第十九話 気にするな!

 女性訓練生の大量来所。それは、遅刻して入植に間に合わなかったら生き残れないと言わんばかりの凄まじい勢いだった。だが本部も、露骨に女性だけを送り込み続けるのはまずいと判断したんだろう。男女比が逆転しないぎりぎりのところで、一旦流入が止まった。やれやれだ。


 その一方で、まだ全く止まっていないのはウォルフのおバカなナンパ行為。あいつのアプローチは効率無視かつ結果度外視の手当たり次第だから、標的が増えた分しつこさは減った。でも、迷惑行為そのものを自粛したわけじゃない。

 この前のキャップの示唆と警告は的確だったと思うけど、あいつにはまるで効きゃあしない。興奮するとすぐヤバいものに獣化するくせして、脳みそは鳥どころか虫並みだ。理解できない、理解しようとしない、理解したふりをするの三拍子が見事に揃ってる。怖いフリーゼに抑え込まれていた欲望が、重石が外れた途端にじゃじゃ漏れになるってのはなあ。


 いかに調整能力が図抜けているキャップでも、これまでの倍近い人数になった訓練生をさばきながらウォルフをフォローするのは無理だ。困ったキャップは本部から凄腕カウンセラーを呼び、メンタルケアという名目でウォルフの欲望に蓋をしてもらうことにしたらしい。訓練所が政府直轄機関なら別だが、民間事業体だからね。入植を粛々と成功させるためにも、やれ警察だやれ裁判だという事態にはしたくないんだろう。


 ただ。ウォルフのやらかしているのとは別に、どうにも気になることが。訓練所のジムで体を絞っている間も、そいつに気を取られてワークに集中できなかった。セットしてあった運動量をなんとかこなし、ラウンジでスクイズボトル片手にぼんやり考え込んでいたら。背後でキャップの野太い声が響いた。


「よう、ブラム。調子はどうだ?」

「ああ、悪くはないんですが……」

「悩み事か?」

「いや、シンプルな疑問です」

「ほう」


 俺と同じで、トレーニングを終えたばかりなんだろう。顔を覆っている毛の先から汗が滴り落ちている。タオルでその汗をわしわし拭い取ったキャップが、巨体を揺すって俺の前に回り込んだ。


「疑問?」

「ええ。ウォルフのやらかしてることに取り紛れてたんですけど、アクションを起こしてるのがなんでウォルフだけなんですかね」

「はっはあ!」


 俺の隣にどすんと腰を下ろしたキャップが、ごつい手で俺の背中をばんばん叩いた。いてて。


「よく気がついたな」

「てか、これだけ大挙して女性が来れば、もっと男どもが騒いでもいいはず。実際、エミとビージーが来た時には、もうちょい浮ついてたと思うんです」

「そうだな」

「でも、今回は適齢期の女性がわんさかいるのに、男側がすごく低調。ウォルフが異常なんじゃなくて、関心を示さない野郎どもの方がずっと異常に思えるんですが」

「そりゃそうだ。ブラムは?」

「俺は間に合ってます。何もしなくても勝手に降ってきますから」


 袖をめくって特注のアンダーウエアを見せる。ワーク明けくらいは軽装でいたいんだが、そうもいかん。はあ……。

 黙って俺を見ていたキャップは、腰のポーチから一枚のカードを引っ張り出し、目の前にかざした。


「ブラムも持ってるだろ? これ」

「もちろんです。今は部屋に置いてありますけど。こっちじゃ滅多に使わないんで」

「そうだな。で、こいつに種類があることを知ってるか?」

「種類ですか?」


 そんなの考えたこともなかったな。母星ではカードなしで暮らせるところにしか居つけなかったし、ここでは人前で出して使う機会がない。俺だけでなく、他の連中もみんなそうだろう。


「母星では、出生時に全員に配布されますよね?」

「そう。生体認証データが組み込まれた生涯有効ライフロングの身分証さ。普通ノーマルは銀色。通称シルバーカードだ」

「え? 銀色なんですか? それは知らんかった」

「こいつは黒いだろ?」

「俺のも黒です。みんな黒だと思ってたんですが……」

「この訓練所のメンバーは全員黒板ブラックプレートさ」

「プレート? カードじゃないんですか?」

「違う。プレート」

「なぜですか?」


 それまでにこやかだったキャップが、急にむすっとした表情に変わった。


「シルバーカードには、他者に提示する必要がある最低限の個人情報しか置かれない。出納や購買履歴に関しても、カードにあるのはアクセスゲートだけで数値データが残らない……というか残せない。セキュリティ上の理由でね」

