平蔵、幼女と共に歩むこと。

一、

 江渡の弐本橋の一角。


 店の軒先に寄りかかっていた平蔵がふと見ると、飾られている楓の盆栽が紅葉していた。

 少し前まで秋真っ盛りという風情だったにも関わらず、時の流れる早さを実感する。


 袖を引かれた平蔵が視線を下げれば、予想通り紅い振り袖を身にまとった童女、さやが黒髪を揺らしてこちらを見上げていた。


「ん」


 きらきらと表情を輝かせながら指し示すのは、乾物屋に並んでいた昆布である。


「いやあんなもんなにすんだよ」

「かじる」

「あれはだしを取るものであって、そのまんまかじるもんじゃねえのわかってるか」

「むう」


 平蔵はせめて思いとどまらせようと言葉を尽くしたが、さやはたちまち眉間に皺を寄せた。


「ちゃんと、たべるもん」

「……わかったよ」


 妙な後ろめたさを覚えた平蔵は、おおきくため息をついて店主に包んでくれるように願う。

 昆布は意外なほど高かった。

 酢に漬け込むと酒のあてにも良いと教えられ、さやはほれみろと言わんばかりの顔になる。


 どんどんやせていく財布にため息をつきつつ、平蔵はさやを追った。

 さやの足取りが軽い事だけは幸いである。

 だが、ひょこひょこと動く足がふと止まった。


 なんだと思えば、読売の男の口上が耳に飛び込んできた。


「さあ、よってらっしゃい見てらっしゃい! 虚斬うろぎり侍の読売だよ! 今をときめく虚斬り侍、知らないやつはお上りだ!

 江渡を震撼させた虚神憑き事件、その首魁があの火付盗賊改方の砥部貴盛だったでも驚きなのに、屋敷一つを魍魎の巣窟にしてたって言うんだから始末に負えねえ。

 そこに乗り込んだのが我らが正義の味方、虚斬り侍だ! 鞘神様と共に押し寄せる魍魎をばったばったとなぎ倒し、虚神狩りでも勝てねえ虚神を見事討ち果たした大英雄! 詳細はこの読売で確認あれ! 五色刷りの浮世絵付きだよ。さあさ、買った買った!!」


 目の前で飛ぶように売れていく読売に、平蔵はげんなりとしながら、人だかりに突っ込んで行こうとするさやを引き留めた。


「ちょっと待て」

「へーぞーのかっこいいとこ、ほしい」

「それだけは勘弁してくれ」


 不満げな様子を隠さないさやを、平蔵が必死で止めた。

 己の活躍が絵物語にされている事すら耐えがたいにも関わらず、実物が手元に残ったら高飛びしたくなる。

 砥部を斬った一夜から、二十日ほどが経っていた。





 *





 意識を失った平蔵は、玖珂の屋敷で目覚めた。

 大蜘蛛の背から落ちる寸前で、現界したさやが平蔵を掴んで引き止め、生まれたわずかな時間で、鎬と正目の救助が間に合ったのだと、あとで聞かされた。


 切りつけられた肩の傷、蜘蛛足に吹き飛ばされた時に折れた肋骨が特に重傷だったが、命には別状がなかった。

 その幸運と丈夫さは、玖珂に付けられた医者にあきれられたほどだ。 


 玖珂の屋敷に平蔵たちを運び込んだのは、正目と鎬であり、鎬は解毒の治療を受けてすぐ復帰したため、一番重傷だったのは平蔵である。


 しかし、たった三人で虚神討伐を成して生還したことに、玖珂家はもちろん虚神狩り界隈は天地をひっくり返すような騒ぎになったという。

 すぐさま調査がされ、砥部の屋敷で虚神が顕現した痕跡と討伐の大きな爪痕が報告されたことには、江渡幕府ですら重い腰を上げた。

 主犯格である砥部は驚くことに生存していたが、虚神に大半の魂を食われており、痴呆のように惚けてしまっていた。

 薬に邪気を寄り付かせたのは砥部であると推測が立ったが、詳しい真相は明かせぬだろう。

 砥部はそのまま打ち首獄門。家はお取りつぶしとなり、今は牢内で沙汰を待つ身だという。


 正目は、ご禁制の薬に手を出し、鞘神を盗んだ咎で謹慎を言い渡されたものの、虚神を討伐した功績で出世が約束されていた。


 だが、それ以上に平蔵は複雑な立場である。

 なにせ虚神狩りでも何でもない男が、鞘神を抜き虚神を討伐したのである。

 喧々囂々の議論が交わされて居る間、平蔵は怪我の治療を理由に軟禁されていたと言っても過言ではない。


 とはいえ上げ膳据え膳で看病付きの極楽な環境を、平蔵は悠々と楽しむだけだったのだが。

 鞘神を持った抜き手は傷の治りが早いらしく、この二十日で肩の傷はふさがり手持ちぶさたになっていた平蔵は、目下の問題を解決するために町へと繰り出していたのだった。

 



