第十五話 すげえ!
あのアクシデントのあと、フリーゼはこれまで以上に俺を避けるようになった。訓練中は一言も口を利かなくなり、ペアと言いながら俺から遠く離れるようになった。食堂や所内施設で出くわすと、避けるというより逃げていく。まるで病原菌扱いだよ。とほほ。
それにしても。俺はあいつに何かしでかした覚えはないんだがな。ウォルフみたいに、女性として
「訳がわからん」
まあいい。俺を避けることで落ち着いて訓練ができるのなら、その方がずっといい。
アクシデントそのものについては、キャップは何も言わなかった。長いこと訓練をしていれば事故の一つや二つは必ずある。馴化が目的だから、アクシデント込みで慣れてくれ。そういうことなんだろう。
「よう、ブラム。そいつはどうだ?」
食堂で考え事をしながら初物に挑戦していたら、俺を見つけたキャップがどすどすと歩み寄って来た。
「また、おもしろいものを仕入れましたね」
「まあな。食材もいろいろ試してみないと、同じものばかりじゃ飽きが来るからな」
俺がトライしていたのは
「君のリクエスト通りに前処理なしのフレッシュだが、臭くないか?」
「ああ、俺はそっちは平気です。ただ、やっぱり獣の血と違ってあっさりですね。今一つ物足りない感じ」
「はっはっは! 君の嗜好には合わないか」
「いや、これはこれでいけますよ」
味気ない白身魚よりゃ、ずっと食いでがあるからな。
「ああ、そうだ」
キャップが唐突に話を変えた。食材の話はついでなんだろう。
「なんですか?」
「ビージーだが、あと数日で戻ってくる」
「おっ、治療がうまく行ったんですか!」
それは、朗報じゃないか! だが、キャップの表情はこれでもかと渋かった。
「そんなに甘くないよ。これまでぎっちり刻み込まれて来た迫害の記憶があっさり抑え込めるようなら、母星に居場所がなくなることなんかないさ」
「むう……」
「記憶操作以外の解決方法を探らざるを得ない。俺も本部の連中もそう判断した」
「それじゃあ、わざわざ母星での治療を命じた意味がないような」
がっかり。
「いや、必ずしもそうじゃないんだ」
「は?」
ふうっと太い息を吐き出したキャップは、ごつい拳でテーブルをどんと叩いた。
「まあ……俺もそれしかないかなと思う」
「どういうことです?」
「帰って来たビージーを見れば、すぐ分かるよ」
この前のフリーゼと同じように、思わせぶりなセリフを残してキャップが離席した。そういうもやもやを残すやり方は、俺は勘弁して欲しいんだけどな。
「ったく、どいつもこいつも!」
◇ ◇ ◇
ビージーが母星から戻ってくる。その一報は、あっと言う間に訓練所内を駆け巡った。ビージー帰還に対する訓練生のトーンは、厄介者が再臨するというネガティブなものではなく、母星への送還が片道切符にならなかったことに対する歓迎の意味合いが強かった。生じた問題が訓練所内で解決できなくても、母星も含めた支援体制の中で対処してくれる。その安心感はものすごく大きかったんだ。そして、ビージーの作った実績は思わぬところに跳ねた。
いつものように訓練を終え、食堂で飯を食おうと思ってトレーニングルートを出たら、タオに呼び止められたんだ。
「ブラムさん! これから食事ですか?」
「そう。一緒に食うか?」
「はい!」
まあ、その顔の切羽詰まってることと言ったら。とても、飯食いながら雑談しようなんていう雰囲気じゃない。席に着いて早々に、俺から先に切り出した。
「どうした?」
「いや、ビージーさん、戻ってくるんですね」
「最初から治療目的だからな」
「……僕も、治療を受けられるんでしょうか」
「寝起きか?」
「はい」
「受けられると思うぞ。ただし」
「ただし、なんですか?」
「過去がブラックボックスのままだと、キャップもドクも動けん」
「あ……」
