二、



 森の木々に埋もれるようにあったのは、簡素な堂庵どうあんであった。

 近隣の村で旅人を受け入れる時に使われるもので、場所によっては無人の仏殿であったり、社殿であることを平蔵は長い旅の中で知っている。

 本降りの中、着物までぬらす前にたどり着いた平蔵は、屋根の下に腕に抱えていた童女を降ろし、無造作に木戸を開ける。

 しかし平蔵はすぐに顔をしかめるはめになった。


 堂庵内は、どこにでもあるような簡素な作りをしていた。見回せる程度の一室お奥には申し訳程度の仏像が置かれ、中央にはすでに赤く薪の燃やされたいろりがもうけられている。

 そしていろりのそばには先客である男女が、こわばった表情で平蔵達を見返していた。


 どうしたものか、と平蔵は逡巡した。

 男も女も若い。女の方は娘と言って良い年頃だろう。

 くたびれた長着に脚絆の類が傍らに転がっていることから旅人であることは間違いない。

 こういった堂庵では雨宿りや一夜の宿を求めて来る旅人と鉢合わせることも珍しくはなかった。

 そもそもそのための堂庵である。

 だがしかし、ちら、と自分たちが上がってきた濡れ縁を見た。濡れたあとはあるが、草鞋の足跡は、平蔵とさやの分しかなく、平蔵のように草鞋を外においてもいない。

 つまりは雨が降る前にたどり着き、ここに人がいるということを隠しているともとれる。


 数瞬平蔵が考えて居る間に、赤い影が中に入っていった。

 むろん、さっさと自分の草鞋を脱いでいたさやだ。

 とてとてと歩くと、当然のように囲炉裏の前で手をかざす。


「あったかい」


 乏しい表情ながらもほっと嬉しそうにするさやに、男と女の表情から警戒心が緩むのを見る。

 平蔵はこういうとき、童女連れは話が早いと感じた。


「じゃまするぜ」


 平蔵は無造作に草鞋を脱いで上がることに決めた。

 何せ外はすでにけぶるほどに雨が強まっている。これから日が暮れると言うのに歩きたくはない。

 こう言うところでは先に名乗りを上げてしまう方が面倒がない。


「平蔵だ。こっちはさや。必要なのは雨宿りの屋根だけだ。勝手にやってくれ」


 平蔵が言えば、男と女は一瞬困惑気味に顔を見合わせていたが、あどけないさやを見て表情を緩めた。


「俺は智次、こちらは連れの紀代と申します。合羽を広げると良いでしょう。少しは乾くと思いやす」


 智次の方がこちらを気遣うように言ったため、平蔵は遠慮なく広げることにした。

 次いでぬれぼそった足袋を無造作に絞りつつさやを見やる。


「さや、脚絆脱いどけ」

「んー」


 ちらと平蔵を向いたさやは、きょとりとしたあと自分の泥まみれの足をいろりから離れるのが嫌なのか、平蔵に向けて足を差し出してきた。

 明らかに外せという仕草に、平蔵はため息を吐いた。


「草鞋は自分で脱いだだろうが……」


 ぶつぶつと文句を言いつつ、平蔵はさやの脚絆をほどいてやった。

 平蔵の合羽にかばわれていたさやはあまり濡れてはいなかったが、少々湿り気を帯びている。はずしてやったとたん、さやは解放された足指をにぎにぎと動かした。

 くすり、と笑う声に平蔵とさやが顔を上げれば、女、紀代が和んだ眼差しでさやを見つめていた。

 平蔵の視線に気付くと紀代は気恥ずかしげに目を伏せたが、空気は和らいでいた。


 たかだか一晩同じ屋根の下に居るのだけのことは、旅の空では良くあることだ。気まずさを感じるような神経など平蔵は持っていないが、それでもちくちくと刺さるような警戒心などない方が良い。



