第6話 わたしは物事を客観的に見ることができている……よね?

〈登場人物〉

マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。

ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。



マイ「学校で、自分の長所を書くっていう課題が出ててさ、『わたしは物事を客観的に見ることができる』って、書こうと思ってるんだけど、どう思う?」


ヒツジ「バカか、お前は」


マイ「なんでよ! わたしが物事を客観的に見られていないって言うの!?」


ヒツジ「『お前が』じゃない。『誰も』物事を客観的に見ることなんてできないんだよ。物事を見ているのは、常にそいつなんだから、だったらそれは、そいつの主観じゃねえか」


マイ「言っていることが、よく分かんないんだけど」


ヒツジ「たとえば、お前が自分の親を見るとする。そのとき、お前は、子どもという立場から、親を見るわけだ。親そのものを見るなんてことはできない。お前が学校の不祥事を見るとする。そのとき、お前は、学生という立場から、その問題を見ることになる。学校の不祥事そのものを見ることはできない。お前が日本の歴史を見るとする。そのとき、お前は、日本人という立場から、日本の歴史を見るわけだ。日本の歴史そのものを見ることはできない。お前は常に、お前の立場から物事を見るしかなく、その立場から離れて、物事そのものを見ることなんてできないんだよ。立場から物事を見るということは、それは、主観で物事を見ているというそのことじゃねえか」


マイ「納得いかない。だって、確かに、わたしが自分の親を見るとき、お父さん、お母さんがどんな人かっていうのは、子どもっていう立場から見ているわけだけど、たとえばさ、お父さんやお母さんの友だちとか、わたし以外の人に二人のことを聞くことで、わたしの立場を離れた見方っていうのができるはずじゃん。それって、客観的に物事を見ているってことになるでしょ?」


ヒツジ「たとえ、お前以外のヤツの話をいくら聞いたところで、それを聞いて判断するのは、常にお前だろ」


マイ「そ、そんなこと言ったら、客観的に物事を見ることなんて、絶対にできないことになるじゃん!」


ヒツジ「だから、できないって言っているだろ。お前ら人間は、生まれ育つ過程で、必ず『偏見』という名の色眼鏡をかける。それが、ある時代にある場所で生まれ育つということの意味だからだ」


マイ「わたしは、偏見なんて持ってないし!」


ヒツジ「持たざるを得ないんだよ。前に社会主義の話をしたとき(→第1話)に、話したろ。社会主義が怪しげに見えるのは、お前が民主主義者だからだってな。お前は知らないうちに、民主主義っていう色眼鏡をかけているわけだ。それが偏見だ」


マイ「……眼鏡なら取り外すこともできるはずだよね?」


ヒツジ「できるかもしれないが、そのためには、人間をやめる必要があるだろうな」


マイ「に、人間をやめる!?」


ヒツジ「だって、そうだろ? 偏見の眼鏡を捨てるってことは、物事を見るために、自分のあらゆる立場を放棄するってことだ。たとえば、お前の場合だったら、今の親に育てられたこと、中学生であること、日本人であることなど、それらのお前を形作っている全ての条件を取り外すってことになる。そういう条件無しのお前なんて人間と呼べるか?」


マイ「…………」


ヒツジ「ということで、長所にはこう書いておけ。『わたしは物事を主観的に見ているが、自分が主観的に見ていること自体は、はっきりと自覚できている』ってな」

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