0章:零人目の死者

1話 最初に死者が明示される


 私が、正常に戻り、現状を把握するのに少しばかり時間が必要だった。


 支援センターから受けていた説明では、私は所謂乙女ゲームというものをプレイするはずだった。

何故乙女ゲームかはわからない。

「コミュニケーションを育てるには恋愛が一番!」とかほざく禿げ頭のおっさんの説明を受けたが納得できなかった。

もっとこう動物のたくさんいる森とか、都市を作ったりとかするゲームとかでもよかったのではないかと思う。


 そうは思ったが私に拒否権はなかった。

であるなら、前向きにゲームをクリアすることを考えなければならない。

クリアすれば、支援センターから解放され、元の生活に戻れるのだから。

そう考え、私は他の同期生を出し抜き、施設内に設置された共同のpcを独り占めし、事前に支援センターのフィルタリングがかかったpcで、このゲームについてをできる範囲で検索したのだ。

しかし、調べれば調べるほど、闇が深い。


『 プリンセス・キス~魔法のキスで目覚めて私の王子様!~ 』


 まず題名からおかしい。

生存率2割という恋愛ゲームあるまじきキャッチコピーもおかしいが、題名との噛み合わなさもおかしい。

題名考えた人はこのゲームをやったことがなかったに違いない。


 生存率2割。

 ほとんどの登場人物が死に至る数字である。


 紛争が絶えない、世界カタストロフ。

のちに大暗黒時代とも呼ばれた時代に、産声を上げたのが、何をいわんや、このゲームの主人公である。

世界はいくつもの大陸に分かれ、その一つである人が住まう大陸の、そのまた一つの小国の貧乏貴族の娘として主人公は生を受ける。

これだけが共通したストーリーであり、大筋のストーリーやトゥルーエンドなどはない。

プレイヤーが困惑するほど自由度が非常に高く、異性でも同性であっても恋愛できる。

攻略対象は幅広く、農家の息子、鍛冶屋の親父ですら攻略可能だ。


 ただし、相手が死ななければ、だが。


 カタストロフという世界は大暗黒時代を迎えていた。

人の大陸と先に述べたが、想像通り、人間以外の住まう大陸も存在している。

攻略サイトではいくつかの大陸が判明していたが、覚えきれなかった。

一つや二つじゃないのは確かだ。

そんな他の大陸からの異種族による侵略戦争もあるし、それどころか人間の国同士の戦争も絶えない。

更に、ゲーム終盤では魔王が出て、世界を崩壊させるというバッドエンドの危機が待ち受けている。

一応主人公はそのバッドエンドを回避する力があると公式では明言していたが、私の検索能力が低いためか、その回避方法は攻略サイトに載っていなかった。

生存率2割というキャッチコピーは伊達ではないし、2割も生存できるかも謎だ。

それは全ての登場人物にあてはまり、例外はない。


 そう、それが例え、主人公であっても。


 なんだこの乙女ゲーム!詐欺じゃねえか!公式サイトの麗しの王子たちはどこにいるんだ?!死体でしか会えねえって特殊性癖のコアな層しかうけねえよ!何を目的に製作されたんだ?!!

