第十一話 まじめにやれよ!

 訓練以外にはこれといったノルマがない訓練所だが、俺たちには一つだけ拒否できない義務が課せられている。それが定期健診だ。義務である以上、どんなに気乗りしなくてもすっぽかせない。


 だだっ広い医務室のど真ん中。俺は診察台の上に右腕を乗せて、訓練所唯一の医師であるドクこと、フランク・アンスタインに預けていた。


◇ ◇ ◇


 訓練所の環境は、母星とは全く異なる。当然、母星では発生しないヘルストラブルの多発が予想される。ゴズが離脱する元になった、アルコールの過剰作用なんかもそうだ。そういったヘルストラブルに対処するために、これでもかと充実した医務室が設置されているんだが……。

 少なくとも俺が知る限り、怪我をしたからとか調子が悪いからとか、そういう理由で医務室に行くやつを見たことがない。俺たちが医務室に行くのは定期健診を受ける時だけで、それ以外は使われない。なので、総合病院と称しても過言ではないほど設備が整っているだだっ広い医務室に、ドク一人がぽつねんと詰めていて。年がら年中暇そうにしている。訓練所の施設の中で医務室が一番広大であるにも関わらず、その稼働率が最低と言うのは間抜けもいいところだ。

 もっとも、在籍者数が定員を大幅に下回っている現状では、どの施設も似たり寄ったりの稼働率だが。もったいないとか、おかしいじゃないかと文句をぶちかますやつもいないしな。


 それにしても。診察や治療をドクに任せるしかない俺らが暇だってのは分かるが、俺ら以上にドクが暇そうにしてるってのはどうよ? 当然のこと、全力で突っ込みたくなる。


「ドク」

「うん?」

「暇そうですね」

「猛烈に暇だよ」


 自慢するでも反駁するでもない。あっさり返される。


「今日は採血だけですよね」

「今日も、だ。採血以外、することなんか何もないよ」


 手慣れた様子で、ドクが採血器を俺の腕にくるりと巻きつけた。そいつは身体の生理パラメーターを一度に測定できる医療センサーでもあるんだが、ドクは採血にしか使わない。無表情に操作パネルをタップしていたドクが、画面にこつんとでこぴんを食らわした。

 しゅっという小さなコンプレッサー作動音のあと、俺の腕から伸びた細いチューブに赤い筋が走った。採血の間、ドクは小さな欠伸を噛み殺しながらあらぬ方向を見ている。


「ねえ、ドク」

「うん?」

「もし血液検査で異常があったら、母星に戻って治療しろってことになるんですか?」


 物憂そうに、ドクが返事と欠伸を混ぜる。


「はわわ。いや、君らがとっとと帰りたいと言うなら、そういう診断書を書くが」

「は?」

「血液検査の簡易キットがあるからね。それですぐ分かるような異常じゃない限り、母星での検査には回さないよ」

「へえー」


 ドクは、唯一の医師として訓練所開設からずっとここにいるそうだが、訳ありばかりの俺たちの中でも格段に謎が多い。


 まず、顔が老成している割に肉体が恐ろしく若々しい。若者の肉体にじじいの頭を据え付けているかのようだ。瞳の色が左右違うだけでなく、そもそも顔のパーツの大半が左右非対称だ。普段はユニフォームをきっちり着込んでいるので、体躯の細部はよく分からない。だが採血作業の時に動かしている左右の手は、特徴が全く異なる。右手はごついのに、左手は病的に華奢だ。靴のサイズも左右違うようで、全体にひどくアンバランスな印象が否めない。


 そういう特異な容貌でありながら、言動は極めて抑制的だ。ただし、どうしようもなく投げやりで気だるげ。人の健康管理に携わる医師がそんなことでええんかいなと頭に来るくらい、はなからやる気がない。

 しかし、ドクが信用できないから誰も医務室に行きたがらないということではないと思う。俺もそうだが、訓練生には自分の身体を第三者に探られたくないというやつがすごく多いんだ。


