第9話 真島りんが信頼していた好

「.....好.....和樹くんを覚えていないか?」


翌日の事、金曜日になった。

俺と瑠衣と谷は学校が終わってから好が入院している病院まで直ぐにやって来て顎、頭と包帯の巻かれた好を見ていた。


ただひたすらに、痴呆を起こした様にボーッと空中を見つめている。

その様子は本当に有り得ないぐらいに悲しくこれが記憶を失った人間なのか、と同時に思ったりもした。


そして俺は複雑な思いと僅かな期待を抱きながら、好を見つめていたのだが。

好は横に首を振った。


「.....覚えてないよお父さん.....」


「.....そうか.....」


俺は悔しくて俯く。

何故、異変に気が付かなかったのだ。

ただ俺は俺自身を呪ってやりたいと思った。


こんな目に遭っている、好が可哀想だと思わないのか俺は。

他の奴でも良いじゃないか、何で好なんだ。

側で泣いている瑠衣を見ながら。

そう、思っていると、谷が俺を見つめてきた。


「.....和樹.....大丈夫か」


「.....取り敢えずは徐々に取り戻すしかない。.....0からでも俺達の記憶を.....だ」


よく考えればそうだ失ったんなら今から作れば良いじゃないか、奇跡を起こしてやると俺は考えた。

諦めず、全てを気楽に考えれば.....いける筈だ。

何もかもが上手く、だ。


「.....好」


意を決して、俺は好に話し掛けた。

その呆然とした顔がハッとして、こっちを向いてくる。


全くの別人の様に余所余所しく話し掛けてきた。

それは本当に悲しいぐらいに、だ。


「.....あ、和樹さん、でしたね.....こんにちは」


「お前.....本当に何も覚えてないのか?」


「.....?.....あ、はい」


こんな姿が.....駄目だ.....また俺の頭が.....と思っている最中。

その、声が聞こえた。

俺に対して説教する、笑顔が。


『全く。しっかりしなさい。和樹』


俺は涙が浮かんできそうだったが、必死に堪えて。

そして、好のベッドに静かに腰掛けて和かに一つ聞いた。

好はニコニコしている。


「.....大丈夫だ。.....どんなに小さな事でも良い。俺達が思い出させてやるからな。いや、思い出を作ってやるからな」


「.....あ、はい.....」


「.....元気になるんだ。.....先ずは」


俺はその様に好に優しく言いながら立ち上がった。

すると突然、瑠衣が後ろを向く。

それから歩いて行った。


「.....わ、私.....ジュース買ってきます!」


「.....あ、じゃあ俺も一緒に行こう。.....谷、任せて良いか?」


「.....ああ」


その谷の様子に頷いてから。

俺は瑠衣の後ろを付いて行く様にしてゆっくりと歩き出す。

そして瑠衣と共に静かに病室を出た。



ガン、ゴンッ


「「.....」」


自動販売機の下に缶やペッドボトルが落ちてくるのをお互いに見ながら。

それ以外は音のしない日差しが差し込むだけの休憩室に俺達は居た。


今日は偶然にも他の患者さんも、お見舞いの人も居ない。

看護師と医者が慌てて患者さんを連れて行く姿は見るのだが。

なんで今日に限って居ないのか.....。


まるで空気を読んでくれている様な感じだが、出来れば.....騒がしい方が良かった。

俺はその様に思いつつ、瑠衣を見る。


「.....お兄。私、どうしたら良いんだろう」


「.....ははっ。.....呼び方がお兄に戻ってるぞ」


「.....あ、本当.....ってそんな事は良いよ.....今の状態.....どうしたら良いのかな?私、凄い悲しい.....好さんに忘れられて.....」


「.....それは俺もだからな.....ごめんな.....なんとも言えないな」


仮にも昔、好きだった幼馴染の記憶がその全て奪われ。

思い出も何もかもが無くなった。

今現在、この場には悲しみしか無い。

だが、だ。

そうなんだ。


「.....だがな、瑠衣.....一番辛いのは.....お前が好さんと慕っている好だ。泣いたら駄目なんだ」


「だ.....よ.....ね.....うん.....うん.....分かってる。分かってるんだけど.....!」


瑠衣は俺の腹に縋って来て瑠衣は号泣する。

その様子を悲しげに見つめる。

止めてくれ。


俺も泣いてしまうから。

思い出が消えた事に、忘れられた事に。

本当に、本当に悲しいから。


「.....駄目だ、泣くな。瑠衣。本当によく分かるけど.....泣いちゃ駄目.....なんだ」


俺は涙声になりながら絞り出す様に言葉を発する。

瑠衣は俺の腹に顔を当てたまま呟いた。

涙をハンカチで拭きつつ話す。


「.....そうだね.....お兄.....」


「.....俺は信じてるから.....好の回復力をお前も信じてやれ」


「.....うん」


ギュッと腹を抱き締めてくる、瑠衣、そして、意を決した様に顔を上げた。

少し、落ち着いた様に見える。


俺はそんな瑠衣のカチューシャの着いている頭を撫でた。

好に少しでも思い出して欲しいと貰っていて着けたカチューシャに俺は少しだけ気力が湧いてきた。


「.....行こう。な?」


「うん。.....そうだね、行く」


俺達はゴミ箱に飲み物の空き缶とペットボトルを捨てて。

休憩室を出てから病室に戻る。

