第10話 竜頭草
丘陵に踏み入ってから四半刻も経たないうちに、オルレオはこの丘陵に起こっている異常に気付き始めた。森を避け、開けた草原を縫うようにして歩いているというのに、ここに住まう生き物を見かけないのだ。
(獣がいない…どこかに隠れているだけか、あるいは、とっくのとうに逃げたか…)
盾を左手に構え、しかし剣は抜かず。オルレオは師と修行した時と同じように全周どこから敵に襲い掛かられても察知できるように警戒を強めている。しかし、どんな動物の気配も感じ取ることは出来なかった。
オルレオからすれば実に好都合である。
何せ、問題になっている翼竜はおろか、本来ならば丘陵で出くわし、戦闘になるかもしれなかった獣すらいないのであれば目的を達成するのは一気に容易になる。
同時に、オルレオはそんな好条件に不気味さを感じていた。
現住生物が、住み慣れた丘陵を離れて遠くまで逃げるか、もしくは丘陵でも見通しの悪いところに隠れるかするということは、やってきた翼竜の群れはこの丘陵に住んでいるどんな生物よりも強いと証明されたようなものだ。
そのことに思い至った瞬間ゾワリと背筋を冷たいものが流れた。
(…悪寒ってやつかな)
オルレオの人生の中で感じることのなかった死の予感に、足が竦んだ。竦んだ瞬間に、ズルりと足を滑らせる。
勢い込んで倒れたオルレオの目には空が映った。尻から落ちたが特に痛みはない。
寝ころんだままで空を見上げていたら、急に笑いがこぼれた。
なにを馬鹿なことを考えていたんだ、とオルレオは思った。
逃げ帰ってくる、とそう言ってあの店を出たではないか。
なんとかなるさ、と丘陵に足を踏み入れたのではないか。
こうして真正面から見据えた空は、確かに雲の流れだなんだと違うところもあるが、それでも山小屋で、都市で、そして宿で見た空と大きく変わることもあろうものか。
空が空なら自分は自分。
そう、自分は自分だ。自分が決めたことをやらねばならない。
オルレオは勢いをつけて飛び起きた。同時に身体に残っていた重く冷たい空気を撥ね退けるように。
次いで、頭や背についた土を払おうと軽く各所をはたくとなにやら本当に冷たく濡れている。よくよく地面を確かめてみると、今は春先で、もうじき昼になるというのに草は朝露が渇かずに湿っていた。
道理で先ほどから何度も足場が滑るはずだ、とようやくオルレオは合点がいった。
実のところ、丘陵に入ってずっと足場が悪いような気はしていたのだ。でも翼竜に気が取られすぎて、いつ攻撃されるだろうかとびくびく怯えすぎてこんなことにすら気が付いていなかった。
これはもう、自分で自分を笑うしかない。
『オルレオ・フリードマンとはこんなにも臆病で弱っちい男だったのか』、と。
『そんなことはない。』と自分で自分に反論をして一歩。
『ならばそれを証明して見せろ』ともう一歩。
『望むところだ』と返して駆けだした。
自分の弱気や怯えを吹き飛ばすように一気に走り抜ける。
目的地は丘陵の一番高いところ。台地状に広がるそこに、竜頭草は群生しているらしい。
警戒しながら進んでいた時がウソのように距離が縮む。四半刻で一つ目の丘の真ん中にすら来ていなかったというのに一気に越えてしまった。
前を向くとまだ幾つもの丘が見える。その中で一番多きいものまであと一つ丘を突っ切っていくのが早そうだ。
そこまでを一気に駆け抜けようとしたところで、羽音がした。
今までに聞いたことのないほど無骨で荒々しくてでかい音がした。
見上げた空に影が落ちる。
長い首、馬鹿みたいに広げられた両翼、ごつごつした尻尾。両後肢で牛と思しき獲物を引っ掴んだそれは、オルレオに一瞥もくれずに飛んで行った。
オルレオが目指す先の丘へと一っ飛びと消えていった。
思わず、オルレオはブルりと身体が震えるのに気が付いた。しかし、足は先ほどのように竦んではおらず、むしろ自然と影の後を追うように動き出した。
これが武者震いとでもいうのだろうか、なんてことを考えながらもオルレオはさっきの翼竜とどう戦ってやろうか楽しみになっていた。
目の前の丘を行きつく暇もなく踏破し、そして眼前、一番高い丘へと突撃した。もはや森を避けるなんてことはしない。どうせ、この辺の生き物はさっきの翼竜たちに怯えて隠れるなりなんなりしていないのだ。遠慮することなく踏み荒らしていった。
森をつっきる少し手前、明らかに森が途切れるのが見え始めた頃にようやくオルレオは速度を落とした。
