ブルーファントム

 見つかったら説教か反省文か、あるいは停学か。校則を破るからには覚悟を持つべきだと言った教師がいたが、あらゆる悪事は露呈しなければ裁かれない。無断で屋上に立ち入るのは規則に逆らって悪ぶりたいからでも反省文をしたためたいからでもない。

 唯一四階まである北棟の屋上はどこからも見下ろすことができないから、人がいるかいないかなど誰も判断できない。扉の錠前が壊されていることを知るのもごく少数の人間に限る。屋上は誰にも会わずに済むオアシスだった。

 けれど邪魔者はどこにでも現れる。

「授業サボってんの?」

 そいつは横にった俺の顔をわざわざ覗き込む。どうせ用事なんかありはしない。いつものことだ。

「普段から授業に出てないあんたは知らんだろうが、あいにく今は昼休みだ」

「寝るなら授業中に寝れば良いのに。貴重な休み時間を潰すとか、私から言わせりゃ正気じゃないね」

「価値観の違いだな」

 目が合う時間の分イラつくだけだ。寝返りで会話の続行拒否を訴える。

 こんなのと話しても仕方がない。それでも話しかけてくる。

「昼休みなのになんで一人でこんなところいるのさ」

「なんだっていいだろ」

「お前友達いないの?」

「いない」

「だよね。そんなに無愛想なら話しかけるのも嫌になっちゃうよ」

 だったら話さなくて結構と瞼を閉じる。瞼を閉じるように耳の穴を塞ぐ方法があれば良いのに。

「友達欲しいと思わないの?」

 よくもこれほど嫌なことを聞けるもんだと感心する。嘘をつこうと思えば造作もないが、敢えて取り繕うのも馬鹿臭い。

「欲しいと思ったことがないわけじゃない。でもやめた」

「なんで諦めたのさ?」

「あんたらみたいなのがいるからだよ」

「何言ってるか分からないや」

 瞼の向こうに気配。わざわざ回り込んできたのか。

「あの、違うかもだけどさ、その、お前は……私がいれば十分ってこと?」

「違う」

 即答すると腹に鈍い痛み。思わず目を開けるとそいつは右足を振り出している姿が見えた。蹴りやがったのか。怒りたいのはこっちなのに、そいつは怒髪天を衝きそうな形相を浮かべて見下ろしている。

「勘違いさせるな、死ね!」

「俺の台詞だよ」

「じゃあどういうことだよ!」

 何が悲しくて説明しなきゃいけないんだとため息をつきたくもなるが、俺が言わせてるのだとしたら情けない。腹痛が紛れないかと身体を起こす。

「区別がつかないんだよ。あんたらみたいなのと、普通の人間と」

「悪かったな普通じゃなくて。でも普通じゃないのはお前もだからな」

「分かりきったことを言うなよ」

「お前のは分かってないみたいな言い方だった」

「分かってるよ。あんたらみたいなのがいなければ俺は普通に……」

 言っていてアホらしくなる。もしもの話をすることも、話しても仕方のない相手に何かを語ろうとしていることも。

 改めて相手の姿を視界に捉える。見た目は普通の高校生だ。まあ、制服は着崩しているし髪も金色に染めているし耳にはピアスをつけているし、普通というには少しチャラチャラしすぎに思えなくもないのだが。それでも、少なくとも普通に存在する人間としておかしい部分はない。

「な、なんだよ急に見つめて」

「何なんだろうな、あんたは」

「ん? 喧嘩売ってる?」

「俺にとってどういう意味があるんだろうな」

「ワケ分かんないことばかり考えてるとハゲるぞ、お前」

「余計なお世話だ」

 痛みの引いてきた俺は、そいつに背を向けてまたその場で横になる。相手に何を言ったって独り言のようなもの。いつまでも独り言を言っているのもうんざりだ。

「なんだよ、せっかく来てやってるのに!」

「頼んだ覚えはない」

 腹の鳴る音がした。俺のではない。真っ赤になった顔が思い浮かぶ。

「もう帰るからな!」

「どうぞ」

「また来るからな!」

 もちろん返事はしない。説明するまでもなくもう来なくていいからだ。

 反応を待つような間の後で耳に届いた、地面のタイルを踏みつける音。扉を勢いよく閉める音。そして鍵をかける音。


 普通の人なら屋上に締め出されたと焦るのだろうか。けれども俺はその全く逆のことを確信していた。だって話しの相手をしてくれない腹いせにそんな幼稚な仕返しをする高校生がいるだろうか。いるはずがない。

 つまり彼女は、最初から全部幻覚だった。


 今に始まったことじゃない。俺は仰向けになって、なんとなく空の色を気にする。あれが青だと思っているのは俺だけなのかもしれない。

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