平蔵、潜入すること。

一、


 そこは、隅田川の上流、辛うじて江渡の朱引き内と言える区域にある屋敷だった。

 元はどこかの分限者の別邸だったのだろう。

 ひなびた町屋が並ぶ中に、突如として現れる白壁は風景から浮き上がっている。さらに足早に裏門へと向かう男たちの熱を帯びた顔つきが、異様な雰囲気を醸し出していた。


 そういった流れを眺めていた平蔵は端とは言え朱引きの内側で、これほど大規模な賭場が開かれている事に驚いた。

 江渡の賭場は、複数の博徒一家によって管理されており、新興一派は隠れて小さく盆を開く事がせいぜいである。

 にもかかわらず、入ってゆく人間の数からしてかなり大規模な賭場であることに、土竜一家の勢いを感じさせた。


 さて、どう入ったものか。

 そう考えながらも、平蔵は鎬の態度が胸に引っかかっていた。

 ごねられたのではない。逆にあっさり平蔵の単独行動を許したのだ。


『わかりました。ではわたしはこの近くの町屋で待機してますね。あくまで虚神うろがみが憑いているか、あるいは薬が取引されている現場が確認できれば良いですから。絶対無理なさらないでください』


 それが無理な話なのだが、切羽詰まっているのだと思えばわからなくもない。

 実際、江渡中に情報の網を張っているはずの真介ですら、これほどの規模の賭博場を持っているとはわかっていなかったはずだ。

 しかし、ならばなぜ、これほどの客が集まるのか。


 まずは話を聞いてみないことには始まらない、と平蔵はゆらゆらと提灯を揺らして歩く一人の男に声をかけた。


「なああんた、そこの屋敷に行くのかい」


 声をかけられた男は、胡乱な顔をむけるが、平蔵の問いに応じた。


「そうさね。なんだい兄さん、ここがどこかを知らないで来ていたのかい?」

「みんな鉄火場に行くような顔してるもんだからね、つい気になっちまったんだよ」


 日雇いでその日暮らしをしているような町人風の男だった。中背で、広い額がどこか愛嬌がある。

 すでに酔いが回っているのか、はたまたこれからに対する期待に高揚しているのか、男はさも自慢げに知識を披露してくれた。


「ここは今をときめく土竜の由右衛門親分が仕切る賭場だぜ。選りすぐりの人間にしか場所が教えられねえんだ。おいらは特別に場所を教えてもらって初めて参加するんだよ」

「その選りすぐりってのはなんなんだ」


 平蔵が水を向ければ、広い額の男は気まずそうに頬を掻いた。


「い、いやあ特別って言ってもな。別の賭場で負けがこんじまってて。そしたらこの賭場で勝てばチャラにしてくれるって声をかけられたんだ」

「へえ、ずいぶん景気のいい話だな」

「だろう!? その上であの輪転りんてん薬までもらえるってんで、意気込んでいる奴らは多いんだぜ」

「輪天薬?」

「それを知らねえなんてどこのお上りだよ。酒に混ぜてくいっといけば、たちまち輪廻を巡るみたいに極楽へいけるって言う薬さね。一度やったらただの酒にも煙草にも戻れねえぜ」


