第三話 びっくりだ!

 船旅は快適だったが、たった二日の航行だ。旅行という優雅な感じではなく、やはり運搬と同義なんだろう。


 俺やウォルフは、訓練所での生活にそれなりの期待感があった。船内で、訓練施設の紹介動画が繰り返し流されていたからね。最新式の施設設備は機能的で清潔。食事のバリエーションは一流レストラン並みに豊富だ。各個室には母星同等の最新式情報端末が備わっている。ジムや医務室はいつでも自由に利用できる。新たな環境への馴化が目的であって軍事教練ではないので、肉体的にハードな訓練はない。インフォに嘘がなければ、めっちゃ快適じゃないか! だが他の訓練生には、施設がこれっぽっちも魅力的に見えないらしい。


 到着間近になってフロントスクリーンに訓練所のある小惑星が映し出されると、船室内が完全に葬式フューネラルの雰囲気になった。確かに夢と希望を抱かせるような姿ではない。青の惑星と言われている母星と比べると冷凍ジャガイモのような見た目で、実態もそれに近いんだろう。太陽からうんとこさ遠いから星の表面温度が極めて低く、地表に施設を作るとエネルギー利用効率が悪過ぎるので、熱源を含め全ての施設は地下に建造されている。つまり、今でも芥子粒にしか見えない太陽は、施設に入れば完全に俺たちの頭上から消えるってことだ。辛気臭い連中は、それにショックを受けているように見える。

 でも、それはここで初めて明かされたことじゃない。本部での講義や説明で、うんざりするほど聞かされていたじゃないか。なんだかなあ。


「まもなく到着です。全員の着席を確認したのち、入港します」


 ドックに入ってすぐに船が音もなく停止し、同時に座席のクラッチャーが解除された。乾いたアナウンスが流れる。


「訓練所に到着いたしました。訓練生のみなさんはご自分の荷物を持ってメインホールに移動し、ガイダンスを受けてください」


 よっしゃ、いよいよだな! 俺はさっさと席を立ってカーゴエリアで荷物を下ろし、船の乗降口に向かった。その時に、ラウンジで味わったのと同じ疎外感を覚えたんだよ。俺以外は誰も自席から立ち上がろうとしない。溜息をつき、のろのろ首を振り、わずかに身悶えし、頭を抱え……。さながら、刑場に引き出される直前の罪人みたいだ。今からこんな有様で、この先本当に大丈夫なのかあ? まあ、いいや。今は、人の心配より先にするべきことがある。行こう!


 俺の後ろ姿を見つけて嬉しそうに走り寄ってきたウォルフと合流し、二人揃っていの一番に下船した。


 ドックから連絡通路コリドーに出てすぐのところに、えらくごっつくて顔まで毛むくじゃらのおっさんがででんと立っていた。白髪しらがってわけじゃないと思うんだが、毛が白い。なんつーか、ドーピングで極限まで膨れ上がったアンゴラウサギみたいだ。そのおっさんが、俺らを目にするなり声をかけてきた。


「訓練所にようこそ!」


 雰囲気はいかついが、表情は柔和で言葉遣いも丁寧だ。この訓練所の職員さんかな? おっと、挨拶しなきゃ。


「俺は、訓練生のブラム・ストーカー・ジュニアです。こいつも同じで、ウォルフ・カニス」

「ブラムとウォルフか。よろしくな。俺はこの訓練所の所長で、イェズラ・ティティクラムと言う。呼びにくい名前なんで、船長キャップと呼んでくれ」


 ええっ!? 恐れ多くも所長御自ら、下々の俺たちのお出迎えでございますか!

