四、



 暮れ六つ(約午後六時)が過ぎ、料理茶屋や女郎を抱える妓楼が営業を始め、深河ふかがわは一気に華やぎ始めた。

 巴屋のある仲町は上級の部類に入るため、客層もそれなりに落ち着いた雰囲気が漂っているが、それでも浮かれた者が多い。


 軒先にともされた行灯が夏の夕暮れに躍り、桟橋についた船からは客がどこか軽い足取りで降りて、料理茶屋へと入っていく。

 妓楼へ上がり床を共にできる女郎屋もあるため、あでやかな女郎が並ぶ店先に、男たちは群がっていた。


 そんな岡場所ならではの光景を横目に、平蔵は巴屋の芸者たちを送っていった。

 巴がうまいこと言ってくれたのか、巴屋の芸者は平蔵のあとについてくるさやを好意的に迎え入れてくれた。

 その分平蔵の風あたりがきつかったが黙って流す。

 芸者たちにも子どもを連れてくる場所ではない、という認識があるからだろう。


「じゃあ平さん、一刻後にね。おさやちゃんもありがとね」


 三味線を抱えた芸者、育松はいとおしげにさやの頭を撫でると、料理茶屋へ消えていった。

 子が好きなたちなのだろう。終始さやに話しかけ、楽しそうにしていた。

 さやがちいさく手を振る横で、平蔵もあだっぽい後ろ姿が消えるのを見送る。

 本日はこれで3度目だった。


 芸者は色を売らないことが建前だったが、近年では金さえ積めば転ぶ者も多く、座敷で宴会をしたあとに奥の座敷で床を共にする。

 だが巴屋の芸者は色を売らないことを誇りとしており、それが頻繁に出入りする理由となっていた。

 巴屋の男衆はいるが、手が足りないのも道理である。

 だが、これだけこき使われると辟易するのも確かだ。


「だりぃ」


 真昼の暑さは和らいだとはいえ、じっとりとした熱はまだ残っていた。

 こういうときは酒を飲んでだらだらするに限るのだが、あいにくとはじめに送った芸者たちをそろそろ迎えに行かねばならない。


「いくぞ、さや」

「あい」


 どれだけ面倒でも、受けた仕事である以上は完遂しなければ報酬がもらえない、平蔵はだらだらと歩き出した。

 平蔵がちらりと傍らを見下ろせば、さやはだいぶ慣れた様子で歩いている。

 似たような場所を何度も歩いているのにもかかわらず、さやは物珍しそうにきょろきょろと、華麗な店構えやきらびやかな衣をまとう女郎。そして通りを行き交う人々を眺めていた。