 平蔵が、どうやって読売からさやの気をそらそうかと思案していると、ばたばたと走って来る音が聞こえた。


「平蔵さん! 何で屋敷を抜け出してるんですか!!??」


 全速力で駆け抜けてきた身の丈ほどはある大太刀を背負った小柄な娘に、通行人はぎょっとした顔を向ける。

 だが、とうの本人は全く気にした風もなく、平蔵に詰め寄った。


「よう鎬、こんなところで会うなんざ奇遇だな」

「全力で探したんだから当たり前です! まだ怪我も治りきって居ないんですから安静にしてくださいって、あれだけ言ったじゃないですか!」

「いや、さすがに飽きちまってよ」

「傷を治すためなんですから関係ありません!」


 かっかと頭の上から湯気を出すように怒る鎬をなだめていれば、ちょこちょことさやが戻ってきた。


「どうしたの、しのぎ」

「蘇芳さん、なんで平蔵さんを止めてくれなかったんですか……」


 平蔵はさやの興味が読売からそれたことに胸をなで下ろしつつも抗議した。


「しょうがねえだろ、こいつが延々と恨めしげに見てくるんだからよ。いい加減機嫌直してもらわねえとこっちの気が滅入っちまう」

「だって、へーぞーさやいがいのかたなさしたんだもん」

「あれは不可抗力だって言ってるだろうに」

「あとあと、さやのことおいてったもん」


 言い訳のしようがない事を持ち出されれば、平蔵には返す言葉もない。


「あ、それでその大荷物なんですか」


 やっと得心がいった風の鎬に、平蔵が肩をすくめてみせた。

 さやの膨らんだ頬を引っ込ませるために、こうして外に繰り出し願い事を聞いてやっていた。

 その結果、平蔵の両手にはせんべい、かき餅、雷おこし、先ほど買った乾物など、これでもかとさやがほしがったものが積み重なっている。

 