 まさかそんなお偉い人が直々にお出ましになるとは思わなかったので、ウォルフと二人して直立不動。慌てて右手を掲げて敬礼した。キャップがそれを見て、からっと笑い飛ばした。


「はははっ! まあ、そんなに堅苦しく考えなくてもいいよ。ここは軍隊じゃない。単なる訓練所さ。本部でのレクチャーでも同じことを言われたと思うが、訓練の目的は母星と異なる環境に慣れることだ」

「はいっ!」

「ここにちゃんと辿り着いた時点で、訓練の半分は終わったようなものだ。あとは、ゆっくり時間をかけて体と心をここの環境に慣らしてくれればいいからな」


 キャップの話し方は、とても丁寧で穏やか。所長という立場を笠に着て、俺たち訓練生を理不尽にしごきまくるということではなさそうだ。

 全身に入りまくっていた力がいい感じに抜けたところに、今度はフリーゼが降りてきた。ラウンジで会った時と同じで、見るからに不機嫌爆裂。最初っからこの調子で、ここでの訓練がうまく行くんかいな。俺の呆れ顔が目に入ったんだろう。文句をぶちかまそうとしたのか、足早に近づいてきた。それを見たキャップが、驚いたように声をかけた。


「君も訓練生か! 女性は本当に珍しい。これまでの志願者の中には数人しかいなかったし、みんな来所前に辞めたからな」


 フリーゼの口が開く前に、キャップがそう言ってフリーゼをぐるっと見回した。キャップは淡々と事実を述べただけだと思うんだが、フリーゼは性差別に感じてかちんと来たんだろう。白い肌を真っ赤に染めて怒り狂った。


「なによっ! 女じゃだめだっていうわけっ?」


 あーあ、沸騰してやがる。本当に短気なやつだ。頭痛がしてきた。


「おい、フリーゼ。この方は、訓練所の所長さんだ」

「えっ?」


 ざあああっ!

 血の気の引く音が、擬音や効果音ではなく本当に聞こえた。頭に上った血が、滝のように一気に落ちたんだろう。


「あ、ああ……あ。し、失礼いたしました」


 さすがのフリーゼも、いきなり所長に癇癪をぶちかましたのはあまりにヤバいと思ったらしい。土下座しかねない勢いで、ぺこぺこ頭を下げて謝罪を繰り返した。


「済みませんっ! 本当に失礼いたしました。申し訳ありません!」


 だが。キャップはけろっとしていた。


「ああ、かまわんよ。そのくらいの気概がないと、ここではやっていけない」

「は?」


 ど、どうして?


「あの、キャップ。それはなぜ?」

「訓練やここでの生活はのんびりしてる。タイトなスケジュールでは動かしてない。そっちはストレスフリーだと思う」

「はい」

「でも、古参の連中が厄介なのさ」


 げ……。そっちか。


「一期、二期の連中は、全員揃いも揃ってろくでなしばかりでね」


 もしかして、新兵いびりとか、イジメとか……。

 キャップは俺らの怯えた表情に気付いたんだろう。ぱたぱたと手を振った。


「いや、そういう意味でのろくでなしじゃないんだ」

「へっ?」


 ウォルフが素っ頓狂な声を上げた。


「スケジュールを組んで訓練をこなしているんだが、連中はそいつを遵守するつもりがない。本当に勝手で、協調性がないんだ」

「ということは」


 俺が船内で他の連中に対して抱いていた印象。それに重なるイメージがあった。


「もしかして引きこもり、ですか?」

「そこまではひどくないがな。そもそも他者に関心がない」

「げえー……」


 呆れたという感じで、キャップが両腕を広げた。


「連中に暴力的な要素はないよ。ただし、誰の言うこともまともに聞かん。ほっといてくれってとこだな。彼らとは意思疎通しにくいので、ひどくストレスを感じると思う。フリーゼ君のようなガッツがないと、ここでは保たないんだ」

「あの、先輩たちはそれでいいんですか?」


 思わず聞き返してしまった。キャップがさらっと答える。


「入植に必要なのは、技術や体力じゃないのさ。異なる環境由来のストレスに負けない、強靭な精神がどうしても要るんだ。協調性や情緒、思慮深さというのは、その次に来るんだよ。その点、古参の連中は揃いも揃って図太いんでね」


 なるほど、そういうことかあ。


「あまりにわがまま勝手が過ぎると、そいつの問題だけでは済まなくなることもある。その場合は、俺から個別に注意する。君らは大丈夫だと思うけどな」


 ぱちんとウインクしたキャップが、俺らに背中を向けて歩き出した。おっと、そういや……。


「あの、他の新任訓練生への対応はいいんですか?」


 振り返ったキャップは、とんでもない台詞を残してそのまま歩き去った。


「君ら以外は誰も船を降りてこんだろう。船内は、操縦管理の職員二人以外無人なんだ。首根っこ掴んで引きずり下ろすやつは誰もいないし、その意味もないだろ? 自発的に降りなきゃ、そのまま送還、退職さ」


