平蔵、駆け落ち夫婦に出会うこと。

一、




 日光から西へ抜ける中山道の茶屋に、奇妙な二人組がいた。


 茶屋自体は至って普通だ。旅人が一時の休息をできるよう簡単な飯や団子、茶を出す店だ。

 その二人組は男と女。しかし男は三十路過ぎ、ともすれば四十に手をかけるかと言う年齢で、容貌は精悍なものの無精ひげが目立ち、少々鋭すぎる眼差しが気むずかしげな印象を与える。三度笠に道中合羽を肩に引っかけていることから旅の者だとうかがわせ、無造作に茶を喫していながらも周辺に意識を張り巡らせていることから、それなりに訳ありであることを示していた。


 その隣に座る女の方は娘と言うにもあどけない、まだ四つか五つほどの童女であった。

 しかし熟練の人形師が丹精を込めて作り上げたような、美しい娘であった。ふっくらとした頬にはあどけなさがあるにもかかわらずどんぐりのように大きく切れ長の瞳には幼子らしからぬつやが。表情は乏しくも通った鼻筋は品の良さがにじんでいる。

 切りそろえられたぬばたまのようにつややかな黒髪に彩られ、その黒髪には赤い組紐で飾られていた。

 着古したような赤の着物に足には脚絆を巻いているが、そのような地味な身なりでも美しさは隠しきれず、はっと吸い寄せられるような存在感を放っており、道行く旅人の視線を釘付けにしていた。

 しかし当の童女は我関せずといった雰囲気で、無心に磯辺の巻かれた団子を食んでいる。


 彼らは親子と言うには全く似ておらず、しかし無関係と言うには奇妙に近しい。

 そのような二人を店の店主やすれ違う旅人が興味津々にする中、無遠慮な乱入者達が男と童女を取り囲んだ。

 見るからにすさんだ気配をまとう彼らは、怒気をあらわにしながら男にすごむ。


「おうおうようやく見つけたぜ。平蔵さんよう。たまりにたまった借金! 耳をそろえて返してもらおうじゃないか」


 明らかに堅気ではないやくざ者と関わりたくない旅人達は早々に離れていく。

 しかしやくざ者に囲まれた平蔵と呼ばれた男は、深く深くため息をつくことで応えた。


「何度も言ってるじゃねえか。その借金は俺がこさえたもんじゃねえ。使った本人に請求しやがれ」

「なら俺たちに払った後に恨み言を言ってこい」

「そもそも日光でうちのもんを伸した落とし前はてめえに付けてもらわなきゃなんねえからな」

「ついでにそのガキを置いていけば当面の支払いは問題ねえな」


 やくざ者の中に女衒とのつながりがある男がいたのだろうげひた眼差しで童女を見る。

 見られた童女はしかしその視線の意味がわからないのか、ちらと目と見上げただけで、団子を食む作業に戻った。

 やくざ者達はそのあどけない動作に気をとられていたために、平蔵のわずかにすがめられた視線には気がつかなかった。


「まどるっこしい、何が言いたい」

「話が早いねえ」


 平蔵の言葉に、やくざの一人がにいと笑って指し示した。


「なかなかの拵えの刀を持ってるじゃねえか。ひとまずはそれで勘弁してやるぞ」


 ちょうど、平蔵と童女の間に置いてあったのははっとするほど美しい刀であった。

 長さは四尺の大ぶりな打刀は、柄は黒い革巻きで、鳥のような意匠の目抜きが供に巻かれている。鍔は透かしの花模様、赤よりも深い艶を持った朱塗りの鞘には金の朱雀が舞い飛んでいた。

 この和沙ノ国では豪奢な拵えの鞘は縁起物として高く売れる。

 一目で値打ちものとわかるそれならば借金の足しには十分だと思ったのだろう。


「そういう鞘神が宿っていそうな刀は分限者にいい値段で売れるからな。虚斬り平蔵、なんて呼ばれているようだがもったいねえ。俺達が有効利用をしてやろう」


 やくざ者の一人がその刀に手を伸ばそうとした、がその手が払われた。


「ぎゃあ!?」

「てめえやりやがった?」


 気色ばんだやくざたちの意気は、奇妙にしぼんだ。それをしたのは平蔵ではなく童女だったからだ。


「さわっちゃだめ」


 むうと眉をひそめて不機嫌をあらわにしている姿は、愛らしい幼子のものだったが、手を払われたやくざは、払われた手を握って悶絶している。

 一種異様な光景にやくざが飲まれる中、ゆっくりと茶を飲み干した平蔵は童女を見た。


「さや、もういいか」

「ん」


 さやと呼ばれた童女の団子はきれいに消えていた。平蔵がやくざ達とのやりとりをしていたのは、童女が食べきるのを待っていたからだった。


「くそたたんじまえ!」


 我に返ったやくざ達が気色ばみ、一斉にそれぞれの刃を抜いて襲いかかる。

 平蔵は素早く、手に持ったままだった湯飲みを投げた。

 湯飲みは一番近くにいた男の顔面に襲いかかり、飛び散った茶は短刀を抜いたやくざの一人にかかる。

 湯飲みが当たった男は額を押さえて悶絶する。

 茶がぬるかったためにもう一人のやくざは怒りを増幅されるだけであったが、液体がおそいかかることで一拍動作が遅れた。そのみぞおちに、平蔵が無造作に翻した刀のこじりがめり込む。短刀の男はその場に崩れ落ちた。

