第23話 『嫌い』が『好き』になる条件

〈登場人物〉

マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。

ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。



マイ「今さっき、お母さんに頼まれて、クリーニング店に出したものを引き取りに行ってきたんだけど、そこでさ、ヤなもの見ちゃった」


ヒツジ「ヤなもの?」


マイ「うん。中国人らしき人がさ、片言の日本語で、ずーっと、『染みが落ちてない』ってクレームつけてんの」


ヒツジ「クリーニングに出して現に染みが落ちてないんじゃクレームくらいつけるだろ」


マイ「でも、話聞いてるとさ、その店ってそもそも染み抜きをやってない上にさ、三回もクリーニングし直してあげてるって言うんだよ」


ヒツジ「なるほど、じゃあ、クレーマーだな」


マイ「言っちゃ悪いかもしれないけど、わたし、中国人って大っ嫌い」


ヒツジ「おいおい、何もクリーニング店に理不尽なクレームつけていただけで、中国人を嫌う必要は無いだろ」


マイ「それだけじゃないんだって。前に、家族で北海道に旅行に行ったとき、函館山からさ、夜景を見たんだけど、そのとき、日が落ちるまで1時間くらい前から、ベストポジションを取っていたわたしの前に割り込んできたのも中国人だったし、佐賀に旅行に行ったときのホテルで、自分たちの夕食の時間を無視して自分勝手にウルサク食事し始めたのも中国人だったの」


ヒツジ「なるほど――」


マイ「ストップ」


ヒツジ「何だよ?」


マイ「次にあんたが何を言い出すか分かったから止めたのよ。『それにしたって、それは中国人全体の一部に過ぎないから、その一部で全体を評価するのはおかしい』とかなんとか言うつもりなんでしょ?」


ヒツジ「まあ、そんなことは一応言おうと思えば言えるな」


マイ「言わないの?」


ヒツジ「言ったっていいが、それで納得するか?」


マイ「しない。嫌いなもんは嫌いだもん」


ヒツジ「そういうことだ。好き嫌いっていうのは理屈じゃない。中国人に不当な目に遭わされて、中国人が嫌いだっていうなら、まあそれだけのことだろう」


マイ「じゃあ、別に嫌ったままでいいってことだね?」


ヒツジ「それは好きにすればいいさ。ただし、その嫌いっていう感情が、お前自身の個人的なものであることだけは、認めておいた方がいいな」


マイ「どういうこと?」


ヒツジ「お前は、グリーンピースは好きか?」


マイ「いきなり何? ……嫌いだけど」


ヒツジ「グリーンピース自体は別に悪いものじゃないよな?」


マイ「グリーンピースは別に悪くはないわよ。見た目はコロコロして色鮮やかで可愛いし、豆だから栄養だってあるんじゃない」


ヒツジ「だとしたら、グリーンピースが嫌いだっていう感情の原因は、お前にあるんであって、グリーンピース自体にあるわけじゃないよな。それが証拠に、グリーンピースを好きな人もいるわけだからな」


マイ「ちょっと待った。それ、話が違う。だって、わたしは中国人から現に嫌な目に遭わされたんだから、わたしが中国人が嫌いなのは、あっちに原因があるわけでしょ」


ヒツジ「本当にそうか? お前と同じ目に遭った人が、みなお前と同じように、中国人を嫌うと思うか?」


マイ「それはまあ……気にしない人もいると思うけど」


ヒツジ「だとしたら、やはりその『嫌い』という感情は、お前の方に原因があると言えるわけだ」


マイ「なに? じゃあ、わたしが好きになろうとすれば、好きになることもできるって言いたいの?」


ヒツジ「いや、オレはそんなことは言っていない。好き嫌いという話はそれほど簡単なことじゃない。好き嫌いというのは意志の力を超えたところにある。いくらグリーンピースの良さを認めて好きになろうと努めても、それだけじゃ好きになることはないだろう。嫌いなものを好きになるには、一つの幸運が必要だ」


マイ「幸運?」


ヒツジ「たとえば、お前が事故に遭ったとして、そのとき、たまたま通りがかった中国人がお前の命を救ってくれたとする。それでも、お前は、中国人を嫌いでい続けるか?」


マイ「そりゃ、そんなことがあったら、見直して、好きになるかもしれないけど」


ヒツジ「大人になって味覚が変わって、あるときグリーンピースを食べる機会があり、食べてみたら意外とうまいことが分かる。そういうことがあれば、グリーンピースも好きになるだろう。嫌いなものを好きになるには、その種の幸運なできごとが必要なんだ」


マイ「別に好きになれなくたっていいけど」


ヒツジ「まあ、嫌いなうちはそう思うのが当たり前だ。それが嫌いだっていうそのことなんだからな。ただ、もしもそれを好きになることができたら、嫌ったままよりもストレスは減るし、世界は広がるだろう。その方がいいとは思わないのか?」


マイ「それは、そう思うけど……でも、だからって、わたし、好きになる努力なんかしないよ」


ヒツジ「それでいい。さっきも言ったが、好き嫌いは意志の力を超えたところにある。ただ、一つだけ意志の力でできることは、これもさっき言ったことだが、『好き嫌いというのが自分の側に原因がある』というこのことをしっかりと認識することだ。その認識がなく、向こう側に原因があると考えてしまえば、幸運を取り逃がし、嫌いなものを好きになることは永遠に無い」

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