当然ネットで大炎上し、公式サイトはサーバーダウン。

そのおかげか一部の物好きと、ネタ目当てのファンが目をつけて、お祭り騒ぎになったのだが、それはどうだっていい。


 問題は、私がそんな世界に生まれてしまったことだ。


 どうやら、私は一度死んだのか、説明書がないのでわからないが、ここは当初予定していたゲームの中ではない。

完全なリアルである。

私が植物人間状態に陥って、見ている長い夢という可能性もなくはないし、そうであってほしいような、ほしくないような。

最初は混乱したし、一定期間は正気を喪失していた。

科学の進歩ってすげー、とVRを絶賛し、現実から目をそらそうともした。

だが、ここがゲームの中のわけがないのだ。

現在の技術でここまで現実感のあるVRは存在しない上に、事前説明でもあったようにゲームには時間制限がある。

ゲームは一日一時間まで、と世のお母さんたちが子どもに言い聞かせるのと同じで、少なくとも何年もゲーム内に閉じ込められるという異常事態はありえない。

一日ぶっ続けでゲームをしたとしたら、VR機器が緊急停止するようになっているし、センター職員によって病院に搬送させられているのだろう。


 だから、これは現実なのだ。

そう認められるまでには数年必要になった。

体も心も幼児退行していたのは、不幸中の幸いか。

五歳ぐらいになってから徐々に記憶のパズルが揃いはじめ、それを時間をかけて整理、当てはめていった結果、ようやく私は理性と知性を取り戻したのである。


 ツグミ・アリギエーリ。7歳。


 名前は本名だから、ちぐはぐな感じがするが、ご都合主義的に周囲の人間は名前に違和感を抱いていない。

ゲームでの設定通り、人間の大陸、インフェルノの東の片隅の小国カルネの貧乏貴族の一人娘である。

3歳からついている家庭教師のウェルによると、一応侯爵家であるはずなのだが、時代が時代である。お金は全くない。

しかも貴族は見得や付き合い、納税も庶民と比べるまでもなく高額なため、おそらく街の商人たちよりも貯蓄がない。

爵位を返上するにもお金がかかるのだから、貧乏貴族は辛いのだ。

攻略サイトを覗くくらいで、ゲームはしたことがないからわからなかったが、一体ここからどうやって生き残るのだろう?


 地獄の沙汰も金次第。

だがこの地獄で金がないとすると、一体どう生き残る?

これはもうゲームではないのだ。


 私はもう、二度と死にたくない。


「ツグミ、手が止まっていますよ」

「ああ、麗しの家庭教師ウェル」

 

 悩まし気に溜息を吐いた私に、ウェルは片眉をあげる。

眉目秀麗という言葉が相応しく、後ろで三つ編みになっているが櫛通りの良さそうな銀髪、透けるような白肌、知性の宿る冬空のような蒼い瞳。

世の女性陣もうっとりするほど、如何にもな乙女ゲームの主要人物っぽい出で立ちで、人気投票を行えば上位陣に食い込む美貌の持ち主である。

だが、残念ながら、公式サイトにもゲームの攻略サイトにもウェルは出てこない。

考える必要もなく、私はその理由を知っていた。


「私は悩んでいるのだ」

「共有点座標を求めるにはまず二次方程式の」

「違う。机上の問題ではないのだ。もっと高尚で煩雑とした人生の問題に悩んでいるのだ」

「数理術が苦手だからといって現実逃避は辞めなさい。目の前にある問題も解けずして、遠大な問題を解けるはずがないでしょう。問題を解決していくにはまず目の前の小さな物事から処理していくのです。一見物事は関連がなさそうですが、大局が見える頃には、この世すべてのものに繋がりがあることを悟るでしょう」

「解決方法が遠回しすぎて、性急な私には理解できないの!ウェル、もっと簡単に言って!」

「勉強しなさい」

「嫌だあああああああああ!!!!」


 数字とか考えたくない!

どうせ皆死ぬんだから、数学なんて勉強しなくてもいいだろ?!


「あなたがこの先幸福になるためには力が必要なのです。生き残り、幸福を勝ち取る力、それこそが知識です。正しい知識はあなたを裏切りません」

「でもどうせ私は政略結婚の駒にされるし、女は学がないほうが可愛げがあるっていうじゃん!」


 そう言うと、ウェルは鼻で笑った。


「すみません、つい。あなたの、結婚できると盲目的に信じ込んでいる愚かさにあきれる前に笑ってしまいました」

「おーう、ウェルって結構毒をさらりと吐くから受け止めるこっちもびっくりするわ。でもでも、私だって結婚できるからね???」


 貧乏とはいえ、貴族ぞ??????

