第二十三話 うまい!

 フリーゼは、あれから自室に閉じこもってしまった。ずっと日陰者だった俺と違って、フリーゼは天国から地獄に滑落してる。落差が大きいほど傷が深くなるから、過去を消化するにはどうしても時間がかかるだろう。しばらくそっとしておこう。それに、俺だってまだ全然がらくたを片付けられていない。あいつに偉そうなことを言えた義理じゃないんだ。


 まあ、うまいものでも食って気分転換しよう。そう思って食堂に行ったら。ど真ん中の席に座っているキャップが、腕組みしたまま苦り切っている。前に置かれている皿はすでに空になっているが、調理に何か問題があったんだろうか?


「キャップ、どうしたんですか?」

「ああ、ブラム。いいところに来た。ここんとこ、食堂のメニューはどうだ?」


 お? 食い物のことか。そりゃいいや。訓練所には楽しみがうんと少ない。プリミティブな欲求ではあるが、やっぱり食べるっていうのは大きな楽しみなんだよ。


「女性の訓練生が多くなったせいか、メニューのバリエーションが増えましたね」

「ふむ、そうか」

「ここのメシはもともとうまいし、いい方向に改善されてると思いますよ。俺の好きな特殊なものもちゃんと揃えてくれるし、食事に関しては言うことなしの満点だなあ」

「みんながみんな、君のように評価してくれればいいんだがな」

「え? 何か問題が?」

「たんまりな」


 うーん……。見当が付かずに首をひねっていたら、通りかかったウォルフがひょいと顔を突き出した。少しは機嫌を直したんかしらん。


「どうした、ブラム? 糞詰まりか」

「抜かせ! ここのメシのことだよ。文句言う奴がいるらしくてさ。俺は不満ないんだけどな」

「文句? 俺もある」


 え? なんでもうまいうまいと食うこいつが顔をしかめたぞ? 何か不満があるのか?


「ねえ、キャップ」


 ウォルフが、派手にぷうっとむくれた。


「ここんとこ、フライド系が激減したっすよね?」

「揚げ物は、女性陣からの評判がよくないんだよ」

「ううー。俺の好物が、みんなぱっさぱさの調理になっちまって」

「嗜好の問題だけじゃないがな」

「他にもあるんですか?」


 巨体を反らして、キャップが食堂内をぐるっと見回した。つられて、俺とウォルフも他の訓練生の皿の上に目をやる。


「あれ?」

「気づいたか? ブラム」

「ポークとビーフが減って、チキンがすごく増えてませんか?」

「そう」


 ウォルフに指を突きつけたキャップが、意向を確かめる。


「なあ、ウォルフ。おまえさんがいくら肉好きだって言っても、ボイルドチキンにビネガーソースみたいなあっさり系じゃ全然物足らん。満足できん。そういうことじゃないか?」

「そうなんすよ」


 どんぴしゃりだったんだろう。ウォルフが、ううっと低く唸った。


「女にちょっかい出すなって、そっち系の欲をがっつり制限されてるんだから、食うもんぐらいこてこてのが食いたいんすけど」

「おまえさんだけじゃないよ。そう考える野郎どもの方がずっと多い」

「そうっすよね」

「だが、訓練所のメンバーが急激に増えたから、調理のバリエーションがそれに追いつかなくなってる。食材の量と種類自体は十分確保されてるが、それらを調理するレシピには限りがあるんだ。ここは高級レストランじゃないからな」

「あ……そういうことかあ」


 むすっと黙り込んだウォルフの前で、キャップがシビアな見通しを宣告した。


「入植までは、食事の劇的な改善を期待しないでくれ。そういうのも訓練のうちなんだ」

「げえー」


 ガールハントできないストレスを食うことで発散していたウォルフの萎れようは、見るも無残だった。あいつに尻尾がついていれば、それを股の間に挟んですごすご退散……そんな風情でとぼとぼと退場した。


「ねえ、キャップ」

「うん?」

「それでも、あまりにあっさり系ばかりだったら、やっぱり野郎どもの不満が膨れますよ?」

「まあな。ふううっ!」


 でかい溜息を空の皿に乗せてから、キャップがのっそり立ち上がった。


「なあ、ブラム」

「ええ」

「訓練が上がったら、ちょっと部屋に来てくれ。相談がある」


 へ? キャップが俺に相談? どういうこったあ?