 男がうっとりとした顔になるのは、その味を思い出しているからだろう。

 鎬からあらかたは聞いていた。

 薬の中身は、魍魎の呪いがなくとも常習性の高い薬であり、効き目は酒などより何十倍も強いものだという。その強さは人の洗脳にも使われるものだと聞き及んでいた。

 賭博と絡めることで、忠誠心の高い客を作り出しているのだろうか。


 驚きの顔をして見せた平蔵は、ぐっと眉尻を下げた。


「そりゃあ、うらやましい。俺もちょいと中へ入ってみたいもんだ」

「なんなら兄さん、おいらと入ってみるかい。信用の出来る仲間なら道連れにしてもいいって話なんだ」

「それは願ってもねえ話だが、あんたに迷惑がかからねえかい」

「てやんでぇ、頼られて黙っていられるほど枯れてねえやい。けどまあ、賭場に行くんだ。こっちのほうは大丈夫かい」


 調子の良い男が、思わせぶりに親指と人差し指でわっかをつくる。

 その意味がわかった平蔵は、純朴を装って笑って見せた。


「ああ、せっかく江渡に来たんだ。ちょいと遊ぼうと思っていくらか持ってるよ」

「そりゃあいい、行こうぜ兄弟。おれは丈吉ってんだ」

「平蔵だ」


 互いの名を知ったところで、男丈吉は足早に屋敷の門をくぐった。

 しっかりとした作りの玄関から上がり、土竜の手下に話を付けたあと、屋敷の奥へと進んでいった。


「よかったんかい? ずいぶん立派な拵えの刀だったが」

「かまわねえよ、勝てば戻ってくるんだからな」


 平蔵が、半ば強制的に刀を預けさせられた事を気にする丈吉だったが、肩の力を抜いた。


「本当はな。ちょいと一人でくぐるのは怖かったんだ。道連れが出来てよかったぜ」

 屋敷からぼんやりとこぼれる明かりの中、照れくさそうに丈吉が言う。


 平蔵は男たちの熱気と声と、嫌に甘ったるい匂いを感じた。

 屋敷の大座敷はふすまがすべて取り払われ、その中央に、白い布のかけられた盆が堂々と鎮座していた。

 その周囲にも、五,六人が取り囲む盆が開かれており、威勢のよい声音が響き渡る。


「さあ張った張った! 丁方ちょうかたないか、丁方ないか」

「いざ、勝負!」


 そのまわりを異様な熱意を宿した男たちが囲み、木札を前にじっと壺振りの手元をにらみつけていた。

 平蔵にもなじみ深い賭場の光景だったが、部屋の片隅はおろか、天井や空気にすら、魍魎がどろどろとはびこっていた。


 それ以上に、室内が薄くもやがかるほどたきしめられたものに、平蔵は顔をしかめた。

 一時、煙草の煙がこもっているのかと思ったが、嫌に甘ったるく、頭の奥が霞がかるような香りだ。


「ああ、これだよこれ。土竜さんの賭場はこの香りがいいんだ。輪天薬のええ香りだ」 


 くらりときた平蔵だったが、丈吉はむしろ心地よさげに鼻をうごめかした。

 その様子で平蔵は、この匂いが故意にたきしめられているものだと知る。

 あまり吸いたくないが致し方ない。


 平蔵は室内を見回してみたが、土竜の由右衛門らしき人物はまだ現れていないようだ。

 しかし、どんなに慎重なかしらでも、大きな賭場であれば、必ず顔を出しに来ることを知っていた。

 それが最低限の仁義、と言うものだからだ。


 ならば、今暫く待とう。

 ついでに多少賭けて遊んでもかまわないだろう。


 平蔵は、丈吉がせわし気に金を木札きふだに変えに行く後へついていったのだった。




 輪天薬の匂いに包まれながら、平蔵は白熱していく盆ござを眺めていた。

 平蔵が賭けた木札は、あっという間になくなった。

 普段ならここでさらに金を木札に変えるのだが、そのような気がどうしても起きず、丈吉の後ろに座り込んだ。


 重だるい煙を吸うたびに嫌に鬱屈とした気分になる。

 しかし盆に向かう男たちは全く意に介した風もなく、喧嘩のような応酬が繰り広げられていた。


 いやこれは影響が現れているのだと、平蔵は気が付いた。


 先ほどからの応酬を聞く限り、普段なら無視されるような負け惜しみや言いがかりでつかみ合いになっている。中には由右衛門の手下だろう使用人に追い出される者もいた。

 しかし、客たちは見向きもしない。

