五、


「平蔵さん!?」


 重い足を動かして駆け付けた鎬は、平蔵がすさまじい音をさせて、屋敷の壁に叩き付けられるのを愕然と見送った。

 もうもうと立ちこめる土埃が晴れた先では、平蔵が頭からおびただしい血を流し、力なく横たわっている。


 到底、生きているとは思えない惨状に息を呑むが、鎬は動揺を押し殺して、背を向けた。

 最大の脅威が迫っていたからだ。


 大太刀を構えた鎬の先では、宿主から自由の身となった虚神が、現世に現れていた。


 それは、見上げるように大きな大蜘蛛であった。

 砥部の屋敷よりも大きく、鎬の視界に入らないほど。

 表皮は金属の硬質さとぬめりを帯び、にもかかわらず、八本の足は人の手足が寄り集まって構成されている。

 張り出した腹部にはおびただしい数の人間の生首が並び、頭部の上には砥部の上半身が生えていた。

 おそらく等身大なのだろうが、大きな足と腹に対して不釣り合いなほど小さく思える。

 生理的嫌悪とおぞましさに満ちたそれは、しかし圧倒的な存在感という点において、人知を超越していたのだった。


『ハハハハ!!! 塵のように吹っ飛んでいきおった。先までの勢いはどうした! それでは虫けらと変わらぬではないか!』


 平蔵を潰したことで悦に入った砥部の哄笑に、鎬は唇をかんだ。


「愚かな、砥部貴盛。虚神は荒ぶる神、その主導権を渡せば末路は地獄だというのに」


 だが、気付いていないのだろう、わかっていないのだろう。

 こうして見ている間にも、砥部の上半身はずぶずぶと沈んでいる。

 虚神が砥部という現世へ干渉するための鍵を取り込んでいるのだ。

 

 時間がない。せめてあの頭部を切り離さなければ、手が付けられなくなる。

 

