第97話 異形の武人は深淵に散る

 湧き出る深淵の尖兵は止まる事を知らず。

 如何に千の戦乙女ヴァルキュリアを従えようと、総数を遥かに上回る異形の洪水をさばき切るのはすでに限界に近かった。


 界吏かいり君らは前衛で、そして中腹ではシャルージェ達がクトゥグア達と共闘するも……戦力状況としては分断された形。

 かく言う私とドールズのドレッド・ノートも、旗艦から大きく距離を離された状況だった。


 そんな中響いた覚悟の咆哮。

 私が尖兵を薙ぎつつモニターで目撃したのは――あたかも超新星爆発が起こったかと錯覚する様な


 かの大邪神 クトゥルフを押さえ込む様に相対するは、巨大なる体躯へと変貌したノーデンスの本体たる白翁の巨人。


 けれど衝突はささやかな時間で陰りを見せ、気が付けば神機 ノーデンスが押さえ込まれ――

 それが致命的な状況を生むのに、さほど時間を要さなかった。


「ノーデンス卿……ノーデンス卿ーーっ!! ――この尖兵どもがっ! 私の邪魔をするなっ! 彼が――」


 供にあったのは僅かな時間。

 けれど心を通わせ、異なる意志と種の壁を越えて取り合ったその手。

 今マスターテリオンは、その異なる者達の絆で存在している様な物。


 けれど眼前――モニターを埋め尽くす大邪神の巨大なる触手に、同じく巨大なる白翁が貫かれて行く。


 まだ間に合う。

 まだ私がこの尖兵を退ければ、辛うじて彼の霊格ぐらいは救う事が叶うと――


 ローゼリアの手を伸ばした時……その言葉は私の耳を貫いた。


『……これはノーデンスの戦いだ、シエラさん。だから手を出さないでくれ。』


「何を馬鹿なっ!? 彼は私達人類を何より慈しんでくれた、偉大なる存在――」


『お願いだっ!! 』


 あり得ない界吏かいり君の言葉へ、叫ぶ様に返した私は目にしてしまう。

 全ての歯を砕いてしまうほどに歯噛みし、双眸へ雫さえ浮かべて耐える彼を。


 犠牲のない戦いなんて存在しない。

 けれど未来を背負う若者を死なすまいと、己が命を投じて死を選んだノーデンス卿への……種族さえ越えた畏敬の念を見せた彼の姿を――


 その言葉を、トライデントを振り翳しながら耳にしたノーデンス卿。

 モニターへ映る覚悟のしたり顔が咆哮を上げる。

 そして振るうそれが大邪神と呼ばれたクトゥルフへ深々と突き立てられた。


 刹那、高次元から響く狂気の浸蝕が宇宙へ木霊する。

 のたうち回る大邪神へ貼り付く卿が……こちらへと視線を投げて——吼えた。


『今じゃ、シエラ嬢! この一撃では良くて中破止まり……が、こやつも恐ろしき再生能力を——ゴブォ……——』


「ノーデンス卿、喋らないで! このままでは——」


 界吏かいり君は手を出すなと言うが、そうそう割り切れるものではない。

 私はかつてアリスを救う事が出来ず見殺しにしたも同然。

 だからこそ誰もとの間に壁を作り、過去から逃げていたんだ。


 