◇ ◇ ◇


 訓練明け。食堂で軽く腹ごしらえをしてから、所長室に行くことにする。


「むぅ。まあたチキンか」


 俺はタンパク源にはこだわらない方だが、チキン一辺倒というのはさすがに飽きがくる。今日のは茹でチキンではなく、ワックスペーパーにくるんで蒸し焼きにしてあるが、どうしても物足りない感があるよなあ。おいしいんだけどさ。


 まあ、ここは小皿タパスが充実してるから、俺はそっちで元を取れる。


「おっ。今日はプルートブルスト血入りソーセージがあるな。ラッキー!」


 塔のようにこんもり積まれているブルストを、せっせと皿の上に乗せる。俺が好きな食い物は、ブラッディ系だ。このブルストに限らず、血の滴るようなレアステーキとか、血抜きの足りない臭いレバーとか、血をたっぷり混ぜ込んだグレービーソースとか。そっち系は人気がないので、食堂での提供量が少なくとも俺が独占さ。そらあ、摩天楼のてっぺんでディナー食うみたいな贅沢な気分だ。美味いものを食った満足感に酔いしれることができる。


「あら。ブラムは、そういうのが好きなの?」


 目尻を下げてブルストをぱくついていたら、リズにそれをばっちり見られてしまった。


「ははは、そう。うまい飯を食うのは、ここでの数少ない楽しみだからね」

「ええ。本当にそうよね」


 おっと、そうだ。


「なあ、リズ」

「はい?」

「リズは、ここんとこチキンが多くなってる料理に不満はないのかい?」

「特にないわ。それより、ここでは母星で許されない食べ方が堂々とできるので、わたしはそれがすごく嬉しい」


 リズの持っている皿の上には、毛がむしられているだけの未調理の丸鶏がででんと乗っていた。なるほど。みなまで言うまい。


「じゃあ、お先に」

「部屋に戻るの?」

「いや、キャップに呼ばれてるんだ」

「また何か厄介ごと?」

「そうだろなあ。でも、慣れた。ここにいるめんつがめんつだからさ」

「あはは。そうね」


 リズは、席を立った俺に向かってひらひら手を振った。それから皿の上の鶏を鷲掴みするなり、口いっぱいに押し込んだ。あのでかいのはどうやっても入りきらんように思えるんだが、がく関節の構造が俺らと違うんだろう。ぐいぐいと事も無げに飲み込んでいく。


「豪快だなあ……しかも生だぜ」


◇ ◇ ◇


「キャップ?」


 俺が開いていたドアの隙間から顔を突っ込むと、キャップがぐるりと椅子を回した。


「ああ、来たか。済まんな」

「相談というのは、なんですか?」

「さっき食堂で料理の話をしただろう?」

「ええ」

「実は、ひどく厄介なことになってる。君の見立てを聞きたいんだ」


 キャップが、いらいらした様子で顔と頭の毛をもしゃもしゃ掻きむしった。


「食い物絡みなんですよね?」

「もちろんそうだ。ウォルフに限らず、しょくってのはストレス下にある者にとって、もっとも効果的で安全で安価な精神安定剤だよ。逆に、しょくに対してストレスを抱えられてしまうと、いくら他を改善しても全体のバランスが崩れてくる。それじゃ、訓練所をマネージメントできん」

「ええと。何かあったんですか?」

「あった。なあ、ポークとビーフがメニューから消えた原因。君には分かるか?」

「在庫が切れたわけではないんですよね?」

「たんまりある」

「原料があるのに、調理できない……か」

「いや、調理はできるんだよ」


 キャップの謎かけが不可解でしばらく混乱していたんだが、そんなに複雑な話ではなさそうだ。


「ああ、ドアを閉めて座ってくれ」

「はい」


 立ち話では済まされないってことだな。


「分かるか?」


 着席してすぐ、キャップに再度問いかけられた。


 うーん。話を整理してみようか。ポークもビーフも肉そのものはある。調理もできる。だがメニューから消えている。肉類は、ほとんどチキンだけになっている。それも、味気ないボイルド煮物系やスチームド蒸し物系ばかりだ。これまであって、今欠落しているものがそういう状況を生み出しているとすれば……。


「そうか。調理用の油が切れちゃったということですね。ビーフやポークは、油なしで調理するとチキン以上にぱっさぱさになる。もともとぱさぱさなチキンの方が、言い訳しやすい」

「そうだ。大当たり」


 じゃあ……。


「油の供給にアクシデントがあったってことですか?」

「それならいいんだがな」


 む!


