平蔵、芸者殺しを追うこと。
一、
鎬によって
彼女に親類はおらず、引き取り手がいなかったためだ。
芸者一人が死んだとしても花街の明かりは消えず、客も現れる。
育松は明日、近くの寺で葬式があげられることとなった。
巴屋で簡単な通夜を営んだ後、芸者たちは営業に向かい、平蔵もまた芸者たちの護衛についていた。
『これは、わたしたち抜き手の使命ですので』
すまなそうにしながらも、必ず捕まえてみせると言葉を残して去って行った。
その夜、平蔵が真っ先に護衛についたのは、茂松だった。
殺される前に育松と組んでいた彼女は、化粧で顔色を隠していたもののかなり憔悴した様子で、やつれた雰囲気が色気となっているのが皮肉だ。
「大丈夫か」
平蔵が問いかければ、茂松は艶やかにほほ笑んだ。
「お客はその日を楽しみに来てるんだから、たとえ親が死のうとも芸者は座敷に上がらなきゃいけないよ」
気丈に語った茂松だったが、しかしこらえきれなくなったように、道すがらぽつりとぽつりと当時のことを語り出した。
「一人にならないように、って言われていたものだから、ちゃんと用心していたんだよ。でも、ちょっと厠に立つっていった育ちゃんが二度と帰ってこないなんて、思わないじゃないかい」
「店の中で、消えたんだな」
「そうだよ、あの子、外にいい人がいるから、てっきり会いに行ったのかと思ってね。水くさいと思いつつ、先帰っちまったんだ。あのとき探していれば何か変わったんじゃと思っても後の祭りさ」
深く、深く泥のように重たいため息をついた茂松は、消えてしまいそうなはかない表情で平蔵を見た。
「平さんが、居てくれればよかったのにね」
その日育松と茂松についていたのは、巴屋の男衆だった。
平蔵は別の芸者たちの送迎をしており、巴の気遣いで幼子を連れている平蔵は早めに帰宅していたのだ。
そのような日に事件が起きたのだから、茂松にとってはたまらないだろう。
「もしもなんざ、考えたらきりがねえぞ」
だから平蔵がそういえば、茂松は激情をこらえるようにまぶたを震わせる。
起きてしまったことはどうにもならないことを、彼女もわかっていのだろう。
「そうだね。ごめんよ平さん。だって他んところの被害に遭った芸者や育松の敵を取るために、虚神狩りまで出張ってくれてるんだろう? それを喜ばないでどうするんだって話だよね」
明るく切り替えようとする茂松は、さやが考えの読めない表情で、じっと見上げていることには気づいていないようだ。
空元気だとありありとわかるが、平蔵はそこには触れず話柄を変えた。
「なあ、この間、かばっていた芸者はどんな奴だ」
「おや、梅彦が気になるのかい?」
「ちげえよ」
元気のなかった茂松が、とたんに揶揄するまなざしを向けてくるのに平蔵は顔をしかめた。
愉快げな雰囲気を崩さない茂松だったが、それでも教えてくれた。
「そうさね、あの子とはあたしもつい最近知り合ったんだけど、どうして芸者になったのかわからないくらい地味な子だよ。器量は良い方だけれども、ちいとばかし陰気くさい。あまり気の利く方じゃないし、こうって主張しない子だから、同じ店の同僚とも折り合いが良くないみたいだね」
「それは芸者として致命的、とか言わねえか」
平蔵が呟けば、茂松はころころ笑った。
「何言ってんだい、芸者の売りは芸者それぞれだよ。何よりあの子は三味の音が良い。人と場所に合わせて響かせ方を変えるなんざ並の技量じゃないさ。あれは三味線をいっち好きだからこそ出るんだろうね。あたしも久々に良い気分で歌ったもんさね」
たしかに、あの場で平蔵も聴いていたが、音曲に詳しくなくてもほれぼれするような音だったように思う。
