5話 一人が寂しいから二人でいたいだけ

 いつもの通りに私は机に向き合って、椅子に座っていた。

貴族としても、平民としても、物の少ない殺風景な部屋で、いくつもの古傷がある木製の机。

これはウェルがどこからか持ってきた物だ。

私の擦り切れたような衣服も、文房具も、ベッドはさすがに部屋にもとからあったものだが、ほとんどがウェルの準備したものだった。

毎日ではないが、ウェルは数日ごとには必ず私の部屋を訪れ、そうして勉強だけではない、生きる術を含めて、様々なことを私に与えてくれた。

私がここで生きていけたのは全て先生のおかげ。


「認識の話をしましょう」


 ノートもペンも希少なため、無駄遣いはできない。

だからといって、人間の脳みそとは効率の悪いもので、読んで、聞いて、書かなければ覚えようとしない。

脳みそに知識をインプットだけしても、知識はすり抜けていくだけなのだ。


「あなたはこの世界が地獄だと言いました」


 ウェルが私に教え込んだものは、学術都市に私を送るために、初めから考えていたものだったんだろう。

だからこそ、一般的な貴族には必要のない数理術や経済術、果てには生活の術まで教えてくれた。

貴族として生きるには必要のない知識ばかりだ。


「同じ文字、言語を使っても、私たちは個々の人間であるため、同じ世界を共有することはできない。そもそも、私たちが本当に同じ言葉を使っているのか。ただ、偶然にも会話が成り立っているように錯覚しているから、そう思いこんでいるのかもしれません。

いいえ、違います。

会話が成り立っているのも、私たちの個人の認識の内にすぎない。

だとしたら、誰とも、誰のことも、分かり合えることはないのでしょう」


 ウェルはいつも私の利き腕とは反対側、左側に座り、穏やかな声で教科書を読み上げる。

教科書と言っても、現代日本でいう教育機関で使われるものではなく、ウェルが取捨選択したいくつかの本のことで、正式なものではない。

それでも、ウェルの教え方はわかりやすく、人間未満であった私を人間にした。


「あなたが話す言葉も、私の理解している言語ではないのでしょう。

そうすると、あなたが認識している名称も、私の認識する名称ではない。

あなたが地獄だという世界も、私は違う地獄を見ている。

個々人の脳を経由すると、別の言葉でも、自身にとって理解しやすい単語にかわるということです。

だとすると、この世にとって正しさとは何なのでしょう」


 開け放たれた窓から、午後の涼しい風が通り抜け、少し黄ばんだ薄めのカーテンを揺らす。

厚めのカーテンは存在しないため、冬になると寒くなる。

貴重な燃料の消費を極力避けるために、冬は服を厚着し、暖炉の火はつけないようにする。

雪国とは違い、あまり雪も降らないため、極寒ではないのが救いである。寒いものは寒いが。


「正しさとは、自身が理解できる範囲のものしかない。

 世界は永遠に私の内側から出られない」


 真っ白な指だ。

私の傷だらけでガサガサな指で、その指を撫でる。

握り込んでも、ぴくりとも動かない。

ずっと触りたくても、触れなかった。

汚らわしい、そう思っていた。

どちらが汚らわしいのかはわからなかったが。


「ウェル、この世にとっての正しさなんて、私の認識できる範囲の世界にしかないよ。だから、私は間違いたくなかっただけ。

正しい道を選択しなければ、こんな地獄で生き残れるはずがないもの」


 隣同士、机の前に座り込んで、まるで眠っているかのように、机にうつ伏せになっているウェル。

まるで眠っているようだ。

だけど、ウェルは今確かに私に向かって、いつものように導いてくれている。

私に、教え諭してくれている。


「どうして、抵抗しなかったの」


 <ウェル>は微笑む。


「私が聖者だったころ、神から啓示を受けたのです。

世界を滅ぼす運命が近付いていると」


 安らかな寝顔だ。

いつものように部屋に来て、私の行動もわかっていただろうに、抱き着く私をそのまま受け止めた。

あなたの行動がわからない。

私は、あなたに殺されてもいいと思っていた。


「私はその運命を受け入れ、聖者を堕ろされました。

 そして、私はこの国に流れ着き、神の言う滅びを見つけた」


 まるで救いのない話。

私の唇から零れる声は続ける。


「私は、その滅びを愛した」


 自身の認識する正しさしか世界にないのだとすれば、ウェルの正しさはただ残酷なだけだった。

彼自身のことを救わない正しさだ。

だけれど、そのままでも良いんじゃないかと状況に流されそうにもなった。

間違ったままでは二人とも滅びに向かうだけだというのに、間違えたままでいられたらどんなによかっただろう。

間違いは修正しなければならない。

私たちが、私が、この世界で生き延びたいのであれば。

だけど、彼を失ったまま、生き延びたって一体何になるの?

