4話 ただし算数は苦手

 翌朝、いつも通り体のかゆさで目が覚めた。

昨日のことは後回しで、私の頭に浮かぶのは、日々の生活の雑事である。

今日こそは布団を干さなければ!

私は燃える決意を胸に抱き、隙間風の吹き荒れる屋敷を駆け抜ける。

屋敷には人間の気配はなく、父も母も愛人のところにいるのだろう。

ウェルもどこにいるのか。

昼頃になるといつも私に勉強を教えにくるが、来ない日もある。

使用人どもはもちろんいない。

給料が払えないから、金の切れ目が縁の切れ目。

あ、布団…後だ、後。

今はパン屋だ!

急がなければ、パン屋の廃棄物が持っていかれてしまう!

パン屋は夜に廃棄物を出すのだが、深夜の外出はできないため、早朝に行くしかないのだ。

ただでさえ、七歳で、貴族、そして処女を守り抜くために、夜中の外出はできない私は、他の浮浪者共より出遅れているのだ。

奴らが私を気遣って、一つでも残しておいてくれればいいのだが。

世知辛いことに、ドケチなことに、誰も幼い子どものために残しておこうという優しさは持ち合わせていない。

クソッ!!私は貴族だぞ?!!!


「パリス!パリスはおるか!!」


 屋敷の前で私はクソガキの名を叫ぶ。

いつも、呼んでも呼ばなくても、姿を現すパリスの姿がない。

こんな時に限って、ストーカーがいないとは、何たることだ。

私の空腹は限界を迎えているというのに。

パリスがいたら、二手に分かれて、パン屋以外の店の廃棄物も狙えたのだが。

主食だけでは人間生きていけないからな。

朝から、というか夜中からずっと寝ずに盛る獣どもを無視して私は広場へと駆ける。ぐぬぅ、男同士でよくやるぜ。


 路地を使い、他人の家の庭を横切り、ショートカットをしつつ、この国のすべてを把握したわけではないが、そこそこの規模ではないかと思う広場へと足を踏み入れる。

早朝だが、広場は既に活気付いていた。

そこかしこで、食べ物のいい匂いがして、私は流れ出る涎を拭いつつ、悲鳴を上げる人ごみをかき分けて歩く。

いくつかパン屋はあるのだが、私のお気に入りは広場の奥にある人気のないパン屋で、パンの不味さで子どもも泣き止むと評判の…悲鳴…?


「おい!警邏は何をしてるんだ?!あいつら、またさぼりか!!」

「静かにっ!捕まるぞ!」

「何で俺を捕まえるんだよ?!正直だからか?!」

「誰がこんなことを…まだ小さいのに」

「血だらけで顔もわからんし、一体どこの」


 人ごみを抜けた広場の中央に、それは、あった。

木製の十字架に張り付けられた、暗褐色のゴミ袋から零れた液体が地面を汚している。

目が離せなった。

その理由も、ぼんやりとして動かない頭よりも先に唇が答えを吐き出した。


「ぱ、りす?」


 無意識で零れた名前に、衝撃を受ける。

まさか、そんなことない!!

だけれど、見れば見るほど、あの少年だ。

変形してしまい原型のない顔も、一切の衣服を身に着けていない体だからわかる長時間暴行を受け続けたのだろう、開き切った眼は絶望に侵されている。 

あの柔らかく、私の涙を受け止めた手も切り裂かれていて、もう私を抱きしめてくれることもない。

潰された喉では、私の名を呼ぶこともない。

磔にされてしまえば、私に駆け寄ってくることもできない。

寂しくて、愛されなくて、どこか私の境遇と似た、一人ぼっちの男の子。

初恋に浮かれた少年を、からかって、意地悪もして、照れくさくて暴言も吐いた。優しい子だった。

最後に見たパリスは、価値のない私を心配そうに見ていた。


「お前ら邪魔だ、散れ!!」


 遅れて現れた警邏の恰好をした男たちが、周囲の野次馬たちを追い立てる。

その警邏の傍には、見覚えのある姿があった。

昨日の聖者が、私を睨んでいる。

聖者は私に向かって口を動かした。

ひとごろし、と。


「わたし、じゃない」


 その通り、私ではない。

だけれど私のせいではあった。

私は知っていたはずだった。

私と親しくなった子たちが消えていくのを。


 私は、霧のかかったような頭で思った。

あの汚れた物体を作り出したのは、私の尊敬する唯一の人物であると。


 知らず、広場から離れ、足は屋敷へと向かっていた。

空腹は既に消え失せ、聖者の台詞が体の中をぐるぐると回る。

間違いだ、嘘だ、夢だ。

そう信じ込もうとして、失敗して、辿り着いた私の自室に、彼は静かな微笑みを浮かべて、立っていた。


「どうして」


 凡庸な台詞。

近付こうとして、足を止める。

ウェルは、私の震える手が握る物を見ても、予想していたのだろうか、私と違って少しも動揺の色を見せない。


「どうしてパリスを、子どもたちを」

「ツグミ、あなたは子どもを愛しすぎる」

「愛してなんて」

「気付いていますか?

あなたは純潔を重んじながらも、子どもたちには無造作に愛を与えようとする。

肉欲の愛と、精神の愛をあなたは差別している」

「どういうことなの?!愛してなんかいない!ただ、私はこの国を変えようと、子どもたちを変えようとしていただけ!」

「だとすれば、あなたはどうしていつも泣くのです」


 そうして、ウェルは顔面を涙と鼻水で汚した私の顔を指さした。

でも、そこに愛はなくても、情がある人間であれば悲しむものでしょ?


