第8話 初めての依頼、受注
眠りから目覚めへと移行する僅かな間に、これまでの日々には無かった明らかな異物、いや異声が差し込まれるた。山での生活では聞いたことのなかったコケコッコーとけたたましい雄鶏の叫び声がオルレオの微睡みを打ち破って鼓膜を揺らす。
何で雄鶏の鳴声が、とか、本当にコケコッコーって鳴くんだな、とか幾つもの思考がオルレオの中に生ま れては消えて、最後に残ったのは自分が、今、街の宿屋―陽気な人魚亭に寝泊まりしたのだという事実の再認識だ。
真っ暗な部屋の中を何となくの感覚で歩き、木窓を開け放つ。身を乗り出して見上げた空は既に闇が朱色に塗りつぶされようとしている。
それにしてはどうにも暗いと思い、あたりを見回すと南東に見える城壁が暁を遮って深い影を造っていた。
朝の日当たりが悪いというのは寝坊がちな人物には寝心地良くていいのだろうか?それとも寝過ごしてしまって悪いのだろうか、師と共に山で暮らしていては思いつくこともなかっただろう、どうでもいい疑問を胸に抱き、オルレオは剣を手にした。
部屋を出てから階段を一段一段と下るごとに少しずつ意識を覚醒させて身体の隅々まで力を漲らせていく。軽く肩を回したり脚を大きく上げたりしながら不調がないことを確認する。
一階にたどり着いた時には目覚めの儀式にも似た一連の行為は終焉を告げ、オルレオは寝起きであることを感じさせないシャッキリとした風体を取り戻した。
「よう、はえぇな!いつもこんな時間に起きだしてんのかい?」
朝食の仕込みだろうか、すでに起きだして作業を始めているロッソ夫妻にオルレオは笑顔で応じた。
「ええ、山の暮らしは早寝早起きが基本なんで」
ほう、と感心顔のマルコはオルレオの右手を見て、何かを察した様に二カっと笑った。
「素振りするなら階段と反対側、ホールの奥の扉を開けな。中庭に通じてる」
ありがとう、ともう一度笑顔で返して、団体客用のテーブル席が並ぶホールを急いで通り抜けていく。
中庭にたどり着いたオルレオは早速、剣を抜き放つとそれを右手一本、中段に構えて呼吸を整える。上段に振り上げて真っ向に降り下ろし、斬り上げ、右袈裟、左袈裟、左逆袈裟、右逆袈裟、逆薙ぎ、払い、突きと剣線を意識しつつ途切れぬように基本9種の剣撃を繋げていく。一巡することに、順序を変えて型を創らぬよう。調子を変え、単調に堕ちぬよう。己の剣技が未熟であるのだと言い聞かせるように繰り返す。
その反復が100遍を超えた頃、オルレオは静かに剣を下ろして息をついた。
瞬間、小さな拍手が起こる。
途端、オルレオは音のした方に振り返る。
そこには、満面の笑みを浮かべる少女がいた。
茶と白を基調としたピナフォア―エプロンドレスを着込み、足元には水の入った桶と手ぬぐい。背は女性としては平均ぐらいだろうが、ごく一部、ある一点は他者を凌駕していた。
旅立つ前に出会ったアデレードも結構なモノをお持ちであったが、こちらはそれを超えている。
周りを丘と例えるなら山だろう。そして山の頂にかかるかかからないかの長さに揺れる黒い髪がなんとも艶かしい。
振り向きから瞬きもせぬ間にそこまで考えたオルレオは、少し垂れ目がちな少女に何かを言おうとして、先手を取られることになった。
「あ、あの、おはようございます!私、この陽気な人魚亭で働いてます、イオネ・アンドルって言います」
少女―イオネはどこか興奮した様子で続ける。
「なんか、こう、何て言ったらいいかわからないんですけど、あの、とにかくすごかったです!さっきの!こう、何だろう?とにかくよくわからないけどとっても動きが綺麗でした!何だか踊っているみたいに!」
イオネは自分でも何を言っているのか、何と言っていいのかわからないのだろう、身振り手振りを添えてバッとかシュッとか言いつつさっきの素振りを真似ているイオネにどういえばいいのか分からずオルレオはただその場に立ち尽くすしかなかった。
惚けていたのが悪かったのだろうか、勢い任せに喋っていたイオネはオルレオの顔をチラリと一瞥すると途端に顔を青ざめさせて。
