第7話  初日の終わり

 ギルドから一歩外に出ると、すでに外は茜色に染まり始めていた。吹く風はどこか温く、そして鼻をくすぐるように夕餉の匂いを運んでくる。


 まずは宿屋の確保といこうか、とオルレオは左手に持った地図を広げた。ギルド員登録の後でクリスから受け取ったものだ。地図には簡易なものではあるが街の構造が示されており、街中の至る所に丸印と細やかな説明が記されている。


 おそらくはクリスが書いたものであろう、おススメの店舗や宿以外にも街の名所から騎士団の詰め所、立ち入ってはいけない危険場所までありとあらゆる事が所狭しと書き記されており、地図そのものが見づらくなっている。


 つい先ほどあったばかりなのにも関わらずクリスの人柄が表れているような気がしてオルレオは苦笑交じりに書き込みの中から宿屋に関するものを探し始めた。


 いくつかの情報の中でふとオルレオの目に留まったものがある。町はずれにポツンと印されていた宿屋―『陽気な人魚亭』という名前らしい。説明書きによると、どうやら冒険者を引退したばかりの夫婦が旅籠ギルドと酒場ギルドから営業権を買い取って始めたばかりの酒場兼宿屋の様だ。


 ちょうどよい、とオルレオは思った。


 なにせ自分もつい今しがた冒険者になったばかりだ。出来たばかりの店というのは何かとシンパシーを感じる。それに経営者が元冒険者夫婦というならば冒険者の事情というのも考慮してくれるだろうし、それに何かあれば相談に乗ってくれるかもしれない。


 そう思ったオルレオは地図を頼みにゆっくりと南に向かって歩き始めた。



 レガーノの街はいわゆる計画都市である。小さな集落から成長するように必要に応じて拡張されて造られた街ではなく、元々は何百年か前にここより西の半島に武力進出しようとした王が拠点として造った街だ―と地図の片隅に書いてある。


 街の東側は領主館から根が張るように騎士隊の詰め所や宿舎など、レガーノの政治・行政機関が集まり、西側は大聖堂を中心に住宅街になっている。そして南側には宿や酒場、飲食店等が立ち並び、北側は錬金術や鍛冶師らの工房が広がっている。


 オルレオが目指す『陽気な人魚亭』は南の大通りから東へと小路を歩いていき、やがて城壁が見える場所に建てられていた。

 

 地図だけではとてもたどり着けずにオルレオは地図を片手に道行く人に尋ねて回る羽目になった。オルレオにとって幸運だったのはレガーノの人々がとても友好的で誰もが優しく教えてくれたことだろう。どうにか日が暮れる前に目的の建物へとたどり着いた。


 石と木で形作られた建物はまだ新しく、周囲の建物と比べて小綺麗に見える。分厚い扉のわきにはオルレオの首から下げている冒険者徽章と同じ意匠が施された看板がぶら下がっており、その下には竪琴を引く人魚の看板が揺れている。


 オルレオが少し緊張しながら扉を開けていくと、鼻歌が聞こえてきた。その歌はどこか楽し気でオルレオの中にあった緊張をあっという間に溶かしていった。


 まるで陽気な人魚の歌声に誘われるがままに扉を開けたそのさきにオルレオが見たのは、ゴッツい男だった。ゴツイ男がカウンターでグラスを磨いていた。年のころは40位だろうか、肌の色は日に焼けすぎたかのように真っ黒で、カウンターから見える胸板と腕、そして首にまで筋肉が浮かび上がっていた。髪の色は黒く、縮れ毛で、それを編み込んで頭部に幾条もの線を描いていた。


 そして、もう一人、カウンターの奥の方には女性もいた。調理をしているのだろうか。年齢は男よりも幾分若く見える。肌は男とは正反対に日の光を浴びていないかのように白く、ここからでも血管が透けて見えそうだ。髪はやや茶色がかっていて頭の後ろの方で纏めているように見えた。体格は華奢に見えるが背筋がピンとしており、体幹にブレがないことが伺える。


 じっとオルレオが二人を探るように見ていると男は軽く笑った。


「やってくるなり人をジロジロ見るなんてお前、俺に一目ぼれでもしたか?」


 冗談めかしたもの言いは男のものだ。その声はさっきまで聞いていた歌声とそっくりだ。


「いや!そんなわけないでしょう!」


 慌てて否定するオルレオを見ながら、オゥ、と男は肩を竦めると今度は一転、真剣な眼差しで口を開いた。


「じゃあ、俺の嫁に?ソイツは無しだぜ!俺は嫁を渡す気はねえからな」


「いやいやいや、ジッと見てた俺が悪かったですから、そういうのもう辞めてください」


 たまらず懇願するかのようにオルレオが言うと男は笑顔を浮かべて、冗談さ、と言った。


「まあいいさカウンターに座りな。本当はまだ酒場を開ける時間じゃあ無いが、特別サービスだ」


 カウンターに座ったオルレオの前にコップが一つ、なみなみと牛乳が注がれていた。


「まだ酒が飲める年齢じゃないだろう?」


 男はそういってカウンターに肘をついて微笑んだ。


 ありがとうございます、と一言礼を言って口を付ける。そういえば街に入ってからまだ何も飲んでいなかったなと思うと途端にのどが渇いた気がしてきたオルレオはそれを一気に飲み干していく。