「あなたの言うことは矛盾している。

けれど、あなたの矛盾を正すのは私の役目ですから。

あなたが貞淑を美徳とするのならば、私があなたにその道を導きましょう」


 おかしい。

ウェルの言うことは頭のおかしい理屈なのに、ウェルは私の間違いを諭すような優しい声音で続けた。


「あなたは安心して、ただ一人を愛し続ければいい。

そうして、私はあなたが一人を愛し続けれるように、代わりに周囲を引き算してあげますから」


 そんなの間違ってる。


「異質なあなたはこの国では生きていけない。あなたが壊れないように、私が全てから守ります。あなたは私の唯一無二の愛し子」

「私はそんなことを望んでなんか…!」


 ちがうちがうちがうちがう


「違う!私はウェルに間違ってほしくないだけ!正しくあってほしい!正道を歩んでほしい!そうじゃなきゃ!そうじゃなきゃ…こんな私のせいで、私の、私が原因で、そうか、私が悪いのか」

「ツグミ」


 それは違うと首を振るウェルに、私も頭を振る。


「私、間違ったんだね」



 そうだ、これは<間違い>だ。












 最後のピースがはまった。
















《……の条件が達成されました》



《クラスの選択を行うことが許可されました》



『せんたkしの

[

 eeer

                   求める』



     《選択をきょかします》

《sてーたス確認》




------



《Lv1 ツグミ・アリギエーリ》

《称号:(Lvが足りません)に愛されし者》

《(Lvが足りません)の加護:前世の記憶》

《クラス:聖女》



New!

特殊条件を達成。

スキルが解放されます。


加護はますます『あなた』を侵食する・・・


《s kill 1:死者選択》

生者と死者の魂を交換することができる。

条件1、死亡24時間以内

条件2、死者は殺害された者のみ

条件3、生者は条件2の対象を殺した者のみ

条件4、スキル使用者が条件3の生者を殺める

条件5、一つの魂につき、一つの魂のみ




《スキルを使用しますか?》
















 突然頭の中にノイズが走ったかと思うと、壊れたパソコンの画面のように文字が点滅し、訳の分からない文字列が一気に目の前に現れたと思えば、次はまるでゲームを思わせる文章が並んだ。

この地獄が現実だと何年もかけてようやく飲み込んだのに、ここはゲームの世界なのだと、馬鹿にしたように空中の文字列が私をあざ笑う。

同じ人間だと信じていた周囲の人たちが、死んだパリスが、一気に私の中で色を失くし、無機質なマネキン人形のように見えてくる。

遠のく現実感を引き留めようとする脳みそが、現実とゲームの間を揺さぶり揺さぶられ、酔って吐いてしまいそうだ。

ああもう何一つわからない。

突然、宇宙に放り込まれたような、途方もなさ。

私にしかわからない問題を提示されて、だから私以外の誰かが問題を理解できるはずもなく、答えなんて尚更だ。

誰かに縋ったって、教えを乞いたって、わかるはずがない。


 私、一人だ。


 思わず零れた笑いは、音になる前に口先で消えた。

そんな考えてみれば当然のことすら、私は今までわからなかったんだ。

私は、この地獄に迷い込んでしまった異物なのだ。

まるで、この世界の住人のようにふるまったって、世界が私を否定する。

だとしたら、どうすればいいのだろう。

暗闇の中で綱渡りをして、目指す先も光も見えない。

私はもう、おちてしまったのだろうか。

縋るものがない、理解者もいない、導き手もいない。

前の世界に置いてきたものが、当たり前のように享受していたものが、どれだけ尊いものだったのか。


 じゃあ、どうすればいいんだ!!!

一人なんだ!!!

わからない!!!どうして?!!!

わからないわからないああああああああああくそがあああ!!!!!

どうすりゃいいって?!!!!わかるはずねえだろおおおがああああ!!!


わからねえなら死ね。


死にたくねえよ。

なんで死ななきゃいけねえんだよ。

死ねって、なんで死ななきゃ、死にたくねえのに、どうして、こんな、こんなの耐えきれねえよお、わからねえから死にてえよ、けど絶対死にたくない死にたくない死にたくない死にたくねえ死んでたまるかどうして死ななきゃならねえ死にたくねえ死にたくない死にたくない絶対死ぬなんてどうかしてるどうかしてるどうにかしてくれどうにもならねえどうしたって死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死んでくれ死ななきゃ死んで死に晒せ死死死ししししいいしいいししいしし














「死にたくない」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。

自分の死骸の積み上げられた山山山山山。

蛆虫と肉が腐り堕ちた顔がニヤニヤと笑いながら、こちらを手招きする。

何一つわからないけど、唯一私でもわかる答えに世界を矯正する。

答えが決まっているたった二つの選択肢を世界から私に提示させる。

そうすれば、視界が晴れたように、なんだ、簡単なことなんだって、私にだってわかるんだって、悲しいことなんて一つだってなくて、私は今とっても幸せ。


 だって、あいつらと違って、私は生きている!!!!!!!!!!

これ以上の幸せなんてない!!!!!!!!!!!


 たった二つの取捨選択。


「ふ、はは」「死にたくねえよお」


 選択を間違ったら死ぬこの世界。

だから、答えを出す。

間違いは許されない。

 

 これは、ただの算数だ。

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