4.

 倒れた女の人に駆け寄ったチャラい服のリフティング男は、私に背中を向ける格好でひざまづき、もう一度「大丈夫ですか」と言いながら彼女の上半身を抱き起こした。

 そこで……また、あの動作……

 左腕だけで器用に女性の背中を抱き、右手で白いソフト帽のつばつかんでクイッと引き上げ、またぐに下ろす。

 それから、右手をポケットに入れて『何か』を取り出し、逆手に持ったナイフを振り下ろすような動作で、女性の肩から数センチ離れた

 私は思わず息を飲んだ。

 霊視能力の無い普通の人からは、何も無い空中に『何か』を突き立てるをした……そんな風にしか見えなかっただろう。

 しかし、私には見えた。

 男は、女性の肩にまとわりつくあの嫌らしい黒いモヤモヤに何らかの攻撃を加えたのだ。

 男が右手を突き立てるような動作をした直後から、黒い不定形の物体は悶え苦しむように伸び縮みを繰り返し……やがて……空気中の水蒸気が散り散りになるように輪郭がボヤけて……消えてしまった。

(そんな……あれ……あの黒いモヤモヤって……?)

 男は、黒い不定形のを殺した『道具』をポケットに仕舞しまって立ち上がり、振り返って私を見た。

「そこの女子高生!」

「え? わ、私のことですか?」

「他に、今この公園に女子高生が居るか? お前に決まってんだろ」

 初対面の相手に何なんだよ、その無礼な言葉づかいは……

 相手は女子高生なんだから、もっと優しく言えよ。

 ……なんて声なき声を顔に表しながら、こういう手合いには、どう対応したらいいのかと考えていると、男が「この女の人をベンチに運ぶから、手伝ってくれ」と続けた。

「俺が肩の方を持つから、あんた、足を持って運んでくれ」

 チッ!

 寝てる女を運ぶくらい、自分一人でやれよ……お姫様だっこも出来ねぇのかよ! この軟弱者めが!

 心の中でチャラ男に毒づきつつ、しかし倒れている女の人を放ってもおけないので、おそおそる、女性とその横にひざまずく男に近づいた。

「あのベンチまで運ぼう」

 チャラ男、別名リフティング男が、一番近いベンチを指さして言った。

 ベンチの隣に、なぜかビデオカメラをせた三脚が立っていた。

「あの……救急車呼んだ方が良いんじゃないですか?」

「ああ? そんな大層なもんじゃねぇよ。一時的に気を失っているだけだ。しばらくベンチに寝かせておけば数分で目をます」

「何で、そんなこと分かるんですか? 救急隊員でもないのに」

「俺、日本赤十字発行の救急法救急員の認定証持ってっから」

「はあ……」

「……はあ……じゃねぇよ。手伝ってくれるのか? くれないのか? さっさと決めてくれ」

「手伝いますよ。手伝えば良いんでしょ? 足ですね? 足を持てば良いんですねっ!」

 自分でも何でヤケクソな言葉づかいになってるのか分からないまま、私は倒れている女性の足を持ち上げた。

 チャラ男が女性の肩を持ち上げ、私たちは女性の体をベンチまで運んで、その上に寝かせた。

「サンキュー」

 これ以上無い、ってくらいの軽さで、ありがたみの欠片かけらもない感謝の言葉をかけられた。

 私はムッとして「……いいえ……別に」と返した……あんたに感謝される筋合いは無い、的なニュアンスで。

「倒れている女性を放って置けませんから」

「だよなぁー、いやホント、びっくりしちゃったよ。いきなり目の前で倒れるんだもん。このひと、よっぽど疲れてるんだな。顔色悪かったもんなー」

 ……しらじらしい……

「はぁ? お前、いま何つった?」

「いいえ。何にも言ってませんけど」

「いま『しらじらしい』って言っただろ」

 やべっ……心の中の叫びが無意識に声に出てたのか……

「言ったかも知れませんけど、他意はありません」

「お前、言葉の使い方まちがってるぞ。他意も何も、しらじらしいに、しらじらしい以外の意味はねぇだろうが」

 うわっ、チャラ男に日本語の使い方について指摘された! 見るからにバカそうなチャラ男に! 十七年間生きてて人生最大の屈辱だ。

 ちょっとキレた。

 何だよこの男。さっきから何さまのつもりだ。

「じゃあ、言わせてもらいますけど、この女の人を気絶させたのって、あなたじゃないんですか? 私さっき見ました。ポケットから何か変なもの出して、クイッてやるの……そしたら、この女の人が倒れて……」