 採血が終わって、腕から採血器が外された。ドクが俺の登録コードをぱたぱたと端末に叩き込んだら、検査は終了だ。


「検査結果はいつ分かるんですか?」

「結果はもう出てるよ。異常なし、だ」

「は、はや!」

「検査するまでもないさ。異常のあるやつは最初からここに来れないか、すでにここを退去してるからね」

「じゃあ、検査してないってことですか?」

「解析の数字は取ってるよ。一応、まじめに仕事してるという証拠は残さないとならないから」


 おいおい。全力で苦笑しちまったわ。

 俺の呆れ顔が目に入ったんだろう。ドクが突然妙な話を始めた。


「なあ、ブラム」

「はい?」

「君は七の法則ってのを知ってるか?」

「それはなんですか?」

「ワンスピーシーズ。ツーセックス。スリースキンカラー。フォーレリジョン。ファイブキャラクター。シックスネイション。セブンアンノウン」

「いや、初めて聞きました」

「特に難しいことじゃないよ」


 ドクが、無表情に説明を並べていく。


「種としてはヒトってのは一つしかない。性別は男女二つ。白黒黄と肌の色が三種。宗教が三大プラスその他で四種類。性格の特性は五つに大別されている。母星の国家体制は現在六国制だ。そして、区分できない属性が全て『七』に押し込まれる」

「なんで、七なんですか?」

「それより一つでも増えると、分割カテゴライズされるからさ。七は一桁台で最大の素数なんだよ」

「あ、そういうことか」

「つまり、全ての不都合が七に押し込まれることになる」

「へえー」


 サンプル識別用の小さなカラーチップをデスクの上にぽいっと放ったドクが、それをいくつかに分けて並べた。


「七の法則は、俺たちの特性や属性を区分する時に使われる便宜的なものだが、現実にはそれが便宜の枠を超えてひどく幅を利かせている」

「なるほど」

「それとは別に。俺たち個人は五つのパーツで構成されている。それはあくまでも事実であって、区分、識別という概念に入れてはならない」

「五つ、ですか」

「そう。手、足、胴体、頭」

「それだと四つですけど……」

「もう一つ。精神さ」

「む!」


 ドクが、デスクの上のカラーチップを人型に並べ変えた。


「事故や病気で四肢を失えばそのパーツを欠くように思えるが、その機能は他のもので代替される。事実上、欠損することはないんだ」

「うーむ」

「手足の損傷は補完され、頭や胴の欠損はすなわち生命喪失だ。そして、精神の消失も死に準じる」

「ええ」

「つまり俺たちが見かけ上どんな状態であっても、くたばっていない限りはいつでも完全体ってことなんだよ」

「完全体……ねえ」


 俺を横目で見たドクは、どうしようもない皮肉で話を締めた。


「だが、五と七。優先されるのは、常に完全体である五ではなく、常に不完全な七なんだよ」


◇ ◇ ◇


「うーん……」


 食堂で飯を食い終わったあと、なんとなく考え込む。さっきのドクの話は、なぜ検査をまじめにやらないんだという指摘の答えにはなっていない。だが、全く別の話を持ち出してはぐらかすということにもなっていない。どうにももやもやする。


「どうした、ブラム? 昨日のメディカルチェックで何かあったのか?」


 頭上からどすんと声が降ってきて、キャップの毛だらけの顔がいきなりどアップになった。


「いや、体調は悪くないです。ドクがまじめに検査してないってのが、どうにも引っかかっただけで」

「ああ、そんなことか」


 キャップがあっさり言い放った。


「だから、所員募集の条件欄に『健康な成人』と書いてあるだろ?」

「でも、ここに来てから異変を生じるやつも……」

「いない」


 ぴしりと否定される。


「はあ?」

「異変を生じたやつは、即刻強制送還するからね」


 ああ、そう言うことか。キャップもドクと同じ考え方ってことだ。


「だから、ドクはどんなに暇でも一向に構わないのさ」

「じゃあ、ドクのポジション自体が不要なんじゃ」

「そう見えるだろ? だが、そうは行かない」

「どうしてですか?」


 俺を指差したキャップが、その指を上に向けた。


「ここに関わるやつは、全て逃亡者であるか、逃亡者になる」

「どういう意味ですか?」

「ここに馴染めなければ母星に逃亡し、母星に馴染めなければここに逃亡する。そのどちらかしかないからな」

「ああ確かに。そうですね」

「君もそうだろ?」

「む……」


 返事をする前に、キャップのセリフが俺の口を塞いだ。


「ドクもそうだってことだよ」


◇ ◇ ◇


 ドクやキャップと微妙な会話を交わした数日後。ドクから血液検査の結果が出たという呼び出しがあって、医務室に向かった。これまで一度も検査結果の報告なんざなかったのにな。ちょっとだけ、嫌な予感が。


