平蔵、虚神狩りに会うこと。
一、
平蔵にまで祝儀が回ってきたが、賭場に繰り出したらあっという間に溶け消えたが。
もう一度さやを質に入れたくなったが、本人に恨めしげににらまれたので押しとどまった。
というわけで、残念ながら巴屋の使い走りは続いていた。
騒動から数日後の朝。平蔵は外の騒がしさで目を覚ました。
最近、体に無理が利かなくなっている上、雇い主である巴は何かにつけて用事を言いつけてこき使ってくる。
どうせ、仕事は夕暮れから夜にかけてだ。もうしばらく朝寝を楽しみたかったのだが。
ごろんと玄関に背を向けたとたん、障子がけたたましく叩かれた。
「平さん、お客さんだよ! こんな娘っこどうやってたぶらかしたんだい!」
「あ、やっちがっ」
隣の部屋に住む鳶の女房の声の後に若い娘の声が混ざる。
すさまじい安眠妨害に耐えかねた平蔵は起き出すと、勢いよく障子を開けた。
「てめえらうるせえぞ! まだ朝だろ!」
「もう昼飯前だよろくでなし、ほれ客だ」
「あ、いえわたしは……ひゃう」
「まったく、あんたそのうち刺し殺されるんじゃないのかね」
女衆によってずずい、と押し出されてきたのは、16,7といった頃合いの若い娘だった。
女にもかかわらず、髪は無造作に後ろでくくるだけ。
着物は男とみまがうばかりに短いものだったが、そのような格好が気にならないほど、顔立ちは整った美形だ。
女と言うにはあどけなく、少女と言うには大人びている。
さらに特出すべきは、その背に下げ緒で背負われた身の丈ほどはあろうかという大太刀だろう。
おおよそただの娘とは思えない姿をしている彼女を、女衆がどうして平蔵の身内と思ったかはわからない。
娘のほうも、無精ひげの生えたうだつの上がらない平蔵に、どうして良いかわからないと言わんばかりに右往左往している。
しかし娘は、平蔵の腰のあたりへと視線をさげたとたん目を丸くした。
平蔵が見れば、赤い振袖を着た童女さやが、ひょこりと顔を出していた。
さやも娘と同じように目を見開いている。
「あ、しのぎ」
「蘇芳さん!!!???」
大声を上げる娘に、二度寝は無理そうだと悟った平蔵は、話がこじれる前に宣言した。
「あーとりあえず、場所変えるぞ」
*
根掘り葉掘り聞いてこようとする女衆から逃げだし、平蔵が娘を引き連れて選んだのは、なじみの飯屋かめ屋だった。
縄のれんをくぐったとたん、木綿の着物に前掛けをつけた女に迎えられる。
「あら平さん、まあた何か面倒ごとにまきこまれてるの」
「そういうこった。二階を使わせてくれ」
店主の女房であるおつるはこざっぱりとした気質で、平蔵がいきなりさやを連れてきた時も、特に気にした風もなく受け入れてくれたものだ。
案の定おつるは、大刀を持った娘連れで来ても全く動じずに応じた。
「あいよ。飯と酒運んでやるね。さやちゃんにはそうさねえ、辛味大根をすりおろしたのにしょうがを混ぜてあげようか」
「あい!」
おつるに問いかけられると、さやはぱあっと表情を輝かせた。
その反応に、大刀の娘がぎょっとした顔をする。
「え、蘇芳さん、だいこんもしょうがも辛いんですよ、大丈夫なんです? そもそもご飯を食べるんですか?」
おろし大根はこの暑い時期になんとも涼やかな付け合わせだが、夏の大根は辛いことで有名だ。その上に辛味のあるしょうがを混ぜると言っているのである。
幼子が好むものとしては少々奇異だろう。
それでもさやの表情を見れば喜んでいるのは一目でわかる。
この童女は甘いものも食べなくはないが、しょっぱいものや辛い物の方が好きらしいと、平蔵は身をもって理解していたのだが。
困惑する娘に、おつるがあきれた風に返していた。
「そりゃあ育ち盛りだ、食べるのは当たり前だろ。まあ、酒のあてが好きなのは、面白いとは思うけどね」
ただ、大刀の娘にはそれだけではない驚きがこもっているように見えたが、そんな彼女におつるが無造作に問いかける。
「じゃああんたはなににする? 今は昼時だから定食いっとく? 今日は白身魚の味噌漬けだよ」
「え、あじゃあそれを……」
「あいよ! 先に二階へ上がってちょうだい」
押し切られた娘の言葉におつるはにっかりと笑ってきびすを返した。
