平蔵、仕事を探すこと。

一、



 季節は秋に入り、からっとした涼風が混じるようになった。

 本所の繁華街から少し離れた煮売り居酒屋で、平蔵は静かに呑んでいた。

 初めて入った店だったが、なかなかに良い酒を出す。

 下りものだと店主が自慢していたのも、あながち嘘ではないのかもしれない。

 肴はかめ屋にくらべれば大したことはなかったが、塩だけでも十分なのだから、あるだけ上等だ。

 しかし、この騒々しさだけはいただけまい。


「てめぇ、俺が貸した金いつ返す気だよ!」

「うっせえなあ、良い気分で呑んでんだから邪魔するなよ」


 居酒屋は騒々しいのはいつものことだが、平蔵のそばの卓で職人らしき男が二人、口論をしていた。

 立って詰め寄っている線の細い男が悠々と酒を呑んでるがっちりした男にかなりの額を貸し、その返却を求めてこの店まで追いかけて飛び込んできた。ということまで、強いて聞き耳を立てずとも把握してしまったほど。

 店に居合わせた者は、はじめこそ金を貸した男に同情していたが、だんだんと常軌を逸し始めてくると、迷惑そうな様子に変わっていく。

 店の外に響くような怒鳴り声を響かせているために、とうとう店主が出てきて声をかけた。


「お客さん、ちょいと頭冷やしましょうや」

「うるせえっ! どいつもこいつも俺を良いように扱いやがって!」


 その矢先、男の腹にぽっかりと虚が空き、のっぺりとした闇のような魍魎があふれた。

 男が黒いへどろ状のものに呑まれるのに、息を吹き返した客の一人が恐怖に叫ぶ。


虚神憑うろがみつきだー!!!」


 たちまち店の客はもちろん店主に至るまで、我先にと外へ逃げ出す中。

 平蔵はちろりに残った酒を前に、深い深いため息をついていた。

 その傍らにはいつの間にか、4つほどの愛らしい童女がいた。振り袖は赤を基調とした秋らしい紅葉柄である。

 さやは阿鼻叫喚の中でも動じもせず、平蔵が頼んであった秋なすの味噌和えを黙々と口に運んでいた。


「微妙だろう」

「へーぞーだけずるかった」

「お前が出てくるのはまずいだろうが」


 言いつつ、平蔵が銚子を傾けようしたが、細くとがったものが飛来してくる。

 身をそらしてよけた平蔵だったが、注ごうとしていたちろりは、黒々とした硬質な針に砕かれた。

 残っていた酒が床へとぶちまけられ、ぷうんと酒の匂いが立ち上る。

 平蔵に首根っこをひっつかまれたさやも、抱えていた器を落としていた。


 無言で残骸を見おろした平蔵とさやの背後では、虚神憑きががっちりした男を追い詰めていた。

 虚神憑きはいまや黒々とした体を針山のようにとがらせて、完全に酔いが覚めた男を壁に縫い付けている。


「お、おい、俺が悪かったって。金も返すから……ひい!」


 口を封じるように、顔の際に針を突き立てられた男は、顔色を真っ白にする。


『縫い付ける、お前のその口を、くくくちちち……』


 もはや言語になっていない声を上げながら、きちきちとひときは太い針を男に向け、射出の体勢を取る。

 男がぎゅうと目をつぶった矢先。



「”我が魂を刃となせ”」



 割り込んだ平蔵によって、男の腕ほどの太さはあろう針はたたき折られた。

 その手には、先ぞりの豪剣が握られている。

 闖入者に動揺する針山の虚神憑きを向きながら、平蔵は背後の男を横目で見た。


「おい、せっかくの酒がてめえのせいで台無しだ。迷惑料よこしやがれ」

「は、な、なに」

「でねえとてめえが穴だらけになるぞ」


 あまりの事態に声を出せないで居る男だったが、平蔵越しに見える、針山が激高したように大きくなるのに震え上がった。


「わ、わかったよわかったから助けてくれ!!」