希望はまだ有る筈だから、と思いながら。



谷と友蔵さんに飲み物を渡した。

それから谷に聞く。

好の事について、だ。


「谷。好.....何か変化あったか?」


「.....ボーッと空中を見てるってところ以外は.....変わりないな」


「.....」


クソッと俺はその様に思いながら、好の手を握った。

その瞬間、電池の入ったドール人形が反応する様に好がこっちを見てくる。

全然反応が鈍い。

俺が見た事も無い好だ。


「.....例えお前がどんな目に遭っていたとしても.....守るからな.....好」


「.....和樹さん?」


「.....いや、何でもない。ごめんな」


その様に話しながら俺は首を振る。

そして窓の外を見てから、好を見つめる。

言葉を発した。


「.....また明日来るよ。好。.....夜になるからな」


「.....うん。和樹さん、また来てね!」


挨拶をしていると、友蔵さんがやって来た。

俺に向いて、頭を下げる。

その事に複雑な気持ちを抱く。


「.....有難う。和樹くん.....来てくれて」


「.....俺.....来ただけっすよ」


「.....いや、好の為にここまでしてくれるのは君達以外.....はな」


「.....」


俺は友蔵さんに頭を下げた。

そしてもう一度、好を見てから。

複雑な想いを抱えたまま手を振る。


「好。じゃあな」


「うん」



この世界は皮肉に満ちている気がする。

皮肉っていうのは、簡単に言えば上手くいかないって事だ。

それがこの世界の掟なのかも知れないが。


「.....」


「.....」


別方向の谷と別れて俺達は静かに歩く。

段々とオレンジ色の空が無くなる。

それに釣られてなのか、瑠衣はあまり元気が無い。


それはそうだろうけどな。

すると、握っている手を更にぎゅっと瑠衣が握ってきた。


「.....和樹さん.....御免なさい.....色々と」


「.....大丈夫だから.....な?瑠衣」


答えは迷わなかった。

俺は瑠衣を守る。

そう、好が最後に俺に託した希望を守り抜くんだ。


俺が絶望した時。

きっと瑠衣が助けてくれるだろう。

自分の色々を打つけるのは本当に気が引けるが。


好の希望を持ちながら俺は。

絶対に。


「.....」


「.....」


夕日が沈みかける。

その間に家に辿り着いた。

そして玄関の電気やら点けて家の中に入る。


「.....元気に行こうね。和樹さん」


「.....ああ」


何とか元気が出た様にエプロンを手に取って準備を始めた、瑠衣。

俺はその様子を見ながら、手伝いを始める。

のだが、始めた時にインターフォンが鳴った。


ピンポーン


「.....何だ?はーい」


俺は瑠衣に断りを入れてから、バタバタと玄関へ向かう。

そして玄関の扉を開けた瞬間に思いっきり突然に顔を殴られた。


目の前を衝撃でグラグラした頭で見ると、身長に似合わない木製バットを抱えている、黒髪の長髪、顔立ちが幼い女の子が。


小学校3〜4年生ぐらい?と思えるが.....何だコイツは!

何だコイツは.....!?

俺は頭を抱えながら、その女の子を見る。

涙目で俺を睨み付けていた。


「絶対に許さない!.....私の好お姉ちゃん.....を.....!」


好お姉ちゃん、という言葉。

この態度と言葉で思い出した。

それは、りん、の事である。


確か、好の右隣に住んでいる好をそれなりに慕っていた、真島りん、だ。

それにしても何て事をしやがるのだ。

俺をバットで殴るとは.....!


「.....お前.....ふざけんな.....よ.....!」


「絶対に殺す!」


って言うか、マズイぞこれは。

幾ら木製バットでも下手すりゃ俺は死んでしまう。

冗談じゃ済まない、と思っていると。

バタバタバタと音がした。


「何事!?って.....何これ!?」


瑠衣が何事かとやって来た。

それから俺をバットで襲う女子小学生を必死に止めようとする。

りん、だという事に気が付いた様だ。


「ちょっと!止めて!りんちゃん!」


「この.....!」


「くそ!」


俺は、りん、の手首を握った。

そして力をあまり込めない様にして左手で木製バットを叩き落とす。

りん、は痛い!と言って、バットをそのまま落とした。


「痛っ.....!」


「いい加減にしろ!りん!」


何て乱暴な事をと俺はその様に思いながら。

りん、を必死に止めた。

本当に死ぬから。



「.....りんちゃん。あんな事しちゃ駄目だよ.....」


「ふん!」


木製バットは押収した。

一体、どっから持って来たか知らないが。

俺は複雑に、りん、を見つめる。


「.....」


「.....好お姉ちゃんに何をした!」


「コラッ」


りん、の頬を叩いた、瑠衣。

本気で怒っている。

俺はその瑠衣を止めながら、りん、を見る。


「あのな.....俺じゃないよ。りん。.....病気で倒れたんだよ。好は」


「.....ふん!信じないもん!」


りん、は可愛らしい幼顔の頬を膨らませて、そっぽを向く。

俺はその様子を見ながら、ため息を吐いた。

さぁどうするか、と思って、だ。

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