 自制心がより薄くなっている彼らの間には、回転の落ちた独楽のような危うさが漂っていた。


 賭場は、命の取り合いだ。

 参加者は皆、賭博で勝つことを目的にこの場に集まっている。

 緊迫した空気が漂うことはままある。しかしこの嫌に張り詰めた空気はよくない傾向だと、平蔵は経験的に知っていた。


「はっはっはー! 今日のおいらはついてるぞ!!」


 丈吉は、木札を山にして有頂天になっていた。

 これほどの大勝ちをした事があまりないのだろう。

 平蔵にも経験はある。一刻にも満たない時間で金が増えていく万能感。これが延々と続くのではないかと錯覚し、際限なく賭け続けるのだ。


 故に、まわりが見えなくなるのも当然だった。


「よおし、次だ次! がんがん行こうぜ」


 腕まくりをした丈吉が、揚々と次を催促すれば、向かいに座っていた職人風の男がいきなり立ち上がった。

 その目は血走り、完全に常軌を逸していた。

 さらに、胸には小さいながらも虚が空いている。


「てめえ、壺振りとぐるになっていかさましてんだろう!」

「ああ? なに道理の通らねえこと言ってんだよ。おいらがそんなことするわけ」

「ぐだぐだ言ってんじゃねえ! 俺がこんなに勝てねえのはてめえのせいだ。その木札、そっくりよこしやがれっ」  


 言うなり、男は懐に呑んでいた匕首を取り出した。

 そして男が乱暴に踏み出した事で、盆に乗っていた木札が舞い散り、喧噪が悲鳴に変わる。

 頭が鈍くなっていても、命の危機には反応し、盆についていた男たちが蜘蛛の子を散らすように離れていった。


 しかし丈吉は何が起きているかわからないと、言う風にへたり込んだままだ。


 舌打ちした平蔵は、その襟首をひっつかんだ。

 そのまま後に投げ捨て、一歩踏み出す。


 つかみ合いはともかく刃傷沙汰が起きれば、由右衛門が出てこない可能性があった。

 男が刃かざして飛び込んでくる同時に、平蔵は掴んだ木札を投げつけた。


 ひるんだ隙に肉薄し、握った煙管入れでみぞおちを抉る。

 さらに男の手首をひねりあげた平蔵は、足を払い、盆へと沈めて押さえ込んだ。


 盆の上を匕首が転がる音が響いた。


「で、次はどうしたら良いんだい」


 完全に無力化した男の上で、平蔵は棒立ちになっている賭場の用心棒たちに問いかける。


「何をしているてめえら、そいつを例の場所に連れて行け!」


 ドスの利いた声が響き、ようやく息を吹き返した男たちが、慌てて平蔵から男を引き取っていった。


 そして人垣が割れて現れたのは、五十路ほどの小柄な男だった。

 好々爺のような柔和な顔つきで、上等な着物に身を包んでいるが、すさんだ面構えの男たちが背後に控えている。


「皆々様、お騒がせいたしました。この賭場を仕切っておりやす、由右衛門にございます。どうぞこのあとも楽しく遊んでいってくだせえ」


 その一言で、すぐさま壺振りが再開され、客たちが再び賭け事に戻っていく。

 いっそ不気味とも言えるその熱中ぶりを気にした風もなく、由右衛門は平蔵を向いた。

 柔和を装っていたが、暗い値踏みの視線が平蔵をなめるように滑っていく。


「見事な手並みでございましたな、どこか名のある方でございましょうか」

「いや、連れを助けただけだよ。きっちり払い戻してくれんなら、それでいい」


 平蔵の言葉で、丈吉は散乱した木札を思い出したらしい、他の客と共に血眼になって木札を集め出した。

 その様を由右衛門が一瞬冷めた目で見おろすのを、平蔵は見逃さなかった。


「もちろんですとも。今まで勝たれていた分きっちりお支払いいたします。ともあれ大変助かりました。よろしければ、別室で一つ、お礼をさせてくれませんか」


 由右衛門の申し出に、平蔵は眉を上げた。

 手下たちも一様に驚いているが、由右衛門は気にした風もない。


 どんな思惑があるのか。


 しかし渡りに船のその申し出に、平蔵は無造作に立ち上がったのだった。


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