同時にゆっくりと前を見据えるようにして警戒を強めていく、歩みは止めない。息を整えながらも動きは止めず、慎重さを取り戻しながら一歩一歩と進んでいく。
途切れた森の隙間からひっそりと伺うように先を探る。
丘の上は平らな台地状になっていてしかもかなり広い。レガーノが7か8個は入るのではなかろうかと思うほどだ。
目的の竜頭草についてはここを探せばきっと見つかるだろう。
しかし、眼前に広がる台地の上空には、いた。こちらからは遠いところ、台地をさらに奥地まで足を踏み込んだところに、目算でも10匹位が悠然と空を飛び回っている。その下でなにかがキラキラと陽光を照り返している。おそらくは水面だろうか。
つまりは、あの翼竜たちはこの台地の水辺に巣を作っているのだろう。そうオルレオは結論付けた。
ならば話は早い、とオルレオはまず初めに退路を探すことにした。
逃げ出し方はすでに思いついている。転んだ時のことを思い返しながら、オルレオは条件に当てはまる地形を求めて、森の境界線をぐるりと回るように動いた。
お目当ての場所はすぐに見つかった。
おそらくは、ここに人が踏み入るときに使われていたのだろう。森が切り開かれて丘の麓まで一直線に駆け降りることができる坂だ。
そこまでを確認して、オルレオはようやく森から抜け出した。
いよいよ竜頭草を探し始めるのだ、と意気込んだがそれはあっけなく見つかった。
台地のあちらこちらに竜頭草はその名の通り、龍の頭に似た真っ赤な花を咲きほこらせ、まるで自己の存在をアピールするかのようにそこかしこに生えている。
どうにもこの花は、花びらがパッと満開に開くのではなくて上3枚、下2枚の花びらがまるで口を開くかの様に花開き、さらには上の花びらに二本のがく―剣でいえば鍔のような部分―がニョキっと反り返っていてそれが龍の頭を想起させるようだ。
もっとも、オルレオは龍の顔なんぞ見たことはないから想像でしかない。
さっきの翼竜たちもこんな頭をしているのだろうか、とかこのまま戦わずに帰るのもいいけどさっきの勢いはどうしてくれるんだ、何か恥ずかしいだろう、などと考えていながらも黙々と花を根元から引っこ抜いては土を落としてザックに放り込んでいく。
太陽が南中する頃、ちょうど真昼にはザックの中ももう一杯になりそろそろ帰ろうかと思うほどになった。
チラリと翼竜たちの塒へと視線を向けて確認するも、あちらはこちらに気づいているのかいないのか、相も変わらず空を飛び回るも一匹たりとこちらを気にするそぶりは見えなかった。
オルレオのことはさしたる興味もなくそして脅威でもない、そういわれている様で何となくむかっ腹が立ってきたが、戦わずに済むならそれがいい。むしろ、戦わずに逃げるのが目的だ。
そう自分を納得させて帰ろうと振り返った矢先に、音がした。
羽音だ
さっき聞いたのよりも距離が近いのだろうか、やたらと音が大きく聞こえる。
音はオルレオが向いた先―つまり帰ろうとしている方向から聞こえている。
しまった、とオルレオは自分の考えの甘さを恥じた。
(敵はどこから来るかわからないなんてわかり切っていたのに、退路からは来るはずがないだろうなんて思っていた。とんでもない大バカ者だ)
オルレオはザックの口をキツク縛ったうえで、手持ちのロープでこれを背中に括り付けた。
多少、飛んで跳ねてザックが動きを阻害しないのを確かめると、意を決して大盾を構える。
音はドンドン近づいてきている。
オルレオは迎え撃つように前へ出た。
あわよくば、出くわす前に逃げられるかもしれない。そんな打算も確かにあった。
しかし、いた。
オルレオが逃げ出そうと考えた斜面のまさにそこに羽音の主がいた。
竜頭草にソックリ頭をもたげて、両の翼を羽搏かせながら、いた。
「GYAAAAOOOOOOO!!!!」
咆哮が衝撃となってオルレオの身体を打ち据える。
ソレを咄嗟に大盾を前へと構えて防ぐ。
オルレオの身体に、三度目の震えがきた。ビリビリと振動する大盾を持った両手から伝わるような戦慄きはむしろ全身から活力を引き出すようですらあった。
吠え声が途切れると同時、翼竜の目とオルレオの目がかち合った。
乾ききった唇を舌で湿らせ、盾を右手で構えなおした。
オルレオの初めての闘争が、幕を開けた。
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