3.

 咲希さきが教室から出て行ってからそれほど間を置かず、私もかばんを持って教室を出た。

 廊下を歩き、階段を降り、玄関で靴を履きかえ校舎を出て校庭を横切り校門を抜けた。

 バス停のある幹線道路まで、夕日で赤く染まった住宅街を歩く。

 住宅街の真ん中にある比較的大きな公園を突っ切るのが、幹線道路への一番の近道だった。

 夜は変質者が出るという噂もある公園だったが、まだ日没には少し時間があるし、日が傾いているとはいえ充分に明るい。

 私は迷わずその広い公園の中に入った。

 公園の中央部には、固めた土というか砂というか、要するに舗装せず地面がき出しになった広場があった。もう少し早い時間なら少年たちがサッカーボールを蹴って遊ぶ姿も見られたろうが、日暮れ間近まぢかのせいか、公園内に人影は見られなかった。

 ……いや……ひとりだけ、居た。

 若い男がひとり、ポツンと中央広場に立って、サッカーボールを何度も宙に蹴り上げていた。

(確か、あれ、リフティング、っていうんだよね……)

 全てが夕日で赤く染まった広い公園の中に、私とその若い男だけ。

 もうすぐ日が沈む。

 変質者が出没するという噂も聞いていたし、全く怖くなかったかといえば嘘になる。

 しかしリフティングに熱中する男に悪意のようなものは感じられなかった。

 私は意を決して公園の中央広場を横切ることにした。

 少し近づくと、その若い男の顔がよく見えた。

 驚いた。

 今まで見たこともない程のい男だったからだ。

 年齢は二十歳くらいだろう。

 背の高さは普通。せいぜい日本の成人男性の平均値より若干じゃっかん高い程度。

 しかしまあ、その顔の端正なこと。

 現代日本にミケランジェロが転生してたら泣いて喜ぶほどの造形美、とでも言ったら良いか。

 ヤバい。彼の顔を見てたら全身の毛穴が開いて何か変なものがみ出て来そう。

 その完璧超絶美形の男が、ひたすら宙にボールを蹴り続けるさまは……何というか、そりゃあ、もう。

(躍動する若い男の身体カラダ……こりゃ、マジで眼福、眼福……ウフフフ)

 などと、うら若き女子高校生にあるまじき邪念が一瞬だけ私の頭の中にき上がった。 

 ……がっ!

 そのリフティングに興じる完璧超絶美形男、まことに残念ながら、絶望的に服がダサかった。

 いや、ダサいというより、チャラい。絶望的にチャラい。

 例えて言えば、ブルーノ・マーズとかいうアメリカの歌手を百万倍チャラくした格好。

 頭にかぶる白のソフト帽から始まって、首のところが大きく開いたTシャツにゴールドのネックレス、その上からパステル・カラーのジャケット。

 下半身がまたひどい。

 わざとやってんだか何だか知らないが、若干たけが短い黒のパンツ。

 靴下なしでくるぶしき出しにして、足に履いているのは、これまたパステル・カラーのスニーカー。

 そんな目がチカチカするような服を着た超絶美形男が、夕日に赤く染まった公園の広場でリフティングしてる……ミケランジェロというよりは、サルバドール・ダリの夢にでも出てきそうなシュールなビジュアルが、このありふれた住宅街の公園のド真ん中に幻出していた。

 どんなに美形でも、あんな奇抜な服を着てる男がはずない……という偏見に従って、私はその若い男から一定の距離をあけて歩き、公園の向こう側へ抜けようとした。

 ……その時……

 広場の向こう側から、歩いてくる人影があった。

 アップにした髪にメタルフレームの眼鏡、紺のスーツを着てショルダーバッグを肩に掛けた、いかにもキャリア・ウーマン然とした三十歳くらいの女だった。

 疲れ切ったような、今にも倒れそうな顔……

 左肩に、あの黒く嫌らしい不定形の塊が乗っていた。

(と、取りかれている……)

 見た瞬間、私の体は反射的にビクッと震え、無意識に足をめてしまった。

 急に立ち止まって体を震わせた私を不審に思ったのか、リフティングをしていた男がサッカーボールをんで地面の上に静止させ、ジッと私の顔を見た。そして私の視線を追ってゆっくりと首を振り、キャリア・ウーマンの方へ顔を向けた。

 リフティング男の目がスッと細まり、彫刻のような美形に、鋭くにらみつけるような表情が浮かんだ。

 頭にせた白ソフト帽のつばを左手でつまんでグイッと引き上げ、またぐに下ろすという不可解な動作のあと、リフティング男は趣味の悪いジャケットのポケットに右手を入れた。

 ポケットから何を取り出したのか、その時点では分からなかった。

 何かを握った右手の端が、夕日を反射してキラリと光ったような気がした。

 男がその右手を小さくクイッと動かすと同時に、急にキャリア・ウーマンの体から力が抜け、彼女は広場の土の上に崩折くずおれてしまった。

「大丈夫ですか!」

 いかにも驚いた風に声を上げ、リフティング男は、気を失った女にった。

 傍目はためからは、突然体調を崩して倒れた女を介抱しようと走り寄る親切な男、というていに見えた。

 しかし、私は確信していた。

 彼女を気絶させたのは、他でもないこの男だ。

 どういう仕掛けかは知らないが、この男がポケットから出したを使って遠距離から女の体に作用を与え、意識を奪ったのだ。

 何故なぜそんなことをしたのか?

 おそらく、この場で一部始終を目撃している第三者(つまり私)に怪しまれることなく女に近づくためだ。

 では何故、リフティング男はキャリア・ウーマンに近づく必要があったのか? ……そこまでは私にも分からなかった。

 ヤバい、と思った。

 突然の出来事に呆然として、理性は上手く働かなかった。

 でも、私のが直感していた……いま目の前で、物凄くヤバい事が起きているんだ、って。

 それを目撃したら最後、私の中の『何か』が決定的に変わってしまって、もう後もどり出来なくなるほどヤバい事が。

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