第二十二話 笑い飛ばせ!

「きゃはははっ!」

「だはははっ!」


 食堂のテーブルを囲んでいるめんつが急に増えて、しかも賑やかになった。俺がフライをそそのかしたことは無駄にならなかったようだ。フライは馬鹿正直にリズに交際を申し込み、渋るリズを押し切った。まずお友達からね……そういう条件はついていたけどな。


 で。そこまでは俺も読めたんだが、その後がまるっきり予想外だった。俺が読めなかったのはリズの態度じゃない。フライの能力だ。あいつ、人を笑わせるのがめっちゃめちゃうまい。ジョークや小噺の得意なやつはいっぱいいるが、フライのそれはちょっとうまいっていうレベルじゃないんだ。ほとんどプロ。ギャラが取れるレベルだ。


 いや、ちょっと考えて見てくれ。しゃべりに身振り手振りや表情を組み合わせて笑いを取れるやつは結構いるよ。でも、フライはリズと同じで、顔の構造上表情をうまく見せられないんだ。四肢が貧弱だから、アクションでも笑いを取れない。純粋な話術だけで笑わせるってのはすごいことだと思うぜ。ネタの選び方、その料理法、後味……どれも申し分ない。しかも、それをウケ狙いだけの一発芸にしない。会話の中に上手に組み込んでいく。あのコメディを解せないのは、全てに鈍いゴズくらいだろう。フライのおかげで、食事の時の楽しみが一気に増えた。


「ひぃひぃひぃ……けほんけほん」


 いつもは落ち着き払っているリズが、細い身体を激しくくねらせて笑い転げている。


「ううー、笑いすぎで腹筋が痛いわー」

「へへへっ」


 フライもまんざらではなさそうだ。俺にうけても何にもならんが、リズが笑ってくれるのは最高だろう。

 俺を監視するかのように、リズと話をする時にはフリーゼもこそっと同席するようになったんだが。いつも不機嫌かつ仏頂面がトレードマークのフリーゼですら、フライの話術の前ではこらえ切れずに顔面崩壊する。それくらい凄まじい腕前だった。


「なあ、フライ。おまえさんのコメディはアマレベルじゃないぜ。すげえわ!」


 俺は、お世辞抜き、冗談抜きにそう思って持ち上げた。


「うれしいっす!」


 喜びの仕草なんだろう。フライが、両手をせわしなく擦り合わせる。


「母星の舞台で、ずっとやって行きたかったんすけどね」

「えっ?」


 その場にいた全員が、一瞬で静まった。


「おまえさん、冗談抜きにプロだったのか!」

「そうっす。百年前は」

「あ……」


 フライの口から、小さく息が漏れた。


「ふ」


 ああ。そうか。そういうことだったのか。


「芸が古くなったわけじゃない。今でも第一線でメインを張れる。俺ならそう判断する。でも……」

「そうなんすよ。同じ芸名ではもう舞台に立てないんす。俺がデビューした頃の仲間は全員墓の中なんすよ」


 し……ん。


 辛いだろうなあ。俺のように、ずっと日陰者として暮らしてきたならともかく、日の当たる場所で輝いていた自分を無理やり引きずり下ろさないとならない。そのあとフライがどうやって生き延びてきたのか、聞きたくなかった。そしてフライは、それ以上昔話をしなかった。


「でも。今が。今、この時が。一番楽しいっす。現役の頃、俺はお客さんにずっと仮装していると思われてた。俺の正体がばれたら、俺はどうなっちまうんだろう。俺は……芸を披露している間も、それが怖くて怖くてしょうがなかったんす」

「なるほどな」

「俺だけじゃない。ここは、みんな、どっか変だ。そして、誰もそれを隠してないっす。こんな……こんな天国みたいなところがあるとは……夢にも思わなかったんすよ」


 フライの声がくぐもった。もしフライが涙を流せるのなら。きっと涙していたんだろう。でも、フライもリズも身体の構造上泣けないんだ。ああ、そうだな。当たり前なんてものはどこにもない。みんなが違う。みんながおかしい。それなら、そいつを認めないことには何も始まらないんだ。


 がたっ!


 突然、椅子が鳴って。憤然と立ち上がったフリーゼが、猛ダッシュで食堂を駆け出していった。その後ろ姿をじっと見ていたリズが、俺に離席を勧めた。


「ブラム。付いていてあげて」

「そうだな」


 ふうっ。


◇ ◇ ◇


 フリーゼの態度の変化は、フライの過去を聞いてすぐに起こった。だから俺は……フリーゼにもフライと同じような過去があるんじゃないかと、そう睨んだんだ。


 フリーゼの部屋を訪ねる前に、自室で芸能関係のデジタルアーカイブを検索する。フライもそうだが、トッププロとして活躍していたやつは本名なんか絶対に明かさない。みんな芸名だ。芸名が分からない以上、名前での検索は不可能。だが、遅老症の俺らは長いこと容姿が変化しない。平凡な市民シチズンならともかく、芸能活動をしていたやつなら、顔でのパターンマッチを行えるはずだ。

 俺は百数十年前から十年刻みでトップモデル一覧の画像を表示し、フリーゼの特徴に合致するものがないかをチェックしていった。


「あったっ!」


 百二十年前だ。モード誌の表紙を飾っているモデルの顔が、フリーゼにジャストフィットした。


「リリア・ノーセット。愛称は雪の女王スノークイーン、か」


 特徴は、今と全く変わらない。長いシルバーヘア。燃えるように赤い瞳。唇はターコイズブルー。挑むような視線。冷笑に近い含み笑い。そのままだ。だが今と違って、ポーズを取っているフリーゼの全身からトップモデルとしてのプライドと覇気が吹き出しているように見える。


