三、



 結局、しのぎはついていくと言ってきかず、平蔵はもはや投げやりな気分で、巴屋への道を進んでいた。

 鎬の鞘神はいつの間にか消え失せ、さやはいつもどおり平蔵の傍らを歩いている。


「なにがあっても知らねえぞ……」

「わかっています。平蔵さんのお仕事のお邪魔はいたしません。ふおー川向こうってこうなってるんですねー」


 大太刀を背負った鎬は、平蔵の少々浮かれたような様子で応じる。

 一切信用できない雰囲気に平蔵がやはりこの娘を巻くべきかと考えていれば、鎬は改まった様子で表情を引き締めてこちらを見つめていた。


「なんだよ」

「平蔵さん、その蘇芳さんのこと」

「さやがどうかしたか」

「……いえ、何でもありません」


 平蔵は、うすうす彼女が訊ねたいことがわかっていたがあえてしらばっくれる。

 すると鎬はものいいたげではあるが、問いをあきらめたらしい。


「ところで平蔵さんのお仕事はなんなのでしょう? こちらだと寺社関係でしょうか」


 しかし深河仲町へ続く橋を渡り、そこかしこで夜見世の準備が始まる岡場所の気配が漂うにつれて、不思議そうな顔になっていく。

 世間知らずとはいえ、雰囲気を察せられるだけの感覚はあるらしい。


「あの平蔵さん、ここってどういう場所なのでしょう」

「遊郭だな。俺はここにある店で用心棒をしてる」


 さらっと平蔵が暴露すれば、鎬の顔がかあっと真っ赤に染まった。


「ああああのそれってつまり殿方と女の方がむ、むつみあうとかそういう」


 侮蔑や嫌悪の表情を見せるかと思ったが、鎬はひたすらうろたえるばかりだ。

 どうやらそういった感情が現れぬほど、育ちが良いらしい。


「さやは全く気にしなかったんだがな」

「そ、それは鞘神様ですから。あのわたしはそのどうにも気恥ずかしいというか」


 着物の裾を握ってもじもじとする姿は、完全にこちらが悪いような気分になってくる。


「嫌なら帰っていいぞ」

「そんなことはありません、ちゃんとゆきます! なんだか魍魎が多いのも気になりますし」


 路地の暗がりや屋根の裏にへばりついている黒いものに視線をやる鎬のまなざしはどこか鋭い。


「魍魎はこんなもんだと思うんだがな」


 今日はとくに目につく気はしているが、なにか事件があれば魍魎も活気づくのが経験談だ。

 どこかで刃傷沙汰でもあったのだろうと、平蔵はゆるゆるとうごめく魍魎から目を外せば鎬と目が合った。


「やっぱり見えてらっしゃるんですね」


 鎌かけられたことに気がついた平蔵は、舌打ちをする。

 気が緩んでいたとも思えないが、決まりの悪さをごまかすために、平蔵は話柄を変えた。


「安心しろ、俺の店は色を売らねえ、芸者の置屋だ」

「え、女郎さんじゃないんですか?」


 戸惑いながらもあからさまにほっとする鎬に、平蔵は簡単に説明してやる。


「深河では芸者と女郎は別もんだ。女郎は店や茶屋で色を売る、だが芸者は、芸は売っても色は売らねえいうのが誇りなんだよ」


 それが建前でしかなく、遊び人たちの間では、深河芸者を転ばせる……床を共にすることが一種の遊戯になっている。

 芸者の方も、祝儀をはずまれると断りがたく、金に目がくらんで女郎の領分を侵す芸者が後を絶たないのが現状だった。

 とはいえ、巴屋は所属している芸者に全員に色を売らせないことを徹底させている。

 それが巴屋の誇りであり意地だった。


「はぁ、そうなのですか。体を張ってお仕事をされているのですね」


 とはいえ、そこまで説明する必要はないだろう、と平蔵をおおざっぱに説明すれば、鎬はなんともぴんとこない様子で生返事をする。

 そのような会話を交わしているうちに仲町にある巴屋にたどり着いたのだが、玄関先に見知らぬ男が数人、立っていた。


 十手を持っていることからして寺社奉行の者だろう。岡場所は寺社奉行の管轄だからだ。

 しかし、寺社奉行の同心が出張るのはよほどのことだろう。

 同心たちは突然現れた平蔵たちに気づくと、険しいまなざしを向けて追い払おうとしたが、その前に玄関から青ざめた顔の巴が現れた。


「平さん! ちょうど良かった、一緒に来ておくれよ」

「なにがあったんだ」

「殺しだよ。うちの育松いくまつが、死体で見つかったって言うのさ」

 