この前タオと個別に話した時には、無理強いだと思われたくなかったからあえて趣旨をぼかした。だが、対処の決心を固めるなら話は別だ。
自分の過去と向き合うには、過去の事実を自分という枠から一度外に出さないとならない。少なくとも、タオのケアができる二人、すなわちキャップとドクのどちらかにはこれまでの経緯をオープンにする必要がある。俺がキャップに相談しろと言ったのは、その流れを一番スムーズに作れるから。だが俺らの着任時と違って、訓練生の数が増えた今はキャップが殺人的に忙しくなっている。それをざばざばこなしている姿を至近で見てしまうと、どうしても近寄りにくくなるんだろう。
「付き添うか?」
「お願いできますか?」
「もちろんさ!」
ほっとしたように、タオが立ち上がった。
「じゃあ」
「おう」
◇ ◇ ◇
所長室で、聞き取りの準備を済ませたキャップが、タオの第一声をずっと待っている。でも、どうしても切り出しにくいのか、タオの口がなかなか開かない。
改善したいと思っていても、自力で変えられらなかった寝起きの凶暴性。タオに刻み込まれている過去が原因になっているのなら、その過去は恐ろしく凄惨なんだろう。そこをスルーして、タオの行状だけを責めるのは酷だ。キャップはもちろん分かってるさ。
急かさずにタオの告白をじっと待っていたキャップが、俺たちの前にぽつんとコメントを置いた。
「行為には、それを導く要因が必ずある。そいつが悪意に絡んでいない限り、起こった行為を咎めてもしょうがないんだ。この前のフリーゼのもそう」
「はい」
「反省には意味がない。それより、改善につなげるための材料がどうしても要るんだ。ポジティブ思考で、しっかり自己点検してほしい」
うーむ。さすがキャップだ。自分自身を感情から切り離して、冷静にチェックしろ。それは客観視の勧めだから、受け入れやすいはずだ。それでもしばらく逡巡していたタオだったが、諦めたように自分の過去を語り始めた。
「僕は……」
◇ ◇ ◇
うーん、なるほどなあ。確かに悲惨な過去だ。実の母親に殺されそうになるなんてな。
生まれた自分の息子が遅老症であることを知った母親は、自分と息子の将来を悲観して無理心中を図った。未遂に終わってどちらも生き残ったものの、それ以来母親は我が子に一切愛情を注がなくなり、
惨状を見かねた親族が、死んだと見せかけてタオを母親から引き離し、保護施設に預けたんだ。死亡を母親に納得させるため、タオに死者であるという強い暗示をかけた上で仮死状態にし、家から搬出した。
暗示は救出後にすぐ解かれたが、解除時に大暴れしたんだそうな。つまり。あまりに辛いことばかりだったタオは、ずっと死者のままでいたかったんだ。もう二度と目を覚ましたくなかったんだよ。目が覚めると、そこは辛いことしかない現実世界。起床を促すやつは、それが誰であっても無慈悲な悪魔にしか思えない。どうして俺を現世に引き戻すんだ! そんなやつはぶっ殺してやるっ! その繰り返しだったわけだ。
これまで受け続けた陰惨な虐待への怨嗟がエネルギーとして溜まり続け、それがあの超人的な力と凶暴さに転換し、凝結してしまった。どうしようもなく不幸なことだよ。
でも。
「なあ、タオ」
「はい」
「毎日毎日大暴れじゃ、施設にすらいられなかったはずだ。向こうでは、おまえさんの癖が何らかの方法で制御されていたんだろ?」
「う……」
言いたくなかったんだろう。でもそれは、対応策を考える上でどうしても必要な情報だ。キャップは容赦しなかった。タオは、溜息混じりに秘密を明かした。
「僕を起こす前に。いつも額に符を貼られていたんです」
「符? そりゃあなんだい?」
「一種の制御コードみたいなものです。それが貼られている間は力が封じられてしまうので」
「ほう。こっちでは使えないのか?」
「符を貼られると、貼った人の言いなりになってしまうんですよ」
「ああ、それじゃどうにもならんな」
