第二十話 そいつだ!
「うーむ……」
食堂で。うまそうな飯を見下ろしながら、腕組みして顔をしかめる。
「どうにもこうにも気になる!」
◇ ◇ ◇
特注アンダーウエアを着用するようになってから、女性に対する強烈な誘引力が大幅に減り、騒動を起こす心配をしなくても済むようになった。それはいいんだ。
でも今までのことがあるから、俺から女性へはどうにもアプローチしずらい。それがたとえ訓練に関わる単なる事務連絡であってもだ。ほとんどの連絡はオンラインで行えるから、口頭で直接っていう必要はないんだけどさ。だからと言って、訓練の時以外は男としかしゃべらんというのも不自然だ。
しかも、その男どもにも距離を置かれている。後輩たちは本部の俺へ注意喚起を聞きつけたのか、女たらしと一緒にして欲しくないらしいし。古参連中は、相変わらず俺を全く相手にしてくれんし。
こういう時こそウォルフをあてにしたいんだが、キャップからだけではなく本部からも直接イエローカードを切られてしまったあいつは、ただいま絶賛不機嫌爆裂中。いかに気心が知れている間柄でも、今は近寄りがたい。
母星で治療を終えて戻ってきたタオはエミとべったりスイートタイムを過ごしているから、俺がちょっかい出すわけにいかないし。キャップはあまりに忙しくて、食堂にすらめったに来なくなってしまったし。
賑わう食堂でぽつんと一人飯を食うのは、どうにもわびしい。
なので。出くわせばの話だが、リズと同じテーブルで飯を食うことが多くなった。リズには俺の妙な性質が影響しないから、女性ではあっても安心してやり取りできるんだよ。雑談という感じではなかったけどな。
理知的なリズは、気取ってはいないものの話がどうしても高尚になる。難しすぎて付いていけなくなることも多かったんだ。だがリズは、ちゃんとネタを噛み砕いてとっつきやすくしてくれる。俺が興味を示しそうな話題を選んで、少しずつ会話のレベルを上げてくれる感じだ。あほうな俺でも少しずつ賢くなるっつーか。ははは。
ところがだ。食堂で俺とリズが話し込んでいると、どこかから視線が飛んでくるのを感じるんだよ。かなりの頻度で、かつ視線の主がどうしても分からない。女性訓練生の大量流入以降は食堂利用者の絶対数が増えて、個人認識が難しくなってしまったからな。
俺一人の時にもそいつを感じることはあるが、圧倒的にリズと一緒の時の方が多い。リズの風貌は変わってるから、視線がリズに向けられてるならわかるよ。でも、見られているのは間違いなく俺だ。どうにもいらいらする。
気分が乗らないと、飯がうまくない。んで、皿の上の料理とにらめっこしてたわけだ。
「おっ! ブラム。今日は一人か」
「あ、キャップ! 久しぶりですね」
「少しはのんびりさせてもらいたいんだが、なかなかな」
巨体に見合わないちんまりした盛りの皿をテーブルに置いて、キャップがどすんと隣に座った。俺以上に表情が冴えない。疲れてるんだろうな。
「訓練所が賑やかになるのはいいんですが、その分キャップの仕事も増えてしまいますよね。応援隊は来ないんですか?」
「役に立たんやつを送り込まれると、余計に俺の仕事が増える」
思わず頷いてしまう。
「そりゃそうだ」
「君やリズの方がよほど頼りになるよ。十分に助けられてる」
ははは。俺は何もしてないけどな。
「ああ、そうだ。ブラム」
「なんですか?」
「込み入った話がある。あとで所長室に来てくれんか?」
「かまいませんが……」
んー、なんだろ? 見当がつかん。
◇ ◇ ◇
「ああ、来たか。座ってくれ」
食事のあとすぐ所長室に行ったんだが、所長の表情はこれでもかと険しかった。
「込み入った話ってのは?」
「ウォルフのことだ」
青くなった。お、おいっ!
