第11話 翼竜

 初手は、翼竜による後肢の振りおろし。翼竜は大きな脚の先には湾曲した鋭利な5本の鉤爪をもち、肉を引き裂くだけでなく、吊り下げて飛ぶための返しが付いた凶悪な仕様になっている。


 有利な高所から急降下し速度を増しながらの半ば突撃めいた翼竜の一撃に対して、オルレオは自然、盾を合わせるように掲げた。


 インパクトの瞬間を狙い、オルレオは構えた盾を爪に並行して滑り下ろす。しかし、威力を殺しきれない。前後に大きく開いた脚は後ずさりをし、下げた盾を持つ手には痺れが残る。それでも翼竜は止まらない。


 追撃は咬みつき。閉じた口からものぞき見える、研ぎ澄まされた名剣をズラリと並べた様な歯がオルレオの頭を噛み千切ろうと迫りくる。目前にせり出そうとするソレを、オルレオは盾の角を口内に突っ込んで阻止する。一瞬、翼竜の動作が止まる。それだけで、十分だった。


 後ろに引き下げていた右足を思い切り蹴り抜く。目標は、大盾の下部。蹴り上げられて跳ね上がった盾は、翼竜の胴体に吸い込まれるように激突する。


「GRUU!?」


 少しはダメージが入ったのだろうか?翼竜は飛び退いて間合いを外し、うっとうしいとでも言いたげな目でオルレオを睨んだ。


(こっちも同じ気分だっての!)


 その目つきにイラつきながらもオルレオは大盾の表面を一瞥する。


 今のところ、表面に擦過痕はあれどもひび割れや欠け等の目立った損傷はない。脚や腕に意識を巡らせるも、ダメージは僅少。


 翼竜がこちらを見定めるかのように間合いを取ったのを幸いに、オルレオはしばし先ほどの攻防を思い返した。


 翼竜の一撃は確かに重い、しかしその速度と成人男性二人分はあろうかという体格から比べれば軽いのではないか、というのがオルレオが持った感想だ。おそらくは空を飛ぶために見た目よりも体重が軽いのだ。それだけでなく、ほかに何か理由があるのではないだろうか、とオルレオは眼前の翼竜を睨みつけた。 


 あの体格を浮かせるのに、羽ばたきの数はいやに少ない。ハチドリがホバリングするのに目にもとまらぬ速さで羽を動かしているのに対し、目の前の翼竜はバッサバッサと大仰に音を立てて、悠然とした羽根の動きしか見せていない。おそらく翼以外の力で身体を浮かせているのだろうが、それが攻撃時に阻害となるのではないか。


 そこまで考察したところで、はたとオルレオは思った。


 なぜ、圧倒的に優位なはずの翼竜が攻撃を仕掛けてこないのか、と。


 直感的に、オルレオは半身になって背後の様子を盗み見た。


 そこに、オルレオにとっての最悪があった。


 オルレオの視線の先、そこに翼竜がいなかった。水面のはるか上空を警戒するように飛び回っていた翼竜の群れはしかし今や、オルレオの視界には映らない。


 オルレオは自身の心臓が早鐘を打つのを感じた。


 おそらくは、この翼竜は最初の一鳴きで増援を呼んでいたのではないだろうか。


 翼竜としては、オルレオを狩るのになんら意義を感じていないのだろう。ただ縄張りに迷い込んだ侵入者、もしくはただの哀れな獲物くらいの認識でしかないのだろう。だからこそ、目の前の翼竜は不用意な反撃を食らっても、自らの手で仕留めるとか一騎撃ちとかいうまだるっこしい考えを持つことなく、群れで囲んで殺すことにしたのだと、オルレオは心の中でそう結論付けた。


 オルレオの焦りに気が付いたのか、翼竜は少しだけ高度を上げて再度突っ込んでくる。オルレオの推測通りならば、獲物をこの場に釘づける為に。


(冗談じゃない!)


 オルレオは一気に翼竜との距離を詰めた。突撃の瞬間、後肢を持ち上げるようにしていた翼竜の下に体を滑り込ませて、間に大盾を挟む。次いで鉤爪がこちらを引っ掴もうとするのに対して、盾を斜めに傾けて脚の付け根を狙って振り上げる。


 残念なことに翼竜の態勢を崩すことすらできなかったが、爪につかまらなければそれでよしとして、オルレオは翼竜と自分の場所を入れ替えた。


 向かい合った翼竜の背後に、増援の影が3つ。


 その速度から考えて、もはや猶予がないことをオルレオは理解した。


 逃走経路としていた斜面はオルレオの背後、すぐそこにある。しかし、まず間違いなく追いつかれる。


 オルレオは冷静さを保つため鼻から大きく息を吸い込み、口からゆっくりと吐いた。


 眼前の翼竜はその大きな隙に対しても何ら行動をしない。する必要を感じていないのだろう。


 逆転の目は、ある。


 オルレオの中には一つだけこの状況を突破する冴えたやり口を思いついていた。


 そして、それが勝率の低い賭けであることも当然の様に分かっている。


 もう一度だけ、呼吸を整える。


 間もなく、三つの影がこちらに飛来する。そうなればもうそれは自分の最期だとオルレオは悟った。


 相対した翼竜と目を合わせれば、勝ち誇ったような視線を感じる。


 それを馬鹿にしたようにオルレオは笑い、そして、一気に斜面へとその身を投げ出した。


 空中に浮かぶわずかな滞空時間でオルレオは大盾を自身の足もとに、踏みつけるようにして投げ出した。盾の持ち手に足先を突っ込みつつ、だ。


 下り坂への着地と同時、盾はオルレオを乗せたまま、重力に引かれて速度を増しながら滑走を開始する。わずかな斜面の起伏に幾度かバランスを崩しそうになるも、オルレオはどうにかこうにか姿勢を制御することに成功し、背後、上空へと振り返る。