 チャラ男は、どう答えようか迷っているような顔で、しばらく私を見つめたあと、「あ、バレてた?」と頰をいた。

「あれ何なんですか? なんか右手の中で夕日を反射してキラッて光ったけど……それに、そのキラッて光ったやつをこのひとの首に巻きついてた黒いモヤモヤしたやつに突き刺したのも見ました!」

 それを聞いたチャラ男の顔が、急に厳しくなった。

 ゾッと背筋に冷たいものが走った。

 超絶美形に真顔でにらまれると、怖い。

「お前、やっぱり

「……」

 私が答えに困って黙っていると、チャラ男は「フゥ」と大きくいきいた。

「……だと思ったんだよなぁ……」

 そう言った時のチャラ男は、もう元のチャラい男に戻っていた。

「何気なく公園を歩いていた女子高生が……つまり、あんたの事だけど……急に立ち止まって妙な顔でどっかを見つめてるだろ? 何だろ、って思って振り返ると、このひとが暗ーい顔して歩いてるじゃんか」

 言いながらベンチで寝ている女の人を指さす。

「こんな表情をしてる人って、たいていんだよね。それで、もしやと思って確認したら、案の定……シニツキ虫が肩に乗っかってるじゃないですか……まあ、見ちゃった以上は放ってもおけないし、でも、いきなり近づいて行って、変質者だって思われちゃうだろ? それで一旦いったん眠ってもらったって寸法」

「シニツキ……虫?」

そうな人に取りから、俺たちはシニツキ虫って呼んでる」

 何? それ? 業界用語? 『俺たち』ってことは、アンタみたいな人が他に何人も居るってわけ?

 だんだん私の理解力を超えてきた。

 これが、いわゆる一つの『ちょっと何言ってるか分かんない』状態か……

「お前、いま『ちょっと何言ってるか分かんない』状態になってんだろ?」

 ドキッ!

「霊視能力があるくせに、そっちの方の知識は皆無みてぇだな。誰とも共闘せず、ずっとその能力を隠して今まで生きてきた、ってことか……」

 ドキッ! ドキッ!

「まあ、それも賢い生き方かもな……ヤバいと思ったら逃げ出すか、遠巻きに見ているか」

 さすがにここまで見透かされると、ムッとする。

「さっきから聞いてれば、いかにも『自分は何でも知っている』みたいな口ぶりだけど……何なんですか、これ! これが見えると、どうなるっていうんですか!」

「だから、言っただろ。シニツキ虫。死にそうな人に取りく虫。これ自体は、霊的存在としちゃ低級な方だ。対処法を知っていれば、それほど危険な存在やつじゃない……もともと『念能ねんどうエナルジー』が弱っている人間を見つけて、そいつに取りく」

念能ねんどう……エナルジー?」

「まあ『精神力』みたいなもん。もともと生活に問題を抱えていて精神的に弱っている人間に取り憑いて、ただでさえ減退しているその精神エネルギーを、ヤブ蚊みてぇにチュウチュウ吸いやがるのさ……取り憑かれて吸われる方はまったもんじゃねぇし、そのまま吸われ続ければ、もともと弱っている精神がますます弱っていくわけだから、こうやって滅殺しちまうのが良いんだが……」

「それだけでは根本的な解決にならない……ってことですね?」

 私の言葉を聞いて、チャラ男は『ホウッ』と感心したような顔になった。

 私だってバカじゃありませんから。

 少なくとも見るからにバカそうなチャラ男にバカにされるほどのバカじゃありませんから。

「例えるなら……」チャラ男が続けた。「病原菌が体の中に入って病気になるのは、もともと体が弱って免疫力が落ちていたから、って事さ……消毒して病原菌をやっつけるのも大事だが、患者の体力が損なわれてしまったそもそもの原因を取り除かない限り、いずれその人間は……」