「もしかして……あいつ何かしでかして、一発レッドですか?」
「いや、そうじゃなくてな」
思わず脱力。ふううっ。おどかさんでくれ。
席を立った所長が、いつもは開けっ放しのドアを閉めた。緊急性はなくても、守秘義務のある重い話になるんだろう。背筋を伸ばして話の続きを待ち構える。
「ウォルフのナンパ行為を抑え込むのに、本部にカウンセラーを出してくれと要請してある。その話はしたよな」
「ええ」
「だが、カウンセラーってのは神様じゃないんだ。対応策をアドバイスするには、ウォルフの抱えている問題や背景を聞き出さんとならん。あいつがそれを受け入れると思うか?」
全力で苦笑してしまった。ないなあ。諾否がどうのこうの以前に、あいつにはそもそも問題意識が欠如している。俺のどこがおかしいってんだよ。そう言うに決まってる。
「無理でしょうね」
「だろ? それなら、カウンセラーに提供できる判断材料を俺がある程度揃えておく必要がある」
「でも、カウンセラーのところがキャップになっても、結局同じですよね?」
「そう。タオのように自己申告がなされない限り、俺からはアクションを起こせないよ」
「じゃあ、どうにもならないような気が……」
「いや、すでに情報の一部が俺の手元にあるんだ」
「ええっ? どういうことですか?」
「俺は、君らが遅老症であることは知っているが、個々の履歴までは分からないよ。迫害を受けたり犯罪に巻き込まれたりした時に警察や保護施設で記録された事実は辿れるが、各人のプライベートな履歴は本人が明かさない限り闇の中だ」
「そうですね」
「その履歴が公的に残っているというのは……おかしくないか?」
あっ! そういうことか。
「どこか保護施設にいたってことですか?」
「そう。タオのケースによく似ている。だが、ウォルフの志願は自己意志だ」
「そうですね」
「施設を出て、志願するまでの間。その
なるほどな。心配りが細やかなキャップらしい。
「君はウォルフと同期なので、付き合いが長い。もし雑談の中で明かされた彼に関する事実があれば、差し支えのない範囲で提供してもらえればと思ったんだ」
「それは無理です」
即座に跳ね除ける。
「やはり……な」
「もし知っていても、俺からは話せませんよ。タオの時と同じで、ウォルフに付き添って話したらいいと勧めることはできますけど」
「ああ」
「それに、俺は本当に知らんのです」
「む? そうなのか?」
驚いてるけど、みんなそうだろ。俺らの中に、人の履歴に触りたがるやつなんかいないよ。
「あいつも、俺の過去は何も知りません。キャップだって、自分のことは話さないでしょう?」
「まあな」
でかい溜息を漏らしたキャップが、何度か首を振った。
「隠すつもりはないが、誰かに聞かせたところで俺にもそいつにも意味がないからな」
「みんなそうじゃないですか。過去はどうでもいいから、これからのことに集中したい。少なくとも俺はそう考えてますけど」
「正論だ。ただ、トラブルシューティングが絡むとそうはいかんということさ」
むぅ。確かになあ。
「仕方ない。本部には参考データなしと連絡しておこう」
「あ……」
「ん? なんだ?」
「いや、あいつが直接言ったことで、一つだけ覚えていたことがあったなあと」
「過去、か?」
「そうです。大したことじゃないんですけど」
「ふむ」
「あいつが訓練生に応募する前は、ハイラム地区に住んでいたということ。船で最初にあいつに会った時、そこから話を始めたんですよ。だから今でも覚えてるんです」
「ハイラム?」
「ええ。俺の住んでたサウスバーンに近いんですが、街区の雰囲気はまるで違います。サウスバーンはスラムだけど、ハイラムはそうじゃないんです」
二つの地名で検索をかけたキャップが、ディスプレイ上に映し出された街区の地図を見て納得する。
「なるほど。血統のいいやつしか住めない高度整備地区だな」
