第二章 ほんとかよ!

第六話 起きろ!

 耳元で小さな電子音が響いて目が覚めた。瞼を開いても視界は漆黒のままで変わらない。闇は何をどうしたところでただの闇であり、それにいいも悪いもないはずなんだが。目覚めた俺を包んでいた闇は、紛れもなく最低最悪だった。何の罪もない闇を下劣におとしめているのは、この部屋にあるもう一つの厄介な存在だ。


 のそのそと身体を起こして、隣のベッドを見やる。ベッドの上には熱の気配がなく。寝息が足元から這い上ってくる。


「タオめ、まあたベッドから転げ落ちたんか」


 落下の衝撃があっても目覚めずに爆睡し続けるってのは、いいんだか悪いんだか。いや、単に寝相が悪いのなら実害はないさ。ベッドが分かれているんだし、タオが床に落ちたところで俺が寝ぼけて踏んづけなければいいだけだ。

 そんなことより、なんで俺がいい年こいた男を起こさないとならないんだ。新入りには手厚いサポートが必要だと言っても、それはあくまでも訓練や日常生活の補助止まりだろ。個室での生活が基本の訓練所なのに、同室で面倒を見ろってのはいかがなものか。


 暗闇の中に、欠伸の代わりにでかい溜息を放って頭を抱える。そんな俺の悩みなんざかけらも知らずに、大物新人のタオ・ソンヴィがぐーすかぴーと眠腐ねくたれている。


 訓練所の規則ってのが必ずしも遵守されていないのは事実さ。でも、訓練所から訓練を差し引いたら何も残らないじゃないか。寝坊ばかりで訓練開始時間を無視し続ければ、本人はともかくペアを組んでるやつが困ってしまう。当然、相棒は来室してこいつを起こそうとするだろう。

 だが、タオの寝起きの悪さは半端じゃないんだ。起こそうとしたやつを無意識かつ瞬時に攻撃する。そのアクションは凶暴なんていう生易しいもんじゃなく、直撃を食らうと命に関わりかねない。ペアになったやつが次々逃げ出して、訓練所内で一番頑丈な俺が猫鈴のババ引いちまったんだよ。はあ……。

 こんな物騒なやつには絶対に触りたくないんだが、あいにく訓練開始の時間が迫っている。ユニットリーダーの俺はどうしてもサボれないんだ。覚悟を決めて起こすしかない。たまにこういう日もあるっていうならともかく、毎日命がけの肉弾戦じゃあいくら俺がタフでも身が保たんわ。まったく!


 訓練用の暗視装置ノクトビジョンをオンにすれば、タオの様子は明確に視認できる。灯りを点けないままでも起こせるんだが、あいつに惨状を見せつけないことには一向に事態が改善しない。

 手元のリモコンを操作して室内照明を点け、訓練服に着替えた。部屋を明るくしようが物音を立てようが熟睡しているタオはぴくりとも動かず、大の字になったままだ。まだあどけなさを残した顔で熟睡しているタオは、どこからどう見ても東洋系の華奢な若者。そして実際に、どこにでもいる平凡なエンジニアに過ぎない。寝起き以外は、ね。


「はあ……しゃあない。やるか」


 クラシックな金属製目覚まし時計と強力樹脂テープを持ち、タオの顔の真横に片膝を立ててスタンバイ。


「ふうううっ」


 一度深呼吸して、タイミングを計って、と。


「せえのっ!」


 じゃりじゃりじゃりじゃりじゃりっ!

 けたたましいベル音を響かせはじめたどでかい目覚まし時計を、タオの耳元に樹脂テープで素早く縛り付ける。並のやつなら、その殺人的な音量だけで悶絶するだろう。だが、タオはわずかに顔をしかめただけ。問題はその後、だ。即座に壁際まで下がって、タオの攻撃に備える。


 ぶちぶちぶちっ!


 凶悪犯や猛獣の保定にも使われている強靭な樹脂テープが、まるでトイレロールのようにいとも簡単に引きちぎられる。憤怒の表情を浮かべたタオは、鳴り止まない目覚まし時計を鷲掴みにした。わずか十センチの高さからでも、頭上に落ちたらしゃれでは済まなそうな巨大で重い目覚まし時計。そいつが一瞬で握り潰される。


 みきみきみきみきみきっ!


 時計はまるで砲弾のように小さく高密度に丸められ、その直後に俺の眉間めがけて力一杯投げつけられた。


 びゅっ!


 砲弾と化した鉄塊が、高速で俺の顔面を襲う。


「おっと」


 もちろん、そんなヤバいブツの直撃を食らうわけにはいかない。わずかに顔を逸らして避ける。俺の頬をかすめて通り過ぎた鉄塊は、背後の壁に着弾すると轟音とともに粉々に砕け散った。


 ぐわっしゃああん!


 ううむ。起こすという意味では効果があった目覚まし時計だが、武器としての破壊力も半端じゃなかったな。決して安普請ではない分厚い壁に放射状の亀裂が入り、目覚まし時計が激突した中心部分には、隣室にまで到達する穴が開いていた。


 突然響いた大きな破壊音に驚いて、向かいの部屋のウォルフが飛び込んできた。


「おいっ、ブラム! 今の音はなんだっ?」

「決まってるだろ。こいつの仕業だよ」


 足元を指差す。目覚まし時計を抹殺して満足したのか、タオが再び床で爆睡していた。あいつの睡眠回路がどういう構造になっているのか、一度解剖して徹底的に調べてみたいもんだ。


