アップグレードの一歩手前で一時停止し左右確認。
ちびまるフォイ
わたしはいま、全人類の最先端
『ここから一歩でも進むと、アップグレード境界』
地面にはチョークで白い線が引かれ、
透明な膜のようなものがカーテンのようにかかっていた。
「なんだろうな、これ」
「さぁ? 入ってみればいいんじゃね」
先の先に入ると世界は変わった。
『イラッシャイマセ。世界ver1.0.1へヨウコソ』
ロボットが出迎えて、空とぶ車がびゅんびゅん走っている。
『ココハアップグレード後ノ世界。
便利デ安全ナ世界ヲオ楽シミクダサイ』
「す、すげぇ!」
思わず声が出てしまった。
アニメや漫画で憧れていた世界があるなんて。
友達と感動を分かち合おうと思ったが、
友達は振り返って今入ってきた膜を触っていた。
「なにやってるんだ?」
「いや、これ戻れないみたいだ。押しても引いても、破ることもできない」
「ははは。アップグレード前の世界なんていいじゃないか。
今はこんなにおもしろいものが溢れてるんだぜ。今を楽しもうよ」
「そ、そうだな」
アップグレード後の世界は本当に便利だった。
人間の代わりに機械が働いてくれるので、人類みなニート。
でも、ニートは悪い表現ではなく今では自由人。リア充の象徴として扱われた。
そんなある日、遊び疲れた帰り道でまた線を見つけた。
『ここから一歩でも進むと、アップグレード境界』
「入ろうぜ」
「あ、ああ」
迷わず膜の内側に入ってアップグレードされた。
大きな変化は特になかったが、ますます便利になった。
「すごいな。アップグレードされたら
人からの好感度とかを察知できるようになったみたいだ」
「それ使うのか?」
「使うだろ。合コンとか行くときに便利だろ?」
「いや結婚してるし」
「はい!?」
友達の口からこぼれた全米が驚く衝撃発言に何も言えなくなった。
「けけけ、結婚!? いつ!? When!?」
「こないだホエールウォッチングいったとき」
「なん……だと……!?」
便利になったアップグレードver1.0.1の世界では仕事で制限されていた時間を
みんな遊びほうけられるようになったので、出会いの頻度も増える。
と、俺以外のイケメンにはそういう機会があるらしい。
「お゛め゛て゛と゛う゛」
「目から血の涙を流しながら祝福されても……」
夫婦の時間を俺が邪魔するのもどうかと思い、
前ほど友達と一緒にでかけなくなった頃にまた新しい線が現れた。
『ここから一歩でも進むと、大型アップグレード境界』
「よし、行こうぜ」
俺は友達にうながして前へ進もうとした。
けれど、友達はうつむいたまま動かなかった。
「……どうした? アップグレードしないのか?」
「いや、俺はいいや。この世界で」
「は!? なに言ってんだよ。間違いなく便利になるんだぞ?」
「でも、このアップグレード後の世界が本当に望むものかどうかはわからないだろ」
「どうしちゃったんだよ。大型アップグレードができるんだぞ?
どうしてこの世界に留まりたいんだよ」
「子供が……子供が生まれるんだ」
「え」
「この先のアップグレードされた世界が子供にとっていいかはわからない。
だったら、今なじめているこの世界で、子供をしっかり育てたいと思うんだ」
「アップグレード期間は限られてるんだ! 今逃せばもうできないんだぞ!?」
「……わかってる。先の見えない未来に期待するより、
俺は今手元にある現在を大事にしたいんだ」
「そんな……」
『まもなくアップグレード期間終了です』
「いいんだ。俺はここで、妻と子供と静かに過ごすよ。
これ以上の幸せも、これ以上の便利も求めない。それだけでいいんだ」
俺は友達と別れてアップグレード境界へと足を踏み入れた。
膜をへだてた向こう側はもう見えないし、連絡も取れない。
バージョンが違えばそこはもう別世界なのだから。
「なに考えてるんだよバカ……」
アップグレードver2.0.0の世界はさらに便利になっていた。
人間の体は自由自在に電子化できるようになって、ネット回線を通じていつでも世界旅行。
言語の壁も、肌の色の違いもない平等で自由な世界。
「絶対にこっちのほうがいいのに……」
子供がどうとか、生活がどうとか言っていたけれど、
アップグレードされたこの世界のほうが100倍いいに決まってるのに。
それからも世界はいくどもアップグレードを繰り返した。
『ここから一歩でも進むと、アップグレード境界』
『ここから一歩でも進むと、アップグレード境界』
『ここから一歩でも進むと、アップグレード境界』
俺はまよわず1歩踏み出してアップグレードし続けた。
アップグレードver2.5.8のとき、その足もついに止まった。
「……あれ。俺、どうしてアップグレードしてるんだろ……」
いつしか家庭をもったり、特定バージョンでの定住を決めた友達が離れ
気がつけば俺ひとりだけでアップグレードを繰り返していた。
誰もいない便利な世界に行って何が楽しいのか。
いったいどうして自分がアップグレードしているかわからなくなっていた。
孤独はある日突然に訪れるものではなく、
気付かれないように徐々に日常に侵蝕してくるものらしい。
「あのとき、もし友達と別れていなかったらどうなっていたんだ」
アップグレード前に留まっていれば、もっと変わっていたかもしれない。
少なくとも今のような孤独な世界とは別だったろう。
けれどもう戻れない。後戻りはできないのだから。
『アップグレード完了しました。アップグレードver3.0.0へようこそ』
「大型アップデートか。なにが変わったんだ?」
『以前から要望に出されていた、旧バージョンとの互換性が取られました。
アップデートver3.0.0の世界では、旧バージョンの世界へ戻ることができます』
「ほ、本当か!?」
『膜をくぐってみてください』
今しがたアップデートした膜を、再び通過して戻ることができた。
今までは一方通行で、入ったが最後戻ることはできなかったのに。
「やった!! これで、これでまた戻れるんだ!!」
俺は今までの道を戻ってダウングレードを繰り返した。
そして、ついに友達のいる世界まで戻ることができた。
「え!? ど、どうしてここに!? アップグレードしたんじゃないのか!?」
「最新版のアップグレードで、旧バージョンと互換性ができて戻れるようになったんだよ!」
「そうか、そうなんだな。久しぶり。本当に懐かしいよ」
「俺もだ。ずっと会いたかった。久しぶりに飲みに行こうぜ」
「そうだな」
俺はすぐに店までスキップしようと電子化ボタンを押した。
「あ、あれ?」
「何やってんだ?」
「いや、店までスキップしようと思ったんだけど。電子化できないんだよ」
「普通に歩けばいいだろ」
今度は自分のこめかみをトントンと指でつつく。
「なにやってんだ?」
「店を予約しようとテレパシ電話かけてるんだけど、
さっきから通じないんだよなぁ」
「だから普通に電話を……」
友達の言葉に耳を疑った。
思いのたけを全力でぶつけた。
「いまどき、歩いて目的地にいくとかありえないよ!?
それにテレパシ電話使えなくて、電子化もできないのにどうやって生活してるんだ!
見たら気候調節エアコンもないし、こんな世界でよく生きてたな!?」
「……お前、アップグレードしてから、人間として劣化してない?」
アップグレードの一歩手前で一時停止し左右確認。 ちびまるフォイ @firestorage
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