第90話 騎士と天使、霊光となりて

 遠き日々。

 かの神の御剣ジューダス・ブレイド機関で命を取り留めた私は、崇拝する主の加護に報いるべく幼いその手に剣を取った。


 それからの日々は表社会にさえかかわる事が出来ぬ鍛錬の日々。

 しかし一度死んだも同然のその身は、そんな日々さえも幸福と感じていた。


 だが——

 己を襲ったのは紛う事なき不幸であり、理不尽である。

 あまつさえ、理不尽の元凶たる者は同族の人類。

 鍛錬に明け暮れた一日一日が、いつ復讐と憎悪の心に満ちてもおかしくはなかった。


 それを考慮し声をかけてくれたのは……神の御剣ジューダス・ブレイド機関統括者である、枢機卿カーディナル ピエタラッツオ卿だった。


「(オリエルよ、その様な顔をするでない。お主の剣は弱き者を守るため振るわれるものであるぞ。そしてその弱き者が救われた暁には、そこへ幸福さえ導く事こそ我らが使命——)」


「(それが復讐に燃える悪鬼の如き面では、幸福も逃げて行くのである。)」


 機関の擁する一角で一心に剣を振る私を見て、枢機卿カーディナルはよく注してくれた。

 今でこそその労わりが痛いほど身に染みる所だが……当時の自分はそんな余裕など欠片も存在していなかったのだ。


「(悪鬼の如き面構えでなければ、邪なる者共に舐められます! 私は新たに与えられた命に代えても、弱者を守りし剣とならねばいけないのです! )」


 何度も枢機卿カーディナルに返した剣となると言う言葉。

 その時から——、守ると言う事の本質から離れ始めていたのだろう。


 そんな過ちがまさか、この世界の危機の最中出逢った東洋の侍から教わる事になろうとは……当時の自分なら想像だにしなかっただろう。


『エルハンドっ! 剣の勢いが鈍っているぞっ! 』


 思考が過去に囚われた私を呼ぶ声。

 反応し、天使の視界をかすめる異形の巨躯が振る衝角を寸ででかわす。

 事もあろうか、かの魔王アルベルトとの共闘最中に不覚を取る所だった。


「くっ……すまないな、アルベルト! 貴君へ諭した私がこの体たらくでは、そちらも立つ瀬がないだろう——」


「私に刻まれた過去に敗北する所であった! 」


『ふっ……俺も他人へ偉そうには語れぬ身——釣り合いが取れていいじゃないか! 』


 そんな私を鼓舞する魔王は、それこそ彼が数ある魔族の頂きである事が嘘の様な紳士なる心持ち。

 つくづく己の新しき人生は奇跡の邂逅に満ちている。


 惨劇に見舞われる前の自分でさえ経験した事のない家族の温もり。

 己を信頼する仲間と共に歩む道のり。

 そして……この身へ絶大なる羨望を抱き帰りを待つ崇拝せし卿。


 そこで気付く主の慈愛と言う概念。

 もしかすればこんな、幸福に満ち満ちた瞬間を得られる様に主は御心を砕いて下さっているのかも知れない。

 確かにあの時の、復讐に駆られた悪鬼の如き形相のままでは招来も叶わなかっただろう。


 同時に……眼前で襲い来る邪神を我らが打ちあぐねる理由へ至る事となる。

 簡単な事だった。

 ここにいるのは神代の天使兵装と、魔の尖兵たる黒竜に名だたるいにしえの魔王。

 要は……——と言う事だ。


「ふふ……これでは拉致も空かぬ訳だ。全く――今頃になって気付くとは、研鑽の度合いが足りんな。



 復讐の権化に堕ちるか否かの浅ましき私と言う人間では、並み居る神々の御力にさえ及ばないのだ——



§ § §



 黒山羊嬢王シュブ=ニグラス胴体の猛襲は止まる所を知らず、天使兵装メタトロン痛み負う黒竜ペイントゥースを撃ち散らす。

 方や討ちあぐねる聖霊騎士オリエル宵闇の魔王アルベルトは、徐々に劣勢へと引き摺り込まれていた。


 ここに来て、連戦続きである二体の機械巨兵にエネルギー枯渇の危機がチラつき始める。


「エルハンドよっ! 我らの機体ではそう長くはこやつを抑え切れんぞ! 早々に方を付けねば!」


 霊装機神――

 神代の機動兵装に属する二体は、命纏う竜機オルディウス銀嶺の女神ローゼリアとは異なる機関出力の根幹を持ち……霊的なエネルギー場の量に機関限界性能が左右される特徴を持つ。

