第7話 感動ドラマに涙する人って、バカみたい!
〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。
マイ「テレビの感動ドラマに感動する人ってバカだと思う。人が感動させるために作ったものを見聞きして泣くんだよ。あんな作り物なんかでよく泣けるよね」
ヒツジ「まあ、お前は、ものごとに全然感動しない人間だからな」
マイ「ちょっと! 人を、人でなしみたいに言わないでよ! わたしだって感動するわよ」
ヒツジ「じゃあ、たとえば、何に感動するんだよ?」
マイ「なにって……まあ、映画とか、本とか」
ヒツジ「バカかお前は。映画も本も、人が感動させるために作ったっていう点じゃ、テレビドラマと変わらないじゃねえか」
マイ「感動の質が違うのよ!」
ヒツジ「質?」
マイ「映画とか本の感動っていうのはすごく深いもので、テレビドラマの感動なんて全然浅いものじゃん」
ヒツジ「お前は、映画を観に行ったあとに、何か食べることはあるか?」
マイ「普通にあるよ。ランチ食べたり、晩ご飯食べたり、何だったら、それも含めて映画を観に行く楽しみだっていうところもあるし」
ヒツジ「ということは、映画を観た感動なんてもんはその程度だってことだろ。人生の真実を描いた映画を観たあとに、『じゃあ、何食べる?』なんて、その態度のどこが『すごく深い』感動なんだよ。アホらしい」
マイ「べ、別に何か食べたっていいでしょ。胸がいっぱいになっても、お腹は空くんだから」
ヒツジ「お前にしてはうまいこと言ったな。まあいい。仮にだ、映画の感動は深くて、テレビドラマの感動が浅いとしても、感動ものの作りは同じわけだから、本質は何も変わらない。もっと言えばだ、そういうフィクションじゃない事実だって、同じだ」
マイ「はあ? 全然違うじゃん。フィクションと事実って真逆のものでしょ」
ヒツジ「同じだ。なぜなら、事実そのものなんてものは無いからだ。たとえば、この前、行方不明になった2歳児を助けたボランティアの老人の一件があっただろう。感動した人は多いだろうな。これは事実そのものに感動しているように見える。しかしだ。事実を伝えるのは言葉であって、言葉というのは、必ず『誰かの視点』から発せられるものなんだ。つまり、事実というのは、それを語った人間が作った物語なんだよ」
マイ「何言ってんの! だって、そのニュースは実際に起こったことをただ伝えただけじゃん。感動させようと思って作ったフィクションとは訳が違うでしょ!」
ヒツジ「お前は本当にバカだな。そもそも、人が何かを伝えようとするのは、そこに感動があるからだろ。自分が感動したから、わざわざ起こったことを伝えようとするわけだ。で、伝えてどうするのかって言えば、相手にも同じ感動を分かち合ってもらうわけだろ。だとしたら、何かを伝えることっていうのは、それ自体が相手を感動させることを目的にしているって言えるじゃねえか」
マイ「……じゃあ、何よ、テレビドラマも、映画も本も、事実も、全てが、人を感動させるために伝えられるってことなの?」
ヒツジ「そう言っているだろ。だから、『わたしは事実には感動するけど、作り物には感動しない』なんて言うことはできないんだ。どっちも同じものなんだからな」
マイ「……でも、なんかテレビドラマには抵抗あるんだよなあ……あんたの言うことを認めるとしたら、この抵抗感はどこから来るわけ?」
ヒツジ「あざとさの違いだろ。テレビドラマの感動ものには、『さあ、感動していいですよ』と言わんばかりの演出がある。そういう演出はさめる。それに対して、映画や本には、テレビドラマほどはそれが無いってことだな。事実に関しては、そもそも作り物っていう意識も無いから、人は安心して感動できるっていう寸法だ」
マイ「……なんか、感動すること自体がバカバカしく思えてきちゃった」
ヒツジ「何かを見聞きして、ひとときの感動を味わったあと、また少ししたら別の感動を探しに行く。そうやって、次から次へと感動を消費して生きていく人生なんて、無内容極まるだろ? 感動を求めることなんてやめて、真面目に生きることだな」
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