「ああ!!すいませんすいません、私っていっつもこうなんです。こう、話したいなと思ったら止まらなくて、いっつも長話ばっかりして周りの人を呆れさせちゃうんです!ごめんなさい~~~」
謝罪も長いな。
オルレオは放っておくといつまでも頭を下げていそうなイオネに苦笑を一つ。
「ええ、と。特に気にしていないんで…俺も、ほら、こういう時になんて言ったらいいか分かんないくらい口下手だから、そこまで喋れるほうがうらやましいっていうか…」
話下手のオルレオにしては頑張った方だろう。
現に、イオネは先ほどまでの笑みを取り戻したのだから。
「えへへ、ありがとうございます!あの、あなたのお名前は?」
イオネの笑みが、また一段と華やいだ。
「オルレオ、オルレオ・フリードマン。昨日からこの宿に泊まってる」
そっか、というなり、イオネは何度かオルレオの名前を口にして。
「オルレオ君だね!覚えた!」
ヒマワリもかくやといった満開の笑みを浮かべた。
その笑みにオルレオが惚けているところで、さらに声が生まれる。
「あ、そういえば、てんちょに言われてこれ持ってきたんだった」
これと言ってイオネが指さしたのは足下、水の入った桶と手ぬぐいだ。
「汗だくのまんま店にはいるのは勘弁してくれって、今回はタダだけど、今度から朝晩二回で1シェルケだって」
まあ、たしかに、自分の都合で汗だくになっておきながらそれで宿にまた戻るのも迷惑か、とオルレオは素直に桶と手ぬぐいを受け取った。
イオネはニコリともう一度笑うと、扉をくぐって店内に戻っていった。
オルレオはそれを見届けてからシャツをばさりと脱ぎ固く絞った手ぬぐいで汗をぬぐっていく。程よく冷たい水が火照った身体を冷ましていくのを感じてオルレオは心地よさと満足感を得ていた。
粗方を拭き終わりもういいだろうとオルレオが片づけを始めたところで昨日も聞いた音がする。
鐘の音だ。
三回鳴ったということは鐘三つ時。
依頼が貼り出される頃合いだ。
これはちょうど良いとばかりに桶と手ぬぐいを手に店の扉を開いたところで、オルレオは己の迂闊さを思い知った。
ボードの前には黒々とした人だかりの山が出来て目ぼしい依頼を狙っているのだろうか。マルコがボードに依頼を貼りおわった瞬間には八方から手が飛び出して依頼が書かれた用紙をひったくっている。
依頼を確保したパーティーは仲間で集まりテーブルについて朝食を注文し始め、そうでないところは足早に店外に出ていく。
中には依頼の奪い合いなんてどこ吹く風と暢気に朝食を摂っているパーティーもいる、今日は休みなのだろうか。
これは今日の仕事は出来そうにないな、とオルレオは諦めてカウンター席へとトボトボ歩いて行った。
「よう、面食らってんな」
歯を見せた笑顔が今は憎らしい。
「驚きましたよ。大変なんですね…」
ため息交じりのオルレオに、マルコはそれを吹き飛ばすような笑顔で言う。
「まあな、どいつもこいつも飯を食うためには仕事をしなくちゃいけねえからな。でも安心しろ。ギルドに行けばまだ仕事はある。報酬は安いがな!」
慰めているのか、追い打ちを掛けに来ているのか、ガハハと笑うマルコに釣られてオルレオも笑ってしまう。
「まあ、もう今日はしょうがないんで何か食べるものお願いしていいですか?」
「おう、だったらモーニングセットはどうだ?2シェルケだ」
じゃあそれで、とオルレオが言えば、ちょっと待ってな、とマルコが返す。
今日は何だろうか、とオルレオが期待に胸を膨らませているところで、店の扉がドンっと音を立てて勢いよく開いた。
何事か、と思い振り返った先にいたのは、錬金術師の少女、エリーだ。
エリーは両ひざに手をついて大きく息を切らせていた。数度、大きく深呼吸をして、次いでざわつく店内すべてに聞こえるような声で、
「マルコさん!マルコさんいますか」
叫んだ。まるで縋るような、助けを求めるような声だ。いや実際に助けを求めて駆けてきたのだろう。工房があるという街の北門近くからここまでは結構な距離がある。土地勘があったとしてもそこそこ時間がかかるはずだ。
「おいおいどうしんたんだよ、そんなに急いで」
刹那、マルコは驚きを顔に浮かべ、しかしそれを即座に打ち消して労わるようにエリーへ問いかけた。
「一体何があったってんだよ」