 その様は年相応にあどけなく、とてもではないが人あらざる鞘神さやがみであるとは思えない。


 しかしながら、男たちの猥雑な会話や、店の格子越しに華やかに着飾った女郎が煙管を差し出すなまめかしい光景を目にしても動じない。

 わかる年齢ではない可能性もなきにしもあらずだったが、さやはふいと立ち止まった。


「もうりょう、いる」


 彼女が見つめる路地の暗がりには、どろりとした黒いものがうごめいていた。


 行き交う人間は気づいていないが、時折行灯に照らされる通りへと体を伸ばしている。

 そして通った酔客の足に絡みつきかけたが、気づかなかった酔客は無造作に引きちぎって歩いて行った。

 道行く人の肩や腰にも黒い靄がまとわりついているが、誰も気にした様子はない。


 魍魎とは普段はそれくらい、脆弱なものだ。

 心身ともに健康であれば、人にたいした害は及ぼさない。

 衿のあわせからたたんだ地図と矢立やたてを取り出したさやが、筆で地図に×印をつけているのを見るともなしに見ていれば、あどけなくも美しい顔がこちらを向いた。


「へーぞーは、きらない?」


 唐突な問いかけの意味がよくわからなかった。


「もうりょうも、うろがみになるかもしれない。ほっといちゃ、だめ」

「なあお前、ここがどんなところかわかってんのか」

「おとことおんながいちやのじょうをかわすところ」


 舌足らずな発音で紡がれているとは思えないほど、直接的な答えに平蔵は一瞬決まりの悪い気分になったが、それでも言った。


「ここがそうだと知ってんなら、祓ったって無駄なことぐらいわかんだろ」


 負の情念が渦巻く歓楽街では、それを糧とする魍魎が湧く。

 歓楽街がなくならない限り、それは延々と続いていくのだ。

 あふれさせないために、ご公儀にも専門の部署があるが、虚神うろがみはおろか魍魎を滅することにも特別な技術が必要であり、圧倒的に人手が足りない。


 魍魎が淡いうちに処理しなければならないのは事実だが、このような岡場所にまで手が回らないのは道理だ。

 とはいえ、魍魎を放っておけば客足にも関わるため、深河の妓楼では金を出しあって、民間の術者に退治を願っている。


 最低限でも対処しているのだから、平蔵がしゃしゃり出る必要はない。


「そもそも普通の人間には祓えやしねえって。せいぜい魍魎がたまらねえよう掃除するだけで……」

「さやがつくったかたななら、もうりょうもうろがみもきれるよ」


 無垢な瞳で見上げてくるさやに、平蔵はため息を一つついた。

 たしかに彼女は虚神を滅することのできる唯一の存在だ。

 鞘神としての使命感にでも燃えているのかもしれないが。


「あのな、魍魎なんぞの掃除は俺の仕事じゃねえ。そんなもんやったって、俺には一文の得にもにもなりゃしねえんだからな」

「とくになったらやるの?」

「そういう話じゃねえっての。次の待ち合わせに遅れるぞ」


 もの言いたげなさやを無視した平蔵は、次の目的地へと歩き出した。

 一度、巴屋に戻った時に、送り出した芸者を別の店へと送るようにと言付けられていたのだ。

 完全に男衆の役どころだろうと内心愚痴るが、雇われている以上は逆らえない。


 無性に煙草が吸いたいと思いつつ、客らしき男たちとすれ違いながらも歩けば、前方が騒がしいことに気がついた。

 人だかりができているところはどうやら、目的地である料理茶屋の前らしい。


「めんどくせえなあ。喧嘩か?」


 平蔵が人だかりをかき分けて行けば、男の怒声が聞こえてきた。


「客が満足してねえってのに金を取るとはどういう了見だ!」


 騒ぎを起こしているのは、身なりの良い町人風の男とその取り巻きらしき4人組だった。

 上等な唐山縞とうざんじまを着ていることから、それなりに大きな店の若旦那なのかもしれない。しかし仲間ともどもどこかすさんだ雰囲気が漂っている。

 ついで女の威勢のいい啖呵が響いた。


「生言ってんじゃないよ、芸は売れど色は売らずが辰巳芸者の誇りだよ! それを何さ、あんたが無理矢理ことに及ぼうとしたんじゃないか。そんなもん客じゃないよ!」

「せっかく芸者を呼んでぱあっと明るくしようって言うのに、陰気でしみったれてんだ。せめてあっちの方で楽しませてもらわねえと帳尻が合わねえってもんよ!」

「そうだそうだ!」


 女は巴屋に所属する茂松しげまつだった。気っぷの良さと色気が売りの、小股の切れ上がった看板芸者だ。

