幕間 ガローファにて
港湾都市ガローファ。
外洋に面した港を持つこの街は、大型船が出入りできる埠頭を中核にして外に外に拡張された都市だ。
北にあるレガーノとは陸路による交易が盛んな街で、特に、ここ数日は三日前に街道を
その外郭、行商人や旅人、陸運を主にする商会の支店等様々な人間が生活する街角に一人の男の姿があった。
左足に包帯を巻いたその男は余程鍛えているのかがっしりとした体躯をしていて、背にナイフ、左腰には剣を帯びてキョロキョロと周囲を見渡しながら街並みを歩いている。
どこぞから流れてきた冒険者だろうか、と街の住民は男のことをさして珍しいとも思わず、誰も気に留めないまま男は路地を細いほうへ細いほうへと歩いていく。
表通りを逸れたそこは、日雇い労働者や流民がたむろするスラム一歩手前の一角だ。
物を売り買いするような商店がないそんなところにも、店は存在する。
酒場だ。
混ぜ物をしたり、密造したり、薄めたりした粗悪な酒を出す安価な店だ。
男が中に入ったのはそんな店の中でも比較的広い、大きな店だった。
路地から続く階段を降りて半分近くに潜るような形で広がる店の中には、ところせましと席が置かれて多くのひとで賑わってはいたが、表通りの店とは違う濁った活気が満ちていた。
ほの暗く辛気臭いこの場の空気を良しとしないのか、あるいは単純に慣れていないのか、男は顔をしかめ、ため息を吐いたところで奥のテーブル席まで歩いて行った。
人が密集して狭くなった店内を縫うようにして歩く男は、その途中、何人かの足を思い切り踏みつけながら歩いた。腰のナイフをスリ盗ろうとしたり、剣帯ごと剣を引きちぎろうとして来たりしたからだ。
そんな奴らが声を挙げても、誰も気にも留めないし、そいつらも男に食って掛かったりはしない。戦えば負けるのは分かっているし、そもそも正面切って文句を言えるようならスリを働いたりはしない。
結局のところ、この場にいるのはそういう連中なのだ。男が目的のテーブルにたどり着くまでに踏みつけた足やヒジやヒザで相手を押しのけた数は両手の指を優に超えていた。
「……相変わらずクソみたいなところだな」
テーブル席についてまずそう独り言ちた男は剣を外さずにそのまま椅子に腰かけた。
不思議な空間だ、と男はここに来るたびにそう思っている。
これだけ人が集まるこの店で、このテーブル席の周りにだけ、人が集まらない。
店の奥にあるいくつかのテーブル席は、そこにだけぽっかりと穴が開いたみたいに人を寄せ付けず、男の様に要件がある人間以外はここに座ることはまずない。
あちこちから様々な人間が集まり、法律なんてろくに守れないような奴も大勢集まるようなこの店で、そんなルールだけはきっちりとしている。
「つまるところは、それだけ影響力があるやつがこの店を仕切っているってことか」
ポツリ、と男が言葉を零したところで、テーブルの対面へと歩いてくる姿が見えた。
印象の薄い男だ。
何度かあったはずなのに、こうして対面しないと特徴が思い出せないのが特徴というこれまた不思議な男。
「シェイド……だったか」
「おや、わたくしの名前を憶えていただいたようで……」
「そりゃ、まあ、一応は雇い主の使用人って触れ込みだからな」
スッと音もたてずに席についたシェイドを真正面から見据えたのだが、店内の照明が逆光になって顔がよく見えない。
嫌な配置になってやがるな、と男はもう一度ため息をついた。
「そんなに何度もため息を吐いていると幸せが逃げますよ?」
「なんだそりゃ?」
「おや、失礼。わたくしの故郷ではそのように言い伝えられておりますので……」
丁寧な物言いのくせに、どこかこちらを小ばかにしたような態度に男は少しだけむかっ腹を立てる。
「ま、いいさ」
が、それを表に出すことはしない。
テーブル席に店の人間がやって来ると、木のジョッキに酒が注がれたものを持ってきた。その酒を二人は手を付けずに店員が立ち去るのを待った。
男は懐から布袋を取り出すと、それをシェイドの前に放り投げた。
「これが今までの成果ってところだ。んで、知っての通り、こちらの目論見は完全に潰されちまった」
「いえ、構いませんよ。我々の目的は既に完遂されましたから」
その言葉に、男はもう何度目になるかわからないため息が出た。
「はぁぁ~~ぁ、っつうことはこっちは陽動か捨て石だったってことか?」
男の問いにシェイドはニコリと笑ったように見えた。
「さあ、どうでしょう?」
そこから先、シェイドは口を開かなかった。
「わかった、わかった。つまりは、これ以上詮索すんなってことな」
もう一度、シェイドが笑った気がする。
「では、わたくしはこれで……」
言って、シェイドが席を立とうとしたところ。
「ちょっと待てよ」
男が軽く呼び止めた。
「報酬は?」
「おや?」
「だから報酬だよ、報酬。俺に野盗の真似事をさせた茶番劇の報酬」
腰を浮かせたシェイドはイスに腰かけたままの男を見下しながら、今度はハッキリと笑った。
「ああ、はいはい。それはもうお支払いしてるじゃないですか!」
「なに?」
男が心底意外そうな顔をしたのを見て、心底楽しそうにシェイドが言う。
「野盗に身を落としながらも、こうして罪問われず堂々と街中を歩いている……。これが報酬じゃなくて何なのです?」
それを聞いて、今度は男が笑った。
「なるほど、確かにそいつはそうだが……貰いすぎだな、釣りをくれてやる」
男はジョッキを手に取るとそれを思いっきりシェイドに浴びせかけた。
「この一杯は俺からのオゴリだ。存分に味わってくれ」
ニンマリと笑う男にシェイドは怒ったように声を低くしながらハンカチで顔を拭い始めた。
「……この借りはいずれ返しますよ、アクセル・アールストレーム」
カツカツと、来たときとは違い、音を立てながらシェイドは店の出口へと向かい、同時に店内にいた20人以上の男が示し合わせたかのようにシェイドに前後して店を出た。
店内の様子は何も変わらない。
アクセル、と呼ばれた盗賊の頭をさせられた男は店に入ったときと同じように幾人かの足を踏みつけたりしながら歩き、店員に銀貨1枚を放り投げて店を出た。
そして、細道を大通りのほうへと歩いていく途中で蜜蝋で封をした跡が残った羊皮紙を落としてしまう。
しばらく、進んだところで、後ろを振り返ってみると書類はもうどこにもなかった。
「……レガーノの連中は優秀だねぇ」
街道からずっと自分を尾けている連中がいることにアクセルは気が付いていた。それもアクセルが気を抜くとすぐに気づけなくなるほどの手練れが、だ。
「シェイド君は無事に追手を撒いて逃げれるかなぁ?」
まあ、無理だろうな、とアクセルは心の中で嗤った。
いくら人ごみに紛れるように店を出たといっても酒を真正面からあびせられた奴なんて特徴的すぎる。それも几帳面にハンカチで拭きながら歩く生真面目なやつなんてこの辺にはそうそういない。
「さぁて、これからどうするかなぁ」
街を歩きながらアクセルは少しだけ憂鬱そうに肩を落としていた。
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