「もしかして」

「盗難しかないだろ?」


 キャップの頭の中には、良からぬ妄想がとめどなく湧き出てくるんだろう。油は、調理以外にもいろいろ使えてしまうからね。だが俺には、今起きている事態の背景がはっきり見えた。ヒントは、リズの食事光景さ。


「そうか。なるほどなあ」

「うん? ブラム、犯人になにか心当たりがあるのか?」

「いえ。今の訓練所のメンバー数じゃ個人認識は無理です。誰かはわかんないですよ。でも、油に手を出す動機はわかります」

「はあ?」


 キャップが絶句している。そうなんだよ。いくら有能無比のキャップでも、大量になだれ込んで来た訓練生の世話をさばき切れていない。いっぱいいっぱいなんだ。だから、小人数の時には当然気付いたであろう背景が見抜けなくなっている。それは……仕方ないよなあ。野武士のようなストイックな精神の持ち主が、我を折って滅私奉公してるんじゃね。


「まあ、やらかしてるやつらに悪意がないってことは保証します」

「君の方で対処できるか?」

「いいですよ。大したことじゃないです。前のようにうまい飯を食いたいですから」

「そうだよな。じゃあ、この件は君に任せていいか?」

「ええ」


◇ ◇ ◇


 当たり前だが、俺たちが食堂に行くのは飯を食いに行くためだ。オートクッカーがレシピ通りにぎーがっちゃんごとんごとんと飯を作っている厨房には、誰も興味を持たない。興味がなければ、そこを見るやつなんかいないわけで。中に誰かが入り込んでもわからんのさ。


 資源量が極度に限られている訓練所では、水やエアも含め、全資源の循環利用が徹底されている。資源の中には調理用資材である油も入っているから、備蓄量は決して多くないんだ。そこをピンポイントにがばがば持って行かれると、そらあなくなるわな。

 ということで。俺は厨房に潜み、油を狙うろくでなしが忍び込んでくる現場を押さえることにした。食堂が無人になったタイミングで、厨房に人の気配が近付いてきた。


「ちょっと。もう在庫が少ないんだから、まずいって」

「でもぉ……」


 こそこそと厨房に忍び込んだ二人の女性訓練生が、なにやら良からぬ会話をかわしている。


「お腹空いて、もう我慢できない」

「これで最後よ。あとはなんとか耐えないと、母星に送還されちゃう」

「その通りだっ!」

「ひいいいっ!」


 俺が突然姿を現したことで、二人はその場にへたり込んだ。


「ったく! おまえら、自分が何をしているかわかってんのかっ!」

「す、すみません」

「謝って済む問題じゃないっ!」


 謝罪を一蹴し、全力でどやす。


「いいかっ! ここで他の訓練生の恨みを買ったら、入植後にやって行けんぞ! 食い物の恨みってのは心底恐ろしいんだっ!」


 俺が泥棒行為を咎めているわけではないと気付いたんだろう。顔を上げた二人が、ぽかんと口を開けて俺を見た。


「どんな食い物が好きかには個人差があるんだ。だから、欲しいものはキャップにリクエストを出せ! それがどんなに特殊でも、訓練の維持に必要なら必ず揃えてもらえる」

「そう……なんですか」

「俺が、そうしてもらってるからな」


 腰に装着していたスクイズボトルを外して、二人に見せる。


「それは?」

「豚の鮮血だよ。俺は血液嗜好症ヘモフィリアなのさ」


◇ ◇ ◇


 まあ。穏便に片がつくなら、それにこしたことはない。キャップに顛末を報告してほどなく、食堂のジュースバーのところにボタンがいくつか増えて、『搾りたてオイル』のタグがついた。同時に肉料理のメニューが前と同じバラエティに戻り、野郎どもの機嫌がぐんとよくなった。ウォルフも、油を跳ね散らかしながらうまいうまいとビーフソテーをがっついている。そうさ。やっぱり食ってのは大事なんだよ。


 ただ。食事風景がひどく異様になるのは仕方がない。俺がどやした二人……ロックローズ・クービンとミーア・キアトは、でかいスープ皿になみなみとオイルを入れ、それを至福の表情でぺちゃぺちゃなめている。一人は首がにょろにょろと伸び、もう一人は顔がまんま猫だ。どうにも行儀が悪いが、まあいいだろ。ここはそういうところだしな。


 キャップがお礼だと言って取り寄せてくれた特上の鮮血を、ジョッキにたっぷり注いで一気に飲み干す。


「くうっ! うまいっヤミー!」

 


【第二十三話 うまい! 了】

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