 そして茂松にかばわれているのが、客と諍いを起こした芸者だろう。

 薄化粧を施した顔を今にも泣きそうにゆがめている。

 その横顔は愛らしく美しいものの、どこか影があった。


「芸者を馬鹿にするのも大概にしなっ! あんたらなんかに芸者を買う資格なんてないよっ!」

「じゃあてめえが相手をしてくれるってのか、ああ?」

「俺たちは二人でもかまわねえがな」

「お客さん、もうお代はけっこうですのでこのへんで」


 下品に笑う男たちと芸者の間に、料理茶屋の奉公人がやんわりと間に入ろうとしていた。

 騒ぎを大きくされれば、客足につながるために穏便に収めようとしたのだろうが、唐山縞とうざんじまの男が無造作に腕を振るった。


「うるせえっ! 俺に意見するなっ」


 それほど力を入れていたとも感じられない動作だったにもかかわらず、奉公人は吹っ飛び、茶屋の壁に叩き付けられた。

 すぐに動かないことからして、意識を失っているのかもしれない。


 尋常ではない力に、物見高い野次馬もことのおかしさを感じ始めざわめきがいっそう大きくなる。

 奉公人を吹っ飛ばした唐山縞とうざんじまの男には、黒く泥のような魍魎が体中に絡みつき、その胸元にぽっかりとした穴が空いていた。

 魍魎は見えても穴は初めて見た平蔵が理解が追いつかないでいると、あどけない声が耳に飛び込んでくる。


「うろがあいてるね」


 見下ろせば、まっすぐな瞳で唐山縞とうざんじまの男をみつめるさやがいる。

 うろ、虚。それは人の心に空くうつろだが、余人には見えないもののはず。

 平蔵が童女を問いただそうとした矢先、女の悲鳴で我に返る。


「ごめんなさ、」

「謝ればいいってもんじゃねえんだよ! 態度で示しな態度で!」

「三下が気軽に触って良い茂松じゃないよ!」

「うるせえただの売女ふぜいが!」


 男たちが乱暴に芸者二人を連れ去ろうとしていた。

 あまりにも行き過ぎた行動に、普段ならば止めにかかるだろう野次馬たちも、先ほどの尋常ならざる光景が焼き付いているせいか、何もできないでいるようだ。


 平蔵は舌打ちを一つした。

 面倒だが、片割れは雇われた店の看板芸者だ。


「ちょいと失礼しますぜ」

「あん、なんだぁ……いでででっで!!!!」


 ふらり、と集団に近づいた平蔵は、気弱な芸者を掴んでいた男の腕をひねり上げた。

 折れる寸前で、足を払い投げ飛ばす。

 涙に濡れる芸者の瞳がまん丸になった。


 受け身もとれずに地面に叩き付けられた無法者の腹を蹴り飛ばせば、完全に沈黙した。

 まずは一人。


「平さんかいっ!?」


 平蔵が気弱げな芸者を背にかばえば、茂松の驚きとも安堵ともつかない声が響き、ほか三人の男たちが一斉にこちらを向く。

 ちらりと見れば、料理茶屋の入り口には、まだ芸者たちがはらはらしたようすでこちらを伺っていた。


 おそらく、からまれていた芸者の相方だろう。

 茂松は辰巳芸者ならではの面倒見の良さで、割って入ったということか。


「あんだてめぇやんのか!?」

「いえね、どうやらお客さん、ずいぶん酔われているようで。熱を冷ます必要があるんじゃねえかと少々節介をしに来ました」

「ばかにしてんのか!?」

「へえ、わかるくらいには、意識がはっきりしてるみてえだな」

「てめえっ!」


 平蔵の皮肉に気色ばむ取り巻きたちだったが、平然とした唐山縞とうざんじまの男が平蔵の腰をみてあざ笑う。


「はん、どっかの浪人くずれかよ、そのごりっぱな腰のもんもどうせ形だけだろ?」

「二本差しにしてないってえことは、よっぽど貧乏だったか? そもそも中身が刀かも怪しいぜ」

「へえへえ、口だけは達者なようでぇ!?」


 男たちの嘲弄があまりに的外れで、平蔵は若干しらけていたが、男の一人の傍らに赤い着物の童女の姿を見つけて絶句した。


「てりゃー」

「どうぇあ!?」


 気の抜けたかけ声と共にさやの小さな足が男の臑に振り抜かれたとたん、大の男が宙を舞い、地に伏した。

 蹴倒したさやは満足げに、だが少々不機嫌そうに仁王立ちをしていた。


「へーぞーのはちゃんときれるやいばだもん」


 男よりも遙かに小さい童女に蹴倒されるという光景に、残った二人の男たちや野次馬が絶句する。


 一番に我に返ったのは平蔵だった。

 突然の暴挙に文句を言いたいのは山々だったが、好機到来に反射的に体が動く。

