6話 世界は愛に溢れている

 目を覚ませ。


 私は瞼を開く。

なんだか肌にかゆみを感じるが、どこか他人事のように遠い感覚が不思議だ。

自分の体は確かにここにあるのに、意識と感覚が別れた恋人のようにそっけなく、遠く離れていくのはどうしてだろう。

遠隔操作している人形になったみたい。

昨日まではそんなことなかったのに。


「そうだ、広場に行かなきゃ」


 スキルは使用した。

後はその結果を見守るだけ。

私は、ゆっくりとベッドから起き上がり、服を着て、顔を洗う。

普段通りの日常に、お腹が鳴る。

私はお腹なんて空いてないのに不思議だ。

歩いているのに、止まってるみたい。

体の感覚がずれている。

本当にどうしたんだろう。

玄関の扉を開くと、身を隠していただろうパリスが駆け寄ってきた。


「ツグミ!!!!」


 そんな大声を出さなくたって聞こえる。


「昨日は大丈夫だったか?ツグミ、怖がってたのに、俺…」

 

 スキルはちゃんと起動したみたいだ。

これこそが正しい。

倫理と道徳が守られた正しい世界。

そうでなくてはいけない。

それ以外の選択肢など存在してはいけない。

パリスは心配そうにしながらも、頬も血色よく、元気に動いている。


「ツグミ?お、おお怒ってるのか…?」


 見捨てられるのを恐れるようにこちらを伺うパリスを抱きしめる。

温度を感じない。

私は勘違いしていたみたいだ。

ゲームのキャラなのだから、生きているわけない。

温かいはずなんてなかった。

すぐに私は腕をほどいて、広場へと歩き出した。


「俺、情けないよな?でも、俺、あの後ツグミを虐めた奴を……ツグミ…ツグミ…?」


 背後からNPCが私に何かを言っているが、イベントはスキップしよう。

私は、ストーリーを効率的に進めたい。


「ツグミ、ツグミ、ツグミぃ…………」


 私は一人で、いつもの爛れた光景の広がる街並みを歩いていく。

クソゲーに相応しい狂った光景。

でも大丈夫、目覚めた私がいずれこのゲームの世界を救うのだから。

その一歩は確実に踏み出している。

広場は異常に静かだった。

昨日の悲鳴も怒声もなく、活気もない。

既に警邏隊は現場にいるのに、誰もろくに動けない。

でくの坊のように目の前の光景をただ見つめている。


 木製の十字架に磔にされた抜け殻。

昨日のパリスよりも状態は遥かにきれいで、傍目から見ると眠っているようだ。

青白い手首に縄が食い込み、それでも痛々しさを感じない、一種の芸術品に見える。

いつも三つ編みになっていた髪はほどけ、真っ白な睫毛が太陽光を浴びてキラキラと輝いて、瞼が閉じているのがもったいないような、これはこれで完成されているような。

ただ、胸に刺さった木の杭だけが、この芸術品が眠っているのではないと主張していた。


「…あんた、あんたでしょ…人殺し、人殺しぃぃいぃぃぃぃ!!!!!

あの人を返してよ返しぃてえええぇ返せぇぇぇ!!!

あんたが死ねばよかったのよ化け物鬼××××!!!!!」


 突如、私の背後で、信者共に押さえつけられながらも、口から血の泡を垂れ流しながら、叫び出す男。

私を敵のように睨み付ける男は、腕や足を振り動かし、押さえつける信者共々こちらに近付いて来ようとしている。

確実に頭をやられてる。

一体私が誰を殺して、誰が殺されたというのか。


「あんたが死ねば」

「アシンヌ様」


 隣にいたウェルが一言、名前を呼んだ。

すると男は先ほどまでの殺意をどこかに置き忘れてしまった迷子のように、ぼんやりとした表情をこちらに向けた。

男の視線はずれている。

私を見られても困る。


「あなたは私が賢い選択をすると言った。

けれど私はあなたが思うほど賢くなどない。

愛は私を盲目にし、愚かにした。

その選択が正しい訳がありません。

あなたを誤解させたのは私ですが、それを正さなかったのも私だ。

私は神の予言に従ったわけではありません。

私はそれ以外のすべてを手放しただけなのです。

その行為の愚かさに、私は神から聖者を降ろされた」


 呆然とした男はただ一言。


「…気持ち悪い」


 急に力が抜けた男を信者たちが慌てて担ぎ、どこか休める場所を探して、連れて行こうとする。


「…推薦はウェルの遺言通り出してあげるわ。

ウェルがあなたを愛した気持ちに敬意を示して、一日だけ待ってあげる。

だから、今日中にここから出て行って。

でないと、明日にはあなたを殺すから」


 男が殺人宣言をしているのに警邏隊は見て見ぬふりで、何も聞いていないようにふるまっている。実際聞こえていないのかもしれない。

彼らの認識すら噛み合っていない。

分かり合えないのだ。

私たちは分かり合えない。

だから、私は決めたのだ。

分かり合えない世界を変えることを。

推薦書も何も持っていないけど、あの聖者がどうにかしてくれるのだろう。

屋敷から売れるものはかき集めて、お金になりそうなものを泥棒のように探し出した。ろくなものはなかったけれど。

両親も心配なんてしないだろうし、そういえばしばらく姿を見ていない。

そもそも両親を最期に見た時、


「時間は少ないのですから旅支度に集中してください」


 ウェルがそういうので考えるのをやめる。

どうだっていいのだ。

いないならいないでどうでも。

どちらにしろ、最終的には同じことだ。


「さあ、馬車に乗って、この街を出ましょう。

乗り合い馬車なら数日で隣国の首都につくでしょう。

大丈夫です、私がついているのですから。

どこまでも、いつまでも」


 そうだ、これからはずっと一緒だ。

そうしていつまでも二人で生きていこう。

いつかのように微笑み、ウェルは私に手を差し出した。

温かい。

この地獄の中で、生きているのは私たち二人だけなのだ。

そう考えると、私はとても幸せな気持ちになるのだった。

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