第2話 運命に迷う剣

 英国近郊から離れた山間——整備されたアスファルトが竜を思わせるうねりを描く。

 そこは一般民家もまばらな、車好き達の格好のドライブシュチュエーションを備えていた。


 そんな山間の奥より伸びる片側一車線の道を、危なげながらフラフラ蛇行する一台の車——鮮烈な赤に、跳ね馬のエンブレムを冠した欧州が誇るスーパーカーが……アスファルトを蹴りつける。


「どうだいジョセフィ、このF360は。これでも僕は少しサーキットを経験してるんだ!この程度の山道はお手のもんさ!」


 残念な感じで危なげな動きを見せる跳ね馬F360が、これまたによってドライブされる。

 隣に同乗するは愛しの彼女か——しかし、シートベルトをかたくなに握り締め……作り笑いで危なっかしい彼氏と思しき男へ返答していた。


「凄いわローランド!……で、?」


 愛しの彼女は危なっかしい彼氏へ、車がどう依然よりその道の状況を問う。

 それもそのはず——舗装しているとは言え、いささかアスファルトの老朽化が目立つそこは所々荒れた路面が顔を出す。

 真にクローズドサーキットでこなれた上級者であれば、

 こう言った場合……運転者本人よりも、同乗者の方がその異変に気付き易い——それも気付ける程度の、速度領域であればの話だが。


「だ、大丈夫さ!これでも僕はサーキットを走る時は、入念なチェックを欠かさないんだ!」


「何ならもっと速度を上げてあげよう!僕の腕に間違いは無いぞ!」


 同乗する彼女と思しき女性の作り笑いが、僅かに引きった。

 それは運転するボンボンには分からぬ恐怖が支配したから。

 そして赤い跳ね馬は緩やかなカーブを抜けて長い直線に入る。


 しかしその先はきついカーブ——だがボンボンはそんな事に目もくれず、跳ね馬に鞭を入れんと身構える。


 その後方——かなりの距離であるが、それは訪れる。

 過給器を介さぬ甲高いノンアスピレーション——NAサウンドが、数段に渡り切り替わる多段ロケットの様な咆哮。

 高周波が峠の大気を切り裂いて迫り来る。

 迫る影はボンボンの赤き跳ね馬が、力んで加速を躊躇とまどう間——その刹那にみるみる背後を脅かす。


 そして強烈なタイヤスキール音——何も知らぬ者が聞けば、背後で車が事故を起こしたかと思える金切り声の様な響き。

 だがそれは運転ミスによるものでは無い——強烈なブレーキングから来る、タイヤとアスファルトの協奏曲。


 跳ね馬の背後には何もいなかった筈——しかしそのマシンは現れた。

 カーブ——緩やかなそれが、……直線加速の速度がそのまま、マシンを左右に振る速度へ変換される。

 が、現れたるそれは跳ね馬と比べるまでもなく小柄——しかしそのボディに一切の無駄が無い。


 跳ね馬をひとまわり小さくした様な、同じくリア部にエンジンを置くリヤエンジン・リアドライブ——英国が誇る小さな名門ロータスを名乗るスポーツカーが、疾風を纏い現れた。


「えっ!?エキシージっ……ロータス・エキシージ!?って……うわあああああーーー!?」


 背後に突如として現われたマシンの姿を、バックミラーでボンボン。

 それは刹那、焦りとパニックで固まった手足が跳ね馬の動きを制限し——僅かな路面のギャップがそこへ追い打ちをかけた。

 ギャップで跳ねた愛車を、ボンボンも固まった手足で操作出来るわけもなく——ギャップによって流れた車体リアが、ハーフスピンで崖側ガードレールへ打ち付けられ……道を半ば塞ぐ形で停車した。

 背後から猛然と迫る謎の英国マシンがいる中で——


「よっ……避けてくれーーーーーー!?」


 ボンボンの視界には、彼からすれば信じられないほどの速度でそれが映る。

 まさに叫びと同時に二台が絡む大惨事も想定出来る刹那――英国の名門ロータス・エキシージが跳ね馬と逆向きに横滑る。

 しかし当然運転ミスなどではない――流れる車体をねじ伏せる様に、車の外側へ向けた逆ハンドル……カウンターステアがフロントタイヤを真横に走らせた。


 そのまま瞬時にテールを振り替えしたマシンが、無残に停車した跳ね馬のリアバンパーを掠めながら車一台分も無いスペースをすり抜け――跳ね馬より奥で、車体を斜めにしながら見事に停車に成功する。