 料理茶屋に戻って獲物を調達する余裕はない。

 平蔵は舌打ちを一つして地を蹴った。


「あんだぁこのガキ」


 破落戸の一人が、さやを蹴り飛ばそうと足を振りかぶる。

 そこへ平蔵が肉薄し、みぞおちに拳をたたき込んだ。


「ぐっう!?」

「やりやがったな!」


 悶絶した男がうずくまれば、最後に残った唐山縞とうざんじまの男が、懐に隠していた匕首あいくちを抜いた。

 腰だめに飛び込んでくる男の刃を、反転した平蔵は紙一重でよける。

 刃にはまったく迷いはなく、唐山縞とうざんじまの男が踏んできた場数を感じさせた。

 素手で対峙するのは厳しい。

 長物が欲しいと、考えた平蔵は、無意識に帯に結んでいた下緒をほどいていた。


 男が反転し、匕首の刃を横薙ぎにひらめかせる。

 しかし腰から鞘ごと刀を引き抜いた平蔵も踏み込んでいた。


 交錯し、鈍い打撃音が響く。


 匕首を鞘でそらした平蔵が、返す刀で男の手首を強打した音だった。

 男はたまらず匕首を落としたが、怒りに燃える顔でつかみかかろうとする。

 しかし反撃を予期していた平蔵は、腹部へ蹴撃を送り込んだ。

 たまらず地面に倒れ込んだ唐山縞とうざんじまの男の鼻先に、平蔵は鞘のこじりを突きつけた。


「てめえらは酔っていた。それでいいな」


 取り巻きの男たちはすでに心が折れていたが、唐山縞とうざんじまの男は屈辱と怒りに顔をどす黒くしていた。

 その胸にある黒い穴が広がったように見えたが、男が突きつけられたさやを振り払うや否や、野次馬たちを突き飛ばして逃げていく。

 取り巻きたちも動けるものは、その後を追っていった。


 給料分の仕事はしたかと、平蔵が刀を帯に戻して、いつのまにか傍らにいたさやをにらんだ。


「おいさや、どうして出てきやが」

「なんで、ぬかなかったの」


 しかし、その文句は逆にさやのとがめるような問いかけに呑まれる。

 どこか不満そうに見える彼女に、平蔵は眉をしかめながらも応じた。


「抜いた時は命の取り合いだ。どっちかが死ぬまで収められねえ。こんなつまんねえことで抜く必要はねえんだよ」


 そもそも、鞘ごととはいえ腰から刀を抜くつもりもなかったのだ。

 さやは未だに承服しかねる様子だったが、それは平蔵も同じだった。


「それよりも勝手にしゃしゃり出てくるんじゃ」

「平さん! すごかったねえ!」


 しかしながら平蔵がしかる前に、背後から駆け寄ってきた茂松の言葉に遮られる。

「どこのでくの坊かと思ってたけど、平さん、こんなに強かったんだねえ! あんがとよ」

「……正直な感想ありがとうよ」

「そっちのちびっちゃいのも、良い度胸だったよ」

「ん」


 茂松に褒められ、なんてことはないという顔で胸を張るさやを苦々しく思ったが、すぐに料理茶屋へと戻っていく茂松をいぶかしく思った。


「おい、そろそろ次の店へ行かなきゃなんねえぞ」

「ちょいと待っておくれ、このまま人を帰しちまったら辰巳芸者の名が廃るからね」


 薄化粧の顔であでやかにほほえんだ茂松は、もう一人渦中に巻き込まれていた、気弱な芸者を振り返る。


「さあ、梅彦うめひこさん、後始末をするよ! さっき小耳に挟んだけど、三味はいける口だろう? 何でも良いから小唄を一つ弾いておくれ。明るいのでたのむよ」

「へ、はい」

「そこの若いの! 三味線を一丁貸しとくれな!」


 梅彦と呼ばれた芸者が、戸惑いながらもこくこくとうなずくうしろで、茶屋の人間が店奥へと走る。

 そこで平蔵は、茂松が迷惑をかけた料理茶屋の荒れた空気を払拭しようとしているのだと気がついた。


「さあ、とんだ騒ぎをお目にかけてしまいましたが、それもおしまい! 代わりに巴屋の芸者茂松と、お留屋の芸者梅彦がただいまより一曲ご披露いたします! みなみなさまどうぞお立ち会い!」


 堂々と口上を述べる茂松の視線をもらい、三味線を受け取った梅彦が、慌ててばちを構える。


「喧嘩の見物をしていたと思ったら、当代一の芸者の芸までみられるたあ今日は良い日だの」

「そうだなあ、まっこと良い芸者だ」


 三味線の音色と共に茂松が歌い踊り始めれば、たちまち観衆からやんやの喝采が上がる。

 賞賛を一心に浴びる茂松を、三味線を引きながらも、羨望のまなざしで眺める梅彦を、平蔵とさやはじっと眺めていたのだった。



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