力が無意識のうちに暴発するのも困るが、だからと言って死者や奴隷になれというのはもっと困る。そらあ、制御が難しいわ。
なにやらいろいろデータを打ち込んでいたキャップは、特に表情を変えることなく、あっさり言い切った。
「ドクと相談するが、たぶん有効な制御法がある。そんなに難しくないだろう」
「わっ! ほんとですかっ?」
タオの喜びようは半端じゃなかった。
「ただ、ここではできん。ビージーと同じで、向こうでの対処になる。それは承知してくれ」
「……はい」
んー。ちょっと違和感。
「ねえ、キャップ。技術的なことならドクが対応できるんじゃないですか?」
「技術的なことならな。だが、タオのケースはうんとこさデリケートなんだよ。ここと母星とが物理的に切り離されている……そういう状況をきちんと活かさないと、根本的な解決につながらん」
「どういうことですか?」
「向こうの支配者がこっちに来ることはないんだ。だが、こっちに支配者ができちまったらどうにもならんということさ」
あ、なるほど。ばっちり理解しました。
ディスプレイから目を離したキャップが、タオの顔を見てにやっと笑った。
「なあ、タオ」
「はい?」
「おまえさんの本当の動機は、エミだろ?」
「うっ!」
真っ赤っかに茹で上がったタオが、わたわたとうろたえた。そ、そういうことかっ!
「いいことだ。姉さん女房だな」
何度も頷きながら、キャップが含み笑いを噛み潰した。
「すぐにドクと打ち合わせに入る。おまえさんについて、追加情報が必要になるかもしれん。その時は協力してくれ」
「はいっ!」
おーおー、嬉しそうに。
◇ ◇ ◇
年の差カップルと言っても、俺らの体質なら実年齢の差はほとんど問題にならん。エミがタオを受け入れるなら、エミの成長拒否はどこかで解除されるはず。いいこと尽くしじゃないか。
久しぶりにハイな気分になっていたところに、キャップから呼び出しがきた。
「ああ、ブラム。ビージーが再着任した。出迎えを頼む」
「キャップは?」
「もちろん行くよ」
「すぐ行きます!」
キャップの見ればわかるという一言。あの時は全く予想できなかったが、今なら見当がつく。きっと、来るのはビージーだけではないんだろう。
訓練の時に攻撃性が発動してしまうビージーは、すぐにユニットから外せたはずだ。だが、それじゃあペアが誰もいなくなって、ビージーが完全に孤立してしまうんだ。エミとのペアリングは、ビージーの暴発抑止よりも孤立防止のためだったんだろう。だけど、奉仕体質のエミにビージーをずっと制御させるのは酷だよ。それなら、ビージーによく似た性格や境遇のやつと常時ペアを組ませればいい。
俺の予想を裏付けるように、賑やかに喋り散らしながら船から降りてきた人影が二つ。ビージーの他に、もっと年を取っていそうな老婆がげらげら笑いながら一緒に歩いてきた。
それを見たキャップが、これでもかとでかい溜息をついた。
「はああっ。まあ、婆さん同士で仲良くしてくれればいいさ。二人は、訓練には参加させない。まあ、そういうのもありってことだろ」
「彼女は?」
「新入りだよ。サンディー・スロワー。彼女も向こうでは筋金入りでね。ビージーの攻撃性発動は訓練の時だけだが、彼女は日常全てで荒っぽいんだ」
「げえー」
「まあ、それでも仲のいい茶飲み友達ができれば二人とも落ち着くだろ」
俺とキャップの姿を見つけて、嬉しそうに手を振っているビージー。俺も大きく手を振り返す。無事に戻ってこれたな。それが一番だよ!
「ねえ、キャップ。いい前例ができましたね」
「そうだな。ただ……」
そのあとじっと俯いたキャップが、俺の肩をぽんと叩いた。
「いいことばかりではないんだ」
「は?」
【第十五話 すげえ! 了】
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