 俺たち三人揃って、びっくり仰天アストニッシュド、口をあんぐり。五百分の三かよ。残存率一パーセント未満。しかも、この訓練所のせいではなく、応募者の資質の問題だよなあ。うーん……なんだかなあ。


◇ ◇ ◇


 そのあと、メインホールではなく所長室であらかたのガイダンスがあって、終了後に訓練生用の個室に案内された。


「すげえ! 動画のイメージ以上にぴっかぴかじゃん!」


 ウォルフが興奮して獣化しつつあったから、思わずどやした。


「ウォルフ! 落ち着け!」

「あ、済まん」


 まあ、やつが興奮する気持ちはわからんでもない。訓練施設だからシンプルでしゃれっ気はないが、とても機能的で使いやすそうだ。紹介動画以上に高級だわ。


「部屋のクリーニングは?」

「不要だよ。オート。ランドリーもシューターに入れておけば自動で処理される」

「母星より進んでるんですね」

「母星の資源管理システム導入区と同じだよ。仕様は母星に揃えられている」


 そうか。俺のいたスラムは、適用範囲区域から外されてたってことだな。


「施設は、男女別々の設計なんですか?」

「いや、全部共通だ。個室のセキュリティ管理は厳重だから、そっち系の事故はまず発生しない。もし訓練生の間でよからぬトラブルが起これば、当事者は即刻強制送還だ。訓練所には逃げ出す先がないから、刑法犯は一発アウトだよ」


 そらそうだ。訓練所の中は快適だけど、外は超低温で空気なしエアレス。生身で外に出たら、この世から即退場だからなあ。


「ただな」


 キャップがぐるっと俺らを見回した。


「それは、機械のようにここで過ごせということではないんだ。所内規則では恋愛や性行為を禁じていない。同性異性を問わず、カップリングすることは一向に構わない。妊娠しない、させない限りな」

「なぜ妊娠プレグナンシーはだめなんですか?」


 やや不服そうに、フリーゼが質問を投げた。それまで淡々と説明や回答を並べていたキャップが、少しの間口をつぐんだ。


「さあな。俺は、その是非を問える立場にないんだ。ここはあくまで訓練を行うための一時居住施設であって、定住を前提にした永住型施設ではない。だから禁じられているとしか言いようがない。気になるようなら、本部に詳しい理由を聞き質してくれ」

「わかりました」


 フリーゼは、あっさり引き下がった。まあ……いくら超上玉とはいえ、すぐ頭が沸騰する上に凶暴じゃなあ。相手が務まる男なんざ、そうそういないと思う。


「さて。それでは、明日から訓練開始なのでよろしくな。ここには昼夜の概念がないから、訓練は基準時をもとにしたタイムシフト制になっている。必ずスケジュールボードを確認し、遅れないようにトレーニングコースに集まってくれ」

「はい!」

「ああ、そうだ」


 ひょいと顔を上げて、キャップが俺らを見比べた。


「所長と言っても、俺には君らに強制命令を出す権限はない。君らの苦情や要望を吸い上げ、訓練環境を整えるのが主な仕事なんだ。要望があったら、遠慮なく申し出てくれ。所長室のドアは常時開けっ放しにしてある」


 うん。本当に温和で懐の深い人だな。訓練所にキャップがいる。それだけで、俺は何不自由なくやっていけそうな予感がした。


「さて。次の便への対応があるから、俺はドックに行く。君らは部屋で休んでくれればいい。さっき所長室で説明したが、食堂はいつでも好きな時間に使える。メニューや食材の要望も随時受け付けるから、何でも言ってくれ」

「あ、キャップ!」

「なんだ、ブラム?」


 そういや、一つだけ聞きたいことがあったんだ。


「この訓練所には、キャップ以外の職員さんがどれくらいいるんですか?」

「医師が一人、医務室にいる。ドクだ。医務室に住み着いていて、そこから出て来ることはほとんどない。古参連中と同じだな」

「それ以外は?」

「いないよ。職員は実質俺一人だ」


 ひ、一人だあっ!?



【第二話 びっくりだ!】

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