第3話二十六歳で始めたSNS

 私は二十六歳のとき、人生で初めての髪染めをしたが、使用したのはヘアマニキュアではなかった。

 シニア世代に支持されている白髪染めだった。

 左半分の髪と右半分の前髪の八割が白髪になったからだ。

 カラーは地毛に近いライトブラウン。瞳の色を理由に、日本人らしくブラックにすることはあまりにも不自然だったからだ。

 そもそも、私は就職の際、髪を黒く染める必要がないことを、会社の上司が認めてくれた。

 やはり瞳の色が理由だった。

 上司には感謝しているけれど、私は母を職場に連れてみようとは、一度も考えたことがない。

 就職の際、身分証明書として戸籍謄本を提出したが、未成年の保護者名は完全な日本人だった。

 もちろん、瞳の色はブラウン。混じり気のない母を見て、私の出生を荒探しをするお局さまに関わることになるからだ。

 母は何度も、会社訪問をしたいと申し出たが、会社規則に制限があるという嘘で私は拒んだ。

 おかげで、出生に関しては口出しをする人間は一人も現れていない。

 私の知らないところで噂が流れているかもしれないが、耳に入らない限り私が関わることではない。

 「結婚資金」と名付けた私の預金通帳が私のパートナー。

 彼がいるから、私はこの日まで生きてこられた。

 誕生日から七か月後の夏、私は格安キャリアのスマートフォンを購入した。

 おそらく、中学高校の同級生の中では最も遅い導入だっただろう。

 それでも私は劣等感を抱かなかった。自分で選んだタイミングだったから、そもそも劣等感を抱く必要がない。

 そう信じていた。いや、信じたかった。

 それまで、私は私自身でさえ信用していなかったことを気付かなかった。

 ファイスブック「顔の本」に友人候補が表示されるまで。

 フェイスブックには、自己紹介として出身地、出身中学や高校、在籍する会社名などを入力する項目がある。

 入力する分には抵抗を感じなかった。

 けれど他人として、誰かのプロフィールを見るとその人の配慮不足を感じる。

 もしかしたら、私もその一人かもしれない。

 中学も高校も、同級生は皆三十代に突入している。

 この年代になると、とくに女性のページでは「既婚」と表示される。

 彼氏はいても結婚していないのは、両手で数えるほどだ。

 私はこのとき初めて焦った。彼がいても、実際に生活―母と真逆の人生―を送る相手はいない。

 仕事と結婚し毎日充実した生活を情報としてフェイスブックに上げている男女もいるが、私は前者でも後者でもない。

 仕事は生きていく手段、お金のために必要なものとみなし、生きがいとまでは感じていない。

 私は一生、ある感情だけを抱え、声を発して笑うことなく過ごすのだろうか。

 母の返還金を完済した今、この状況を変えなければならないのではないか。

 私は手あたり次第婚活パーティの情報サイトを探った。

 ときには市役所に赴き市のボランティアによる婚活相談室なるものの詳細を聞いた。

 それでも、私は一度も参加することなく三十一歳の誕生日を迎えてしまった。

 この頃になると、同級生の中では独身者が一人、また一人と減ることがフェイスブックで分かる。

 中には二十代のうちに離婚し、一人で子育てをしている女性もいる。

 彼女は今後再婚するかもしれないが、だからといって、私の現状が変わるわけではない。

 仕事、家事、そしてすれ違いのコミュニケーションで落ち着きのない母子を見ると、結婚は急ぐものではないと自分に言い聞かせることができる。

 だからといって、私の中で焦りがまったくないということではない。

 それでも焦りよりも私の心を惹きつけるものがある。

 未知への好奇心だ。

 私はこれまで、誰にも心を許さず生きてきた。

 家庭事情から振袖のことまで、包み隠さず話せる相手を作らなかった。

 けれど、私がもし結婚したらパートナーに話さずにはいられないだろう。

 いずれできるだろう子どもに、私と彼の生い立ちをすべて話す日がやってくると思うから。

 私が母から聞かされたように。

 見知らぬ彼はともかく、私の生い立ちという情報が子どもの人生を良くするとは言い難い。

 果たして、私は独身を貫くべきか。または私の仮面を承知の上で結婚してくれるパートナーを見付けるのが良いのか。

 AIが私の人生鑑定をしてくれたら、これまでの厄災を避けられたかもしれないのに、とさえ恨んでします。

 もし科学が昭和時代から急発展していれば、母が私を想って堕胎してくれたかもしれないのに。

 私が生まれたことで、心から祝福してくれる大人は片手の指を数えるほどでもいてくれただろうか。

 そう思ってしまうほど、母すみれの人生には荒波が多すぎる。

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