 あっという間に二人を退けた平蔵は、素早くほかのやくざ達を見回した。

 いつの間にか、黒髪の童女が平蔵のそばにいる。


「どいつだ」

「ん」


 童女の視線が示したのはこの集団の頭とおぼしき男だ。

 この寒い中でもまくり上げている腕には鮮やかな刺青が彫られている。

 そのすさんだ面構えには、生きてきた人生だけでなく別のよどんだ何かが覗いていた。

 事実、その男の胸には黒くよどんだもやを吹き出す、いびつな穴が空いていた。


 余人には見ることのできないそれは、人の心の隙である。負の感情が蓄積すればあっと言う間に魍魎付け入られ、悪しきもの虚神となる。

 特に修羅の道を進んでいた人間なら陰の気を呼び寄せやすいため、裏家業の者はよくまとわせているものだ。


 やっとやくざ者達が息を吹き返したときには平蔵は駆けていた。

 やくざたちの間を縫うように走りあっという間に入れ墨の男にたどり着く。

 入れ墨の男が最後に見たのは、ひどくつまらなそうな平蔵の表情と、やる気のない表情に似合わぬ鋭い眼光だった。

 平蔵の手にある刀の鯉口が切られた瞬間、銀の線が一閃された。

 すごみを帯びた抜き打ちの一刀を見舞われた入れ墨の男は、惚けた顔でその場に崩れ落ちる。


「兄貴っ!?」


 男が切られる様を見ていた仲間達が愕然とする。

 明らかに致命傷の一太刀。刃傷沙汰が日常茶飯事でも、出会い頭にためらいのないそれは男達をひるませるに十分だった。


「とりあえずの駄賃は払った。じゃあな」

「何言いやがる、よくも兄貴をっ」


 怒りに顔をどす黒くするやくざ達の後ろで、入れ墨の男が起き上がった。


「お、おお……腰が痛くないだと! 肩も凝ってないぞ。体が軽い!」

「は、兄貴っご無事なんで」


 あっけにとられた様子でやくざ者たちが振り返れば、入れ墨の男が不思議そうに己の体を触っていた。

 切られたはずの腹には刀傷などみじんもない。

 しかしながら、入れ墨の男の様子は一変していた。


「おう、てめえら今まですまねえな、話も聞かずこき使ってよ。そもそもあれほどまでに人を苦しめるまねをして。どうにかして償わなければ。仏門にでも入るか……そうだそれがいい!」


 まるで憑きものでも落ちたかのように明るい表情で言い始める入れ墨の男に弟分たちはぎょっとする。


「兄貴ぃ!?」

「お、おいてめえ、兄貴になにしやがった、っていねえ!」


 出家すると騒ぎ立て始めた入れ墨の男に動揺するやくざ者たちは元凶である平蔵の姿を探す。

 だがそこには無精ひげの男も、赤い着物の童女の姿もなかった。

 茶屋の店主が呆然とする。


「あの人達、お代を置いていかなかったよ……」


 雨の匂いがひたひたと忍び寄る、晩秋のことであった。





 旅人にとっての難所はいくつかあるが、その一つが峠越えだ。

 麓と山頂での天気が一変するためだ。

 麓にいる間は晴れて合羽も脱ぐ陽気だったとしても、山頂に至る頃にはあわせをかき合わせてがたがた震える羽目になるというのも珍しくない。

 特に雨が重なれば危険は跳ね上がる。ひとたび衣が濡れてしまえば体の熱が奪われたちまち体調を崩してしまう。

 地元の人間の忠告を聞かずに急ぎ旅をした旅人が、峠を越す前に凍死したというのも少なくない話であった。


 ゆえに平蔵は、頭にかぶった笠の陰からどす黒く染まった空をにらみつけていた。

 本来ならば、先の茶屋界隈の宿で一泊するつもりであったのだ。


 天邦を追って江渡から日光へと行った平蔵とさやだったが、そこにすでに天邦はおらず、仕方なく西の方へ渡っていったという証言を信じて、中山街道を歩いているところであった。


「くそ、どれもこれも天邦のせいだ。借金だけじゃなく色恋の後始末まで押しつけやがって。自分で何とかしろっていんだ」


 日光で巻き込まれた芸者の狂乱を思いだしぶつぶつと文句を言う平蔵の横で、黒髪に紫の下げ緒を飾った童女はきょとりと言う。


「にっこうたのしかったよ? ますずしおいしかった」


 足取りも軽いさやの言葉に、平蔵はげんなりとした面持ちで返した。


「てめえはうめえもん食えただけいいだろうがな……。俺はつきまといに間違えられて袋だたきにされるとこだったんだぜ」

「ごかいとけた。だいじょうぶ。げいしゃさんについてたうろがみもきった。へーぞーえらかった」

「てめえが斬れ斬れうるさかっただろうが」

「へーぞーだってやるきだった」


 言葉に詰まった平蔵だったが、ぽつぽつと傘に当たる水滴の音に舌打ちをする。

 今はまだ弱いがこれからどんどん強くなる。そういう降り方だった。


「さや、いったん戻れ」


 あいにくと木陰に隠れるだけではしのげそうにない。

 峠を超えさえすれば民家があるはずだ。それまでにずぶ濡れにはなるだろうが致し方ない。

 平蔵が合羽をしっかりとまき直し、腰の刀を押さえて走り出そうとしたとき。

 きょろきょろとあたりを見回していたさやが、すと目を細めた。


「へーぞーやね、ある」

「ほんとうか」


 虚神を切れる唯一の存在である鞘神の彼女は、人よりもずっと五感が優れている。その割には、少々体を動かすことは苦手なようだが。

 彼女が示す方向には、木々で隠されてはいたが、わずかに板葺きの屋根が見えた。


「これならさやもでたままでいい?」

「ったく、走るのは変わんねえぞ」


 平蔵が片腕で抱きあげれば、さやはおとなしく平蔵の首に腕を回したのだった。

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