第91話 贄を貪る混沌の影

 モニターで確認する状況はあと一押し。

 ロイガーとツァールの消滅確認と、シュブ=ニグラスが分離させた胴体の撃破。

 今も思う——界吏かいり君もさる事ながら、エルハンド卿の底知れぬ可能性。


 視界に飛び込む状況は、界吏かいり君と竜星機オルディウス並みに信じ難き事態だ。


 能面と揶揄やゆされていたあの銀嶺の天使が今……慈愛と気高さを顕現させたかの赤炎に包まれ——思考の奥底に記憶する名で言う所の、かの最高位 熾天使セラフの如く十二枚の光翼を羽撃はばたかせている。


 彼はあの魔王と撃ち合って、まさかの手を取り合うと言う驚愕の成果を叩き出して見せた。

 界吏かいり君にエルハンド卿、そして私とアリスと——

 さらには機関に属した者達を始め、シャルージェにシューディゲル殿とが今も戦いに身を投じている。

 すでに家族の様に手を取る邪神達と共に。


 しかしまだあの這い寄る混沌 ナイアルラトホテップが……それが率いる恐るべき大群勢が姿を見せていない。


 ならば私も早々に片を付けなければ、奴らの付け入る隙となり兼ねない。


「シュブ=ニグラス本体を穿つ決定打は——」


 僅かに思考へ焦りを伴い、眼前の異形なる嬢王の回転衝角ドリルをいなす。

 その視界へ写り込んだのは……共にある星霊姫達ドールズの眼差しだった。


『シエラ……大丈夫です。界吏かいり様は決定打に相応しいと感じたからこそ、あなたへこの役を譲ったのです。あなたには私が——そしてドール達が付いていますよ? 』


 続いて響いた神であった最愛の友人の声。

 アリスの慈愛塗したそれが聴覚を揺さぶるや、瞬く間に焦りが霧散した。


「……そうね。ありがとう、アリス。ありがとう……素敵なドール達! 」


 邪神と言う脅威と戦うのは私だけではない。

 昔の様に、一人で全てを背負いこむ必要なんて何処にもないんだ。


 そんな思考に至った私の視界へ飛び込むのは、もう一つの魂の反応。

 正面に浮かぶモニターへ、言葉の羅列にて訴えかけて来ていた。


「ええ、忘れていないわ。今あなたが力を貸してくれているから、私はここにいるのよ。では……行こう、ローゼリア! 」


 何より私の力とならんと身を捧げてくれた荘厳なる女神が、私とのさらなる同調を望んでいる。

 我々人類を導く使命を帯びたならば、この邪神の試練を越えて行かねばならいと。


 と……そこで女神機体内モニターに提示されたシステム。

 星霊姫達ドールズ高次霊量子情報回路アリス・ネットワークを形成する際たるそれ。

 ローゼリアとドレッド・ノート達が一体となる事で叶う攻撃手段が浮かび上がっていた。


「これ……は!? そう——確かにこの方法ならば。嬢王への攻撃が届く! 」


 理解すると同時にアリスと首肯しあい、ドレッド・ノートを従えて飛ぶ。

 これは現次元で物理的に行う攻撃ではない……


 古の技術体系ロスト・エイジ・テクノロジーの集合体とも言える、女神といにしえの翼がいるからこそなせる技。

 邪神と言われる存在へどれ程の効果があげられるかはさて置き、手段がないならばなす事としよう。


「ドール達! これより、高次霊量子情報回路アリス・ネットワークを通じて邪神の霊的波長と同調……深層意識から霊体への直接攻撃を敢行します!」


「私だけでは邪神に自我を一瞬で食い尽くされる所――けど、あなた達がいれば恐るるに足らず! 皆の高潔なる魂を、この私に貸してちょうだいっ! 」


『『『『『『イエス! マスターシエラっ!! 』』』』』』


 復唱を皮切りに、ドレッド・ノートがローゼリアを中心に円を成し……頃合いと見るやアリスが高次元への扉を開く。

 それはこの宇宙とかの宇宙間に存在する霊的なる次元層。


 星霊姫ドールが、アリスと言う神格クラスの魂の結晶と霊量子情報網で繋がる空間。

 この世界線に於いて、ローゼリアを用いて初めて神格存在への謁見が叶う超常の手段。



 包む霊光を纏う私は意識体となり……神なる存在へと直接的な接触を試みたんだ。



§ § §



 銀嶺の霊光が女神を包むや、その波動は黒山羊嬢王シュブ=ニグラスの体躯を丸々包み込む。

 策謀にて戦いに挑んだ邪神の彼女さえも、想定もしない事態であった。


「何と……かの宇宙とこの宇宙に存在してはや幾星霜。このわらわと霊的な接触を試みた人類はうぬが初めてじゃ。流石は元観測者に選ばれただけの事はあるのぅ。」


「問答は不要です。あなたの邪神機体へいたずらに攻撃を加えたとて、穿つには時間がかかり過ぎる。あの竜星機オルディウスを駆る界吏かいり君でさえ、こちらに戦いを振って来たんです。」