「ウォルフ。おまえも知ってるだろ? こいつの寝起きは最凶最悪。起こすのは命がけなんだ。目覚まし時計が徹甲弾と化すくらいなら、まだかわいいもんだ」

「おいおい」


 呆れ顔で壁穴を見つめていたウォルフが、その向こうのただならぬ気配を感じ取って顔色を変えた。


「ブラム。そっちはフリーゼの部屋だろ?」

「そう」

「じゃあ、目覚ましで直接起こそうってわけじゃなく……」

「ご明察。俺が毎度毎度タオのとばっちり食うわけにはいかないからな。ちっとも学習しないこいつには、がっつり痛い目に遭ってもらう」

「ひええっ」


 巻き添え食うのを恐れたウォルフが、慌てて部屋を飛び出していった。

 ウォルフと入れ違いで、赤い薔薇柄の派手派手パジャマを着たフリーゼが、ゆらりと部屋に入ってきた。長い銀髪は、金気かなけが抜けて真っ白。いつもはターコイズブルーの唇が、まっ青なサファイヤになっている。瞳だけが燃えるように赤い。どうしようもなく不機嫌爆裂のご様子だ。案の定、声も呼気も氷のように冷たく、やいばのように鋭い。


「ちょっと、ブラム。今のはなに?」


 床の上でぐーすか眠っているタオと、穴の開いた壁の周囲に散乱している目覚まし時計の残骸を無言で指差す。一目瞭然。俺がぐだぐだ説明する必要はないだろう。タオとは逆に入眠を邪魔されると即座にキレるフリーゼは、すぐさま無制限お仕置きモードにスイッチオン。


「はん! ガキのくせに、レディーの大切な休息とプライバシーを無神経に蹂躙じゅうりんしようっていうのね。ああ、そう。それならわたしにも考えがあるわ」

「あとはよろしく。俺はこのあと、メシ食って今日のカリキュラムをこなす」

「了解」


 さて。とばっちりを食わないよう、さっさと離脱しないとな。キャップには、いつものトラブルとだけ伝えればいいだろう。どうせすぐに訓練だ。タオは、今日いっぱい使い物にならんかもしれんけどな。

 外に出てドアを閉めたら、四方の隙間から粉雪が吹き出し始めた。それを確かめて、ドア越しに引導を渡す。


「タオ。俺はちゃんとマイルドな方法で起こしたぜ。それで起きなかったおまえが悪い。凍死してあの世の花畑で目覚める前に、さっさと起きろウエイクアップ!」


◇ ◇ ◇


 食堂には閑古鳥が鳴いていた。俺とタオのタイムシフトに入っているやつは少ないからな。昼夜という概念がないこの訓練所では、基準時からの経過時間によって機械的に起床と就寝が割り振られる。ウォルフとフリーゼは俺らと逆で、これから休むところだったんだろう。

 入眠に難ありの上に眠りが浅いフリーゼは、普段から部屋周囲の騒音にものすごく神経質だ。隣室がトラブルメーカーのタオだということには絶対に我慢できんはず。自分かタオの部屋を変えてくれとキャップに直訴するだろう。俺はその前のワンチャンスをものにしたんだが、あいつらが誰の隣室になっても結局騒動は起きる。全く、面倒なことこの上ない。


 ぶつくさ言いながらブルート血液ブリックをいくつか口に突っ込んで、トマトジュースで流し込んだ。


「よう、ブラム。調子は?」

「まあまあですかね」


 キャップが毛だらけの顔面をかきむしりながら、のっそりと俺の隣に座った。キャップ船長という呼称に相応しい巨体と威厳。だが、いかつい外観に似合わず、キャップは常に温厚で思慮深い。曲者揃いの訓練所がこれまでなんとか維持されてきたのは、キャップの調整手腕が並外れて優れているからだ。そんな優秀な人物が、なぜろくでなしの巣窟である訓練所に送り込まれたんだろう。いまだに解せん。


 俺の近傍にタオがいないことを察したキャップから、遠回しの探りが入った。


「タオはどうだ?」

「苦労してますよ」

「どっちがだ?」

「もちろん俺が、です」

「ふむ……」


 腕組みをしたキャップが、眉根にくっきりシワを寄せてうなる。


「ううむ。あいつもどうしたもんかな」

「起きている間はおとなしいから、寝起きだけなんですけどね。でも、あの凶暴さはさすがにまずいでしょ。大きなトラブルを起こしたら、一発退場になっちまいますよ」

「まあな。だが、俺らと違ってエンジニア系には線の細いやつが多い。心臓にふさふさ毛の生えているタオのような人材は確保が難しいんだ。もうちょい様子を見てくれないか」

「ううう」


 冗談じゃないとぶち切れたいところだが、立場的には俺もタオとたいして変わらん。と言うか、この訓練所にいる連中は誰も彼もが難ありばかりだ。そういう連中と一緒に暮らしていれば、非常識が日常になっちまうんだよな。


「お。タオめ、やあっと起きたか。ったく!」


 あちこちにつららをぶら下げ、そこからぽたぽた水滴を垂らしながらタオが歩いてきた。顔色は真っ青。目は虚ろ。口は半開き。足取りはよろよろ。ほとんど死人デッドマンだよ。寝起き最凶のタオですら、フリーゼには敵わなかったと見える。これに懲りてしっかり学習してくれ。

 俺同様にほとほと呆れ果てていたキャップが、開口一番説教を食らわした。


「タオ。幼稚園のガキじゃないんだ。自力でさっさと起きろ。訓練時の態度があまりに悪いと、強制送還になっちまうぞ」

「うう」

「生きて送還ならまだいいが、冷凍で送還だと食肉倉庫行きだ」


 笑えない冗談をかましたキャップが、席から立ち上がってタオの左肩を叩こうとした。タオが慌てて身を引いた。


「キャップ! こっちはまだ凍ってます!」



【第六話 起きろ! 了】

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