「ただね、お留屋では、芸者が転ぶのを推奨している節があってね。芸でお客を楽しませるより、客からいかに金を搾り取るかって方を大事にしてるらしい」
”転ぶ”というのは、本来色を売らないはずの芸者が、枕仕事をすることだ。
芸者と女郎の境界が曖昧になると禁じられており、巴屋のように徹底している置屋もあるが、密かに芸者に色を売らせる店もあった。
「梅彦も置屋の主人からずいぶんきつく当たられて、置屋の中でも居場所がないみたいだよ。最近急にはっきりものが言えるようになってたけどあの子の自信のなさも、それが原因かもしれないね」
憂いを帯びた表情で続けた茂松へ、平蔵は必要なことを問いかける。
「なあ、お留屋って置屋はどこにあるんだ」
「やっぱり平さん、上がる気かい? けど、お留屋も呼び出しの店だからねえ。格は下がるけど櫓下の方が良いんじゃないかい」
「お前男にそんな話をするのはあけすけすぎやしねえか。一応子どもも居るんだぞ」
思わず半眼になった平蔵がさやを指し示して言えば、にやにやとしていた茂松は、ぺろっと舌を出した。
「おや、ごめんよ。おさやちゃん。子どもに聴かせる話でもなかったけど。平さんがこんな話を持ちかけてくる方が悪いさね」
「俺のせいかよ。で知ってるのか、知らねえのか」
「はいはい」
お留屋への道順を説明する茂松の表情は、どことなく明るいものになっていた。
茂松を送り届けた平蔵は、教えられたとおりの道をたどっていく。
お留屋は仲町の端のほうにあった。
巴屋には劣るが、それなりに大きな店構えである。ただ、芸者の置屋にしては切り見世のような退廃的ななまめかしさを漂わせていた。
「さや、しばらく隠れてろ」
「あい」
抵抗するかと思っていたが、さやは素直に言葉に従い姿が溶け消える。
意外だったが、理由を考える前に三味線の音が聞こえてきた。
夏の空気に涼やかに澄み渡るような音色であり、奔放でどこか哀愁が漂う旋律はもの悲しくも美しい。
あまり詳しくない平蔵でもたぐいまれなる腕前であると理解できるものだ。
しかし次の瞬間、重いものが叩き付けられる音と共に怒声が平蔵の耳に入ってくる。
声は遠いがかなりの剣幕だ。
「梅彦っ、三味の練習はもうおしめえだって言ってあっただろう! てめえはいつになったらまともに仕事ができるようになるんだ!」
声を頼りに平蔵が裏手に回れば、会話の内容まで鮮明に聞こえてきた。
「最善も、客を怒らせて帰ってきやがって! 巴屋の勢いが衰える今が絶好の機会なんだぞ。てめえなんぞを置いてやってる俺の顔にいくら泥を塗りゃあ気が済むんだ!」
「ごめ、ごめんな……」
「謝るくらいならとっとと客と寝てこい! ただでさえてめえは愚図なんだからな。ちとしゃんなんて弾いてないで、器量のねえてめえは体でつなぎ止めるしかねえんだよ!」
何度か打擲する音の後、荒い足音が遠ざかっていく。
平蔵が様子をうかがっていれば、裏の勝手口の木戸が開けられ、先日会った梅彦が出てきた。
「っあ……」
平蔵の存在に気がついた梅彦は動揺し、顔を隠そうとするが、乱れた髪と泣きはらした目は雄弁に物語っていた。
「ごめ、んなさい。お見苦しいところをみせて。あの、茂松姉さんの用心棒の人、ですよね」
「茂松の、というより巴屋の、だがな」
応じつつ、平蔵は、彼女をじっくりと観察する。
騒動の夜の時は茂松と変わらないように見えたが、今日はまだ化粧をしていないせいか、ずいぶん若く15,6歳に見える。
しかし、若さ特有のはつらつさはなく、妙に暗いところがある娘だった。
おどおどとこちらを過剰に伺うような様子は、少々気に障る者が居ることだろう。