 ぷはっとコップから口を話したところで男と目が合う。男が二カっと笑うと白い歯が覗き、少しまぶしく見える。


「5等3位のニュービーにしちゃあ、随分と良い装備じゃねえか。なんだって冒険者なんかに」


 首元の徽章をみた男がオルレオの装備とを見比べ、何かを気にするかのようにオルレオへ問いかけてきた。


 オルレオが質問の意図を分かりかねて答えあぐねていたのを見て、男は再度問いかけなおす。


「あー、あのな、普通だったら駆け出しの5等3位にあたる連中はロクな装備すらそろってないのが当たり前。それをお前さんみたいにキチンと整えてこれる奴にはなんらかの事情ってやつがあるもんさ。言いたくないならそれでいいが、どうしても気になっちまう性分でな」

 

「大した事情なんてないですよ。これ、師匠からのもらい物なんです」


 言って、オルレオは一連の出来事を説明し始めた。自分が孤児であり、この街から北の山に住む師に育てられたこと。師に修行をつけて貰ったこと。師から修行の次段階として街で暮らすように言われたこと。傭兵か冒険者の二択で冒険者を選び、登録してきたこと。ギルドの受付からもらった地図を頼りにここまできたこと。男は意外にも聞き上手であり、どうにも人慣れしていないオルレオでも気軽に話すことができた。


「オーケーオーケー、ま、冒険者になる理由なんざ人それぞれだわな」


 男はカウンターからゆっくりと身体を起こしながら楽し気に笑った。


「んで、今日からここに泊っていくってんでいいのかい?料金は素泊まり、個室で一日5シェルケ、一月分つまり36日分先払いで150シェルケだ」


 笑みを崩すことなく男が言う。


 オルレオは、ふと自分の財布の中を確認した。財布の中には1シェルケ小銅貨と10シェルケ大銅貨、次いで数枚の100シェルケ小銀貨がある。オルレオは迷うことなく小銀貨一枚と大銅貨5枚を取り出して男に渡した。


「まいど!」


 男がニッカリと笑う。


「朝と、夜はここで食事も出してるからその都度注文するといい、あと、わかってると思うがここでなら冒険者としての依頼クエストが受けられる。こいつは、朝の鐘3つ時、大聖堂の鐘が三回なったところで壁の依頼板クエストボードにはりつけるからソイツを確認しな」


 言われて、オルレオが首を巡らすと壁面にコルクボードがいくつか掛かっている。


「まあ、今は人がいねえが朝の依頼が張り出される時間やもうちょいして依頼終えて帰ってくるくらいの時間になったらそこそこ客が入るようになる余計なトラブルはごめんだぜ」


 いいか、と確認してくる男に、オルレオは頷き一つで了承する。


「オーケー、名乗るのが遅れたが、俺がここの店主、マルコ・ロッソだ。んで」


 チラリとマルコが視線を向けるとそこにはいつの間にかカウンターの奥から女性がやってきていた。手には香ばしい湯気を放つトレイが用意されている。


「私が、妻でエルマ・ロッソよ。よろしくね、オルレオ君」


 オルレオの目の前にトレイが置かれる。切り分けられたバゲットとお椀に入ったシチュー、そして見たことのない魚のソテーが盛り付けられている。


 注文していない料理の登場にオルレオが驚いているところで、


「初回サービスってやつさ、オルレオ、美味いって思ったら毎日でも注文してくれ」


「そういうこと」


 二カっとロッソ夫婦が笑う。この二人、笑い方がそっくりだ。


 いただきます、と二人に礼を言って食べ始める。出された料理はとてもおいしく、オルレオはすぐさま虜になった。こんなにおいしい料理を毎日食べれると思えば、これからの生活がいっそう楽しみになってくる。


 食事を終えたオルレオはマルコから部屋の鍵を受け取って宿の奥、カウンター横の階段で3階を目指した。オルレオが使う部屋はその階段から最も遠い部屋304号室だ。


 部屋についたオルレオはさっそく、荷物の整理を始めた。部屋にはベッドが一つにテーブルと椅子、それとラックが二つ。部屋に備え付けの家具は壊さなければ好きに使っても良いということではあるが、あいにく、今のオルレオの手元には家具に収められるような荷物などはなかった。


 背に担いだ大盾を下ろし、左手に括り付けたバックラーを外して着込んだ革鎧を脱いでいく。


 そしてザックの中から小さな木箱を取り出した。アデレードが丸盾ラウンドシールド凧盾カイトシールドを魔法で詰め込んだものだ。


 オルレオはこの中から恐る恐るそれぞれの盾を取り出した。二つの盾はどういうわけか箱の中では二本の指で摘まめるほどに小さかったというのに箱のなかから取り出した途端に元の姿を取り戻したからびっくりである。


 一応、木箱を確認してみたが箱自体には何の種も仕掛けもなく、試しに再度盾を入れてみようとしてみたけれども無駄に終わった。


 オルレオはそれぞれの盾をベッドのすぐそばに並べ、そして寝ていてもすぐに手に取れるように取っ手部分を表に向くようにしていた。


 最後に師から預けられた剣を一度鞘から引き抜き、眺めてみる。


 右腕一本で扱うにはぎりぎりの重さだというのにその拵えはまぎれもなく片手剣のもの。


 オルレオはゆっくりとその剣を構えた。そして、振り下ろす。もう一度構えて、今度は斬り上げる。重さに囚われることの無いように剣線に意識をしながら素振りを数回、呼吸を整えながら心も身体も自分を取り巻く何もかもを研ぎ澄まし、乱れることなく、振った。


 汗をかく前に素振りを止めて、ふう、と一息を入れる。


 剣を鞘に納めてベッドのそばに立てかけ、ベッドに沈み込んだオルレオの体にどっと睡魔が襲い掛かってきた。


 寝るにはいささか早い時間なのだが、どうにも今日は色々あったせいなのか、オルレオは目を閉じるとすぐに眠りの底へと落ちていった。

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