貴族は無理でも、家格が低い商人からは引く手あまたぞ???

この家よりはるかにお金持ちな大商人とかが、爵位欲しさに幼子な私にすら求婚の手紙を送ってきたりするぞ???

ロリコンは死ね。


「困りましたね。私が教えてきた知識を現実に活用できていないなんて。その甘い認識も変えなければなりません」


 これでも甘い認識なのか。現実はクソだね。

ふぅ、と小さく溜息を吐くウェルの横顔は悩まし気に眉根を寄せてはいるが、麗しいままである。

ようやく数学を諦めてくれたウェルは、鞄から地図を取り出して机に広げた。


「この国はどこか指を置いて」


 私は中央から東側、いくつかの国々に囲まれた小さな国に人差し指を置いた。

特産品があるわけでもなく、農業的な意味での生産力も低く、国全体が貧困に喘いでいる状態のこの国は、あまりにも他国から見ても魅力に欠けているため、大陸全土に広がっている戦禍に今のところは巻き込まれずに済んでいる。

更に言えば、厄介なものは一つにまとめておいた方が他国も安心するというものである。この国の国民性というか宗教性が他の国より異質なのである。

ただし、メリットがデメリットを上回れば、すぐにでも小国は他国に飲み込まれるだろう。その弱さも放置されている理由の一つになるのだが。

フェルは私の指から離れた、大陸の北側と南側、二つの大国を順に指さした。


「今、二つの大国による領土拡大政策にどの国も危機感を抱いています」


 そんなの地図を見なくてもわかる。


「ようするにウェルは、この国もいずれは他国に飲み込まれて属国化するか、完全に滅ぼされてしまうって言いたいんでしょ?だから、私に知識をつけて、生き残れるように勉学を教えてくれている」

「では、あなたの生き残る方法は?」

「この国の貴族と結婚しても国と心中するだけだから、位は釣り合わないけど、他の国にも伝手のある商人と結婚して亡命する」


 ウェルは出来の悪い生徒を見るように私を見つめ、大げさに呆れたと言わんばかりに溜息を吐く。


「その認識が、甘いと言っているのです。

商人が爵位欲しさにあなたと結婚する?いずれ亡国となる爵位が何の特権を与えてくれるのです?国内貴族ですら利益のない結婚だというのに、他国の貴族も求婚する理由がない。つまりあなたが他の国の貴族に嫁ぐという線もありません。

断言します。

あなたが、結婚で幸せになる道はありません」


 断言された。

じゃあどうすればいいわけ?

他力本願になっちゃダメだということ?

夫の経済力じゃなく、私が稼いでお金を作り出さなきゃいけないの?

そっちの方が難易度高くない?

現代知識でチートとかも、科学技術も料理も現実の日本とほぼ変わらない設定だから意味ないし、そもそも私の頭にはそんな知識ひとかけらもない。


「だから、知識が重要なのです」


 ウェルは、カルネの隣を、トントンと指で叩いた。


「学術都市に行きなさい」


 私は息を呑んだ。

前世の知識を持っていた私だが、地の頭が良いわけではない。むしろ悪い。

その私にウェルは、大陸随一の学術都市リンボに行けと言っているのだ。

この世界では、全ての現象を『術式』という形で認識している。

数術、言語術といったように、物事は須く『術』として定められているという。

その術を、世界すら読み解く機関、それが隣国の学術都市リンボだ。

海沿いに縦長に広がる国であり、選ばれた賢者と呼ばれる人々だけが都市の参政権を握っており、最終決定は十賢者と呼ばれる集団によって可決される。

ただ学者というものは政治に興味がない輩も多く、賢者に選出されると議会に参加するのは義務となる。そのため賢者に認定されたくないという輩もいるが、認定されると研究予算が大幅に増えるなどという利点も多いため、今のところ政治体制は安定しているらしい。