 私と共にあると言ってくれた、絆の存在を——


『殺れーーーっ、シエラ嬢ーーーっ!! このワシ諸共、大邪神を討ち果たせーーーっっ!! 』


「ノー……デンス……卿! 」


 そんな言葉をかけないで。

 もう溢れる雫で前が見えないじゃないか。

 けど——だけど双眸を閉じ……私達の背にかかる命の明日を想像する。


 この機を逃せば、もはやナイアルラトホテップが世界を裁きの炎で焼く以外に未来は無い。


 だから——


「アイリス……そしてドールズのみんな。千の戦乙女ヴァルキュリアと共に私へ——この命の守護者たるローゼリアに続いてっ!! 」


「……アリス。私はこの手の武器狂気で彼を討つ。大邪神を野放しには出来ないから。ごめんね?こんな事しか出来ない人類で……。」


 モニターへ映るアリスも……そしてアイリスの瞳も濡れ――僅かの後ローゼリアの元へ集う千の戦乙女ヴァルキュリアとドレッド・ノート。


 それが穿つは大邪神を今なお押さえ込む……神機 ノーデンス。

 少しの間供にあってくれた、


 零れ落ちる涙を振り切った私は、大号令をかけた。

 大邪神を屠るために――


「集いし戦乙女ヴァルキュリアと古の翼の力持ちて、我強大なる邪神を穿つ! 放て……ラグナロク・サウザンド・ヴァルキュリアっっ!! 」



 ローゼリアの振り上げた光刃大鎌ビーム・グレートサイズにて次元を断つ様に。

 大邪神をノーデンスの本体ごと、討ち貫いた――



§ § §



 次元へと響く咆哮は霊的なる膨大な怨嗟を思わせた。

 死に体であった白翁の巨人諸共包む、千の刃と六条の閃光。

 そして、巨艦を真っ二つに引き裂いた。


 そこは未だ邪神の尖兵が入り乱れる戦場。

 だがその悲劇の顛末を、ただ呆然と見送るしかない二体が嘆きを零した。


「我ら邪神は、如何なる時もあくまで協力関係程度の繋がりだ……。そして互いが相容れない事などハナから承知のはず――」


「そうだよ、燃えカス。ボクらは互いを利用しあう間柄だ。故にそれが深層心理まで踏み込む事なんてありえないんだよ。」


 T・Kタケミカヅチ・カスタム兵装――

 炎の化身クトゥグアのヘルファイアと黄衣の王ハスターのマッドストームが、尖兵に攻撃を掠められながらただ宙へ浮遊する。

 そのコックピット内で、自分達と供に人類への試練と立ちはだかった白き巨人が消え行く様を目撃していた。


 双眸へ……彼女らが今まで想像だにしない雫を並々湛えて。


「なのにこれは何だ? 困惑かな、困惑かな。私の目からこんな物が溢れて止まらないのは……一体、何故なのだ? 」


「あり得ないんだよ、このボク達が。こんなにも……こんなにもあのジジィが散る様が悲しくて仕方がないなんて……! 」


 かつて狂気の存在と恐れられた二柱のお転婆邪神が、声を震わせ歯噛みする。

 そこへ通信を寄越すのは――彼女達が今、魂を宿す体躯と同じ存在。

 星の少女アイリスである。


『クトゥグアにハスター。あなた方が涙を湛えるのは、何も不思議な事ではありません。今あなた達の体躯は私達、星霊姫ドールの体躯と同質の概念で生み出されたもの――』


『それは即ち、人類よりも繊細な感情を宿す星霊姫ドールであると同義です。だからこそ涙が溢れて止まらないのです。……切なくて堪らないのです。』


 同じく双眸へ悲しみの輝きを宿す星の少女。

 語られた言葉で、指し示す意図を……お転婆邪神達は悟って行く。


「そう……か。こんなものがあるから、人類は互いを憎みあい……争いの果てに世界へ破滅を齎すのか。醜悪かな、醜悪かな。」


「けれど――こんなものがあったから、ボク達は救われた。命を憎む事も出来れば、慈しみあう事も出来る、それが……それこそが人間だと言う事か。」


 雫を湛え、すでに体躯が宇宙の藻屑と消える寸前の白翁の巨人を見やる二柱の邪神。

 モニターへは、音声すら途切れ……ノイズに塗れる大海の巨躯の――安らかなる表情。

 刹那――


「何、だ……この光は!? 一体どこから――」


「これはあの地球からだ! だがこんな……これほどの力の奔流が!? 」


 白翁の巨人を見やったお転婆邪神達が目撃した物。

 計らずしも、戦場後方を見る形となった彼女らの視界に飛び込んだのは――


 そしてその謎の奔流到来に反応する様に、白翁の巨人機体より切り離され浮遊する腕部が宙空へと制止する。

 さらに腕部が――そこに装着されていた〈叡智の腕輪アガートラム〉が、分子構造を変化させ巨大なリングを形成して行く。


 あまりの惨劇の中絶句していた盾の要塞艦ヒュペルボレオスからも、盾の局長慎志が宙域へ現れた幾つもの不可解な現象に拘わる通信を投げて来る。


『クトゥグア、ハスター! 今、ネクロミノコン・データ上にアップされた! これは君達へ向けたメッセージの様だ! 受け取り給え! 』


「……ジジィの!? それはどういう――」


『おい、燃えカス! ジジィのデータはこいつを……この〈叡智の腕輪アガートラム〉を力の集束に使えとの言葉が刻まれている! 』


 散る旧神。

 残された〈叡智の腕輪アガートラム〉。

 蒼き星より迫る謎のエネルギーの奔流――


 その中継地点にある、盾の要塞艦ヒュペルボレオスを含めた配置がお転婆邪神らと盾の局長へとある思考を宿らせる。


『二人共よく聞くんだ! このエネルギーの奔流は、言わば地球が持つ地脈そのもの! 我が守護宗家では〈竜脈エネルギー〉と呼び称している星の生命力だ! そして――』


『ノーデンス卿が残したこの〈叡智の腕輪アガートラム〉を用いて、地球より送られる生命の力を月宙域で戦う全ての友軍へ行き渡らせる! 』


「地球の生命力、だって!? それは途方も無い力じゃないか!? 」


 太古より――

 蒼き星では幾億年に渡り数多の生命が生死を営んで来た。

 だがそれは、何も生物学的な各個体のみ指し示す表現ではない。

 言うなれば世界が……世界そのものが命としての営みを続けていたのだ。


 ――ガイア理論――


 人類が名付け、宇宙の奇跡そのものである地球の膨大なる生命エネルギーを……大海の巨躯はかつて生命を支配した旧神として――



 この宙域へと呼び込んでいたのだ。

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