 虚神狩りたる鎬の選択は迅速だった。 


「春暁、ごめんなさい。せめて同胞が気付くまで堪えます」


 さわ、と春風が頬を撫で、鞘神の厳しく引き止める意志が伝わってくる。

 しかし、鎬が背から鞘を落とすと、夕緋色の狩衣をまとった麗人が現れた。


「共に戦え、とは言うてくれぬのか」

「あなたがいてくれるからこそ、わたしは最後まで刃を振るえるんですよ」


 この先にある未来を、すでに鎬は悟っている。

 鞘神の力が宿った刃は、鞘神が消滅しない限り永続する。

 本当は心細い。けれど、鎬が少しでも長く戦うためには最善なのだった。

 様々な抜き手とかかわった春暁は、それがわかったのだろう。かつてなく膨大な力が流れ込んできた。

 鎬の毒に侵された体でも、まともに刃が構えられるまでになる。


「生きよ、鎬」

「はい。参ります」


鞘を抱えた春暁が姿を消すと同時、鎬は大蜘蛛へむけて走っていた。


『さあ、早く殺そう、なにを殺すのだったか。なにがひつようだったのか。まあ良い。手当たり次第に壊せば良かろう。力はあふれるように湧いてくるのだから!』

春暁はるあかつきのごとき、安らぎを」


 ぶつぶつとつぶやく砥部へ、祝詞を唱えた鎬が踏み込み、刃を振るう。

 春風のような霊力が広がり、異界の邪気を一掃した。


『おや』


柔らかくも有無を言わさぬ春風は大蜘蛛の八足に絡みつき、足が鈍る。


 瞬間、鎬は一足飛びに距離を詰め、蜘蛛足の一本、その関節に刃を振り下ろした。

 完全に不意を打った渾身の斬撃は、大蜘蛛へと届き、断ち切る。


「やっ……」


 鎬に一瞬広がった快哉は、斬ったはずの関節を埋めるように手足が伸び、瞬く間にふさがってゆくことで絶望に変わる。 


『虫けらがもう一人居たのをわすれていたな』


 砥部の視線を感じながらも、鎬はこちらに向けられている蜘蛛の腹の先端を見つけた。

 とたん噴き出す白く粘着質な糸が鎬に襲いかかる。

 無理な姿勢でなんとか刃を振るい、半ばまで切り落とすも、あまりに膨大なそれに、全身がからめとられた。

 刀だけは死守したが、身動きは封じられる。


 そして糸に完全に拘束された鎬は、無造作に振り回され、頭部にいる砥部の前で、逆さづりにされた。


『はははは! やはりただの娘だの。尻尾を巻いて逃げていれば助かったかも知れぬのに』

「わたしは、虚神狩りですから、守るべき人が居る以上逃げることはあり得ません」


 優越とあざけりが滴る砥部に、鎬は精一杯睨む事で応じる。

 しかし声が震えている事を、鎬は自覚していた。

 それがわかっているのだろう、砥部はさもおかしな事を聞いたと言わんばかりに笑う。


『守る価値がある人間がどこにいる! 己の実力もわからず独断専行に走った愚か者とただの浪人ではないか! ああその浪人も熟れすぎた柿のようにつぶれて居るがな!』


 耳障りな砥部の声に、後悔の念が押し寄せてくるのを唇をかみしめて堪えた。


 平蔵を巻き込んだのは己だ。ただあの童女の姿をした鞘神が幸せであればと思ったから。

 なんの義務もない平蔵を巻き込んだ結果がこれだ。


 鎬は現世へと実体化した虚神を見たのは初めてではない。

 だがそのときは、熟練の虚神狩りが万全な準備をした上でのことだった。

 しかもそのときですら、多くの虚神狩りの命が失われ、鞘神が折れた。


 鎬はここで果てることだろう。


 鞘神は、刃が折れても、本体である鞘さえ無事ならよみがえられる。

 長く現世を渡り歩いてきた春暁なら、良いようにしてくれるはずだ。


『それがしは、空腹でな。たとえ百姓の子といえど、抜き手の娘ならば良い滋養となろう』


 また無造作に引き回された先には、人の歯が並んだ大きな虚のような顎が開かれていた。

 その中には舌の代わりとでも言うように、どす黒い魍魎がのたくり鎬を待ち構えていた。

 泥が腐ったような腐臭につつまれ、ぞわぞわと腹の底から冷えるような震えが起きる。

 鎬は、魍魎に冒された人々のもだえ苦しむ様をくるくると思い出した。


『はははヤハリ人が神を滅することなどありえんのだ!!!』


 鎬を現世につなぐ蜘蛛の糸が、断ち切られる。





「なにがありえねぇって?」





 場違いなほど飄々とした声が響いた。

 斬、と鎬を戒めていた蜘蛛の糸が断ち切られ、自由になった身を攫われる。