努めて優し気に声を掛けているのだろう。マルコの声からは普段の陽気さが消えて真剣そのものだ。
エリーがマルコに言おうとして、ハタと何かに気が付いたのか急に声を小さくして何かをマルコにだけ聞こえるように言った。その声は小さく、オルレオがいくら耳に神経を集中しても聞こえない。
何を話しているのだろうかと聞き耳を立てるのに集中していたところでポカっと頭を叩かれた。
目線をカウンターに戻すと、エルマだ。
「趣味が悪いよ」
ジト目の美人とはこんなにも恐ろしいのか、とオルレオは恐怖した。
ン、と言って視線を下げたエルマに合わせて視線を落とすと、朝食がトレーに載せてある。
「あ、ありがとうございます」
どうやら朝食を配膳に来たところでオルレオが盗み聞きに躍起になっていたようだ。
「あんたにも関係のあることならうちの旦那が何とか言うさ、飯食いながら大人しく待ってな」
こくりと頷いたオルレオに、いい子だ、とエルマが言ってまたカウンターの奥へと去っていった。
今日の食事は、サンドイッチにドライフルーツが付いている。一切れ目には分厚いスクランブルエッグが挟まっていて二枚目にはトマトとレタス、それにキュウリがはみ出るくらいに収まっている。いや収まり切れていない。そして最後がじっくりと焼き上げられた肉、この匂いはおそらく双角ウサギのものであろうか、肉汁がパンの表面を白から茶褐色に塗り替えているのが食欲をそそる。
ドライフルーツはオルレオの見たことない果物だろう。その香りは強く、どうしても摘まみたくなる衝動に駆られる。
オルレオは勢いに任せてドライフルーツを一粒口に放り込んだ。
さわやかな風味と少しの酸味、そして強烈にドカンとクる甘みが何ともいとおしい。
これは真っ先に食べるのはいかん、最後のお楽しみとしよう、とサンドイッチに口を付ける。どれもこれもボリュームがあって大満足だ。
オルレオが夢中になっていながらもちらりちらりとエリーの様子を見る。ちょうどサンドイッチを食べ終わったころ、話は終わったのだろうか、マルコが立ち上がり、いくつかのテーブルに近寄っては何事かを話し、そして断られていた。ひとつふたつ、みっつよっつとすべてのテーブルで誰もが首を横に振り、マルコは参ったとばかりに両手の平を上に見せた。お手上げ状態だ。
「とりあえず、席につけよ、朝飯ぐらいは奢ってやる」
エリーに向けたその一言にはあきらめがあった。
「ちょっと待ってよ、今はそんな状況じゃ…」
「いいから、座れ。焦ってもどうにもなんねーんだ落ち着いて考えよーぜ」
声を荒げるエリーをマルコは視線一つで黙らせる。
そのままオルレオの隣に座ったエリー。
オルレオはこんな時にどう声を掛けたらいいのだろうか、とこの都市に来てお決まりの思考に囚われていた。
「あら、昨日の」
「どうも……何かあった?」
かけられた声へ咄嗟に問いかける。
「ああね。依頼をしに来たの。最初は工房の近くの酒場に声を掛けていったんだけど、どこの店でも報酬が少ないって依頼の貼り出しを断られちゃって、それでいくつか回って二進も三進もいかなくてここまで来て…マルコさんが足りない分の報酬を何とか穴埋めしてくれるっていうんだけど…ここでは受けてくれるようなパーティーがいないみたいで…どうしようもないのかもしれないけど」
エリーの声は次第に尻すぼみになり、最後には消え入るように、泣いているように悲し気に響いた。
「どんな依頼?」
オルレオは力強く、言った。
「え…?」
エリーがオルレオを見た。オルレオの目に映る目じりには涙が浮かんでいる。
だから、もう一度、言った。
「どんな依頼」
今度はエリーの目を見据えて、声だけじゃなく、視線にも力を込めて、言った。
「竜頭草の採取…今、
どこか驚いたようにエリーが言う。
「わかった」
オルレオが頷き、エリーが何を言っているんだコイツは?とでもいうべき顔になる。
それでも構うものかと言うように、明朗な声で、大きく、言った。
「その依頼、このオルレオ・フリードマンが受けた!」
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