第12話 魔王の楽しみ
カッパ騒動から一年が過ぎた、ある穏やかな日の午後。
窓から入る柔らかな日差しを浴びながら、おれは師匠が読み散らかした本を片付けていた。
ちらちらと視界に入ってくる二人を無視して。
「ねぇ、師匠さん。密偵ってどこかに落ちてないかしら?」
相変わらずのカリーナの爆弾発言におれは額を本棚にぶつけた。
結構いい音がしたが、カリーナと向き合ってお茶を飲んでいる師匠はおれを気にすることなく穏やかに笑いながら言った。
「落ちていたら、それはそれで面白いね。カリーナは密偵が欲しいのかい?」
「そう。だって私の傭兵からの報告って噂レベルで裏付けがないんだもん。傭兵なら密偵とは違う視点で情報が集まると考えたんだけど、そこから正確な情報を得るには密偵が必要だと思ったの」
確かに、あのカッパ騒動のあと雪男狩りに行ったが結局は大猿の見間違いだった。他にもユニコーンやら狼男、ケルベロスなどの情報があって、そのたびに強制連行されたが全部いなかった。
いや、一つだけ情報が正しいことがあった。
それはドラゴンの目撃情報だった。その情報を聞いたとき、今度もデマだろうと軽い気持ちで現場に行ったら本当にドラゴンがいやがった。
驚くおれを尻目にカリーナはいつもの調子でドラゴンのウロコと生き血を取ってこいと無茶振りをしてきた。
おれは必死に抵抗したが、結局ドラゴンと戦うはめになり、ウロコ数枚と小瓶一杯分の生き血を採取させられた。
あの時は本当に死ぬかと思った。あれでおれの寿命は十年は縮んだはずだ。
おれが額を本棚にぶつけたまま嫌な記憶を思い出していると、師匠が微笑んで返事をした。
「そうだね」
同意した師匠にカリーナが話を続ける。
「でも密偵ってそう簡単には落ちていないのよね。傭兵ならそこらへんに転がっているのに」
「確かに落ちても転がってもいないね」
にこにこと相槌を打つ師匠と頬杖をついて何か考えているカリーナにおれは叫んだ。
「カリーナ!人を物扱いするな!師匠も!ちゃんと注意して下さい!そんなんだから、カリーナに常識が身につかないんです!」
おれの言葉にカリーナが心外とばかりに反論した。
「あら、常識なんて身につけなくても生きていけるわよ」
「生きていけても迷惑なんだよ」
「誰に?」
「主におれだ!」
「なら問題ないじゃない。それより密偵よ」
そう言うとカリーナはふうとため息を吐いて師匠に訊ねた。
「どうしたらいいかしら?」
おれはカリーナの隣に立って叫んだ。
「問題なくない。大ありだ!」
が、カリーナはおれがいないものとして師匠に話しかける。
「師匠さん、何かいいアイデアない?」
「おい!無視するな!」
「そうだねぇ」
「師匠……」
師匠にまでおれの叫びを無視されて落ち込んだ。もういい。とりあえず今日の夕食は師匠の嫌いなものオンパレードにしてやる。
おれが密かな復讐心を燃やしていると師匠がにっこりと言った。
「落ちていないなら、向こうから来るようにしてみたら?」
言葉の意味が分からず首を傾げているおれとは反対にカリーナは満面の笑みで両手を叩いた。
「さすが師匠さん!その手があったわ!さっそく準備しなきゃ。お茶ごちそうさま」
カリーナは楽しそうに軽い足取りで部屋から出て行く。
その後ろ姿を見て師匠がおれに言った。
「レンツォ、家まで送ってあげなさい」
「そうですね。ついでに山ほど人参を買ってきますので」
おれの発言に師匠が慌てる。
「なんで?人参はまだたくさんあるだろう?」
「今日の夕食は人参料理だけです」
「えぇー」
師匠が不満を隠すことなく表情に表す。四十歳後半の人間がいまだに人参嫌いなんて情けない。
「じゃ、行ってきます。あ、逃げたら一ヶ月は人参料理を続けますからね」
「そんな……」
何か言いかけていた師匠を無視しておれはドアを閉めた。先を行くカリーナを早足で追いかける。
家を出たところでカリーナに追いつき声をかけた。
「家まで送るよ」
「ありがとう。そういえば王様は近々外出するとか、国外に視察に行くとかの予定はある?」
「さぁ?そういう話は知らないな。あ、でも、そろそろ別荘で休養する時期じゃないか?」
「そんな時期があるの?」
「あぁ。一年に二回。夏は北部の別荘で。冬は南部の別荘で二週間ほど過ごすんだ」
「ちょうどいいわ」
カリーナの企み満開の笑顔に対して、おれは背筋に悪寒が走った。
「なにがちょうどいいんだ?」
「いつからいつまで何処の別荘に行くのか詳しく聞いてきて」
「なんで?」
「知りたい?」
天使のような外見で冷徹な魔王と化したカリーナの微笑みにおれは一歩後ずさった。
聞いてはいけない。聞いたら最後、巻き込まれることは確定だ。
本能が警鐘を鳴らす。だが、ここで状況を把握していなければ、後処理がもっと大変なことになる。
おれは意を決してカリーナに頷いた。
「あぁ」
「じゃあ、教えてあげるから手伝ってね」
計画の全貌を聞いておれは卒倒しかけたが、気力だけでなんとか踏みとどまり呟いた。
「本気か?」
「ええ。さっそく準備しなきゃ」
今にも踊りだしそうな冷徹な魔王はおれを放置して楽しそうに歩いていく。
おれは覚悟していたものの、こんな計画を思いつく余計な助言をした師匠を恨んだ。
「やっぱり一ヶ月人参料理の刑にしてやる」
こうして、おれはカリーナを家まで送った後、師匠が悲鳴を上げるほどの人参を買って帰った。
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