「へえー、そうだったんですね」

「カードに置かれている情報がミニマムで、しかも提示することにしか使われないから、ただの看板だよ。でも黒板は違う。保持者の情報を逐次記録していく装置なんだ」


 ぎょっとして、思わず飛び上がってしまった。


「ちょ! それは!」

「知らなかっただろ?」

「ええ!」


 キャップがプレートをかざして見せる。


「技術的には、シルバーカードと全く同規格で作れるそうだ。だが、一見してノーマルとの違いが分かるように、あえて色と厚みを変えて作られている」

「それでも、外見はカードですよね?」

「プレートってのは、こいつを押し付けられた俺らの間での蔑称だよ。カードは自己意志で携帯するしないを選べるが、プレートは打ち付けられるものさ。俺たちの意志では外せないんだ」


 うーん、それはぴんと来ない。確かにないと不便だが、常時携帯する必要はない。ノーマルとそんなに変わらない気がするんだが……。


 俺の懐疑に先回りしたキャップが、淡々と補足説明を始めた。


「黒板を持たされるやつには二種類ある」

「二種類……か」

「一つめは、きめ細かいケアが必要な難病患者さ。容体が急変した時にすぐ適切な治療を受けられるように、患者のフィジカルデータを常時採取し、その情報がプレートに記録される」

「あっ! じゃあ……」

「そう。プレート自体がすでに医療機器の扱いなんだよ。だからドクはうんとこさ暇なんだ」


 キャップが、プレートをひらひら動かす。


「はっ! 検診なんざ、黒板から俺たちの目を逸らすためのまやかしだよ」


 そうだったのか。


「わずかな情報を吐き出すだけのシルバーカードと、大量の個人データを記録しながらアップデートしていく黒板とは、使用理念が徹底的に違うんだよ」

「知らなかった……」

「あとでスキャンして、自分のデータを閲覧してみたらいい。既往歴のところに、XSASと記載されているはずだ」

「俺でも見られるんですか?」

「アクセスできるのは本人と医療関係者だけ。データプロテクトは一切かけられていないから、すぐ確認できるよ。俺たちは自分のデータに興味がないから、誰も見ないってだけさ」

「そうか。あ、キャップ。さっきのXSASってのは」

「略称だよ。エクサス。Extremely Slow-Aging Syndrome」

「遅老症のことなんですね」

「ああ」


 かざしていたプレートをポーチにしまったキャップが、ごほんと咳払いをして話を続けた。


「なあ、ブラム」

「はい?」

「俺たちは患者としてこいつを持たされているが、決して難病患者などではない。単に寿命が長いだけではなく、一般健常者よりもずっと病気や怪我に強いんだ。ほとんど医者いらずと言ってもいい」

「……そうですね」

「そういう俺らに黒板を持たす意味は?」

「うーん、そっかあ」

「おかしいだろ?」

「ええ」


 ごつい拳でベンチをがんと叩いたキャップは、その拳を開くなりVサインを作った。


「黒板を持たされるもう一つのカテゴリー」

「あ、そうか。二つあるって言いましたものね。うーん、なんだろ?」

「前科者さ」


 全身の血の気が引いた。


「黒板には、本人の位置情報も記録されていく。患者にとってはどこにいても高度医療を受けられる大きなメリットがあるが、前科者に黒板を持たせるのは単なる行動監視だ。黒板不携帯だけでバツが増えちまうから、必ず持ってる」

「なんて……こった」

「俺たちは実質、患者ではなく前科者扱いされてるってことなんだよ」


 言葉が……出てこなくなった。だが、キャップの話はどんどん苦くなっていった。


「母星でずっと異端視されている遅老症の患者は、堪え難い差別と偏見をずっと受け続けなくてはならない。君もそうだっただろ?」

「……ええ」

「それに屈して身を汚せば、待っているのは死だけだよ」

「どういうことですか?」

「死刑は、母星のどこでも廃止になっている。制度上はね」

「はい」

「でも、例えば禁錮三百年という一般人にとってはギャグのような長期刑でも、俺たちはそれを最後まで全うしちまうんだよ」

「そ、それは」

「刑罰の意味がないだろ。だが、制度として決まっている以上、刑期を満了すれば釈放せざるを得ない」

「う……」


 冷や汗が出てきたよ。


「そしてな。俺たちは長寿命ではあっても、不死アンデッドなんかじゃないんだ」

「……ええ」

「制度としての死刑はなくても、事実上の死刑はあるってことさ。漏れないはずの黒板の個人情報が、政府関係者から外部に意図的に漏らリークされてる。そして黒板を持たされている限り、俺たちの居場所は確実に追跡者チェイサーに割れる」