 その凶報に平蔵は、ぐっと眉間に皺を寄せたのだった。






 遺体は発見された近くの番所に安置されていた。

 むしろにくるまれ、大量の魍魎避けの札が貼り付けられており、土間全体に生臭い血の臭いと死臭が立ちこめている。

 そっと上げられたむしろの間から遺体改めた巴は、顔を紙のように白くしながらも気丈に告げた。


「間違いなく、うちの育松だよ」

「つらい役割をまかせてすまんね。調べが終わるまで辛抱してくんな」

「昔は威勢で鳴らした巴さんだよ。そんじょそこらの娘っことは一緒にしないどくんな」


 巴と共に見た平蔵も、それがさやと共に送ったことのある芸者だと確認した。

 しかしそれ以上に、彼女にまとわりつく生々しくおぞましい魍魎が集っていく光景に眉をしかめた。

 無念の中で死んだ死体は、魍魎たちの格好の獲物である。


 放っておくと、うろとなった死体に魍魎がとりつき、死体が腐り果てるまで動く亡者となるか、魂に巣くった場合、怨霊となって人々に害を及ぼすのだ。


「札はありったけ準備してるんだがね、仏さんの無念がよほど深かったのか全然効かなくてな。はやくお寺さんに持ってかねえとならないな」

「まっとくれよ、葬式もさせてくれないのかい」

「死体が動きまわってからじゃ遅えんだよ。わっしらとて、もっと詳しく検分したいがこりゃ無理だ」


 番所の人間たちに魍魎が見えているわけではないが、魍魎避けの札がどんどん黒ずんでいることでその存在を知らせていた。

 こうなってしまえば、専門家でもない市井の人間がとれるのは、遺体をしかるべき手順で火葬することだけだ。

 それがわかっている巴は苦渋に顔をゆがめている。


 珍しくもないことだ。こうして悲しみに暮れる者がいるだけこの芸者は幸運だが、別れを惜しむまもなく、遺骸は炎で燃やされる。

 そんなとき平蔵の着物の袖がくん、と引っ張られた。

 見れば、外で待たせていたはずのさやが、黒髪をゆらして見上げていた。

 問いかけようとしたが、その前に鎬が眼前に進み出ていた。


「すみません、すこしどいてください」

「部外者は引っ込んで……!?」


 いぶかしげにする同心が無遠慮に押しとどめかけたが、鎬がその背にある大太刀の柄へと手にかけたことで気色ばむ。


「貴様いったい」

「春暁、”盟約に従い、我が刃に力を”」


 玲瓏とした声音が響いた瞬間、風を切りながら鞘が回され、なめらかに刃が引き抜かれる。そして鎬は、鈍く輝きが灯った刀身を亡骸へ向けて一閃した。

 瞬間、清涼な風が室内全体へ広がり、遺骸に群がっていた魍魎がすべて塵となって消滅したのだ。


 鮮やかな手際にその場にいる誰しもが呆然とする中、鎬は納刀すると懐から印籠を取り出す。

 印籠の表面には虚神狩りの身分を示す家紋が描かれていた。


「お初にお目にかかります、わたしは公儀虚神うろがみ狩り方の玖珂鎬と申します」

「抜き手様でございましたか!」


 たちまち同心たちがへりくだるのも無理はない。

 虚神狩り役は将軍直属であり、本来ならばこのような市井の場所に現れることはまずないのだ。

 さらに言えば、市井では虚神狩り役といえば、歌舞伎の演目としてもよく扱われるため、一種の英雄として扱われているのだ。


 いわば、雲上の人間が現れたことで息を呑むもの、ひたすら平身低頭するもの、それぞれの反応の中、鎬は硬い表情でそれを告げた。


「こちらは虚神と虚神憑きによる犯行と推測されます。我ら虚神狩りの領分です」


 ただの少女とは思えぬほど鋭く引き締まる横顔は、まさしく侍のものだった。

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