「ああ、来たか。ブラム」

「俺に何か異常が?」

「いや、今まで一度も検査結果の報告をしなかったから、キャップに苦情を言われてな。給料を払ってるんだから、形だけでもすることはしてくれと言われて」


 おいおい、そんないい加減でいいのか。まったく! まじめにやれよゲットシリアス


「そうですか。で、俺の検査結果はどうなんですか?」

「異常なしだよ。俺的にはな」

「俺的?」

「そう。まじめに検査すると、全員アウトなんだ」


 なんじゃそりゃ。思わず口をあんぐり。


「それって」

「しゃあないだろ。まともなやつはここに定着できない。俺らのような七番目カテゴリーのやつしか、ここには居られないんだよ」


 そう言うなり、ドクがユニフォームの上着を脱いで上半身の裸体を俺に見せた。左胸にだけ豊かな乳房が……。


「俺と家族は母星で暴徒に襲われ、俺以外全員惨殺されたんだよ」

「う……」


 俺やウォルフはここに来るまでうまく隠れてきたが、そうできないやつがいたって……ことか。


「遅老症の俺だけが標的にされたなら、まだ分かる。一般人ノーマルだった家族や親族まで含めて、全員一緒くたに斬り殺されたんだ。遅老症ゆえにバイタルが並外れていた俺だけが、辛うじて生き残った」


 上着を着直したドクが、いつもの物憂げな表情に戻った。


「ばらばらにされた家族の身体パーツ。その使えるところだけを寄せ集めて修復されたのが今の俺だ。キメラってことになるな。そして、理由もなく俺らを襲ったやつらに復讐したくても、連中は一人残らず寿命が尽きて、もうあの世に行ってる」


 ……そうか。


「俺は、自分のことを普通の人間だと思ってるよ。医師という仕事をこなし、誰かを治療することはあっても傷付けようとしたことはない。まあ、ちょいとばかり怠け癖があるがな」

「ははは……」

「だが母星では、俺の自己申告は常に無視される。俺はいつまでも七番目にしかいられないのさ。そして、七番目のやつにはどこにも居場所を提供してくれないんだ」


 ディスプレイをとんとタップしてオフにしたドクは、ただの真っ黒な板に向かって呟いた。


「だから俺は、ここ以外に居場所がないんだ。君もそうだろ?」


◇ ◇ ◇


「逃れてここに、あるべきか。ここを逃れて、あるべきか」

「なにそれ?」


 訓練前。フリーゼが、俺の独り言を聞きつけて首を傾げた。


「いや、七の憂鬱さ」

「ラッキーセブンじゃなくて?」

「部隊は必ず六人以下の偶数人構成になるんだ。ラッキーセブンなんざ、最初からないよ」

「それもそうね」

「さあ、訓練開始にしよう」

「ええ」


 フリーゼの気配が後ろに下がって、俺のスコープが真っ暗闇になる。そこには何もないはずなのに、ドクの奇妙な肢体がふっと浮き上がった。


 五体満足……か。どんな状態であっても、心身の五つのパーツが揃っている限り俺たちは完全体だと。ドクはそう言った。本当にそうだろうか?

 どういう状態になっても文句を言えない肉体と違って、精神てやつだけは常に不満をぶちまけ続けるんだ。母星の連中がどうかは知らないが、俺たちは膨大な不満足と永劫にダンスを踊らなければならない。それは……終わらせることができない死の舞踏のようだ。


 まじめにやれよゲットシリアス

 いや、ドクはまじめに、真剣に怠けてるんだろう。放っておくと勝手に暴れ出そうとする不満を、必死に寝かしつけるために。



【第十一話 まじめにやれよ! 了】

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