 死んでしまう……か。

「って事は、ひょっとしてこれから、この女の人の『そもそもの原因』とやらを取り除くつもりですか?」

「……いや、それは出来ない。それは俺の扱える領域じゃない」

「どういう意味ですか」

「このひと何故なぜシニツキ虫にかれたか……それは彼女が何らかの問題を抱えていて、『念能ねんどうエナルジー』つまり精神力が弱っていたからだ。仕事、私生活、人間関係、経済的問題……彼女の抱えていた問題が何なのかは分からない。一つ言えるのは、多くの場合それは霊的な領域の問題じゃなくだ、って事さ」

「目に見えないバケモノは倒せても、人の悩みは解決できない……と?」

「そういう事」

 何だか、納得できなかった。

 偉そうな事を言っても……結局このチャラ男は、ベンチの上で寝ている女性を助けるつもりがないのか……

「ところで根本的な質問いいですか?」

「どうぞ。何なりと」

「あの……何者なんですか? やっぱり『霊能力者』とか、そっち系の人?」

「まあね。でも本業じゃない。ボランティアみたいなものかな……本業は……」

 そう言って、チャラいリフティング男は、派手なジャケットの内ポケットに手を入れ、名刺ケースから一枚とって私に差し出した。

 名刺には「さすらいのリフティング戦士! 駈原かけはら巧見たくみ」という名前と、二頭身の男の子がサッカーボールを抱えてVサインをしている小ちゃなイラストがいてあった。

 ……この男、どこまでチャラいのか……

 名刺の下の方に「登録よろしく! さぶすくらいぶ・ぷりーず!」という一文とともにネットのアドレス。

「ワイ・オー・ユー・ティー……って、ええ! ユ、ユーチューバー?」

「うん。全国各地を回って、公園やら浜辺やらでリフティングして、その動画をアップしてんの。まだ始めたばっかで、再生回数は五十回そこそこ、登録者数は三人なんだけどね。いずれはピカチンみたいな大物ユーチューバーになって、広告料ガッポガッポ……」

 ……ダメだ、こりゃ……

 その時、ベンチに寝かせていた女の人が「う、うーん」と言いながら薄目を開けた。

 のぞき込む私とチャラ男もとい駈原かけはら巧見たくみの顔を交互に見上げ、直後、がばっと起き上がった。

「あれ……わ、私、どうしちゃったんだろう……」

「突然、公園の真ん中で倒れちゃったんスよ」

 営業スマイル的な笑顔でチャラ男が言った。

 そのあまりに端正な顔に、キャリア・ウーマン風の女性は一瞬だけポーッとなるが、そんな気持ちも間抜けなスマイルとチャラい服で中和され、次の瞬間、女性は警戒をあらわにして「だ、誰ですか」とチャラ男にたずねた。

「これは、失礼。わたくし、こういう者です……」

 言いながら、チャラ男が内ポケットに手を入れた。

 やめろ。その名刺を出すな。かえって逆効果。チャラさが倍増するだけだ。

 キャリア・ウーマン風の女性は受け取った名刺を読んで顔をしかめ、スッとベンチから立ち上がった。

「あ、ありがとうございます」

 いちおう大人の礼儀として感謝の意を表したが、キャリア・ウーマンの体からは『はやくこの場を立ち去りたい。こんな人たちとは関わりあいになりたくない』的なオーラがムンムンだった。

 小走りに公園を去るキャリア・ウーマンの後ろ姿を、私とチャラ男は並んで見送った。

 マズい。私までこの怪しげな男の一味だと思われてしまった。

 この上なく恥ずかしい。

「さて……」チャラ男もとい駈原かけはら巧見たくみと名乗る男が言った。「だんだん暗くなってきたし……今日は店じまいかな」

 それからカメラを載せた三脚のところまで行って脚を折りたたみ始めた。

 三脚を折りたたみながら、駈原かけはら巧見たくみが「関わり合いになるなよ」と言った。

「他人の肩に『何か』が見えても、関わり合いになるな」

 どうやら私に忠告しているようだ。

「確かにシニツキ虫は霊的存在の中じゃ低級だ。だからと言って、対処方を知らない奴が下手に近づけば、思わぬ害をこうむる可能性だってある……それに……さっきも言った通り、シニツキ虫が取り憑く根本原因は、その人間が抱えてしまった『人としての』悩みや問題だ。霊視ができたところで他人の問題に口を挟めるわけでもないだろ」

 そう言い残し、三脚とカメラを片付け終わると、チャラ男こと駈原かけはら巧見たくみは、日没間近の公園から出て行った。

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