 不安定ではあるも、搭乗者が機動兵装を駆るに足る存在であれば理論上 無制限のエネルギー運用が可能なのだ。


 逆を言えば……搭乗者が充分な資格を持ちえなければ、理論の 究極的な限界性能を引き出すことが出来ないとも言えた。


 そこには竜機らとは違う、光と闇と言う宇宙の真理を構成するエネルギー状態がかかわっていた。


 痛み負う黒竜ペイントゥースが魔爪を繰り出す中、天使兵装メタトロンが後方へ一端下がり聖霊騎士が思案する。

 無用の思考に時間を割く猶予などない状況で。


「メタトロンの運用効率と、ペイントゥースの運用効率……もはや語るまでもないな。これが魔王と呼ばれる存在といと小さき人類の差――」


「この私も、先はよくも魔王を相手に啖呵たんかを切ったものだ。今思うとぞっとせんな。」


『エルハンドよ!? 何を呆けている!? 』


 宵闇の魔王の困惑を受けつつ視線をモニターへ――まさに声を放つそれへと向けた聖霊騎士は、口角を上げて言い放つ。

 己らが相手取る邪神を何ゆえ討ちあぐね、劣勢へと引き込まれているかを。


「攻撃は続けながら聞け、アルベルトよ! 立った今、天使と黒竜の実質の可動効率と運用効率データを確認したが……これは目も当てられん! 」


「機体双方の霊格は兎も角、歴然だ! !」


『お前……それは致し方なき事だ! エルハンドは紛う事なき地球の人類……そこから急激に霊格上昇を呼ぶ事など出来はしないだろう! 』


 人類は持って生まれた因果で霊格が定められる。

 しかし神々の雛形と呼ばれる人類とて、原初のアダムとイヴの頃より霊格が突出して高まる事などありえなかった。


 だが――蒼き大地には、かつてそれを実現した人類種が存在する。

 言わずと知れた救生の当主界吏が先天的に至っていた覚醒者フォース・レイアーだ。

 それでもおいそれと覚醒が齎されるほど、霊格上昇含め人類の因果は単純ではない。


 たった一つの方法を除いては――


「分かっている! 己の未熟を差し置いて、高位なる霊格を問答無用で手に入れられるなどとは思ってはいない! だがこの私にはその方法が一つだけ用意されている――」


「なに……今あの界吏かいりがやった様な私専用の手段が、このメタトロンに備わっているのだ!」


 的を得ない言葉で困惑をさらに深める魔王の黒竜が、さらなる強襲をかわす。

 時は無しと……これより己が展開する手段の要たる天使兵装へ、聖霊騎士が言葉を投げた。


「よいか、メタトロン。この戦いの間だけ、私は主の御力をお借りする。それも。そのためには私も貴君が背負って来た贖罪の一部を引き受けねばならん。」


「この、いと小さき人間の器で引き受けられる高は限られるが……私にも貴君が永き時、背負い続けた贖罪を背負わせてはくれまいか。」


 天使のコックピットと言える白銀の機内で、それは紡がれる。

 天使兵装に刻まれた贖罪の一部を背負うと言う覚悟を。

 主に仕える尖兵が存在した想像を絶する時間の中刻まれた、悲しみの中貫き通した正しき義のあり方を。


『コオオオオォォォーーーーー。』


 騎士の魂を受けた天使が咆哮を上げる。

 それは祝福を祝う賛歌の様に、神秘の衛星宙域へと響き渡った。

 供にあった聖霊騎士 オリエル・エルハンドと言う男への、感謝と賛美を乗せて。


 美しき音色を、双眸を閉じて聞き澄ました騎士は再び双眸を見開き十字を切る。

 これより真摯に……そして愚直に正義の在り方を守り続けた、光の友と魂を一つとするために。


「いと高き主の御名に於いて、我気高き天使と魂を一つとせん! 邪神屠る暫しの時……我へ主のおわす天上に最も近きかの者の如き御力を――」


「天使兵装究極形態……〈モード・ルシフェル〉!我、これより天上を駆ける天使とならん!エイィィメンッッ!!」


 高らかに宣言された咆哮の後、天使兵装が膨大なる光量子フォニック・クオンタムの力に飲み込まれて行く。

 天使を包む装甲は、恒星の如き霊光がほとばしるや……


「エル……ハンド!? お前は――お前は我が誇り高き友の威を駆ると言うのか。そうか……それこそが、天使兵装 メタトロン・セラフィムが体現せんとした正義と言う訳か。」


 宵闇の魔王の双眸から熱き雫が流れ落ちる。

 眼前のいと小さき人類である聖霊騎士は、天使の御心所か魔王の心さえ救い上げた。

 その先にあるは、かつて天軍を纏め――さらには魔軍にさえも慈愛を運んだ最高位の熾天使セラフ 〈ルシフェル〉と言う存在。


 銀と赤煉を纏った天使兵装から首肯を送る聖霊騎士。

 言わずもがなと宵闇の魔王が奮起した。


 そして――


「『受けよっ! 光魔融合天河創滅断ギャラクシアン・バスターっっーーーー!!! 』」



 霊的に同位となりし魂達が、相反するはずの光と闇を融合させ――

 二条の天河をも断つ超究の刃となって、黒山羊嬢王シュブ=ニグラス胴体の防御を時空諸共引き裂いたのだ。

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