でももう死にたくねえんだ死にたくねえなら仕方ねえよ。

悲しくて心臓をナイフで貫かれたみたいに胸が痛む。

だから、子どもな私の力が弱すぎて、ウェルは自分で机を使って押し込むはめになったじゃないか。

嫌だな、こんな物語。

ハッピーエンドな結末じゃなきゃ、私は納得しないのに、舞台が地獄だなんて、最初から終わっている。

幕の閉じた劇場で、道化師が舞台の上で踊り狂ってるだけの独りよがりだ。


「ウェル、私もあなたの結末を知っていたんだ」

 

 ゲームの最初で非処女で子持ちであることが提示された主人公が、どうしてこの国を出て、旅を始めるのか。

それは、ちりばめられたイベントの一つでしかない。

イベント通りでなくても、プレイヤーは旅をしないということも選択できる。

主人公は、両親に売られてしまった自分の子を探すために旅にでるのだ。

子を孕ませた<相手>は、身分の違う貴族を孕ませたとして殺されている。

私が私でなければ、ウェルはもっと長く生きられたが、結局のところ、ゲーム序盤では既に存在していない。

死んでい死でで死?ん???で???で???いで馬鹿言わないです死んでなんかいないでsdssしsessでddsaeeeesthす


「ツグミ、認識を変えなさい」

 

 死んだと思っているだけ。

眠ってると思ってるだけ。

だって隣にいるウェルは饒舌に私に語り掛けて、教え導いてくれている。

これが現実なのだとしたら、仮定の話なんて自分の馬鹿をさらすだけ、じゃあなんだよ、死んじゃいねえんだから、そんな話なんてしなくていいんだ。


「私は自分が正しいことをしたと認識している。

だけど、ウェル、私はあなたになら殺されてもいいと思っていた。

あなたと見上げる地獄の月は美しかったから。

だから、私はこの先も、私の正義を貫くよ。

そうでなきゃ、こんなの、救われない」

「一体、何が救われないのですか」


 あなただよ、ウェル。

世界もゲームもストーリーもNPCたちも同情すべき点はあっても救われるべきではない。

あなただけだ。

唯一ウェルだけ、救われるべきなのだ。


「私は救いなど望んでいない」


 そうだろうね、ウェル!

あなたはそう言うだろう!!

正しくあろうとしたあなたなら、<私の認識に堕ちてくれたあなた>なら!!!

だから、私があなたを救うよ。

私が聖女なのだとしたら、<あなた>こそ救わなければ!!!


「この地獄であなたは薄汚い肉体の檻に閉じ込められた囚人だった。

正しさ故に、清らかなために、汚される!!

だから、私はあなたを解放することに決めた」


 そう、これこそが、正しくあるべき<ウェル>なのだ。

他の堕ちた人間どもによって穢された肉体から、清い魂を解き放った。

これこそが救い。

私は、<あなた>を救った!!


 ありがとう、ツグミ。


「違うっ!!ウェルはそんなこと言わない!」


 じゃあ、こうだ。


「いつか話しましたね。あなたの極論は、あなたも周囲も苦しめるだけだと。

どうして茨の道を歩もうとするのか。

私はあなたを説得したかった。

あなたの厳しさがあなた自身を傷付ける前に」


 ありがとう、ウェル。


「いえいえ、どういたしまして」

「ふざけないで!!」

「まったく、難しい子だ」

「でも、ウェルはそんな<私>がだーい好き!」

「そうですよ、おいで抱きしめてあげますよ」


 遊ぶな!!!!!


「そうだ、言い忘れていましたが、スキルを使う時には宣言しないとスキルが発動しませんよ?」


 任意で消していたスキル画面を視認する。

確かに、選択肢は未だに点滅したままだ。

イエスかノー。

そうだ、ここから始めるんだ。

始まってもいなかった物語を、ここから。

何の目的意識もなく、流されるままだった私の物語を。


「世界を変えるために」

「歪んだ世界を正すために」

「私の世界を作り出すために」


 さあ、始めよう!!!

自分の唯一愛した人を救い、救われる物語を!!!!!

究極のハッピーエンドを!!!!


「スキル1を使用する!!!

 選択はイエスだ!!!!」


 世界が大きく瞬きをして、私の視界は暗転した。

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