「最前の三味線は、お前さんか」
「聞こえてたんですか」
「詳しくはねえが、悪くない音だった」
平蔵が問いかければ、梅彦は緩く瞬いた後、気恥ずかしそうにはにかんだ。
「ありがとうございます、楼主から、稽古は昼間に一刻だけって言われてたんですけど、あんまりに綺麗な空だったから」
その言葉に、平蔵がふと空を仰げば、空が焼け付くような緋に染まっていた。
夜と夕焼けの交わる黄昏時ならではの幽遠な光景が広がっていたが、平蔵にはなぜそれで梅彦が三味線を持ち出したのかはよくわからなかった。
しかし、梅彦は子どものように瞳を輝かせて空を見上げていた。
彼女にとっては特別な光景なのだということくらいはわかった平蔵は、そのことには触れなかった。
「背中は、大丈夫か」
代わりに、そう訊ねれば梅彦はびくりと肩を震わせた。
「っど、して」
本気で驚いた表情は、平蔵に気づかれているとは思っていなかったらしい。
そのあたりは、茂松の言っていた「鈍い」と言う部分なのだろうと思いつつ、平蔵は応じた。
「遊女も芸者も顔は商売道具だ。折檻するにしても、見えるところにゃやらねえだろ」
巴屋では未だに聴いたことはないが、世話になる場末の切り見世で、時折折檻された女を見ることがある。
梅彦は平蔵の言葉にこくりと頷くと、憂いを帯びた瞳で己の手を見下ろした。
「慣れてますし、腕と指が傷つけられなかったから、大丈夫です。私が愚図だからいけない訳ですし。ここしか居場所がないのに、うまくできないから」
梅彦の呟くような声には張りがなく、だが泥のように重い思い詰めた色が混じっていた。
しかし、次に平蔵へと顔を向けたときには、どこか案じるような表情になっていた。
「あの、巴屋さんで、芸者さんが亡くなられたと、聞きました」
「広まってんのか」
「はい。……あのなにか」
「……いや」
じっと見つめていたのをいぶかしく思ったらしい、困惑している梅彦へ、平蔵は曖昧に言葉を返した。
それで納得したらしい梅彦は、おずおずとしながらも平蔵へ問いかけてきた。
「あの、巴屋のみなさんは、どうなさってますか」
「それを聞いてどうする?」
「茂松さんとあなた様にはお世話になったので、心配で……あ、あのすみませんやっぱいいで」
憂いを帯びた表情でうつむく梅彦に平蔵は告げた。
「巴屋はもう営業を始めて、呼び出しに応じてるさ。死んだ芸者と最後まで一緒に居た茂松も、憔悴していたが、さっき座敷に上がったところだ」
「茂松さん、お座敷をこなしてるんですか」
「ああ。お客はその日を楽しみに座敷に来てるんだから、たとえ親が死のうとも出なきゃならない、だとよ」
「茂松さんが、そんなことを」
驚きをあらわにした梅彦は、呆然と虚空に視線を投げ出す。
「あのときも、茂松さんは真っ先に私を助けに入ってくれて、気っ風が良い辰巳芸者の姿そのもので、私には全然ないもので……あんなふうにでいられたら、私も、私も……」
「梅彦」
平蔵が呼びかけると、梅彦ははっと我に返った風でこちらを向いた。
「茂松さんみたいだったら、私も悩まなくて良かったんでしょうか」
「……わからねえよ。俺はただの用心棒だ」
少しの逡巡のあと、そう答えれば、梅彦はぎこちなく表情を笑みの形につくる。
その笑みは、どこか迷子のように頼りなかった。
「ああ、私もそろそろ行かないと。お茶を引いてても、呼び出し部屋には居ないと。心配してくださってありがとうございました。用心棒さん」
ぺこりと、頭を下げた梅彦は、また戸口からお留屋へ戻っていった。
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