「二言はなしだぞ」


 念を押した平蔵へ、太い針が襲いかかる。

 壁や床机が無残に砕く鋭利にとがった針は大人の腕ほどはあり、たやすく人を貫けるだけの勢いがあった。

 一つ突き刺ささっただけで命を落とすことは間違いない。


 しかし平蔵は手にした刃で無造作にたたき折ると、一足飛びに間合いを詰める。

 そして、豆腐でも切るように、その切っ先を虚へ向けて突き立てた。


 虚というよりどころを無くした虚神が、断末魔の悲鳴と共に霧散してゆけば、あとには線の細い男が倒れているだけだった。

 無意識に血ぶりをくれて刀を収めた平蔵は、迷惑料をもらおうと背後を振りかえる。

 だが店の外から、慌ただしい足音と声が響いてきていた。


「御用である、道を空けよ!」


 後ろ暗い事がある身としては、一番出会いたくない人種であった。


「どうしてこうなるかねぇっ!」

「お、おいあんた!?」


 舌打ちした平蔵は、男の制止の声も無視して、一目散に裏口へと駆け込んだのだった。






 *






 抜けるような青空が広がる昼過ぎ。秋の空っ風で土埃が舞い上がる中、平蔵は口入れ屋を訪れていた。

 店内では浪人風の男や、江渡外から出てきた農民などがひしめき、個別に聴取されている。


「平蔵さんでございやすね。親分がお待ちです」


 平蔵が隅で待っていようとすれば、使用人の一人に声をかけられ奥へと通された。

 嫌な予感がしつつ、平蔵がさやをつれて廊下を歩けば、座敷に壮年の大男が寝そべっていた。

 鮮やかな釈迦如来の刺青に彩られた上半身を、芸者風の女に按摩させている。

 男は平蔵に気づくと女を下がらせて、身を起こした。


「おう平蔵、ガキこさえたって聞いたが生きてっか」


 太く響くような声でそう言ったのは、この口入れ屋の主である真介だった。

 立てば六尺はあろうという巨体の男であり、山城さんじょう一家を束ねる長であり、その顔の広さで本所一帯の破落戸に目を光らせる侠客きょうかくである。

 若い頃には江渡はもとより、八州まわりでも暴れ回ったという筋金入りだ。

 平蔵は江渡にきてまもなく彼と縁を持ち、口入れ屋で仕事を融通してもらってた。


「その話、どこで知りやがった」

山城さんじょう一家をなめんじゃねえよ。まあ巴が嬉々としてくっちゃべりに来たんだがな」

「その巴に給金を減らされて、仕事を探しに来たんだがな」

「らしいな」


 深河は、騒ぎが収まったことで平和を取り戻した。

 しかし、同時に用心棒の出番も激減したために、巴屋から毎日出勤ではなく三日に一度になり、その分金額を減らされていたのだ。

 完全に首にしないだけ金にしわい巴にしては優しいのだろうが、少々心許ないのもまた事実である。


 舌打ちをする平蔵を真介は全く意に介さず人を食った笑みを浮かべていだけだ。

しかし、平蔵のうしろからさやが顔を出したとたん、鬼瓦のような顔を崩壊させた。


「そいつがてめえの子か。父ちゃんに全く似てねえべっぴんだなあ。おう名前はなんて言うんだ」

「さやだ……似てねえのは余計なお世話だ」


 そもそも血はおろか人ですらないのだから当然だ。


「おう、おさや。甘い大福でもやろうか」


 真介は野太い声をめいっぱい猫撫で声にしているが、凶悪な人相とも相まって、大半の幼子は泣いて暴れる。

 だが、そのような様も、人あらざる者であるさやには関係なかったらしい。


「しょっぱいせんべいがいい」


 平蔵の後から出てきたさやがしっかりと主張するのに、真介は目をまん丸にしていたが、とたん大笑した。


「そうか、ガキのくせにしょっぺえもんが好きか! こりゃあいい。とっときのかき餅を持ってこさせよう。おーい!」


