三、
口入れ屋に顔を出した数日後。
平蔵が巴屋に顔を出して帰宅すると、大太刀を背負った娘、鎬が飛び込んできた。
「平蔵さあああんっ特定が出来ましたあああ!!」
「うぜえ」
飛びつく勢いで迫る鎬の頭を、平蔵は片手で掴んで阻止する。
残念そうにしながらも、鎬は不思議そうにきょろきょろと平蔵の部屋を見渡した。
「あれ、蘇芳さんの姿がありませんが、休まれているんですか」
「いや、あいつは」
言いかけた時、小さな庭の方から、子供の遊び声が響く。
同じ長屋に住まう子供たちが駆けていく後から、ひょいとさやが姿を現した。
「しのぎ、いらっしゃい」
「え?」
「まけられないから、またあとでね」
「おーいさやー! 置いてくぞー!」
少年の声に、うなずいたさやは、鎬が引き止める間もなく走って行った。
「ガキどもと妙に仲良くなってな。一町くらいは出歩けるもんだから、ごろごろ遊んでんだ」
毎日毎日よくも飽きもしないと平蔵はあきれていたが、子供はそういうものだと騒々しさはあきらめていた。
「人に交じって遊ぶなんて」
「ガキが遊ぶのは良いことだろ」
「あ、はいそれはとても良いことなのですが、引っ込み思案な蘇芳さんがよくと」
驚きさめやらぬと言った様子の鎬の背後から、騒々しく隣に住む女が現れた。
「平さん、あんたんとこにお客用の茶なんてないだろ。淹れてきてやったよ」
「大きなお世話だっての」
「そっちの娘さんのためだよ! こんな掃きだめに来てくれたんだ、ちっとはマシなもんを出さなきゃだめだろう」
「自分で言うのかそれを」
「そうだ里芋がたくさんあるからさ、あとで煮っ転がし持ってくからね」
一方的にまくし立て、女が上がりかまちに湯飲みを二つ置いて去っていったのを、平蔵はため息をついて見送った。
置かれて行ってしまったのはしかたがないと、湯飲みの片方を鎬へと押しやれば、大太刀を傍らに置いた鎬が感心した調子で呟いた。
「平蔵さん、なんか変わりましたね」
「当たり前だろ、ガキ一人いるんだからな」
「それもそうなんですけど、部屋の中が明るくなった気がします」
「そうかあ?」
眉をひそめながら、平蔵は何気なく部屋を見回してみる。
さやが来てから、大してものが増えたわけではない。茶碗と箸くらいなものだ。
「まず布団が片付いています」
「……あいつが刀装の手入れに邪魔だって文句たれんだよ」
一日一回、柄から鞘まで丁寧に拭くことを求められるのだ。
やれ使い古した手ぬぐいでは嫌だと買いに行かされたほどである。
平蔵は憮然と返したが、鎬は明るく続ける。
「それから部屋に空気が通るようになりましたし、おかみさんがたも気安くなられてました」
「あれは図々しいって言うんだよ」
「相変わらずちょっぴりだらしないですけど。蘇芳さんの見る目は確かでしたね。ほんとうによかったです」
「こっちは大迷惑だっての」
平蔵が憮然と茶を喫しても、鎬は取り合わずにこにこしていた。
空気が通るようになったのは、さやにせっつかれて掃除をするようになったからであるし、おかみ連中からおかずを一品もらうことが多くなったのは、さやがいるからだ。
けして、平蔵が変わったからではない。
「で、とっとと用件を進めやがれ」
「そうでした!」
のんびりと自分の茶を啜っていた鎬は、ようやく当初の目的を思い出したらしい。
鎬は懐から札を取り出すと、一つ柏手を打つ。
たった、それだけの仕草。
しかし平蔵は、空気が変わるのを感じた。
「ちょっとよそ様に聞かせるわけにはいかないお話なので。人避けと音避けをさせてもらいました。おかみさんたちにも聞こえません」
「術者ってのは便利なものだな」
「たくさん修行しましたので」
自慢げに胸を張った鎬は、姿勢を正して続けた。
「梅彦さんがおっしゃっていた薬の出所が、平蔵さんのお話で見つかったんです」
「
「知ってたんですか!?」
「別の筋からな」
つい昨日、真介の手下から経過報告を聞いたところだった。