術に優れた者だけが入国を許されているため、もちろん防衛術も他国とは比べるべくもなく優れている。この大陸でかなり安全と言い切ってもいい場所だ。

だが、それ故に、入国者はかなり制限される。

功績を認められている研究者や、将来有望な学者たちであり、少なくとも私のような何の才能もない小娘が入国できる場所ではない。

私よりも少し上の子どもたちも入学するというが、その子どもたちも才能に溢れた宝石の原石たちなのだ。

道端の小石はおよびではない。

ウェルは、そのリンボに入れと言いたいのだろう。


 世の中には不可能という言葉があってな。


「最低限入学できる知識は既にあなたは身につけています」

「…まじで?」

「そういった言葉遣いは、自分の格を落とすだけですよ。あなたが貴族だということを誇示するのであれば、それらしい振る舞いというものをしなければ」


 地の頭が悪くても、一応大学出ではある前世の知識が役に立ったということか。

しかし、そうなると本来の乙女ゲームの主人公とはかなりずれてくる。

主人公が私という時点でずれも何もないが、ゲームでの主人公は17歳で、カルネという小国で暮らしている。

つまり、10年はカルネという国は滅亡しないということが確定しているのだ。

その安全性を捨てて、他国に赴くというから二の足を踏んでしまう。

事前知識でカルネ以外の国をほぼ記憶していない私には、どうにも心もとなく感じるのだ。

だが、おそらくこの機会を逃せば、チャンスは二度と訪れない。

運命の女神の前髪は掴んだ時には決して放してはならないのだ。


「あとは教会とのコネクションですが…それに関しては既に手を打ってあります。

明日、わたしと一緒に教会へと行きましょう」


 ウェルはそれからくどくどと私の言葉遣いについてのお小言を述べたが、私の耳からは右から左に抜けていった。

それよりも、私は不思議だった。

どうしてウェルは私にここまでしてくれるのだろう?

勉強を教えるにしたってそうだ。

私はウェルを家庭教師として扱うが、それは私が子どもだからだ。

子どもだから知らないふりをしているだけだ。

心も幼児退行していたから記憶があやふやだが、気付けばウェルに勉強を教えられていた。


 だが、本来のウェルは家庭教師ではない。


 大体こんな若くて美形の異性の家庭教師を、幼いからといって娘につけるわけがない。

ただ、両親が貴族の付き合いや不倫やらで屋敷を開けがちな上に、使用人も老齢のメイドと執事、不愛想なコックしかいないものだから、ウェルが私の部屋にいることを咎めるどころか知っている者すらいないからだ。


 ウェルは母のただの愛人だというのに。


「ツグミ、また考え事ですか?」


 真っ白な睫毛が持ち上がり、瞼に隠されていた碧眼が私を見つめる。

呆れたような物言いなのに、その声はひどく優しい。

何者も頼れる者がいない上に、頭のおかしい子どもを見捨てず、話し相手になってくれたのはウェルだけだった。

最低限の食事の世話しかしてくれない老メイドも、声も姿もあまり見かけない執事も、いつも香水臭くて愛人のいる別宅に入りびたりの父も、何人もの愛人を連れてきては散財をする母も、誰一人として私を見ることはなかった。

ウェルが、初めて私に手を差し伸べたことだけは鮮明に記憶に残っている。

汚らしく床に這いつくばり、言葉も発せられず唸り続ける子どもを、ウェルは汚れを気にせず、その嫋やかな腕で抱き上げた。


 麗しのウェル先生。

私が正気に戻れたのも全ては、ウェルの献身的な支えのおかげである。

それだけは確かなことだ。

例え、ウェルが肉欲などという唾棄すべき淫行に耽るメス豚の愛人だとしても、ウェルなくして私は生きてはこれなかった。


 だが、そんなウェルも死んでしまう。

ゲーム序盤で既にウェルの死は明示されている。

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