「ならばこの、ローゼリアとドレッド・ノートが可能とする手段で相対するのが打倒でしょう? 」


 救生の当主界吏も感じていた、黒山羊嬢王シュブ=ニグラス本体への攻撃の際の手応えの無さ。

 さらには分離した胴体に加え、新手であったロイガーとツァールに於いても同様――何かと一筋縄ではいかない感を当主は見抜いていた。


 直感でそれこそが嬢王が持つ策略の一端であると見抜く、救生の当主は正しく戦闘センスの塊と言えた。


 その戦闘センスの高さを察し、即座に対応した罪声越えし少佐も大概ではあったが。


 そんな彼女が一糸纏わぬ霊的な体躯で霊量子イスタール・クオンタムの海を睨め付ける。

 そこにそびえるは、巨大なる機体からは想像も出来ぬ小さくも優雅な姿の嬢王。


 が――少佐が目にした嬢王の双眸は深淵が渦巻くが……


「このまま霊的にあなたへと攻撃を試みようと思いました。けど一つ、私の問いに答えてください。あなたは――」


「人類に審判を下す因果を負ったあなたは、何ゆえそれ程までに? 」


 少佐の問いに、行く度目かの想定外を刻まれた黒山羊嬢王は双眸を見開き――

 神格存在と霊的にまみえたる人類の女性へと、手短な答えを用意した。


「分からぬものだな。もはやうぬらとやり合う中で、どれほど想定外を見せられたか……。そんな戦いの場へ、あの魔王アシュタロスに付き参じたのはもはや因果の定め――」


「あやつもわらわも、元はと言えば。聡明なお主ならば、その意図する所が理解出来るであろう? 」


「豊……穣。ええ――分かるわ。嫌という程にね。何せその、情けなくも我が同胞ですから。」


 やり取りは僅か。

 しかし罪越えし少佐は僅かでも深すぎる解答で察してしまう。


 詰まる所……邪神と呼ばれる眼前の嬢王の悲哀と憎悪の源泉は、紛う事なき人類の所業であるから。


 そこまでを語る黒山羊嬢王が、双眸を細めて微笑する。

 先の狂気がいつしか霧散していた。


「同胞の行いを憂うか、人の子よ。わらわもそんな世界の惨状をこそ憂いての今であったが……うぬの様な者がまだ存在するならば或いは――」


何も出来ません。」


『理解しておる。じゃが。汝を支える多くの者の魂を、これでもかと感じる。』


 いつしか狂気が静まり返った霊量子イスタール・クオンタムの大海。

 黒山羊嬢王が一抹の望みを口にした。


 己が眼前へ、人類で初めて霊的に謁見を叶えた一人の人類の女性へ向けて。


「それほどの偉業を体現せしめたうぬへ忠告じゃ。あの者……這い寄る混沌は――」


 嬢王が懸けた望み。

 それは己がかつて豊穣を呼ぶ女神であった頃の願い。

 人類が今のまま絶望への道を突き進むならば、粛清も已む無しと歯噛みした彼女の描いた真の意志を――


 因果の果てで、言葉を交わすことが成った罪越えし少佐へ託さんとしたのだ。


『おしゃべりはそこまでです。シュブ=ニグラス。』


 刹那――

 収まっていたはずの狂気が、今まで以上のドス黒い瘴気と供に高次元を蝕んだ。


「くっ……一体何が!? 」


 同時にそこから意識を弾き出された少佐は、脳髄を打ち抜かれる様な激痛のまま元の肉体へと引き戻された。


 すぐ様状況確認をと女神内モニターへと視線を走らせた彼女は……目撃してしまう。


「……なんて、事!? 一度ならず二度までも……! 」


 モニターへ映し出された映像は黒山羊嬢王本体。

 の――胸元をえぐり取る様に貫通した、見覚えのある禍々しき漆黒の刃。



 嬢王の本体が、背後に忍び寄った這い寄る混沌ナイアルラトホテップの突き出したそれの餌食となっていたのだ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る