 あわやの事態でボンボンとその彼女は、共に涙眼で恐怖を顔に描いていた。

 そこへ英国の小さな名門ロータス・エキシージより、斜めにドアをカチ上げ降車する影が近付く。

 そして跳ね馬の無残な傷を一瞥し、嘆息と共に言葉を吐いた。


「はぁ~……今あいつらに連絡したくはないけど……。しゃあなしだな――」


 年恰好はまだ成人して間もない頃か、しかし長身と整った顔立ちに――ツンと後方へ流れる赤みがかった黒の御髪も項が見えるほどサッパリ刈り上げられる。

 だがどこか良家の者しか持ちえぬ風格を兼ね備える青年は、跳ね馬の中で未だに恐怖に引きった表情のボンボンと交渉するため――跳ね馬の窓をコツンと叩く。


「お~い……大丈夫……そうだな。俺の車がかすった以上、単独事故って訳に行かないからな。宗家に連絡して示談にしといてやるよ。修理云々は気にするな。」


「――今から英国内で宗家の連中に連絡して、こいつを運ぶ算段をつけてやるよ。……はぁ……ホントに気乗りしないんだが――」


 涙目に鼻水まで垂らした情けない面を見せるボンボンは、その自分の無様な事故を見事に回避してくれた男性へ感謝の言葉も無い様子で頷いた。

 ボンボンである――あるが故、峠で無茶をした挙句起こした……あってはならない事故の記録を残したくないのであろう。

 不幸中の幸いである、現われた青年へ感謝を……やはり情けない表情で何度も頷きながら送っていた。


 ボンボンとてそれなりの良家ゆえ、相手がどれ程に金銭的な余裕を秘めた者かは察せるのだろう――故に彼が目にしている青年のバックが、如何ほどに巨大かを知りえているのだ。

 そう――青年は間違いなくと言葉にした。

 それはこの英国から遠く離れた東洋の先進国――暁の大国と呼ばれる地に居を構える、世界屈指の巨大組織……三種の神器の名で知られる【三神守護宗家】である。


 むしろ一介の成金や小金持ちでは到底太刀打ち出来ぬ、名家中の名家――現在世界に存在する機関で言えば、英国を代表する【円卓の騎士会ナイツ・オブ・ラウンズ】機関と同列。

 全てを示談で済ますと言うありがたい意見に、口を挟む事すらはばかられる存在である。


「――ああ、俺だけど――」


『っ!?当主様!?……今いったい何処におられるのですか!こんな電話を送る前に、早く組織へお戻りを――』


「まてまて!ちょっと野暮用だ!つい今しがた一般のボンボンの車へバンパーをかすめた……とりあえず俺持ちでいいから示談をだな……(くそっ!ホントめんどくせぇ!)――」


 手にした携帯から宗家関係者と思しき者へ連絡を取る青年は、繋がった眉をひそめながらも――なんとか示談の交渉を取り付ける。

 否、示談そのものは彼にとってさしたる問題ではない――むしろ彼の置かれた状況こそに問題があったのだ。


「ちっ……これで。絶対あいつらこの通話を傍受してやがるよ――あっ、オイボンボン……示談は成立だ。とりあえずこんな所で立ち往生もなんだ――」


 と口にした、電話先の相手に当主と呼ばれた青年が跳ね馬に――それも歩み寄り――


「さあ、お嬢さん?俺の名は草薙 界吏かいり……三神守護宗家に関連する者だ。ここより安全な場所へ――いやその前に、宗家が贔屓ひいきにする英国病院につてがある。一応そこで診察を受けた方が――」


 その言葉に恐怖がようやく薄れ――涙目ながらもその紳士たる青年の手を取るボンボンの彼女。

 それを目にしたボンボンが慌てて声を荒げる――未だに涙目で鼻水を垂れ流しながら……。


「ちょ……ちょっと!?跳ね馬のオーナーはボクだよ!まずボクを助けて――」


 言うに事欠いて事故を起こした愚かなるボンボンが、自分だけを先に助けろと口走り――さすがの当主と呼ばれた青年も、眉を吊り上げ吐き捨てた。


「レディーファーストだボケ……。自分が先に助かりたいとか、ふざけた事抜かしてんじゃねぇよ。てめぇの未熟が事故を起こしたんだろが……。」


「そもそもエキシージは二人乗り……暫くそこで、てめぇの腕の未熟と峠のマナー欠如を反省してろ!」


 一喝――そしてぐうの音も出ぬ情けないボンボン。

 峠を高速で飛ばすは本来あってはならぬ事――ライダーや走り屋と呼ばれる者の大半はそれを承知しているからこそ、人を乗せての全開など言語道断である事を知っている。


 そして小さな名門ロータス・エキシージの甲高いエキゾーストノートが峠の大気を焦がし――残された哀れなボンボンは、青年に呼びつけられた宗家の積載型ローダーが到着するまで……自分の未熟で傷付いた跳ね馬に、初めての愛着と謝罪を贈呈していた。

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