「土竜の一派は現在急速に勢力を伸ばしている博徒です。元は川崎を縄張りにしていたのですが、ここ数ヶ月で江渡に進出を始めてます」
「その資金源が、賭博だけじゃなくその薬にあると考えたか」
「はい。その通りです」
素直にうなずいた鎬は、瞳を熱意に輝かせながら続けた。
「平蔵さんにいただいたあの薬は、中身は阿片でしたが、ある種の呪いが仕掛けられていました。魍魎を憑かせるには、それなりの技術はもちろん、膨大な魍魎を調達しなければなりません。一番は、魍魎を集める環境を造ること、そして虚神が控えている可能性が高いのです」
「
「……出来ます」
平蔵の疑問を、鎬は後ろめたそうながらも肯定した。
「こころに住み着いた
笑みのかけらもなく、真摯な表情で鎬は告げる。
「相手は実体を得た神です。勝てなくて当たり前、絶対に気を抜かないでください」
「抜きやしねえよ。続けろ」
平蔵のあっさりとした返答に、鎬は不満げだったが、気を取り直したらしい。
「わたしたちは、土竜の由右衛門があやしいと目を付けましたが、証拠が足りませんでした。虚神狩りは、実際に虚神がいる現場を目撃しなければ、捕まえることができないんです」
「土竜と渾名されるだけあって、なかなか表には出てこねえらしいな、そのおっさん」
平蔵が言えば、鎬はどん、と平蔵へと身を乗り出した。
「で、す、が! 今日の夜、土竜の由右衛門が江渡近辺の賭博場に顔を見せるそうです! あやしいと思いませんか!」
「そっちもあやしいが、てめえも同じくらいあやしいぞ。どうやってそんな話を聞きつけてきたよ」
土竜の由右衛門の動向は、真介ですら正確につかめず躍起になっているものだ。
なぜ裏社会を知らぬ娘がわかるのか。
「それはその、占いで……」
「占いだあ?」
きつい口調で問いかければ、鎬はどこか焦ったようにせわしい口調になった。
「玖珂家に伝わる人捜しの呪法は優秀なんですからね! わ、わたしは苦手ですけど」
平蔵の心底疑わしい視線で、ごにょごにょと口ごもる鎬だったが、それでも平蔵を見上げた。
「けど、ものすごくそこに現れる確率が高いんです。なので、本当に虚神憑きがいるか、わたしと確かめに行ってくださいませんか?」
必死に頼み込んでくる鎬に、平蔵は訝しく問いかける。
「何で俺だ。玖珂の人間に頼めば良いだろう」
「だって、賭博場なんてわたし全然知りませんし。平蔵さん前にちょうはん?でしたっけそれで負けたって言ってたじゃないですか。知ってるなかで一番そういう所に詳しい人なんですもん」
「負けたは余計だ」
鎬のなめらかな口調には少々違和を持ったが、確かに言い分にも一理あると平蔵は考えた。
武家としての玖珂家は、かなり位が高いらしい。
たとえ腕が立っても育ちのよい侍が、中間や破落戸がたむろする賭博場なんぞには全く縁がないだろう。
むしろ鎬の発想はそれなりに頭がよいかもしれない。
「もちろん、これはお仕事ですから、お仕事の礼金もお支払いいたします。わたしと潜入していただけませんか?」
自信満々だったと言うのに、急に不安げな様子で頼んでくる鎬に、平蔵は顔をしかめる。
付き合う義理はない。
しかし、仕事が途絶えて金がない今、礼金は大変魅力的だ。
潜入先が賭場と言うことは人の金で賭けられるのもなかなかいい。
そして今真介は、土竜の由右衛門の一派と正面から構えるための準備をしている真っ最中だ。
そのような時期に、こんななにも知らぬ娘が嗅ぎ回っていれば、障害となるだろう。
用心深い由右衛門にいま潜られては困るのだ。
主に平蔵の働き口のために。
そこまで算段した平蔵は、鎬に目を向けた。
「わかった、条件がある」
「なんでしょう!」
「潜るのは俺、てめえは外で待機だ。これが飲めなけりゃあきらめろ」
意味がわからない風にきょとんとする鎬を、どう説得するべきか。
平蔵はおっくうながら、まじめに考え出したのだった。
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