこにも居場所がなくなる。ヤバすぎだろっ!


 ぐるりと椅子を回したキャップは、ドアを閉めて中に入るよう促した。


「まあ、落ち着け。座ってくれ」


 俺が着座するのを待って、キャップが静かに説明を始めた。


「食堂で匂わしたが、今訓練所にいるのは全員遅老症さ」

「ええ」

「フェアリーもその例外ではない」


 げ……。


「でも!」

「それと妊娠とは関係ないって言うんだろ?」

「ええ!」

「フェアリーは妊娠できない」


 えっ?


「母星にいる時に、自らの意思で不妊手術を受けている」

「なんでまた」


 ふううっ。キャップの溜息は、これまででもっとも深かった。


「もうすぐ入植開始ということもあって、新規の訓練生はもう来ない。フェアリーが最後だよ。そして、彼女が最後になったのにはちゃんとわけがある」

「どういうことですか?」

魔女狩りウイッチハントの対象になっている遅老症患者は、ほとんどが魔女ではない。それは冤罪さ」

「もちろんです!」

「だが、フェアリーだけがCRM前科持ちなんだよ。本当に魔女扱いさ。だから最後になったんだ」


 ざああっ。全身の血の気が引いた。


「そ、そんな」

「ただ。彼女を有罪にできるだけの十分な証拠がないんだ。だから、黒板ブラックプレートに記されているCRMは疑いグレイになっている。それが黒、すなわち有罪ギルティなら、ここには来れなかった」

「話が見えないんですが……」


 ふっと短い吐息を漏らしたキャップが、唇の上で指を横に引いた。


「口チャックじゃ足らん。二度と開かないよう縫い付けたいところなんだが、あいにく針も糸もないんでね」


 極力漏らさないでくれということなんだろう。頷いてソファーに深く座り直した俺に向かって、キャップが慎重に事情説明を始めた。


「フェアリーは、すでに二百歳を超えている。俺らの中では中堅クラスだな」

「そうなんですか」

「ああ。だが、外見はご覧の通りでね。恐ろしく男にモテるんだ。これまでに、十数人のパートナーと実質的な婚姻関係を結んでいる」

「へえー」

「それも、相手は大富豪の老人ばかりさ。そして、夫たちは全員腹上死している」

「げええっ!」


 それだけで、俺には全容が見えた。そうか。それじゃ確かにここにしか居場所がなくなるわな。


「亡夫の遺産を相続すれば、グレイではなく黒になっただろう。だが、彼女は不妊手術を受けていて子供ができないし、残された遺産は全て相続放棄している。夫を殺害する動機がなにもないのさ。死因は全て自然死だしな」

「自然死……なんですか?」

「本当は違うよ」


 キャップがあっさり否定した。


「それは、彼女の魔女としての性質によるものだ」

「魔女、ですか。うーん……」

「黒魔術を使うとか、そういうオカルティックなものじゃないさ。だが、俺はその呼称を使わざるを得ない」

「どうしてですか?」

「君の血液嗜好症ヘモフィリアやミーア、ロックローズの好油症と同じで、彼女は性行為を通して男の精を食うんだ。ずっと食われ続けると、文字通り精根尽き果てちまう」


 う……わ。

 キャップが、俺の驚愕の表情をおもしろそうに見ている。


「若い男の精を搾り尽くしてあの世行きにすると、それはものすごく不自然だ。言い逃れできないから、確実にギルティさ。食料と庇護者の両方を確保するために、彼女は策を練ったんだよ」

「策、ですか」

「そう。交際の公開性を担保するため、一般男性のアプローチは全て拒絶して自分を超お高く設定した。わたしをあらゆる面で満足させてくれる、スペシャルな人だけ求婚してくださいってね」

「どこぞの民話で聞いたような……」

「月姫の話だろ?」

「ああ、そうか」

「姫との婚姻を誇示できるのは、大金持ちのじいさんだけさ。いつ昇天してもおかしくないよぼよぼのくせして、精力絶倫を自慢する。そんな好色じいさんしか相手にしなかったんだ。じいさんたちにとっても、孕ませる心配のないフェアリーは格好のセックスパートナーだったってこったな」


 ひでえ……。


「事情はわかりましたけど、大丈夫なんですか?」

「どっちが、だ?」

「もちろん、ウォルフです」

「大丈夫だよ。フェアリーのこれまでのお相手には、遅老症のやつが一人もいない。恐ろしく生命力が強い遅老症のやつから精を抜き切るには、百万年くらいかかるだろ」


 ううう。キャップのも、冗談なんだか本気なんだかわかりゃしない。


◇ ◇ ◇


 キャップの中では、ウォルフとフェアリーの睦み合いは些細なことだったんだろう。それよりも、女性訓練生の過剰な緊張をどう緩和するかの方が重要課題だったらしい。

 確かに、それはひどく厄介なことだと思う。だが、フェアリーに関する噂が女性陣の間に流れたこと……それはメンバー間のコミュニケーションが機能していたから起こったんだ。つまり情報不足によってひどく用心深くなっているだけで、古参連中のように他人への関心ゼロってわけじゃないってこと。それなら対処方法があるよな。


 ということで、キャップに一つ提案をした。


 これから入植にあたってペアを決めなければならないが、同性異性を問わず相手の人となりが分からなければアプローチのしようがない。自己ピーアールのできる所内限定電子掲示板を作ってはどうかと。その際、健康や体質が大きな関心事になるので、虚偽申告を防ぐために既往症の欄だけは各々の黒板から転記する。医師と本人にしか知らされない事実を、所内限定でオープンにする。


「なるほど! そういう手があったか」


 キャップは、強制力を伴う通達ではなく、メンバーの自主活動を通じて情報共有が行えることに安心したらしい。俺らが掲示板を利用するかどうかは任意だからね。でも、ほとんどの訓練生はパートナー探しに掲示板を活用するようになるだろう。そこで全員が遅老症であるという事実を知れば、異様な緊張状態は解消するはずだ。


「じゃあ、早速俺の方で整備して、アナウンスを出そう」

「ええ……」

「なんだなんだ。妙案を出したのに浮かない顔だな」

「まあね。掲示板が稼働すると、男女一斉に動き出しますよね」

「そうだな」

「変なもんが出てる俺は、ヤバいことになるんじゃ」


 キャップが俺を指差して、にやっと笑った。


「例の特殊素材で、全身ぐるぐる巻きにしたらいい。木乃伊マミーでもいいという物好き以外は、それで回避できるだろ」


 それは見た目がヤバすぎトゥーバッドでしょ。とほほ……。


 

【第二十四話 やばいって! 了】


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