 平蔵とさやが堂庵に入り込んですぐ、あたりは薄暗くなり雨音が強まった。

 外から見ればぼろ屋だが屋根は存外しっかりしていたらしく雨漏りはない。

 ただ囲炉裏の炎だけが室内を照らす中で、智次と紀代はひそりひそりと時々言葉を交わしていたが、平蔵とさやは互いが沈黙してようと全く頓着はしない。

 平蔵は刀を抱えて、壁に背を預けて体を休め、さやは懐に入れていたひもであやとりをしていたかと思えば、飽きたのか床を転がっていた。


「汚れるぞ」

「たいくつ」

「それなら寝ろ」


 にべもなく平蔵が言えば、ぐう、と腹の虫が存外大きく鳴り響いた。

 それは床をころころ転がっていたさやの腹の虫だ。


「おなかすいた」

「食いもんはねえぞ」


 なにせ今日は宿で泊まりのつもりだったのだ。それが昼間に遭遇したやくざたちによって予定が狂ったため、携帯食も準備していない。


「お前、芸者連中にもらった金平糖があっただろう。それで食いつなげ」

「うー」


 するとわざわざ平蔵の足にぶつかるように体を転がしてきたさやは、どんぐりのように大きな目で平蔵を恨めしそうに見上げた。

 ないものはないのだ。うらむのならあのやくざものにして欲しい。


「あの……」


 かぼそい声に振り向けば、暗がりでも緊張した様子の紀代が平蔵とさやに近づいてきた。


「すくないけれど、にぎりめしがあるの。よかったらたべない?」

「おい、お紀代」

「……こまったときはお互い様、そうでしょう」


 連れである智次がとがめるように呼ばれても、紀代はほんの少し言葉を詰まらせたもののそう主張した。

 ぴんと妙に張り詰めた空気が漂ったが、智次が仕方なさそうに引き下がる。にこりとほほえんだ紀代はごそごそと荷物の中から竹皮に包まれたにぎりめしを取り出した。

 おおぶりでつやつやとしたそれに、さやがぱあと目をかがやかせる。

 その様子を紀代がやわらかい眼差しで見つめながら考える。


「せっかく火があるし、湯を沸かせたら増やせるのじゃないかしら」


 ちらと紀代が智次を見やれば、智次は覚悟を決めたように立ち上がった。


「外に竹があったから切ってこよう」

「さすが智さん! お箸とおさじもお願いね」


 のどかにほほえむ紀代に、智次は仕方ないとばかりに息をつく。平蔵はそのやりとりでこのふたりの力関係を理解した気がした。


「たけをどうするの」

「お鍋の代わりにできるのよ。智さんは腕利きの大工だもの」


 さやが小首をかしげて問いかければ、紀代は誇らしげに言った。

 ちょうど智次が己の荷物から取り出して居たのは、のこぎりだ。紀代の言葉に智次が顔を赤らめつつ咳払いをすると、平蔵に話しかけていた。


「平蔵さん、でいいですかい」

「ああ」

「小刀は使えますかね。人数分やるのはちょいと大変なもので手伝っていただけたらと」


 平蔵と智次では一回りほど年が違うのは見てわかることだろう。

 おずおずと言う智次もそれなりに図太いな。と平蔵は考えた。





 紀代の言うとおり、智次は器用だった。

 雨の中にも関わらずたちまち竹を一本切り倒すと、あっという間に半割にして鍋に仕立てた。

 そして紀代が即席の鍋でにぎりめしを水で煮ているあいだに、人数分の器と箸を削り上げたのだ。

 平蔵が一本削るあいだに二人分をつくる智次は大工とはいえ器用なものだ。


「ちょいとやすりが甘いが、これならおさやちゃんでも使えるだろう」


 わざわざさやの手に合わせて削り上げられた箸を受け取ったさやは、興味津々で箸を眺める。ついで平蔵が自分で削った箸と見比べた。


「へーぞーのふとい」

「うるせえ。今使えれば良いんだよ」


 平蔵が小柄で削った箸は確かに用をなすが、少々使いにくいというのは察せる無骨なできであった。素人がこの短時間で用意したにしてはまずまずなのだが。

 平蔵が持っていた味噌を溶かし込んだ味噌雑炊は、四人に十分に行き渡った。

 簡素ではあったが、肌寒い時期であり、雨が降っていることで冷え込んでいる中では温かいものを食べれば腹にしみる。

 心がほぐれるようなそれに、腹を減らしていたさやは頬を桜色に染めて満足げな顔をしていたが、紀代や智次も緊張がほぐれたらしい。

 ましてや同じ空間にいれば、会話が生まれるのは必然だった。


「おさやちゃん、日光から来たのね」

「うん、おそばおいしかった。きよたちはどこいくの」


 紀代の膝に座ったさやが紀代を見上げて問いかける。

 すると、紀代はすこし困ったような顔になる。しかしためらいがちながらも彼女はあっさりと言った。


「実はわたし病気でね。智次さんが、西に良い方がいるって話を見つけてくれたから、おすがりしにいくの」

「すがりに行くとは、妙な言い回しだな」


 少々引っかかった平蔵が声をあげれば、幾分気楽な様子で智次は応えた。


「おかたなさまって言う、特別な病を治せるお方がいらっしゃるって聞いてな。お紀代の体を見てもらおうと思ってるんだ」

「おかたなさま、か」


 初めて聞く話に内心眉を寄せていた平蔵だったが、顔には出さなかった。

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