「なるほどな……。フライと全く同じじゃないか」


 いや、違う。フライは男だが、フリーゼは女だ。トップモデルとして時代の最先端にいた間は、賞賛と羨望を一身に浴びていたはず。それが……いつ、どうなったのか。


 リリア・ノーセットという名前で検索し、経歴を探る。今度は欲しい情報がすぐに揃った。トップモデルとしての活動期間はわずか三年。まさに、一瞬の光芒を残して消えたという表現がぴったりだ。

 それが大きなゴシップにならなかったのは、モデルの寿命が一般人ノーマルであっても短いからだろう。がんばっても、せいぜい十年行くか行かないか。年齢を重ねても務められるカタログモデルならともかく、カバーガールならずっとトップに君臨するのは無理だ。だが、遅老症のフリーゼにはそれができてしまう。できてしまうがゆえに、一般人との間のズレがとんでもなく大きくなる。好奇、嫌悪、嫉妬……他者から向けられる反応や感情のどれ一つとして、自分にプラスになるものはない。しかも自分の忌々しい特性は、努力ではどうにもならない。


「絶頂期に、怪我の治りが異常に早いとかで、自分が遅老症であることを知ったのかもな」


 それなら異常体質を怪しまれて契約解除されたんじゃなく、自己都合で引退したのかもしれない。モデルの廃業が自発的なものにせよ、外因によるものであったにせよ、フリーゼにとって自己否定に近い辛い決断であったことは容易に想像できる。そして。フライと違って、フリーゼは異質な自分自身に納得できていないんだろう。


 わたしが何かした? わたしはどんな性質持ってたってわたしよ! なんで、こんな惨めな思いをしないとならないわけ?


 まあ……神経質で癇癪持ちっていう今の性格も、生まれつきじゃなくて後からこびりついちまったのかもな。


「さて。行くか」


◇ ◇ ◇


「フリーゼ」


 あいつの部屋の前で、ドア越しに声をかける。


「なによっ!」


 ドアになにか投げつけたんだろう。向こうで、がしゃっという衝突音が響いた。


「ここに来るやつは、母星に全部捨ててくるんだよ。実際には、なかなか捨て切れないけどな。おまえも捨て切れてないんだろ? リリア・ノーセットのままで」


 みしみしみしっ!

 凄まじい音がして、俺とフリーゼを隔てていたドアが真っ白に凍りついた。おお、こわ。


「俺がそれをどうこうしろなんて言えないよ。俺自体が、まだ何も割り切れてないからな。だが、入植までには絶対に片付ける! そんなくそったれのがらくたを誰が持って行くか!」


 がしん! 白く凍りついたドアに蹴りを入れる。俺の靴底の跡がくっきりと残った。


「だから、笑い飛ばせよラフオフ。俺は、何もかも笑い飛ばしてやる! 今まで笑えなかった分まで、何もかもな。そうしたいと思わせてくれたフライに、俺は心から感謝するよ。じゃあな」


◇ ◇ ◇


「ふうっ」


 自室のベッドに腰をかけて、リリア時代のフリーゼのグラビアを見下ろす。


 モデルを辞めたあと、あの目立つ容姿のまま底辺で生き延びるのはどうしようもなくしんどかっただろう。そんなのは、あほうの俺でもすぐ分かる。だが、苦労話にいくら同情を寄せたところであいつのためにはならない。同情で心が緩めば、その弱さがあいつを一番幸せだった頃……リリア・ノーセットに引き戻してしまうからだ。


 今。今、この時が一番楽しい。フライが言ったことは、俺にとっても真実だ。これまで女の陰に隠れて生きてきた俺は、そうしなくても過ごせる今の自分を誇りに思うし、ここは掛け値なしに快適なんだ。

 フリーゼ。おまえだってそうだろ? ここなら、おまえはずっと目立つ存在のままでいられる。逃げる必要も隠れる必要もない。だから。今の自分を出発点にして、この先に何を足せるか考えた方がいいって。そのためには。


「後ろにあるがらくたは、笑い飛ばすしかないだろ」


 俺のこういうお気楽な考え方も、おそらく後天的なものなんだろう。出会いと別離を繰り返さなければならない俺は、その都度気持ちを切り替えないとやっていけなかったから。だが、日陰者の俺に唯一残された前向きな財産はそれしかないんだよ。


「ブラム。いるか?」


 お? キャップだ。


「なんですか?」


 解錠してドアを開けたら、キャップがのそっと入ってきた。やれやれっていう顔をしてる。


「いや、誰かさんが蹴り飛ばしたドアがだめになったからな」

「ははは。フリーゼの部屋でしょ?」

「そうだ」

「まあ、ドアが俺の身代わりになってくれたんで」

「またフリーゼを怒らせたのか?」

「いや、フリーゼのは自分自身への怒りでしょう。どこにもやり場がなかっただけだと思いますよ」

「ふむ……」

「とばっちり食うのがドアになっただけましです」

「ドアよりおまえさんの方が頑丈なんだ。壊すならそっちの方が安上がりで済むんだがなあ」


 ぎゃははははっ!


「ひぃひぃひぃ、キャップのツッコミはフライより上等ですね」

「ふっふっふ」


 当然だろという顔で、キャップがつらっと答えた。


「たかだか百歳かそこらの若造になぞ負けるものか。ツッコミ歴が違う」


 

【第二十二話 笑い飛ばせ! 了】

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