 さやは黒髪に結びつけた真新しい紫の下げ緒を自慢げに揺らした。


「あとは、かめやでごはんたべるの。しのぎもくる?」

「はい、ぜひ! おなかぺこぺこなんです」


 決まり悪そうにお腹をさする鎬に、平蔵も重々しく言った。


「おう、お前がいると助かる」

「平蔵さんまで!?」

「実はさっきの昆布で金が尽きた。飯代貸してくれ」

「あ、はい」


 きょとんとした鎬は、次いで妙に生ぬるい笑みを浮かべた。


「なんだかんだ言って、平蔵さん蘇芳さんに甘いですよね」

「こいつの眼力がうるせえんだよ」

「そういうことにしておきます」


 すまし顔の鎬にいらりときた平蔵だったが、結局口を閉ざすしかなく、黙って歩いたのだった。


 そうして、平蔵たちは久々にかめ屋ののれんをくぐった。

 とたん、おつるの驚愕に迎えられる。


「平さん! どこでのたれ死んだかと思ったよ!」

「まあ、色々あってな。二階に上がらせてくれ」

「良いけど、不意に長屋から居なくなったって聞いてたから、ほんとに旅に出ちまったかと思ったよ」


 からからと笑うおつるの隣で、亀吉も調理場から顔を出していた。


「秋刀魚のおろし煮でいいか」

「ああ、酒は……いらねえ」


 いつものの調子で頼みかけたが、鎬に睨まれて断念する。

 しかし二階に上がり座布団に座ったとたん、たばこ盆を引きよせた平蔵を、鎬はとがめるように睨んだ。


「平蔵さん、煙草は」

「酒もだめ煙草もだめじゃ息が詰まっちまう。一服くらい許してくれよ」

「一服、だけですからね」


 険をほどいた鎬は、ほうと安堵の息をついていた。


「にしてもほんとに良かったです」

「ずいぶん大げさじゃねえか」


 平蔵が煙管に刻み煙草を詰めつつ眉を上げれば、鎬はなにを今更と身を乗り出してきた。


「だって、宗家の決定をお話しした翌日ですよ? 気にくわなくてまたどこか行ってしまうのかと思って当然じゃないですか」

「それで慌ててやがったのか」


 決まり悪そうにする鎬に、平蔵は火を付けて一服する。

 ぽう、と紫煙が揺らめくのを見るともなしに見ていれば、おずおずとした鎬の視線を感じた。


「あの、平蔵さんやっぱり嫌ですか。虚神狩りになるのは」

「わだかまりがねえって言うのは、嘘にならあな」


 平蔵は一服を終えた吸い殻を、灰入れに落とす。

 昨日、玖珂の家老であった玖珂正木から、もう一度虚神狩りになることを打診された。


 虚神憑きと虚神をつなげている虚を斬る「虚斬り」は、天敵のような能力なのだと、そのとき知った。

 それが、すでに憑き主を食いつぶしかけていた虚神憑きからも引きはがす事が出来るとわかり、虚神狩り宗家の間では、上を下への大騒ぎなのだという。


『虚だけを斬れるその技は唯一無二の物だ。玖珂で生かしてくれるのであれば、助かる』


 幾分憔悴した色の見える正木は、以前よりもかなり軟化した態度で願ってきた。


 平蔵はすぐには返答しなかった。


 玖珂を信用したわけではなかったこともあり、そして相手の出方を見るためであったが、正木は平蔵の要求をほとんど鵜呑みにした。

 それだけ欲しているのだと鎬に言い募られた。


 むろん、正木の言葉の端々に、脅しの気配は感じた。 

 しかし不思議と、以前よりも嫌悪感はわかなかったのだ。


 平蔵は隣で足を伸ばして座る黒髪の童女を見おろした。

 この鞘神にした誓いのほうが重くなったからだろう。


「まあ、給金も今までで一番もらえるし、名目上、誰かに飼われる位は妥協してやらあ」


 平蔵が軽く言えば、鎬の表情が見る間に輝いた。


「いやったああ! ありがとうございますっ。じゃあさっそくこちらをどうぞ!」


 うれしさをあらわにする鎬が懐から取り出したのは、真新しい印籠だった。

 黒い漆がつやつやと輝くそれの中央には、玖珂の家紋が描かれている。


 どこかで見たことがあるそれに、平蔵が首をかしげていれば、鎬はそれをずずと押しやってきた。


「平蔵さんの虚神狩り免状です。江渡の町方、武家方はもちろん、八州廻りに地方の奉行所まで顔が利きますし、関所も無条件で通ることができるんですよ!」

「お前、持ち歩いてたのかよ」

「だって、平蔵さんに早く虚神狩りになって欲しくて! これでわたしに後輩が出来るんですもの」

「なんだって」


 呆れる平蔵がぎょっとするのにもかかわらず、鎬はにやにやと優越感たっぷりに胸を張った。


「そうですよ! 玖珂の中ではわたしが一番新米ですからね! 先輩としてじゃんじゃんたよってくださいっ」


 どん、と自分の胸を叩く鎬に、平蔵はあっという間に気力が萎えてきた。


「やっぱやめるわ」

「えーなんでですか! 虚神狩りに必要な術も、虚神についても全部おしえますよ! 大丈夫ですって、もう教える順番も手引き書もつくってあるんですから、受け取ってくださいよー!」


 心底嫌そうな平蔵が印籠をぞんざいに押しやるのを、鎬はなんとか戻そうとする。

 その不毛な攻防は、紅葉のような小さな手によって終わった。


「さやがへーぞーのかわりにもってる」

「おい、待てさや」

「蘇芳さん、さすがですっ」


 もそもそと帯の間に挟んで満足げにするさやに、平蔵と鎬の声が重なった。

 思わず顔を見合わせた二人に、奇妙な沈黙が流れる。

 それを破ったのは鎬だった。


「あの、今でも蘇芳さんを、そう呼ぶんですね」


 鎬の、非難までは行かないまでも困惑のまじった言葉に、答えたのはさやだった。


「へーぞーによばれるのすきだからいいの。とくべつ」

「まあ、今更変えるのもめんどくせえし。こいつが嫌がってねえからいいんじゃねえの」


 どこか誇らしげに言うさやの頭を平蔵は無造作に撫でる。

 猫のように気持ちよさげに目を細めるさやを見て、鎬は思わず、と言った風に笑顔になる。


「うん、とってもすてきだと思います」

「なんだよそのにやけた面は」

「いーんですぅわたしだけの秘密なんですから。あ、ご飯来みたいですよ」


 平蔵は追求したかったが、ひとまずは久々のかめ屋の飯を堪能することにしたのだった。


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