私刑リンチか」

「いや、単なる魔女狩りウイッチハントだよ。そこには、法や理性の概念がないからね。ドクのケースを見れば分かるだろ?」


 キャップの言わんとしていることが、じわりと分かってきた。


「そうか。女性が大挙してやってきても、なぜ男性陣がそれを無視しているか。強引なアプローチを性犯罪行為と咎められて母星に強制送還されると、居場所どころか生命すら失う恐れがあるから、か」

「そういうことだ」


 キャップが大きく頷く。


「訓練所は、俺たちが創設したんじゃない。政府の肝いりで作られた公的機関さ。その正規職員としてここにいる限り位置情報を考える必要はなく、本部での人選が行われる限り狂信的な追跡者に追われる心配もない。黒板の弊害を全く考えないで済む。俺は、今の状況をそっくりそのまま入植地に持って行きたいんだよ」

「なるほどっ!」


 キャップが、なぜ身を粉にして俺たちのエゴの調整をこなしているのか。入植が成功するか否かに、俺たちの未来がかかっているからだったんだ。すげえ……。


「ウォルフには、そこまではっきり言い含めたかったんだけどな。俺の説教を一方的な脅迫と受け取られると、下手すりゃ俺の黒板にCRMマークが付いちまうのさ。さすがにそれは、な」

「CRMマーク。前科者クリミナルズですね」

「そう。ここにはまだ、前科欄を汚しているやつは一人もいないんだ。それを、入植が達成されるまでは是が非でも維持したい! 是が非でも! 是が非でもな!」


 みりみりと音を立てて両拳を握り締めたキャップは、それをベンチに思い切り叩きつけた。


 がすん!

 頑丈なベンチに拳の跡が残る。力と叡智を兼ね備えていながら、それを極限まで抑え込んで調整にしか使わないキャップ。秘めている決意の強さが、ベンチに残った跡からこれでもかと伝わってきた。


◇ ◇ ◇


「なあ、ブラム」

「はい?」


 ジムを出て自室に戻ろうとしたら、キャップから呼び止められた。


「おまえさんはともかく、ウォルフもタオもまだガキなんだよ」

「ええ、そうですね」

「それは、あいつらのせいではない」


 足元に何度か溜息を吐き捨てたキャップが、ゆっくり顔を上げる。


「実の両親ですら、いつまでも成長しない上に妙ちきりんな外見や能力を持つ子供を異端視して、すぐに育児放棄するんだ。そのとばっちりは歪んで出る」

「よく分かります」

「遅老症の連中には、学力だけでなく社会性の低いやつが多い。厄介者としてたらい回しされ続ければ、どうしてもそうなるさ」

「……ええ」

「古参のメンバーは、その試練をくぐり抜けてきた海千山千の猛者ばかりだから心配ないんだが、ウォルフやタオは外見はともかく中身がまだまだ未熟なんだよ。リアルにガキなんだ」


 そうか。それで、か。


「あいつらは、俺の説教をつらっと聞き流す。だが、それが不服従か理解不能だからかは、俺らには必ずしも区別できん」

「なるほど」

「だからな」

「ええ」


 ぐんと立ち上がったキャップが、俺の背中を再びばんばん叩いた。げほっ。


「今までおまえさんがここでやってきたみたいに、上手に連中をいなしてくれ。気にすんなネバーマインドってな」


 やれやれ。思わず苦笑しちまった。でも、キャップが抱え込んでいる超重量級の悩みに比べれば、一訓練生の俺の悩みなんざ屁のようなものなのかもしれない。


「そうそう、キャップ。しばらくタオを見てませんけど、あいつどうしたんですか?」

「母星に一時帰国してる」

「おっ! 治療方針が決まったんですね!」

「そうだ。入植前に済ませておかんとな」


 さらっと言ったが、言外にXデイの近さを匂わせているように感じる。続けて、えげつないブラックジョークがぶちかまされた。


「なあ、ブラム。入植後にエミが、ダーリン起きてってタオを揺り起こしたら何が起こる?」

「そっか。俺らでもヤバいんすから、女性だと」

「いくら遅老症のエミでも、首から上がなくなったらアウトだよ。だから急がせたんだ」


 いつもなら笑って流せるジョークが、これっぽっちもしゃれにならない。震えがくる。


「ううう、そうだよなあ」

「タオは、向こうで小さい符を額に埋設してくるそうだ」

「そうか。符を自分自身で置けるから、誰かに操られるという心配をしなくてもいいってことかあ」

「ペースメーカーみたいなものだな」

「ねえ、キャップ。フリーゼのヤバいやつは、同じような方法でコントロールできないんですか?」


 ぐりぐりと首を横に振ったキャップは、両手を交差させてぺけ表示。


「タオと同じさ。背景が分からんと俺は動けんのだ。今は、気にするなネバーマインドとしか言えんよ」



【第十九話 気にするな! 了】

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