 真介の言葉に、控えていた若い者が下がっていく気配を感じながら、平蔵は用意された座布団にどっかりと座った。 


「てめえの子煩悩ぶりは相変わらずだな。妾の子まで面倒見ているだけはある」

「俺は頭の良い子が好きなのさ」 


 口では言うものの真介がさやを見るまなざしは、完全に孫を見るものだ。

 不惑を超えた今ではずいぶん丸くなったとはいえ、根無し草が当たり前である侠客では珍しい面倒見の良さであった。

 しかしこの人当たりの良さに騙されてはいけないことくらい、数年来のつきあいである平蔵はわかっていた。


「で、俺を奥に呼んだのは、さやを見るためだけじゃねえだろ」

「いんや、てめえがちゃんとてておやをやってるか確かめたかったのが話の大半だが」

「おい」

「それ以外もないことはねえ」


 半眼になる平蔵が何かを言う前に、茶と茶菓子が運ばれてきた。

 さやの前にはかき餅の盛られたかごが、平蔵と真介の前には、しっとりとした豆大福が置かれる。

 大酒呑みであるにもかかわらず、大の甘党でもある真介は、嬉々として大福にかぶりついた。


「これだこれ、大福は甘くなくちゃいけねぇ」

「……をい」

「ほれ、おさやも遠慮なくかじってるじゃねえか。まずは食えよ」


 傍らを見れば、さやは遠慮のかけらもなく、かき餅を小さな口で削っていた。

 表情は乏しいが、無心にかじっていることから気に入っているのはよくわかる。

 平蔵がむっすりと茶を啜っていれば、真介は若いもんから刀を一振り受け取った。


 紅の塗りの鞘に金の朱雀が飛ぶそれは、平蔵が奥へ上がる前に預けた刀である。


「良い拵えの刀を持ったな。俺が何度やるって言っても突っぱねた癖して」

「たりめえだ。てめえから刀なんぞもらってみろ、手下どもから袋だたきにされちまう」

「全部返り討ちにする口がよく言うぜ」


 軽口で返した真介は愉快げな表情で続けた。


「時によう、最近方々で「虚斬り侍」なんてえもんが暴れてるらしいな。虚神ごと宿主を叩っ切るしかねえ虚神憑きを、そいつは火盗よりも虚神狩りも先に駆けつけて、虚だけを斬っていく凄腕だ。しかも礼金ももらわず、去って行くって言う義賊ッぷりだ。どこの虚神狩りかと探しても、宗家はだんまりを決め込んでやがる」

「それは阿呆な奴もいたもんだな」

「その侍が持っている刀の拵えが、たいそう派手だって言うんだよ。ちょうどこの鞘みてえにな。虚神が斬れる刃は、この世にたった一つ。鞘神様の加護しかねえ」


 真介の表情は、相変わらず笑んだままだが、その目は鋭く、射貫くような凄みを帯びていた。


「こいつ、抜いてみても良いか」

「だめ」


 平蔵が何かを答える前に、さやの声が凜、と響いた。


「もう、それはへーぞーのたましいだから、だめ」

「口に食べかす山ほどつけて言ったって締まらねえぞ」


 言ってしまったものはしょうがない。

 ため息をついた平蔵は、懐から手ぬぐいを取り出して、さやのふくふくとした口元をぬぐってやる。

 その様をあっけにとられて眺めていた真介は、一拍おいたところで、膝を叩いて笑い始めた。 


「はっはあ。やはり居酒屋での捕り物はてめえが一枚かんでやがったか!」

「うるせえ、せっかく川向こうまで足を伸ばしたって言うのに、台無しだ」


 要するに、真相を確かめるのが目的だったのだろう。

 げらげらと笑う真介を前に、平蔵はやけくそのように大福にかぶりつく。

 あまったるいあんこの味が、口いっぱいに広がるのが、なんとも不本意だった。

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