ともかくも、平蔵たちが店奥の階段から二階の座敷に上がると、娘は用意されていた座布団に正座した。
さらに大刀を背中から下ろすと、もう一つの座布団へ置く。
区分としては大太刀、青みすら帯びている黒塗りの鞘には星屑のように銀の輝きが乗せられている。
こじりは銀の輝きを持ち、だが柄巻きは夕焼けを思わせる橙色の組紐という派手なものだったが、不思議な調和を保っていた。
改めて、小柄な娘には不釣り合いな代物だと感じつつ、平蔵が紅塗りの鞘を傍らに置いて座れば、娘は凜と背筋を伸ばした。
「わたしは玖珂家の抜き手、
とたん座布団の上にふっと現れたのは、鮮やかな夕緋色の狩衣をまとった男とも女ともつかぬ人型だった。
艶やかでどこか浮き世離れした空気をまとう人型は、優雅に扇子を広げると、さやに向けてやんわりと笑む。
「なかなか愉快な
「しゅんぎょうさま、ひさしぶり」
「うむ」
声ですら性別の曖昧な人型、春暁が愉快げに笑みを深める。
「さや、知り合いか」
「うん。かたなくらでおはなししてもらった」
平蔵の問いに答えるさやに、春暁が興味深げな色を浮かべた。
そのあいまいな表情に平蔵はほんの少し居心地の悪さを覚えたが、戸惑いを浮かべていた鎬が、おずおずと話しかけてきた。
「その、あなたさまは」
「様なんてつけられるようなご身分じゃねえよ。平蔵とでも呼んでくれ。それで、かの有名な虚神狩りの家の姫さんが、どうしてあんな掃きだめに?」
将軍家直参旗本で、本来なら平蔵がこのような口をきけば、無礼討ちをされても文句の言えない相手であり、町人の飯屋はおろか、裏長屋にすら入るような身分ではない武家である。
とはいえ話が進まないのも面倒だと水を向けてやれば、鎬はごくりとつばを飲み込んで口を開いた。
「数日前に、我が家の抜き手候補と仮の契りを結んでいたこちらの鞘神、蘇芳さんが盗まれました。わたし独自の捜索の結果、弐本橋近くの質屋から刀が消えたとの証言から、こちらにたどり着きました」
「ふうん、あそこには、俺の本名も居所も書いてなかったはずだが」
「本人が書いた文字であれば、必ず気配は残りますので。少々術を使いました」
「便利なこって。俺はこいつが鞘神だと気づかなかった。だから売った。売ったら勝手に戻ってきてこのまんまだ。それだけだぜ」
「……質屋に持ち込んだのは認めるのですね」
「まあな、金には常に困ってるもんで。道端に落っこちてたもんを拾ったらまあ好きにするだろ」
不真面目に応じれば、瞳に怒りを燃やした鎬は、厳しく目を眇めながら続けた。
「
じっとにらみつけてくる鎬に、平蔵はあまりうまい尋問ではないなと思った。
若い娘であることからも、本来こういったことに直接関わる身分ではないのだろう。
そもそも抜き手は虚神を斬ることこそが使命であり、それ以外のことは下のものがやってくれたはずだ。
この程度なら平蔵ですら煙に巻けそうだ。
平蔵は煙草盆を引き寄せながらのんびりと思案する。
この娘がさやを連れ戻しに来た、というのは会った時から察しがついていたことだ。
ならばどうであろうと、こちらに非がないとしらばっくれるまでなのだが。
そもそも、強いて手元におく必要はないのである。
ここは持って帰ってもらえばよいのではとふと気づいた平蔵が、口を開きかけた途端、ぐっと腕に重みがかかった。
その正体は平蔵の袖をつかんでいたさやだった。
「へーぞーのところにいる」
「蘇芳さん!?」
突然の主張に、平蔵は目を丸くした。
「お前、一応大事にされてるんだろ帰ればいいじゃねえか。こいつは、嫌な奴じゃねえんだろ」
「じぶんで、えらんでいいって、いわれたもん」
幼子そのもののしぐさで駄々をこねるさやに、平蔵は困惑する。
袖をつかむ力が、何より雄弁に語っていた。
鎬に助力を求めようにも、彼女は絶句してしまっており、使い物にはなりそうにない。
鎬の隣にいる鞘神、春暁は鎬のために出された麦茶の湯飲みを傾けており、話に加わる気はないらしい。
そのあたりは人ではない浮き世離れした存在そのものだった。
奇妙な膠着状態におちいり、途方に暮れる平蔵だったが、救いの主は座敷の外から現れた。
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