『ギャアアアア!!??』


 もがき苦しむような悲鳴に鎬がはっと見れば、砥部の口腔で炎が燃えていた。


 虚神ともなればただの炎では痛痒にはならない。しかし、赤々と燃え上がる炎は、確かに口腔内にいた魍魎を焼いていた。


 なにが起こったのか、気にならないわけがなかったが、鎬を担いで大地へと舞い戻った男を、涙をこぼすのをこらえながら見上げた。


「平蔵さん!」

「うるせえ、耳元で叫ぶんじゃねえ」


 叩き付けられ、戦闘不能になっていたはずの平蔵が、美しい刃を手に、そこにいた。








ごうごうと燃える大蜘蛛を背に、鎬を降ろした平蔵は口の中にたまった血を吐き捨てた。

 朦朧としていた平蔵の前に現れた春暁に、術を施されたことによって何とか間に合った。


「平蔵さん、どうして生きて。それに、ち、血が。なんで」

「勝手に殺すんじゃねえよ」


 真っ先に心配してくる鎬に、平蔵は額を滴り落ちる血を無造作にぬぐいながら応じた。

 服がだめになるがしかたがない。


「傷に関してはたいしたことねえ、かすり傷だ。てめえの鞘神にふさいでもらったからな」


 その声に呼応するように、闇の中から、夕緋色の狩衣姿の麗人が現れる。

 常よりも険しい顔つきをした鞘神春暁は、自身が抱えていた鞘を鎬へと押しつけた。


「我はまだ、抜き手を失う気はないのじゃ。なるべくであれば幾久しく、側に居たいと思うておる」

「春暁……ごめんなさい」


 悄然と鞘を受け取った鎬を横目に、平蔵は刀の柄を握り直す。

 気配を察したように察したように春暁が忠告をしてきた。


「平蔵よ、我のそれはただの気休めじゃ。痛みをまどろませているだけのこと。そなたの体は動いておるほうが不思議なことを忘れるでないぞ」

「はっ、今更じゃねえか。あれをほうっておくわけにゃいかねえんだから目をつぶれ」


 鎬には軽口で応じたものの、己の体がひどい状態なのは自覚していた。血こそ止まっているものの左肩の傷は先ほどよりも深くなり、大蜘蛛の爪を食らった腹部には、鈍痛が主張している。おおかた骨が折れているのだろう。


 だが、足は動く、刃は握れる。

 それで十分であると平蔵は判断した。


「鎬、さっきの眠くなるような風はもう一回出来るか」

「眠くなるんじゃなくて、自我を曖昧にさせてるんです。現世で存在が確立されていない魍魎や虚神ならば、それだけで消滅します」

「おま、物騒なもん振り回してんだな」

「生物相手には全く効きませんし、あんな虚神には足止め程度にしかなりません! ……それにわたしの霊力を使って技をお借りしているだけなので、あと一回ぐらいしか」

「十分だ。どのみち俺も大して動けねえ」


 平蔵の横顔を見た鎬は、こくりとのどを鳴らすと、真顔で言った。


「平蔵さん、先の炎は、おそらく平蔵さんの魂が具現化したものです。虚神を斬るには隠世のものでないといけませんから。だから魂の持つ力を燃やしているようなものだと思っていてください」

「そうなのか、さや」


 問いかければ、さやがそうと顔を出す。


「わかんない。へいぞうのことたすけたい、っておもったらぼうぼうしてた」


 平蔵は不安げに大きな瞳を揺らす童女の頭を撫でた。


「てめえが言ったんだろ。俺の魂は折れねえって。だから大丈夫だ」

「ん」


 再び鞘へ消えていくのを見届けた平蔵は、鎬に向けて己の手はずを伝える。


「そんな、無茶にもほどが……」


 真っ青になった鎬の抗議の声は、大蜘蛛の咆哮に飲み込まれた。


『オノレ、貴様ああああ! 未だ立ち塞がるか!!!!』


 先ほどよりも声が不明瞭なのは、口腔がただれているからだろう。

 振り下ろされる爪を、平蔵と鎬は飛びすさることでかわした。


「んじゃまあ、ちょいと大蜘蛛退治に行こうじゃねえか!」


 平蔵が声を上げた瞬間、砥部の血走った目が平蔵を射貫いた。


『死ねえエエエ!!!』


 大蜘蛛は両足を持ち上げてまっすぐに襲いかからんとするが、玲瓏とした声音が響いた。


「春暁のごとき、安らぎを」


 大蜘蛛の背後へと回っていた鎬が引き起こした、春風に、大蜘蛛は足を取られ八足でたたらを踏んだ。


 五感も鈍っているようで、砥部の上半身はその正体を探ろうと首を巡らせている。


『こざかしい!!!』

「おい、よそ見してる暇があるのか?」

 