 そこにはやはり、翼竜がいた。


 追い撃つように斜面を滑空するその速度は、即席のソリ代わりである大盾とは比べるまでもなく圧倒的な差がある。


 ここで、ようやく、オルレオは剣帯から剣を引き抜いた。


 剣はやはり重く、構えているだけでも震えそうになる。


 そこをグッと堪えて、オルレオは左腕のバックラーを前に突き出し、右手一本で剣を下段に構えた。


 着々と迫りくる翼竜に合わせてオルレオは小さく呼吸を刻み、タイミングを合わせていく。


 チャンスは、一回。それもおそらくは一瞬である。


 翼竜の一撃は急加速からの全身での体当たりだろう。見れば全身を、頭の先から尾の先までを一直線に整え、地面の起伏で小刻みに揺れるオルレオを、尾の舵取りで見事なまでに追尾していた。


 オルレオは自身の命の賭け処を決めた。


 低く、低く、オルレオの目線と同等の高さで飛んできた翼竜と、もはや鼻先が触れるのではないかというところで、オルレオはさらにその身を屈めた。


 左手のバックラーは既に龍ののどから下腹部に擦れて奇妙な音を発し、徐々にその破片がオルレオの顔へと降り注ぎ、後肢の合間をすり抜けるときには革鎧越しにも相当な衝撃が来た。


 足場にしていた大盾も衝撃によって大きく跳ねて、その身を大き投げ出されそうになりながらもオルレオは耐えた。


 そして、オルレオの眼前に自らを打ち据えようとわずかに持ち上がった翼竜の尾が見えた。それを、好機とばかりにオルレオは吠えた。


「オッアアアアアアアアァ!!!!!!」


 気魄と共に、オルレオは文字通り命がけの一撃を見舞った。屈めた両足の力を一気に解放させ、それに合わせるように斬り上げたその剣撃の一線はまごうことなく、翼竜の尾を両断した。オルレオの視界一杯に翼竜の血が広がり、ベッタリと身体にまとわりついてくる。


「GURUUUAAAA!!!???」


 翼竜が、バランスを失って墜落した。


 オルレオも大盾から身を投げ出されて盛大に地面に転がりはしたが、元々覚悟の上だ。背に括り付けたザックをクッションにして何とか受け身をとり、大げさに転がってその衝撃を殺した。


 対して、翼竜は速度と体制を崩したおかげで頭から地面に突っ込んでいった。


 未だ、土煙を上げながら地面を削っている翼竜を尻目にオルレオはザックが背にあるのを確認。大盾を引っ掴んで逃走を開始した。


 何も考えず、振り返ることすらせずに逃げて、走って、駆け抜けた。


 そして丘陵の入り口付近、ほかの冒険者が張ったキャンプが見えてきた頃合いに、ようやくオルレオは足を緩めた。


 息を整えながら背後を振り返るも、何もいない。


 逃げ切ったのだ、とオルレオは実感した。


 途端、笑いがこみ上げてきた。


 キャンプに屯する何人かの冒険者がこちらを見るのに気が付いて、声は殺した。しかし笑みは消えない。


 さぞや今の自分は連中から滑稽に見えるだろうな、とオルレオは思った。


 だがまあいい、とりあえず今日は生き残ったのだから、まあいいだろう。そうオルレオが思う頃にはすでに向こうも興味を無くしていた。


 あとは、レガーノの街に帰るだけである。しかし、帰るまでが依頼だ。気を引き締めねばならない。自分の中に残ったまだマトモな頭の部分を総動員してオルレオは緊張感を生み出そうとした。しかし、口元がどうにもこうにもムズムズして口角があがるのが抑えられなかった。


 どうにかこうにかこの笑みを消そうとして、オルレオは最悪の想像をした。


 あの賭けが失敗したら、自分がどうなっていたのかを。


 考えてみれば賭けの要素が大きい突破口だった。


 大盾が綺麗に滑っていかなければ、斜面がもっと凸凹で不安定だったならば、翼竜のバランスを保っていたのがオルレオの予想していた尻尾でなければ、尻尾を切り落とせなければ、翼竜がすぐに自分を追ってきていたならば…


 一つひとつの賭けの要素を思い返すだけで、オルレオの顔からは笑みが消え、血の気が引き、背筋には寒気が、顔には熱さが襲ってくるようだった。


(何のことはない。自分は実力でなく、運で生き残っていたのではないか…)


 このことを師が聞いたらなんと言うだろう?オルレオは自身の師を思っていた。

 

 運も実力の内と割り切って笑うような気もするが、実力不足だと鼻であしらわれそうな気もする。そもそも実力でも、戦術でも、罠でもなく、行き当たりばったりの策に頼るのがどうかしている、と怒り出しそうな気もする。


 はあ、とオルレオの口から自然にため息が漏れる


(強くなりたい)


 オルレオの内からその気持ちが沸き上がる。


(逃げなくて済むくらい、賭けまがいの事をしなくて済むくらい、強くなりたい)


 オルレオの拳が強く握りしめられ、革籠手が小さく悲鳴をあげた。

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