「あいつは獣化の癖があるから、日中は外に出られないと言ってました。でも前科はないし、住んでいたところもいい街区です」
「
地図を消去し、代わりにウォルフのデータシートをディスプレイに出したキャップが、ものすごい勢いで何かを記載し始めた。
「助かる。君の情報でおそらく必要十分だろう」
「それでいいんですか?」
「ああ。前科がなく、高級街区に居住していて、性格がひねていない。それは、応募する直前までしっかりした人物の庇護下もしくは保護監察下にあったということを示唆している」
キャップが表情を緩め、ほおっと安堵の息を漏らした。
「ただ、そいつは男だったんだろう。あいつは彼女が欲しいんじゃない。母親に甘えたい……そういう願望を常に抱えてる。そういうことなんじゃないかな」
「なるほどなあ」
「俺はカウンセラーじゃないから、本当のところはどうかわからんけどな。まあ、空白期間に大きな傷がなければ、ウォルフもカウンセラーも落ち着いて治療に臨めるだろう」
◇ ◇ ◇
所長室を出て、もう一度食堂に行く。部屋に真っ直ぐ戻らなかったのは、どうしても確かめたいことがあったからだ。
タオやビージーの攻撃性は、過去の出来事が下敷きになっていた。後天性なんだ。それに対して、ウォルフの獣化はあいつにもともと備わっていた先天的な特性であって、過去とは関係がない。獣化のきっかけは単純な興奮。過去の出来事がトリガーになっているわけじゃない。つまり、あいつは見かけによらず育ちがいいんだよ。所長は、それを俺の提供した情報で裏打ちして警戒レベルを下げた。ウォルフを監視対象から外したんだ。
俺の妙な女性誘引力も、ウォルフの獣化と同じで俺の先天的性質だ。そいつはいつもじゃじゃ漏れで、レベルを調整することができない。そのせいで女たらしと誤解されるのはひどく辛いんだが、本部では俺が誘引力を悪用しているとは捉えていないんだ。だからこそ、女性訓練生にガスマスクによる物理的遮断を推奨していたんだろう。
ウォルフのことにせよ俺のことにせよ、キャップは把握した事実を正確に本部に伝えていることが分かる。ただしそれらの事実は、俺たちに関わる限られた人物群にしか公開されていない。そこに憶測が挟まる隙間ができてしまうんだ。女性訓練生からひどく警戒されている俺がリズとだけ頻繁に話をすれば、俺とリズがいい仲だと勘ぐられるのは仕方ないのかもしれない。
だが。それなら視線が向けられる先は俺とリズの両方であり、視線の中身は好奇のはずだ。でも視線の多くは俺にだけ向けられていて、しかも強い棘を含んでいる。それが何を意味するか。
「
それしか思いつかん。そして視線の主を特定できなかったのは、俺を睨んでいたのが一人じゃないからだろうなあ。
「あれ? もう食事終わったの?」
「ああ、リズか。キャップと話し込んでたんだ。リズはこれから訓練かい?」
「そう。キャップほどじゃないけど、わたしも気が張るわ」
隣席に座ったリズが、ふうっと溜息をついた。珍しいな。普段はほとんど感情を出さないのに。
「どどっと女性訓練生が来て、その訓練を短時間でさばかないとならないもんなあ」
「そっちはいいの」
「は?」
リズがきょろきょろと辺りを見回した。そして、俺は例の強い視線を感じ取る。ああ……
「どこに行っても、俺らは人間の
「そうね。わたしたちに妙な特性があっても、こればかりは変わらないってことなんでしょ」
「だな。じゃあ、お先に」
「またね」
◇ ◇ ◇
自室のベッドに転がり、天井に向かって苦笑いを放り投げる。
「フリーゼの嫉妬。フライの嫉妬。ダブルで来れば、視線の出どころが分散して分かりにくくなる。そういうことだったか」
【第二十話 そいつだ! 了】
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