 振り払おうと大蜘蛛が身をよじっている間に、距離を詰めていた平蔵は、右に並ぶ足に刃を滑らせる。


『はっ、馬鹿め斬られた程度で、ぎゃあ!?』


 斬、と一刀の下に切り捨てられた瞬間、切り口がごうと炎が立ち上る。

 焼き尽くされた足は、再びつながることもなく消滅した。


「てめえ、ちょいと頭が高けえんだ。低くなってもらうぜ」


 その様を見届けることなく、平蔵は、次の脚へと走る。


『止めろやめろやめろぉぉお!!』


 焦りを帯びながら、足下の平蔵を飛ばそうとするが術がまだ効いているのか動きは鈍い。

 故に平蔵は次いで二本目の足を切り落とした。


 がくんと、大蜘蛛の足が鈍るが、そこで腹部が平蔵へ向けられた。

 手当たり次第に射出される蜘蛛の糸は、平蔵の前面をふさいでおり、後退するしか道がない。

 だがそれでは鎬の術がほどけ、機動力の戻った大蜘蛛に勝ち目がなくなる。

 平蔵は柄を持つ手に力をいれると、先ほどの現象を再現しようとする。


「爆!」


 男の声が響くと同時に、札が飛び、平蔵の眼前で花火のように炸裂した。


「俺とて玖珂なのだぞ!」


 離れた位置にいた正目の思わぬ援護に一瞬足を止めかけた平蔵だったが、爆炎を突き抜けて三本目に辿り着く。


 平蔵が刃を振り抜けば、木でも斬っているような感触にもかかわらず、ぶつぶつと肉のように裂け、足は炎に包まれた。

 とうとう正常に立っていられなくなった大蜘蛛が、ぐらりとかしぎ地に伏した。


「平蔵さんっ」


 最後の力を振り絞った鎬の声を耳にしながら、平蔵は大蜘蛛の背に飛び乗った。

 大蜘蛛はなんとか身を焼く炎から逃れようとのたうち回っていたが、平蔵は刀を下段に構えて駆け抜ける。


『させぬぞおおおお!』


 察知した砥部が、叫んだ瞬間、平蔵の周囲の背がぼこりと爆ぜ、生首を持った蜘蛛があふれ出してくる。

  

 しかし、平蔵は足を止めもせず、すべて斬って捨てて砥部へと迫った。


 なにをしても止まらぬ平蔵に、憎しみと苛立ちに染まっていた砥部に、初めて恐怖が灯る。


『なぜ折れぬのだ、貴様は! ただの浪人風情が!!!!!』


 砥部はかがり火のように目障りな影を消さねばならぬと、残った足を伸ばし、糸を吐き出しけん制する。

 それが、平蔵を殺すためではなく、近づけさせないためだと気付かぬまま。


 体は悲鳴を上げているにもかかわらず、平蔵は全身にみなぎるような力を感じていた。 

 ここは折れるべき場ではない。童女の想いがかたわらにある。

 とうとう平蔵が砥部の上半身まであと一間まで迫ると、顔をゆがめた砥部は片腕をぎちぎちと刃に変えて、振りかぶる。


『死ねえええ!!』


 その剣線にはいまだに、免許皆伝であったと言われる剣術と火盗として視線を潜り抜けた、修羅の鋭さが宿っていた。

 読み合いは瞬き。




「てめえの虚は、もう見えた」





 貫かれた虚が、ぱすん、と気の抜けた音をさせて溶け消える。

 砥部の刃を半身で避けた平蔵は、すれ違いざま、眉間にあいた大きな虚へ刃を突き立てていたのだ。


「剣士が足を止めちゃ、斬ってくれと言ってるようなもんだろうよ」


ぽつり、と平蔵が呟いたとたん、砥部の上半身が、力を失いくずおれる。


同時に、大蜘蛛から形容しがたい悲鳴が響き渡った。


恨み悲しみ悔しさ、そのような負の感情が詰まったようなそれを飲み込むように、炎がいっそう強く燃え盛り、大蜘蛛の姿が塵となって消えていく。

 このまま大蜘蛛が消えれば、平蔵は地に叩き付けられる。


 退却を始めようとした平蔵だったが、急にどっと体が重くなった。

 今の今まで無理をしていたツケが、現れたのだと気付いても遅い。

 足をもつれさせた先は、蜘蛛の背が崩れ去った後で、滑るように落ちていく。


 内臓が浮くような浮遊感。

 受け身を取りたくとも、指一本動きそうもない。

 年は取りたくない。

 平蔵は自嘲しならも、せめて腰の鞘が折れぬようにしなければ、とふと思った。


「へーぞー!!」


かすむ視界の中で、鮮やかな赤の振り袖が舞い散ったのを見た気がした中、平蔵の意識は闇に落ちたのだった。



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